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ソ連が解体するのイラスト
高校/政治
1991

ソ連が解体する

ゴルバチョフ/エリツィン
語呂
覚え方
行く悔い(1991)ソ連解体
いくくい(1991)ソれんかいたい

1991年12月25日、ソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)は消滅しました。人類史上初めて「社会主義超大国」として70年近く存在した国家が、国民投票でも戦争でもなく、内側から静かに解体されたのです。改革を推し進めたゴルバチョフ大統領のもとで緩んだ統制の隙をついてバルト三国が独立を果たし、8月には保守派によるクーデタが失敗。抵抗の象徴となったエリツィンが台頭し、12月に独立国家共同体(CIS)が結成されるとゴルバチョフは大統領を辞任しました。アメリカと並ぶ二大超大国の一方が消え、世界は冷戦時代から一極集中の時代へと転換しました。

この記事のポイント

  • 1991年12月25日、ソビエト連邦が正式に消滅(ゴルバチョフが大統領辞任)
  • バルト三国(エストニア・ラトビア・リトアニア)が独立し、続いて他の共和国も相次いで独立宣言
  • 8月のクーデタ失敗でゴルバチョフの権威が失墜し、エリツィン(ロシア共和国大統領)が実権を握る
  • 12月にロシア・ウクライナ・ベラルーシが「ソ連は消滅した」と宣言し、独立国家共同体(CIS)を結成
  • 冷戦終結(1989年)とは別の出来事であり、ソ連解体(1991年)は冷戦後処理の帰結
ここが面白い

ソ連は崩壊したのではなく、「解体」された。誰かに倒されたのではなく、内側から自ら終わりを宣言した超大国の最後とはどんなものだったのか。

ここに至るまでの流れ
背景

ソ連の解体は一夜にして起きたわけではありません。1985年以降の内部改革の行き詰まりと、1989年の東欧革命による外部圧力が重なって、連邦の基盤が掘り崩されていきました。

ペレストロイカとグラスノスチの矛盾

1985年に書記長に就任したゴルバチョフは、停滞した経済を立て直すためペレストロイカ(再建・改革)を掲げました。同時に情報公開(グラスノスチ)を推進しましたが、これによって体制への批判・民族紛争・過去の弾圧が白日の下にさらされ、かえって連邦の不安定化を招きました。経済の混乱は深刻で、物資不足・インフレが市民生活を直撃しました。

東欧革命(1989年)の衝撃

1989年、ポーランドで自主管理労組「連帯」が選挙で圧勝し、ハンガリーが国境を開放、チェコスロバキアでビロード革命が起き、ルーマニアでチャウシェスク政権が崩壊しました。ベルリンの壁崩壊(1989年11月9日)はその象徴です。ソ連はブレジネフ・ドクトリン(社会主義圏の介入権)を放棄しており、東欧諸国の離反を黙認しました。この1989年の出来事が冷戦の実質的終結とされますが、ソ連自体はこの時点ではまだ存続しています。

バルト三国の独立運動

1940年にソ連に併合されたエストニア・ラトビア・リトアニアは、独立回復運動を活発化させました。1991年1月にソ連軍がリトアニアに介入して市民に死者が出ましたが国際社会から強く批判され、独立の流れは止まりませんでした。バルト三国は1991年9月にソ連から独立を承認されました。

ソ連の成立と構造

ソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)は1922年に成立した、ロシアを中心とする15の社会主義共和国の連邦国家です。1917年のロシア革命を経てレーニン指導のもとで建国され、スターリン時代に超大国へと成長しました。1991年の解体時まで69年間存続しました。

やったこと(≒ 現代でいうと)
何を

8月クーデタの失敗

≒ 社内クーデタが起きたが従業員の抵抗で失敗、主導者たちが失脚した状況

1991年8月19日、保守派の共産党幹部・軍部がゴルバチョフを拘禁してクーデタを試みた。エリツィンが戦車の上で市民に抵抗を呼びかけ、3日間で鎮圧。ゴルバチョフは解放されたが権威は決定的に失墜した。

独立国家共同体(CIS)の結成

≒ 「連合していた国々がバラバラに独立して大国が消えた」状況

1991年12月8日、ロシア・ウクライナ・ベラルーシの首脳が会談し「ソ連は消滅した」と宣言してCISを設立。その後11共和国が参加。12月25日にゴルバチョフが大統領を辞任し、ソ連は正式に消滅した。

ゴルバチョフの辞任とロシア連邦の継承

≒ 組織の解散に伴い最高責任者が辞表を提出し、最大の加盟組織が権限を引き継いだ状況

1991年12月25日、ゴルバチョフはソ連大統領を辞任する演説を行い、核のスーツケースをエリツィンに引き渡した。ロシア連邦がソ連の主要継承国(国連安全保障理事会の常任理事国議席なども継承)となった。

前後のできごと
年表
1922
ソ連成立ソビエト社会主義共和国連邦が成立。レーニン指導のもと、ロシアを中心とする連邦国家が誕生。
1985
ゴルバチョフ就任ゴルバチョフが共産党書記長に就任。ペレストロイカ・グラスノスチを推進し始める。
1989
東欧革命東欧諸国が次々と共産主義体制を離脱。11月9日にベルリンの壁崩壊。冷戦の実質的終結。
1991
バルト三国独立エストニア・ラトビア・リトアニアが独立を宣言し、9月にソ連から正式承認を受ける。
1991
8月クーデタ失敗8月19日、保守派によるクーデタが発生。エリツィンが抵抗を率い、3日間で失敗に終わる。ゴルバチョフの権威が失墜。
1991
CIS結成12月8日、ロシア・ウクライナ・ベラルーシが「ソ連は消滅した」と宣言し独立国家共同体(CIS)を設立。
1991
ソ連消滅12月25日、ゴルバチョフがソ連大統領を辞任。ソビエト連邦が正式に消滅し、ロシア連邦が主要継承国となる。
結果とその後
結果
冷戦構造が完全に終わり、核戦争の脅威が大幅に低下した。旧ソ連諸国は独立を果たし、民主化・市場経済化へ向かう国が現れた。
ロシアをはじめとする旧ソ連諸国では経済の急激な混乱(ショック療法)が生じ、インフレ・失業・貧困が急増した。オリガルヒ(新興財閥)による富の独占も進んだ。
民族紛争が各地で激化した。チェチェン紛争・ナゴルノ・カラバフ紛争など、ソ連時代に抑圧されていた民族間の対立が噴出した。
登場人物
人物

ミハイル・ゴルバチョフ

ソ連大統領・共産党書記長

ペレストロイカ・グラスノスチを推進したが経済停滞と民族問題を解消できず、8月クーデタ後に権威が失墜。1991年12月25日に大統領を辞任しソ連の終わりを告げた。

ボリス・エリツィン

ロシア共和国大統領

1991年8月のクーデタに際して戦車の上で市民に抵抗を呼びかけ、英雄的指導者として台頭。ソ連解体後はロシア連邦の初代大統領となった。

レオニード・クラフチュク

ウクライナ大統領

1991年12月にロシア・ベラルーシとともにCIS設立宣言に署名した。ウクライナの独立は後の国際政治にも大きな影響を与えた。

スタニスラフ・シュシケビッチ

ベラルーシ最高会議議長

エリツィン・クラフチュクとともにベロヴェジャ合意に署名し、ソ連の消滅とCIS設立を宣言した。

キーワード解説
用語
ペレストロイカ
ロシア語で「再建・改革」の意。ゴルバチョフが1985年から推進した経済・政治改革の総称。官僚主義の打破と市場原理の部分的導入を目指したが、経済の混乱を招いた。
グラスノスチ
ロシア語で「情報公開・透明性」の意。ゴルバチョフが推進したメディア規制の緩和・政治的議論の自由化。民族問題や体制批判を表面化させる契機となった。
独立国家共同体(CIS)
1991年12月にロシア・ウクライナ・ベラルーシが設立した国家連合体。その後11共和国が参加。ソ連の後継組織として機能したが、強制力は持たなかった。
ベロヴェジャ合意
1991年12月8日にロシア・ウクライナ・ベラルーシの首脳がベラルーシのベロヴェジャの森で署名した合意。「ソ連は消滅した」と宣言しCISの設立を定めた。
東欧革命
1989年に東欧諸国で共産主義体制が相次いで崩壊した一連の変革。ベルリンの壁崩壊がその象徴。この年を冷戦の実質的終結とするのが通説で、ソ連解体(1991年)とは区別する。
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豆知識

1ソ連の国旗はクリスマス当日に降ろされた

1991年12月25日(クリスマス)、モスクワのクレムリン宮殿からソ連の赤旗が降ろされ、ロシア連邦の三色旗が掲揚された。ゴルバチョフが同日夜にテレビ演説で辞任を発表し、69年間続いたソ連は幕を閉じた。

2エリツィンは戦車の上に立って演説した

1991年8月のクーデタ発生時、エリツィンはモスクワのロシア共和国議会(ホワイトハウス)前に集まった市民を前に、戦車の上に立って「クーデタは違法だ」と演説した。この映像は世界に衝撃を与え、クーデタ側の軍の士気を崩す決定的な場面となった。

3ソ連解体後に核兵器は4か国に分散した

ソ連崩壊後、核兵器はロシア・ウクライナ・カザフスタン・ベラルーシの4か国に分散した。ウクライナは世界第3位の核保有国となったが、1994年のブダペスト覚書で核兵器をロシアに移譲し、領土保全の保証を得た(その後の歴史は複雑な経緯をたどる)。

4冷戦終結(1989年)とソ連解体(1991年)は別の出来事

「冷戦終結=ソ連崩壊」と混同しやすいが、冷戦の実質的終結は1989年(東欧革命・ベルリンの壁崩壊・マルタ会談)であり、ソ連の解体は1991年12月。試験では「1989年」「1991年」を区別して問われることが多い。

5ゴルバチョフはノーベル平和賞を受賞していた

ゴルバチョフは冷戦終結への貢献が評価され、1990年にノーベル平和賞を受賞した。しかし国内では経済混乱と国家解体の責任者として批判され続けた。ソ連解体後も「祖国を売った」として多くのロシア人から強い非難を受けた。

世界史の博士
ここが出る博士のワンポイント
解体年は1991年。語呂は「行く悔い(1991)ソ連解体」。ソ連成立(1922年)と区別すること。
冷戦終結(1989年:東欧革命・ベルリンの壁崩壊)とソ連解体(1991年)は別の出来事として区別して覚える。
ゴルバチョフのペレストロイカ(改革)・グラスノスチ(情報公開)が解体の遠因であることを押さえる。
8月クーデタを失敗に追い込んだのはエリツィン。ゴルバチョフではなくエリツィンが台頭した点が頻出。
ソ連解体後の主要継承国はロシア連邦(国連常任理事国の議席なども継承)。
独立国家共同体(CIS)はソ連を置き換えた組織ではなく、独立した各国が任意に参加する緩やかな共同体。
語呂クイズ
「行く悔い(1991)ソ連解体」= ソ連が解体するは西暦何年?
よくある質問
FAQ
Q. ソ連はいつ成立して、いつ解体されましたか?
A. ソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)は1922年に成立し、1991年12月25日に消滅しました。約69年間存在した国家です。
Q. 冷戦終結とソ連解体は同じ出来事ですか?
A. 異なります。冷戦の実質的な終結は1989年(東欧革命・ベルリンの壁崩壊・マルタ会談)とされます。ソ連の解体はその2年後の1991年12月のことです。
Q. ゴルバチョフとエリツィンはどう違いますか?
A. ゴルバチョフはソ連大統領として改革を推進した人物です。エリツィンはロシア共和国大統領で、8月クーデタへの抵抗で台頭し、ソ連解体後にロシア連邦の初代大統領となりました。
Q. ソ連解体後にロシアはどうなりましたか?
A. ロシア連邦がソ連の主要継承国となり、国連安全保障理事会の常任理事国議席や核兵器の管理権を引き継ぎました。経済的には急激な市場化(ショック療法)により混乱が続きました。
Q. なぜ保守派のクーデタは失敗したのですか?
A. エリツィンが戦車の上で市民に抵抗を呼びかけ、多くの市民・軍部隊が命令に従わなかったからです。国際社会もクーデタを強く批判し、3日間で主導者たちは逮捕されました。
Q. 独立国家共同体(CIS)とはなんですか?
A. 1991年12月にロシア・ウクライナ・ベラルーシが設立した国家連合体で、後に11共和国が参加しました。ソ連のような中央集権的な組織ではなく、各国が独立を保ちながら協力する緩やかな枠組みです。
まとめ

1991年のソ連解体は、冷戦終結(1989年)の延長線上に位置する歴史的大事件ですが、両者は別の出来事として区別することが重要です。ゴルバチョフのペレストロイカという内部改革が統制を緩め、バルト三国の独立・8月クーデタの失敗・エリツィンの台頭を経て、12月に連邦そのものが消滅しました。アメリカと対峙した二大超大国の一方が内側から崩れ去り、世界はアメリカを中心とする一極的な国際秩序へ移行しました。「行く悔い(1991)ソ連解体」の語呂と合わせて、ゴルバチョフが改革を推進した人物・エリツィンがクーデタに抵抗して台頭した人物、という役割の違いをしっかり押さえましょう。

編集メモ(ファクト)
冷戦終結の年を1989年(東欧革命)とするのが日本の高校教科書の通説であり、本ページでもその定義に従った。ソ連解体(1991年)と混同しないよう随所で強調した。
ソ連成立年は1922年であり、1917年のロシア革命(ロシア共和国成立)と区別して記述した。
8月クーデタの詳細(ヤナーエフ副大統領らの関与)は中学・高校レベルの範囲を踏まえ、必要最低限にとどめた。
ウクライナとCISの関係は後年複雑な経緯をたどるが、1991年時点の事実のみを記述し、後の紛争への言及は避けた。