中学/政治
1945
国際連合が成立する
連合国の首脳(ローズヴェルト、チャーチル、スターリンら)
語呂
覚え方
行くよ号(1945)国際連合
いくよご(1945)こくさいれんごう
1945年、第二次世界大戦の終結(ドイツ5月降伏・日本8月降伏)を受け、戦争を二度と繰り返さないための国際機関として国際連合(United Nations、略称UN)が発足しました。同年4〜6月のサンフランシスコ会議で51か国が国連憲章に署名し、1945年10月24日に正式発足。本部はニューヨークに置かれました。前身の国際連盟(League of Nations、1920年発足)がアメリカの不参加・全会一致ルールにより機能不全に陥った反省から、安全保障理事会に強い権限を与え、米・英・仏・ソ連(現在はロシア)・中国の5か国を常任理事国として拒否権を付与する仕組みが採られました。
この記事のポイント 1945年10月24日、国際連合(UN)が正式発足。本部はニューヨーク 同年4〜6月のサンフランシスコ会議で51か国が国連憲章に署名 安全保障理事会の常任理事国5か国(米・英・仏・ソ連・中国)に拒否権 前身の国際連盟(1920年発足)の失敗を踏まえ、大国を組み込む設計を採用 国際連盟と国際連合は別の組織。年代・名称ともに混同しないことが重要
ここが面白い 国際連盟と国際連合は別の組織。前身の連盟は大国を組み込めず機能不全に陥り、世界大戦を防げなかった。その反省が、安保理と拒否権という「欠陥があっても大国を縛り込む」仕組みを生んだ。
国際連合の誕生は、二度の世界大戦という失敗の歴史の上に立っています。その背景を順を追って見てみましょう。
国際連盟の失敗(1920〜1946年) 第一次世界大戦(1914〜1918年)の反省から1920年に発足した国際連盟(League of Nations)は、世界最初の普遍的な国際平和機構でした。しかし提唱国のアメリカがモンロー主義(孤立主義)を重視する議会の反対で不参加となり、ソ連も当初排除されました。さらに全会一致ルールにより、対立する国が1か国でも反対すれば制裁が発動できない欠陥を抱えていました。1931年の満洲事変、1935年のエチオピア侵攻などで機能不全が露呈し、第二次世界大戦の勃発を防げませんでした。
大西洋憲章(1941年) 1941年8月、アメリカ大統領フランクリン・ローズヴェルトとイギリス首相ウィンストン・チャーチルが会談し、戦後の国際秩序の基本原則を示した「大西洋憲章」を発表しました。侵略の禁止・民族自決・自由貿易・軍縮などを掲げたこの文書は、のちの国際連合の理念的な礎となりました。
連合国宣言と「国際連合」の名称(1942年) 1942年1月、アメリカ・イギリス・ソ連・中国など26か国が「連合国宣言」に署名しました。このとき「United Nations(連合国/国際連合)」という名称が初めて使われました。連合国(枢軸国に対抗する国々の連合)という意味と、のちの国際機関の名称が重なっています。
ダンバートン・オークス会議(1944年) 1944年8〜10月、アメリカ・イギリス・ソ連・中国の4か国がワシントンD.C.のダンバートン・オークスで会議を開き、国際連合の基本構造(総会・安全保障理事会・国際司法裁判所など)の草案をまとめました。
ヤルタ会談(1945年2月) 1945年2月、クリミア半島のヤルタでローズヴェルト・チャーチル・スターリンの三首脳が会談し、戦後処理と国際連合の設立方針を確認しました。安保理常任理事国の拒否権の詳細もここで合意されました。
サンフランシスコ会議と国連憲章(1945年) 1945年4月〜6月、サンフランシスコで50か国(後にポーランドが加わり51か国)が参加する会議が開かれ、国連憲章が採択されました。同年10月24日、安全保障理事会常任理事国5か国を含む所定数の国が批准したことで、国際連合が正式に発足しました。この10月24日は現在も「国連デー」として記念されています。
総会 ≒ 全加盟国が参加する「国際議会」 すべての加盟国が1票を持ち、年1回の通常会期のほか緊急特別会期が開催される。重要事項は3分の2以上の賛成が必要。
安全保障理事会 ≒ 拒否権を持つ5大国が主導する「国際安全保障の要」 常任理事国(米・英・仏・ソ連→ロシア・中国)5か国と非常任理事国10か国で構成。常任理事国は拒否権を持ち、1か国でも反対すれば決議は成立しない。
拒否権 ≒ 5大国のうち1国でも反対すると決議が通らない強い権利 常任理事国5か国のそれぞれが持つ権利。国連憲章上、平和と安全に関わる実質的な決議はこの5か国全員の賛成(反対がないこと)を必要とする。
国際司法裁判所(ICJ) ≒ 国家間の争いを裁く「国際裁判所」 オランダ・ハーグに本部を置く国連の司法機関。国家間の法的紛争を裁く。個人の刑事責任を裁く国際刑事裁判所(ICC)とは別組織。
1920 国際連盟発足 第一次世界大戦の反省から国際連盟(League of Nations)が発足。ただしアメリカは不参加。
1931 満洲事変 日本が満洲を占領。国際連盟は勧告決議を出したが、日本は脱退し制裁は機能しなかった。
1939 第二次世界大戦勃発 ドイツがポーランドに侵攻し第二次世界大戦が始まる。国際連盟の機能不全が決定的となった。
1941 大西洋憲章 ローズヴェルト・チャーチルが大西洋憲章を発表。戦後の国際秩序の基本原則を示す。
1942 連合国宣言 26か国が署名。「United Nations」の名称がこのとき初めて使われた。
1944 ダンバートン・オークス会議 米・英・ソ・中4か国が国連の基本構造の草案をまとめた。
1945 ヤルタ会談(2月) ローズヴェルト・チャーチル・スターリンが会談し、国連設立方針と拒否権の詳細を確認。
1945 ドイツ降伏(5月) ドイツが無条件降伏。ヨーロッパでの戦争が終結した。
1945 サンフランシスコ会議(4〜6月) 51か国が国連憲章を採択。国際連合の設立が正式に決定した。
1945 日本降伏(8月) 日本が無条件降伏し、第二次世界大戦が完全終結した。
1945 国際連合発足(10月24日) 国連憲章が発効し、国際連合が正式に発足。以後10月24日は「国連デー」となった。
◎ 戦後の国際秩序の基盤となる普遍的な国際機関が誕生し、国際法・人権・開発・平和維持など幅広い分野での国際協力の枠組みが整備された。
◎ WHO(世界保健機関)・UNESCO(教育科学文化機関)・UNICEF(国際児童基金)など多数の専門機関が国連傘下に設立され、人類共通の課題に取り組む体制が構築された。
△ 拒否権により、冷戦期には米ソが互いに拒否権を行使しあい、安保理が機能不全に陥る場面が多発した。この構造的問題は現在も続いている。
△ 国際連盟(1920〜1946年)は国際連合の発足後に正式に解散した。両者はまったく別の組織であり、名称・年代・特徴の混同は厳禁。
フランクリン・ローズヴェルト アメリカ第32代大統領 国連構想の中心人物。大西洋憲章を起草しヤルタ会談でも主導的役割を担ったが、国連発足を見ずに1945年4月に急逝した。
ウィンストン・チャーチル イギリス首相 ローズヴェルトとともに大西洋憲章を発表し、国連設立に向けた連合国の連携を主導した。
ヨシフ・スターリン ソビエト連邦書記長 ヤルタ会談でローズヴェルト・チャーチルとともに戦後秩序を協議し、ソ連の常任理事国入りと拒否権を確保した。
ウッドロー・ウィルソン アメリカ第28代大統領 国際連盟を提唱したが、自国アメリカの議会が批准を拒否し連盟に参加できなかった。国際連合の設計はその失敗への反省を踏まえている。
コーデル・ハル アメリカ国務長官 国際連合の設立に向けた外交を強力に推進し、1945年にノーベル平和賞を受賞した。
国際連合(United Nations/UN) 1945年10月24日に発足した普遍的国際機関。本部はニューヨーク。戦争防止と国際協力を目的とし、総会・安全保障理事会・事務局・国際司法裁判所などで構成される。
国際連盟(League of Nations) 1920年に発足した世界最初の普遍的国際平和機構。1946年に解散。アメリカの不参加・全会一致ルールにより機能不全に陥り、第二次世界大戦を防げなかった。国際連合とは別組織。
安全保障理事会(安保理) 国連の主要機関のひとつ。常任理事国5か国(米・英・仏・ロシア・中国)と非常任理事国10か国で構成され、国際平和と安全に関する主要な権限を持つ。
拒否権(veto) 安保理常任理事国5か国が持つ権利。実質的な決議に対し、1か国でも反対(拒否権を行使)すれば、他の14か国全員が賛成しても決議は否決される。
国連憲章 1945年のサンフランシスコ会議で採択された国際連合の基本文書。国連の目的・原則・機関・権限などを規定する。
サンフランシスコ会議(1945年) 1945年4〜6月、アメリカのサンフランシスコで開催された国際会議。51か国が参加し国連憲章を採択した。
ヤルタ会談(1945年) 1945年2月、クリミア半島ヤルタで行われたローズヴェルト・チャーチル・スターリン三首脳の会談。戦後処理と国連設立方針を協議した。
1 10月24日は「国連デー」国際連合が正式発足した1945年10月24日は「国連デー」として国際的に記念されている。国連総会は1971年にこの日を国際的な記念日と宣言した。日本でも関連行事が開催される。
2 国際連合の名称はローズヴェルトが考案「United Nations(国際連合)」という名称は、フランクリン・ローズヴェルト大統領が考案したとされる。1942年1月の連合国宣言で初めて正式に使用された。
3 創設51か国のうち日本は含まれていない国際連合の創設メンバーは51か国だが、枢軸国だった日本・ドイツ・イタリアは含まれていない。日本が国連に加盟したのは1956年(昭和31年)のことで、このとき80か国目の加盟国となった。
4 国際連盟はアメリカの提唱なのにアメリカが不参加国際連盟を提唱したのはアメリカのウィルソン大統領だったが、アメリカ議会は条約批准を拒否し、皮肉なことにアメリカ自身が連盟に参加しなかった。この失敗を踏まえ、国際連合の設計では大国の参加を確保するために拒否権という「特権」が与えられた。
5 拒否権の行使回数は冷戦期に急増した冷戦期(1945〜1991年)、米ソは互いの陣営に不利な決議を拒否権で次々と否決しあった。ソ連は冷戦初期に特に多用し、「ミスター・ニェット(ノー)」と呼ばれたグロムイコ外相は単独で何十回も拒否権を行使した。
ここが出る 博士のワンポイント
発足年は1945年。語呂は「行くよ号(1945)国際連合」。
正式発足日は1945年10月24日(国連デー)。サンフランシスコ会議での国連憲章採択が前提。
国際連盟(League of Nations、1920年)と国際連合(United Nations、1945年)は別組織。名称・年代・特徴をセットで覚える。
安保理常任理事国は米・英・仏・ソ連(現ロシア)・中国の5か国。それぞれ拒否権を持つ。
国際連盟の失敗の原因(アメリカ不参加・全会一致ルール)と国際連合の改善点(大国を組み込み・安保理に強い権限)を対比して理解する。
語呂クイズ
「行くよ号(1945)国際連合」= 国際連合が成立するは西暦何年?
1944 1945 1947
Q. 国際連合はいつ発足しましたか? A. 1945年10月24日に正式発足しました。この日は「国連デー」として記念されています。同年4〜6月のサンフランシスコ会議で国連憲章が採択されたことが前提です。
Q. 国際連盟と国際連合はどう違いますか? A. まったく別の組織です。国際連盟(League of Nations)は1920年に発足し1946年に解散した機関で、国際連合(United Nations)は1945年に発足した別の機関です。年代も名称も異なります。混同しないよう注意が必要です。
Q. 拒否権とは何ですか? A. 安保理常任理事国5か国(米・英・仏・ロシア・中国)が持つ権利で、1か国でも反対すれば安保理の実質的な決議は成立しません。「5大国のうち1国でも反対すると決議が通らない強い権利」と理解してください。
Q. なぜ常任理事国に拒否権が与えられたのですか? A. 前身の国際連盟でアメリカが不参加だったことへの反省から、大国に特権(拒否権)を与えてでも組み込む設計にしたためです。欠陥があっても大国を縛り込む仕組みを優先しました。
Q. 国際連合の本部はどこですか? A. アメリカのニューヨークに置かれています。国際司法裁判所はオランダのハーグにあります。
Q. 国際連合の創設に関わった首脳は誰ですか? A. アメリカのローズヴェルト大統領・イギリスのチャーチル首相・ソ連のスターリン書記長らが中心人物です。ただしローズヴェルトは国連発足前の1945年4月に急逝し、発足を直接見ることはありませんでした。
国際連合の1945年発足は、二度の世界大戦という失敗の反省から生まれた国際秩序の再構築です。前身の国際連盟(1920年発足)がアメリカの不参加と全会一致ルールで機能不全に陥った教訓を踏まえ、大国に拒否権という特権を与えてでも組み込む設計を選びました。「行くよ号(1945)国際連合」の語呂とあわせて、発足年・発足日(10月24日)・安保理の拒否権・国際連盟との違いをしっかり押さえましょう。国際連盟(1920)と国際連合(1945)は名称が似ていますが、まったく別の組織です。
編集メモ(ファクト) 「ローズヴェルト」はFranklin D. Rooseveltの日本語表記。「ルーズベルト」とも表記されるが、本ページでは「ローズヴェルト」に統一した。 安保理常任理事国の「中国」については、1945年の時点では中華民国(台湾)が占めていた議席を、1971年の国連総会決議により中華人民共和国が引き継いだという経緯があるが、中学・高校レベルでは「中国」として記述した。 ソ連の後継国としてのロシアの議席継承(1991年)についても、試験対策レベルでは「ソ連→ロシア」と補足表記するにとどめた。 国際連盟の解散は1946年4月であり、国際連合発足(1945年10月)の後に正式解散したという経緯を踏まえ、result欄でその旨を明記した。