高校/政治
1919
ヴェルサイユ条約が結ばれる
ウッドロウ・ウィルソン(アメリカ大統領)ら
語呂
覚え方
行く行く(1919)ベルサイユ
いくいく(1919)ベルサイユ
1919年、第一次世界大戦を終わらせるためにパリ講和会議が開かれ、6月28日にヴェルサイユ宮殿でドイツとの講和条約が調印されました。条約はドイツから領土・植民地・軍備を大幅に奪い、巨額の賠償金を課しました。一方でアメリカのウィルソン大統領が掲げた「十四か条」にもとづき、国際平和機構として国際連盟(League of Nations)も創設されます。しかしウィルソン自身のアメリカは上院の反対で国際連盟に参加できませんでした。過酷な条件を押しつけられたドイツの経済的困窮と国民の不満は、のちのナチス台頭・第二次世界大戦の遠因になったとされています。
この記事のポイント 1919年6月28日、ヴェルサイユ宮殿で対ドイツ講和条約(ヴェルサイユ条約)が調印 ドイツは領土削減・全植民地放棄・軍備制限・巨額賠償金・戦争責任条項を受け入れた ウィルソンの「十四か条」を土台に国際連盟が創設されたが、提唱国アメリカは上院の反対で不参加 過酷な条件がドイツ経済を疲弊させ、国民の不満を煽り、ナチス台頭の遠因になったとされる アジアでは山東問題をめぐり中国の五・四運動、朝鮮の三・一運動が起きるなど波紋が広がった
ここが面白い ドイツへの賠償金は2032年にようやく完済。「懲罰的講和」は20年後に第二次世界大戦の火種になったとされる。
ヴェルサイユ条約は、突然生まれたわけではありません。4年にわたる未曾有の総力戦、そしてウィルソンが示した「戦争のない世界」という理想が複雑に絡み合い、パリ講和会議という大舞台で交渉された結果です。ここに至る流れを押さえましょう。
第一次世界大戦(1914〜1918年)とは 1914年のサラエボ事件をきっかけにヨーロッパ全土に火がついた第一次世界大戦は、機関銃・毒ガス・戦車・飛行機という新兵器が登場した初の「工業化戦争」でした。西部戦線では塹壕戦が膠着し、約4年間で軍人・民間人あわせて約4000万人もの死傷者が出たとされます。
ウィルソンの「十四か条」 1918年1月、アメリカのウィルソン大統領は議会で平和原則「十四か条」を発表しました。秘密外交の廃止、海洋の自由、軍備縮小、民族自決(その民族のことは自分たちで決める)、そして国際平和機構の創設などが含まれていました。この理想主義的な提案がドイツに停戦への希望を与え、1918年11月にドイツは休戦協定を結びます。
パリ講和会議(1919年) 休戦後、1919年1月からパリ講和会議が始まりました。主導したのはイギリス・フランス・アメリカ・イタリア・日本の「五大国」ですが、実質的な決定は英(ロイド・ジョージ)・仏(クレマンソー)・米(ウィルソン)の三巨頭が握りました。敗戦国ドイツは会議への参加を認められず、条約内容を受け入れるか否かを迫られる立場でした。
ドイツへの領土削減 ≒ 負けたら土地を返す・渡す アルザス=ロレーヌをフランスに返還、ポーランド回廊の設定などで国土が大幅に縮小。ラインラントは非武装地帯に。
全植民地の放棄と軍備制限 ≒ 海外拠点の没収+軍の大幅縮小 海外植民地をすべて手放し、陸軍は10万人以下・軍艦・潜水艦・空軍も大幅制限された。
戦争責任条項と巨額賠償金 ≒ 戦争を起こした責任として課された巨額の「罰金」 条約第231条で「ドイツが戦争を引き起こした」と明記(戦争責任条項)。賠償金総額は最終的に1320億金マルク(当時の物価で天文学的数字)と確定し、2032年まで支払いが続いた。
国際連盟の創設 ≒ 世界初の「国際的な話し合いの場」設立 ウィルソンの提唱で国際連盟(League of Nations)が1920年に発足。ただし常任理事国の全会一致が必要で機能に限界があり、提唱国アメリカは議会(上院)の反対で参加しなかった。
1914 開戦 サラエボ事件(6月)をきっかけに第一次世界大戦が勃発。
1917 米参戦 アメリカが連合国側で参戦。ロシア革命でロシアが離脱。
1918 十四か条・休戦 1月にウィルソンが「十四か条」発表。11月にドイツが休戦協定調印。
1919 条約調印 1月からパリ講和会議開催。6月28日にヴェルサイユ条約調印。
1920 国際連盟発足 国際連盟が正式に発足。アメリカは上院の反対で不参加。
1923 ルール占領 ドイツが賠償支払い不履行→フランス・ベルギーがルール工業地帯を占領。ドイツでハイパーインフレが発生。
1933 ナチス政権 経済混乱と国民の不満を背景にヒトラー率いるナチ党が政権掌握。
1939 第二次大戦 ドイツのポーランド侵攻で第二次世界大戦が始まる(ヴェルサイユ体制の崩壊)。
◎ 戦後秩序の再編として国際連盟が創設され、集団安全保障という概念が初めて制度化された。
△ ドイツへの過酷な賠償金・領土削減が国民の不満・経済崩壊を招き、ナチス台頭・第二次世界大戦の遠因になったとされる(「懲罰的講和」の評価)。
△ アジアでは中国の山東権益を日本が引き継ぐ形になり、中国で五・四運動(1919年)、朝鮮で三・一運動(1919年)が起きた。
ウッドロウ・ウィルソン アメリカ大統領 「十四か条」で民族自決・国際平和を提唱。国際連盟の構想者だが、帰国後に上院で批准を否決され、アメリカは連盟に参加できなかった。
ジョルジュ・クレマンソー フランス首相 「虎」の異名を持つ強硬派。ドイツへの徹底的な懲罰・賠償を要求した。
デイヴィッド・ロイド・ジョージ イギリス首相 英仏米の「三巨頭」の一人。強硬なフランスと理想主義のアメリカの間で中間的立場をとった。
フィリップ・シャイデマン ドイツ首相(社会民主党) 条約に反対して首相を辞任。条約の過酷さへの抗議を示した。
ジョン・メイナード・ケインズ イギリス財務省代表・経済学者 会議の不公正さに抗議して辞表を出し、著作『平和の経済的帰結』でヴェルサイユ体制を批判した。
国際連盟(League of Nations) 1920年に発足した世界初の国際平和機構。ヴェルサイユ条約に盛り込まれた。常任理事国の全会一致が必要で機能に限界があり、1946年に解散。国際連合(UN)とは別の組織。
民族自決 「その民族のことは自分たちで決める」という原則。ウィルソンの十四か条に含まれ、ヨーロッパでの新国家創設を後押しした。ただしアジア・アフリカの植民地には十分に適用されなかった。
戦争責任条項(第231条) ヴェルサイユ条約の条文で、「ドイツおよびその同盟国が戦争を引き起こした」と明記した条項。この条項が賠償金請求の法的根拠となり、ドイツ国民の深い屈辱感を生んだ。
ラインラント非武装地帯 ドイツ西部のライン川沿い地域を軍事的空白地帯とした規定。ヒトラーは1936年にここへ進駐し、ヴェルサイユ体制を公然と破った。
パリ講和会議 1919年1月〜にパリで開かれた第一次世界大戦の講和会議。ヴェルサイユ条約(対ドイツ)のほか、サン・ジェルマン条約(対オーストリア)など複数の条約が結ばれた。
1 賠償金の支払いは2032年に完了ドイツへの賠償金は1320億金マルクと確定し、1921年から支払いが始まった。世界恐慌やナチス政権・第二次世界大戦などで幾度も繰り延べ・減額され、最終的にドイツ(再統一後)が利子分の最後の支払いを完了したのは2010年10月3日とされる。
2 調印場所はかつての栄光の鏡の間1919年6月28日の調印式は、フランスが普仏戦争後の1871年にドイツ帝国が建国を宣言した同じヴェルサイユ宮殿の鏡の間(ガレリー・デ・グラース)で行われた。フランスにとっては屈辱の歴史の「雪辱」を晴らす舞台でもあった。
3 ウィルソンは連盟に入れなかった皮肉国際連盟を提唱したウィルソン本人は、孤立主義を重視するアメリカ上院に批准を拒否され、アメリカは結局連盟に加わらなかった。ウィルソンは連盟参加を訴える全国遊説中に倒れ、脳卒中で半身不随になった。
4 日本は山東半島の権益を得たが…日本は講和会議でドイツが持っていた中国山東省の権益を引き継ぐことに成功した。しかしこれに怒った中国では1919年5月4日に五・四運動が勃発し、反日・反帝国主義運動が広がった。
5 条約名に注意:ヴェルサイユはあくまで対ドイツパリ講和会議では複数の講和条約が結ばれた。ヴェルサイユ条約は対ドイツのみ。対オーストリアはサン・ジェルマン条約、対ハンガリーはトリアノン条約、対ブルガリアはヌイイ条約、対トルコはセーヴル条約(後にローザンヌ条約に改定)と別々になっている。
ここが出る 博士のワンポイント
条約調印は1919年6月28日。語呂は「行く行く(1919)ベルサイユ」。
ヴェルサイユ条約は対ドイツの条約。対オーストリア(サン・ジェルマン)など他の条約と混同しないこと。
国際連盟(League of Nations)と国際連合(United Nations / UN)は別物。連盟は1920年発足・1946年解散。
提唱国アメリカが国際連盟に参加しなかった理由は上院による批准否決(孤立主義)。
ウィルソンの「十四か条」のキーワード:民族自決・秘密外交廃止・国際平和機構の創設。
語呂クイズ
「行く行く(1919)ベルサイユ」= ヴェルサイユ条約が結ばれるは西暦何年?
1917 1919 1920
Q. ヴェルサイユ条約はどの国との条約ですか? A. ドイツとの講和条約です。第一次世界大戦の勝戦国(連合国)と敗戦国ドイツが調印しました。オーストリアなど他の敗戦国とは別の条約が結ばれています。
Q. 国際連盟と国際連合は同じものですか? A. 別の組織です。国際連盟(League of Nations)は1920年に発足し1946年に解散した第一次世界大戦後の機関です。国際連合(United Nations / UN)は1945年の第二次世界大戦終結後に発足した現在も続く組織です。
Q. なぜアメリカは国際連盟に入らなかったのですか? A. ウィルソン大統領が提唱したにもかかわらず、アメリカ上院が「孤立主義」の立場から批准を拒否したためです。連盟の集団安全保障義務がアメリカの自由な行動を制約すると懸念されました。
Q. ヴェルサイユ条約がヒトラー台頭の原因と言われるのはなぜですか? A. ドイツに課された巨額賠償金・領土削減・軍備制限が経済的困窮と国民の屈辱感を生み、ナチスが「条約の屈辱からドイツを救う」と訴えて台頭する土壌になったとされるためです。ただし直接の「原因」ではなく「遠因」「一因」とする評価が一般的です。
Q. 民族自決とは何ですか? A. 「ある民族のことはその民族自身が決める(独立・自治など)」という原則です。ウィルソンの十四か条に含まれ、ヨーロッパでの新国家誕生を後押ししましたが、アジア・アフリカの植民地には十分に適用されませんでした。
ヴェルサイユ条約は、「二度と大戦を起こさない」という理想と、「ドイツに責任をとらせたい」という勝戦国の報復欲が、ぶつかり合いながらまとめられた条約でした。国際連盟という画期的な構想は生まれましたが、アメリカの不参加・全会一致原則という欠陥を抱え、ドイツへの懲罰的条件は20年後に別の大戦の火種を生んだとされます。「行く行く(1919)ベルサイユ」の語呂と、「対ドイツ条約・国際連盟の創設・アメリカ不参加」という三点セットで押さえておきましょう。
編集メモ(ファクト) ヴェルサイユ条約は対ドイツのみ。対オーストリア(サン・ジェルマン条約)など他の講和条約と混同しないこと。 国際連盟(League of Nations)と国際連合(UN)は別組織。記事内で両者を明確に区別した。 「ナチス台頭の原因」という断定表現は避け、「遠因」「とされる」でヘッジした。 ドイツの賠償金完済時期については「2010年10月3日に利子分最終支払い」という事実に基づいているが、諸説があるためtrivia内で文脈を示した。