高校/政治
1922
ソビエト連邦が成立する
レーニン
語呂
覚え方
行く二夫婦(1922)ソ連成立
いくふふ(1922)ソれんせいりつ
1922年12月30日、ソビエト社会主義共和国連邦(ソ連/USSR)が正式に成立しました。1917年のロシア革命でロマノフ王朝が倒れた後も、ロシアは赤軍(ボリシェヴィキ)と白軍(反革命勢力)の激しい内戦に苦しみ続けました。内戦を制したレーニン率いるボリシェヴィキは、1922年にロシア・ウクライナ・ベラルーシ・ザカフカース(グルジア・アルメニア・アゼルバイジャン)の各ソビエト共和国を統合し、世界初の社会主義国家を誕生させました。資本主義と対立するこの新国家の登場は、20世紀の国際政治を根底から塗り替え、後の冷戦へとつながる大きな転換点となりました。
この記事のポイント
- 1917年のロシア革命でロマノフ王朝が崩壊し、ボリシェヴィキが権力を握った
- 赤軍と白軍の内戦(1917〜1922年頃)を経て、1922年12月30日にソ連が正式成立
- ロシア・ウクライナ・ベラルーシ・ザカフカースの4共和国が連邦を結成
- レーニンの新経済政策(ネップ)で疲弊した経済をいったん立て直した
- レーニン死後(1924年)にスターリンが権力を掌握し、一国社会主義・五か年計画・粛清へ
ここが面白いロシア革命(1917年)とソ連成立(1922年)は別の出来事だ。「革命で生まれた国」ではなく、革命から5年かけて内戦を勝ち抜き、複数の共和国が連邦を組んで「作った国」がソ連である。
ソ連の成立は突然ではありません。19世紀末からの社会主義運動と、第一次世界大戦が引き起こした危機が重なって初めて実現した出来事です。その背景を順に見てみましょう。
ロシアの後進性と革命運動
19世紀のロシアは西欧に比べて工業化が遅れており、広大な農村に貧しい農民が多数いました。マルクスの社会主義思想が広まる中、メンシェヴィキとボリシェヴィキに分かれた社会民主労働党が活動を続けていました。レーニンは少数精鋭の革命家組織による「前衛党」論を唱え、ボリシェヴィキを率いました。
第一次世界大戦とロシアの疲弊
1914年に始まった第一次世界大戦で、ロシアは膨大な戦死者と物資不足にあえぎました。1917年2月(旧暦)、首都ペトログラードで民衆が蜂起し(二月革命)、ニコライ2世が退位してロマノフ王朝が300年の歴史を閉じました。しかし成立した臨時政府が戦争を継続したため民衆の不満は収まらず、政治的混乱が続きました。
十月革命とソビエト政権の樹立
1917年10月(旧暦)、レーニン率いるボリシェヴィキが武装蜂起して臨時政府を打倒しました(十月革命)。ボリシェヴィキはドイツとブレスト=リトフスク条約を結んで第一次世界大戦から離脱し、「平和・土地・パン」を掲げて権力を固めました。
内戦と外国干渉
革命後、反ボリシェヴィキ勢力(白軍)と英・仏・米・日などの外国干渉軍が介入し、1917年から1922年頃にかけて激しい内戦が続きました。赤軍はトロツキーの指導のもとこれを制し、ボリシェヴィキ支配を全土に確立しました。
ソ連の正式成立
≒ 複数の企業が合併して持株会社グループを作るイメージ1922年12月30日、ロシア・ウクライナ・ベラルーシ・ザカフカース連邦がソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)を結成。各共和国はそれぞれ形式上の主権を持ちながら、ソ連共産党(旧ボリシェヴィキ)の一党支配のもとに統合された。
新経済政策(ネップ)
≒ 国営企業が主体でも中小の個人商売は認める、混合経済の一時的な採用内戦と戦時共産主義で疲弊した経済を立て直すため、レーニンは1921年に新経済政策(NEP)を導入。農民の余剰穀物の自由販売や小規模民間企業の営業を認め、生産力を回復させた。ただし大産業・金融・貿易は国家が管理した。
スターリンによる権力掌握
≒ 創業者の死後に実力者が経営権を一手に握り、組織を独裁的に改編するケース1924年のレーニン死後、スターリンが党内の権力闘争を制してトップに立った。「一国社会主義」を掲げてネップを廃止し、重工業優先の五か年計画と農業集団化(コルホーズ化)を推進。反対者を粛清して個人独裁体制を確立した。
1905血の日曜日ペテルブルクで民衆デモに軍が発砲(血の日曜日事件)。第一次ロシア革命が起きる。
1914第一次世界大戦ロシアが参戦。長期化とともに戦死者・物資不足が激増し、国内矛盾が深刻化。
1917二月革命・十月革命2月(旧暦)に二月革命でロマノフ王朝崩壊。10月(旧暦)にボリシェヴィキが権力掌握(十月革命)。
1918ブレスト=リトフスク条約ボリシェヴィキがドイツと単独講和し第一次世界大戦から離脱。内戦が本格化。
1921新経済政策(ネップ)レーニンがネップを導入。限定的な市場経済を認め、経済の立て直しを図る。
1922ソ連成立12月30日、ロシア・ウクライナ・ベラルーシ・ザカフカース連邦がソビエト社会主義共和国連邦を結成。
1924レーニン死去レーニンが死去(54歳)。スターリン・トロツキー・ジノヴィエフらによる権力闘争が始まる。
1928第1次五か年計画スターリンが第1次五か年計画を開始。重工業・軍備の急速な拡張と農業集団化を推進。
1991ソ連解体冷戦終結後、各共和国の独立が相次ぎ、12月25日にソ連が正式に解体。
◎世界初の社会主義国家が誕生し、マルクス主義の理念を大規模な国家運営に応用する実験が始まった。五か年計画による重工業化で、ソ連は短期間に農業国から工業国へ転換した。
△スターリン体制下での農業集団化(1930年代)はウクライナなどで大規模な飢饉(ホロドモール)を招き、数百万人が死亡したとされる。
△スターリンの大粛清(1936〜1938年)で党・軍・知識人など多くの人々が処刑または強制収容所(グラーグ)に送られ、独裁体制が強化された。
◎ソ連の成立は資本主義諸国に衝撃を与え、社会民主主義的な労働者保護・福祉政策の普及を間接的に後押しした。20世紀の冷戦構造を作り出した起点でもある。
ウラジーミル・レーニン
ボリシェヴィキの指導者・ソ連初代最高指導者十月革命を指導しソ連を建国した。新経済政策(ネップ)で経済を立て直したが、1924年に死去。ソ連崩壊まで遺体はレーニン廟に安置された。
ヨシフ・スターリン
ソ連共産党書記長・第2代最高指導者レーニン死後の権力闘争を制し、一国社会主義・五か年計画・農業集団化・大粛清を推進。第二次世界大戦でドイツに勝利したが、独裁的手法で多数の犠牲者を出した。
レオン・トロツキー
赤軍創設者・ソ連外務人民委員十月革命の立役者で赤軍を組織して内戦を指導した。レーニン死後の権力闘争でスターリンに敗れ、1929年に国外追放。1940年にメキシコで暗殺された。
ニコライ2世
ロシア最後の皇帝1917年の二月革命で退位し、ロマノフ王朝が終焉。1918年にボリシェヴィキに処刑された。
- ボリシェヴィキ
- ロシア語で「多数派」の意。レーニンが率いた社会民主労働党の急進派。十月革命を主導し、後のソ連共産党となった。
- ソビエト(Soviet)
- ロシア語で「評議会」の意。労働者・兵士・農民の代表が集まる民主的な組織として生まれ、ボリシェヴィキはこれを権力基盤とした。
- 新経済政策(ネップ/NEP)
- 1921年にレーニンが導入した経済政策。戦時共産主義の失敗を受け、農民の余剰生産物の自由販売や小規模私企業を認めた混合経済政策。スターリンによって廃止された。
- 五か年計画
- スターリンが1928年に開始した国家主導の経済計画。市場に任せず国が5年間の生産目標を決めて産業を動かす仕組みで、重工業・軍備の急速な拡充を図った。
- コルホーズ
- ソ連の集団農場。農民の土地・農具・家畜を国家管理のもとに集め、集団で農業を行わせた。農民の抵抗が激しく、強制的な集団化は大規模な飢饉を引き起こした。
- 一国社会主義
- スターリンが提唱した理論。「世界革命を待たず、まずソ連一国で社会主義を完成させる」という考え方で、トロツキーの「永続革命論」と対立した。
1ソ連の「連邦」は最終的に15共和国に拡大した
1922年の成立時はロシア・ウクライナ・ベラルーシ・ザカフカースの4共和国だったが、その後カザフスタンやウズベキスタンなど中央アジア・バルト三国なども加わり、解体時(1991年)には15の連邦構成共和国を抱えていた。
2レーニンはスターリンを後継者に指名しなかった
晩年のレーニンはスターリンの粗暴さを危険視し、「書記長の地位から外せ」と「遺書」(政治的遺言)に書いた。しかしスターリンが党内で工作してこの遺書を公開させず、権力の座につくことに成功した。
3「ソ連」という略称はロシア語ではない
ロシア語の正式名称は「Союз Советских Социалистических Республик(ソユース・ソヴェツキフ・ソツィアリスティチェスキフ・レスプブリク)」で、略称は「СССР(エスエスエスエル)」。英語略称「USSR」が世界的に通用し、日本語では「ソ連」と呼ばれた。
4現代で言えば「国が生産量を決める」計画経済の実験
五か年計画による計画経済とは、市場の価格シグナルに頼らず国家が「何を・どれだけ・どこで作るか」をすべて決める仕組みだ。重工業化は急速に進んだが、消費財の不足・農業の崩壊・資源配分のゆがみなど深刻な問題も生んだ。
5ソ連解体は1991年、成立から69年後
1991年12月25日、ゴルバチョフ大統領が辞任を表明し、ソ連は正式に解体した。ロシア・ウクライナ・カザフスタンなど15の独立国家が誕生し、独立国家共同体(CIS)が結成された。

ここが出る博士のワンポイント
ソ連成立の年は1922年。語呂は「行く二夫婦(1922)ソ連成立」。ロシア革命(1917年)と混同しないこと。
成立時の構成共和国はロシア・ウクライナ・ベラルーシ・ザカフカースの4共和国。
レーニンの政策は新経済政策(ネップ)。スターリンの政策は五か年計画・農業集団化・粛清。二人を区別して押さえる。
ソ連解体は1991年。成立(1922年)・解体(1991年)の両方の年号を確認すること。
世界初の社会主義国家という意義と、冷戦の起点であることを理解しておく。
語呂クイズ
「行く二夫婦(1922)ソ連成立」= ソビエト連邦が成立するは西暦何年?
- Q. ロシア革命とソ連成立は同じ出来事ですか?
- A. 違います。ロシア革命は1917年の出来事で、ロマノフ王朝が倒れボリシェヴィキが権力を握った事件です。ソ連成立は1922年で、その後の内戦を経て複数の共和国が連邦を組んだことを指します。5年のタイムラグがあります。
- Q. ソ連はどの国で構成されていましたか?
- A. 成立時はロシア・ウクライナ・ベラルーシ・ザカフカース連邦(グルジア・アルメニア・アゼルバイジャン)の4共和国でした。その後拡大し、解体時(1991年)には15共和国になっていました。
- Q. レーニンとスターリンの違いは何ですか?
- A. レーニンはソ連の建国者で、新経済政策(ネップ)により市場経済の一部を認めて経済を立て直しました。スターリンはレーニン死後に権力を握り、計画経済・農業集団化・大粛清による独裁体制を敷きました。方針も手法も大きく異なります。
- Q. 計画経済とは何ですか?現代でたとえると?
- A. 市場の需要と供給に任せず、国家が「何をどれだけ作るか」を計画して指示する経済の仕組みです。現代でたとえると、国が工場ごとに生産ノルマを設定し、価格も国が決める状態です。重工業化は進みましたが、消費財の慢性的な不足を招く欠点もありました。
- Q. ソ連はいつ解体しましたか?
- A. 1991年12月25日です。ゴルバチョフのペレストロイカ(改革開放)が進む中で各共和国の独立運動が高まり、最終的にソ連は解体しました。成立から69年で幕を閉じました。
- Q. なぜ資本主義諸国はソ連の成立を警戒したのですか?
- A. 社会主義は「資本家による搾取をなくす」ことを目標としており、私有財産の廃止・企業の国有化を掲げていたからです。資本主義諸国の支配層にとっては自国内の労働運動を刺激し、体制が揺らぐ脅威として映りました。これが後の冷戦の原型となります。
1922年のソ連成立は、1917年のロシア革命から5年間の内戦を経て実現した、世界初の社会主義国家の誕生です。レーニンのネップで経済を立て直した後、スターリンが権力を握って計画経済・集団化・粛清という独裁路線へ転換しました。この国の登場は20世紀の冷戦を生み出す原点となり、1991年の解体まで69年間にわたって世界政治を二分しました。試験では「1917年(革命)と1922年(ソ連成立)の区別」「レーニンとスターリンの政策の違い」「世界初の社会主義国家」の3点を必ず押さえましょう。語呂「行く二夫婦(1922)ソ連成立」で年号を確実に記憶してください。
編集メモ(ファクト)
ソ連成立の公式日は1922年12月30日(第1回ソビエト連邦会議での条約批准)。内戦の終結時期には諸説あるが、本稿では1922年頃を目安として記載した。
ザカフカース社会主義連邦ソビエト共和国はグルジア(現ジョージア)・アルメニア・アゼルバイジャンの3共和国の連邦体。1936年の憲法改定で3共和国に分離してソ連に直接加盟した。
ホロドモール(ウクライナ大飢饉)の死者数は研究によって推計が異なるため、本稿では「数百万人」と幅を持たせた表現を採用した。
スターリンの「遺書」(レーニンの政治的遺言)については、その解釈や影響度に関して歴史家の間で議論があるが、中学・高校教科書レベルの通説に従い記載した。