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連合軍がノルマンディーに上陸するのイラスト
高校/戦争
1944

連合軍がノルマンディーに上陸する

連合国軍(総司令官アイゼンハワー)
語呂
覚え方
行く世々(いくよよ)(1944)ノルマンディー上陸
いくよよ(1944)ノルマンディー上陸

1944年6月6日、アメリカ・イギリスを中心とする連合国軍は、ドイツ占領下のフランス北部・ノルマンディー海岸に大規模な上陸作戦を敢行しました。総司令官アイゼンハワーの指揮のもと、5000隻以上の艦船・1万機以上の航空機・15万人以上の兵士が投入されたこの作戦は「Dデイ(D-Day)」とも呼ばれ、史上最大規模の上陸作戦として歴史に刻まれています。この作戦の成功により、西ヨーロッパに新たな戦線(第二戦線)が開かれ、東からドイツへ迫るソ連軍と合わせてナチス・ドイツを東西から挟み撃ちにする形勢が整いました。同年8月にはパリが解放され、翌1945年5月にドイツは無条件降伏。ヨーロッパでの戦争に終止符が打たれました。

この記事のポイント

  • 1944年6月6日、連合国軍がドイツ占領下のフランス北部・ノルマンディーに上陸(Dデイ)
  • 総司令官はアメリカのアイゼンハワー。5000隻以上の艦船・1万機以上の航空機を投入した史上最大規模の作戦
  • 西ヨーロッパに第二戦線が開かれ、東から攻めるソ連軍と合わせてドイツを東西から挟み撃ちに
  • 1944年8月にパリ解放、1945年5月にドイツが無条件降伏しヨーロッパの戦争が終結
  • ソ連が長年求めていた第二戦線の構築がようやく実現した、連合国にとって決定的な転換点
ここが面白い

1944年6月6日、夜明け前の海を数千隻の艦船が埋め尽くした。史上最大規模の上陸作戦「Dデイ」が始まった瞬間、第二次世界大戦の流れは決定的に変わった。

ここに至るまでの流れ
背景

ノルマンディー上陸作戦は、数年にわたる戦略的な議論・準備・欺瞞工作の末に実現した作戦です。その背景を順に確認していきましょう。

第二次世界大戦とドイツの西欧占領

1939年9月にドイツがポーランドに侵攻して第二次世界大戦が始まると、ドイツはフランス・ベルギー・オランダなど西ヨーロッパの大部分を次々と占領しました。1940年6月にはフランスが降伏し、ドイツはフランス北部を直接占領。大西洋岸に強固な防衛線「大西洋の壁(アトランティック・ウォール)」を構築し、英米の上陸に備えました。

ソ連の苦戦と第二戦線要求

1941年6月、ドイツは独ソ不可侵条約を破ってソ連に侵攻(バルバロッサ作戦)。ソ連は甚大な犠牲を払いながら防衛戦を続けました。スターリンはイギリス・アメリカに対して西ヨーロッパへの上陸による第二戦線の開設を強く求め続けました。しかし英米は準備不足や北アフリカ・イタリアでの作戦を優先したため、西部戦線の本格開設は延期されました。

テヘラン会談と作戦の決定

1943年11〜12月、イランのテヘランでルーズベルト(米)・チャーチル(英)・スターリン(ソ連)による初の三首脳会談が開かれました。ここで1944年5〜6月に西ヨーロッパへの大規模上陸作戦(オーバーロード作戦)を実施することが正式に合意されました。上陸地点の候補は複数ありましたが、ノルマンディーが選ばれ、総司令官にアイゼンハワーが任命されました。

欺瞞工作と作戦準備

連合軍は「フォルティテュード作戦」と呼ばれる大規模な欺瞞工作を行い、ドイツ軍に上陸地点がカレー(ドーバー海峡の最短地点)であると信じ込ませました。偽の部隊配置・偽の無線通信・二重スパイの活用などにより、ドイツ軍はノルマンディー上陸後もカレーへの上陸を待ち続け、増援を出し惜しみました。この欺瞞工作が作戦成功の大きな要因となりました。

やったこと(≒ 現代でいうと)
何を

史上最大規模の上陸作戦

≒ 大軍が海を渡って敵占領地に直接攻め込む

5000隻以上の艦船・1万機以上の航空機・15万人以上の兵士を投入。人類史上最大規模の上陸作戦で、この規模は現在も破られていない。

西ヨーロッパへの第二戦線開設

≒ 東西から挟み撃ちにする包囲網の完成

東からドイツへ攻め込むソ連軍に加え、西からも連合国軍が侵攻する形勢が整った。ドイツは二正面作戦を強いられ、戦局が一気に連合国有利に傾いた。

パリ解放とドイツ降伏への道

≒ 占領された首都の解放と戦争終結への決定打

ノルマンディー上陸後、連合国軍はフランス国内を進撃。1944年8月にパリが解放され、翌1945年5月にドイツが無条件降伏してヨーロッパの戦争が終結した。

前後のできごと
年表
1939
第二次世界大戦開始ドイツがポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が始まる。
1940
フランス降伏ドイツがフランスを占領。西ヨーロッパの大部分がドイツ支配下に。
1941
ドイツのソ連侵攻独ソ不可侵条約を破りドイツがソ連に侵攻(バルバロッサ作戦)。ソ連が連合国側に加わる。
1943
テヘラン会談米英ソ三首脳が1944年の西ヨーロッパ上陸(オーバーロード作戦)を合意。アイゼンハワーが総司令官に任命される。
1944
Dデイ(6月6日)ノルマンディー上陸作戦開始。連合国軍が5か所の海岸(コードネーム:ユタ・オマハ・ゴールド・ジュノ・ソード)に上陸。
1944
橋頭堡の確立(6〜7月)激戦の末に橋頭堡を確保した連合国軍がフランス内陸部へ進撃を開始。
1944
パリ解放(8月)1944年8月25日、パリが解放される。フランスのド・ゴール将軍率いる自由フランス軍も入城。
1944
ベルギー・オランダへの進撃(秋)連合国軍がフランスを越えてベルギー・オランダへと進撃し、ドイツ国境に迫る。
1945
ドイツ無条件降伏(5月)東からソ連軍、西から連合国軍に挟まれたドイツが1945年5月8日に無条件降伏。ヨーロッパでの戦争終結(VEデイ)。
結果とその後
結果
西ヨーロッパへの第二戦線が開かれてドイツを東西から挟撃する形勢が整い、戦局は決定的に連合国有利に傾いた。1944年8月のパリ解放、翌1945年5月のドイツ無条件降伏へとつながり、ヨーロッパでの戦争が終結した。
ノルマンディー上陸では連合国側にも甚大な犠牲が出た。特にオマハビーチでの戦闘は激烈で、初日だけで数千人規模の死傷者が出たとされる。また、フランス・ノルマンディーの民間人も爆撃や戦闘に巻き込まれ、多くの犠牲者が出た点も忘れてはならない。
登場人物
人物

アイゼンハワー

連合国遠征軍最高司令官(アメリカ)

ノルマンディー上陸作戦全体の総指揮官。のちに第34代アメリカ合衆国大統領(在任1953〜1961年)となる。

モンゴメリー

連合国地上軍司令官(イギリス)

ノルマンディー上陸における地上部隊の作戦指揮を担ったイギリスの将軍。北アフリカ戦線(エル・アラメインの戦い)でもロンメルを破ったことで知られる。

ド・ゴール

自由フランス軍指導者

ロンドンに亡命政府を置いてドイツへの抵抗を呼びかけ続けた。ノルマンディー上陸後のパリ解放に際して凱旋行進を行い、フランスの解放と名誉回復を象徴した。

ロンメル

ドイツ軍B軍集団司令官(大西洋の壁防衛)

「砂漠のキツネ」として知られるドイツの将軍。ノルマンディーの防衛を担当したが、連合軍の欺瞞工作もあり上陸を防ぐことができなかった。

キーワード解説
用語
Dデイ(D-Day)
軍事作戦の開始日を指す軍事用語。特にノルマンディー上陸作戦が行われた1944年6月6日を指す言葉として世界的に定着している。
オーバーロード作戦
ノルマンディー上陸作戦全体の作戦名。テヘラン会談で合意された西ヨーロッパへの大規模上陸作戦の総称。
第二戦線
東部(ソ連側)に続いて西部(英米側)にも戦線を開くことで、ドイツを東西から挟み撃ちにする戦略。ソ連はかねてから英米にこの実現を求めていた。
大西洋の壁
ドイツが連合国の上陸に備えてフランス大西洋岸・北海岸沿いに構築した巨大な要塞・陣地群。ノルマンディー上陸ではこの防衛線を突破することが最大の難関だった。
フォルティテュード作戦
連合国が実施した大規模な欺瞞工作作戦。上陸地点がカレー(ドーバー海峡の最短地点)であるとドイツ側に信じ込ませることで、ノルマンディーへの迅速な増援を遅らせることに成功した。
もっと知りたい
豆知識

1上陸海岸には5つのコードネームがあった

ノルマンディー上陸では5か所の海岸が同時攻略された。米軍担当の「ユタ」「オマハ」、英軍担当の「ゴールド」「ソード」、カナダ軍担当の「ジュノ」。このうちオマハビーチでは守備が固く、米軍は初日だけで約2000人以上が死傷したとも言われる激戦となった。

2欺瞞工作でドイツ軍は増援を出し惜しんだ

連合軍の欺瞞工作(フォルティテュード作戦)は見事に成功し、ヒトラーはノルマンディー上陸後も「本当の上陸はカレーに来る」と信じ続けた。このため有力な装甲師団の増援が遅れ、連合軍の橋頭堡確保を助けることになった。

3アイゼンハワーは失敗の声明文を用意していた

作戦開始前夜、アイゼンハワーは作戦が失敗した場合に備えて「私の判断の誤りによる失敗」と書かれた声明文を書き記していた。この文書は後に発見され、歴史家の注目を集めた。作戦の重大さと司令官の覚悟を示す逸話として知られる。

4天候が作戦の実施日を左右した

当初予定されていた6月5日は悪天候のため、アイゼンハワーは一日延期して6月6日の実施を決断した。この1日の延期は非常に難しい判断だったが、6日は天候が回復し作戦は強行された。気象予報官が作戦決定に決定的な役割を果たした。

5ノルマンディーが選ばれた理由

上陸地点の候補にはドーバー海峡最短のカレー地方もあったが、敵の守備が最も固い場所でもあった。ノルマンディーは距離はやや遠いが守備がやや薄く、奇襲効果が期待できた。さらに欺瞞工作でドイツ軍をカレーに引きつけることにより、ノルマンディー上陸の成功率を高める戦略がとられた。

世界史の博士
ここが出る博士のワンポイント
年号は1944年。語呂は「行く世々(いくよよ)(1944)ノルマンディー上陸」。
総司令官はアメリカのアイゼンハワー(のちに大統領)。
作戦名はオーバーロード作戦・Dデイ(1944年6月6日)。史上最大規模の上陸作戦。
この作戦により西ヨーロッパに第二戦線が開かれ、ドイツを東(ソ連)西(英米)から挟み撃ちにする形勢が整った。
1944年8月にパリ解放、1945年5月にドイツ無条件降伏(ヨーロッパでの大戦終結)という流れを押さえる。
語呂クイズ
「行く世々(いくよよ)(1944)ノルマンディー上陸」= 連合軍がノルマンディーに上陸するは西暦何年?
よくある質問
FAQ
Q. ノルマンディー上陸作戦とはどんな作戦ですか?
A. 1944年6月6日、アメリカ・イギリスなどの連合国軍がドイツ占領下のフランス北部・ノルマンディー海岸に大規模な上陸作戦を行ったものです。総司令官はアイゼンハワーで、5000隻以上の艦船・1万機以上の航空機を投入した史上最大規模の上陸作戦です。
Q. なぜノルマンディーが上陸地点に選ばれたのですか?
A. ドーバー海峡最短のカレーと比べると距離はやや遠いですが守備が薄く、奇襲効果が期待できたからです。さらに連合軍は欺瞞工作でドイツ軍にカレーへの上陸を信じ込ませ、ノルマンディーへの増援を遅らせることに成功しました。
Q. ノルマンディー上陸が大事な理由は何ですか?
A. この作戦により西ヨーロッパに新たな戦線(第二戦線)が開かれました。東からドイツへ攻め込むソ連軍と合わせてドイツを東西から挟み撃ちにする形勢が整い、戦局が決定的に連合国有利に傾いたからです。
Q. ノルマンディー上陸後、戦争はどうなりましたか?
A. 1944年8月にパリが解放され、連合国軍はフランスを越えてベルギー・オランダへ進撃しました。東からはソ連軍、西からは英米軍に挟まれたドイツは1945年5月8日に無条件降伏し、ヨーロッパでの戦争が終わりました。
Q. アイゼンハワーとはどんな人ですか?
A. ノルマンディー上陸作戦の連合国遠征軍最高司令官を務めたアメリカの将軍です。第二次世界大戦後には第34代アメリカ合衆国大統領(在任1953〜1961年)になりました。
まとめ

ノルマンディー上陸作戦は、1944年6月6日に連合国軍がドイツ占領下のフランスに上陸した史上最大規模の作戦です。この作戦の成功により西ヨーロッパに第二戦線が開かれ、東のソ連軍と合わせてドイツを挟み撃ちにする決定的な形勢が整いました。「行く世々(1944)ノルマンディー上陸」の語呂とともに、第二次世界大戦のヨーロッパ戦線における最大の転換点として記憶しておきましょう。

編集メモ(ファクト)
投入兵力の数値(艦船5000隻以上・航空機1万機以上・兵士15万人以上)は一般的に広く引用される数値を使用。史料によって多少の差異がある。
オマハビーチの死傷者数は諸説あるため「2000人以上とも言われる」という表現にとどめた。
ドイツ降伏日はVEデイ(Victory in Europe Day)の1945年5月8日として記述した。
relatedは指定通り 1939-wwii・1945-united-nations のみ記載。