中学/戦争
1939
第二次世界大戦が始まる
アドルフ・ヒトラー ほか各国指導者
語呂
覚え方
戦(いくさ)来る(1939)第二次世界大戦
いくさく(1939)だいにじせかいたいせん
1939年9月1日、ナチス・ドイツがポーランドへ電撃的な侵攻を開始しました。2日後の9月3日、イギリスとフランスがドイツに宣戦布告し、第二次世界大戦が公式に始まりました。直前の1939年8月には、不倶戴天の敵同士と思われていたドイツとソ連が「独ソ不可侵条約」を締結し、世界を驚かせました。この条約には公開されなかった秘密議定書が含まれており、ポーランドをはじめとする東欧を両国で分割することが密かに取り決められていました。戦争は枢軸国(ドイツ・イタリア・日本)と連合国(イギリス・フランス・ソ連・アメリカ・中国など)の対立へと拡大し、1945年まで6年間にわたって続きました。ホロコーストや原子爆弾の投下など、人類史上最大規模の惨禍をもたらした戦争です。
この記事のポイント
- 1939年9月1日、ドイツがポーランドに侵攻し、9月3日にイギリス・フランスが宣戦布告
- 直前の1939年8月に締結された独ソ不可侵条約には、ポーランド分割を定めた秘密議定書があった
- 枢軸国(ドイツ・イタリア・日本)対連合国(イギリス・フランス・ソ連・アメリカ・中国など)の世界規模の戦争に発展
- ホロコーストによるユダヤ人約600万人の虐殺、広島・長崎への原子爆弾投下など未曽有の惨禍が生じた
- 1945年5月のドイツ降伏・8月の日本降伏で終結し、国際連合設立など戦後国際秩序の礎となった
ここが面白いドイツとソ連は「お互いに攻撃しない」と約束した直後、その秘密条項でポーランドを山分けにしていた。不可侵条約の裏に隠された「分割協定」が、第二次世界大戦の引き金を引いた。
第二次世界大戦は突然始まったわけではなく、第一次世界大戦後の20年間に積み重なった矛盾の爆発でした。その背景を順に見ていきましょう。
ヴェルサイユ体制とドイツへの屈辱
1919年に締結されたヴェルサイユ条約は、ドイツに全戦争責任を負わせ、巨額の賠償金(1320億金マルク)、海外植民地の喪失、ライン川左岸の非武装化などを強制しました。多くのドイツ人はこれを「不当な屈辱」として受け止め、修正を求める民族主義が高まりました。
世界恐慌とナチ党の台頭
1929年に始まった世界恐慌はドイツを直撃し、失業者数は600万人を超えました。経済危機のなか、ヒトラーのナチ党は「強いドイツの復活」と「ユダヤ人・共産主義者排除」を訴えて支持を拡大し、1933年に合法的に政権を獲得しました。
イギリス・フランスの宥和政策
ヒトラーはヴェルサイユ条約を無視して再軍備を進め、1936年のラインラント進駐、1938年のオーストリア併合(アンシュルス)、チェコスロバキアのズデーテン地方割譲要求と次々に既成事実を作りました。イギリスのチェンバレン首相はミュンヘン会談(1938年)でズデーテン割譲を認め「名誉ある平和」を宣言しましたが、ドイツは翌年チェコスロバキア全土を占領し宥和政策の失敗が明らかになりました。
独ソ不可侵条約と秘密議定書
1939年8月23日、イデオロギー的に対立していたナチス・ドイツとソ連が不可侵条約に調印し世界を驚かせました。条約本文には「相互不可侵」が明記されましたが、公開されなかった秘密議定書にはポーランドをドイツ・ソ連で分割すること、バルト三国・フィンランド・ルーマニア東部をソ連の勢力圏に置くことが規定されていました。ヒトラーはこれで西部(フランス)との戦争中に東方で背後を突かれる心配を排除し、ポーランド侵攻に踏み切りました。
ドイツのポーランド侵攻
≒ 現代でいうと大国が隣国に電撃的な軍事侵攻を仕掛けるようなもの1939年9月1日早朝、ドイツ軍が西・北・南の三方向からポーランドへ侵攻。新戦術「電撃戦(ブリッツクリーク)」で装甲部隊と航空機を組み合わせ短期間で制圧した。9月17日にはソ連も東から侵攻し、ポーランドは2か月以内に占領された。
英仏の宣戦布告と「まやかし戦争」
≒ 宣戦布告したものの実際の戦闘が起きないまま膠着した状態イギリス・フランスは9月3日に対独宣戦布告したが、西部戦線では約8か月間大規模な地上戦が起きなかった(「まやかし戦争」)。1940年5月のドイツの西方侵攻で一気に状況が変わった。
戦争の世界規模への拡大
≒ 地域紛争が大国を巻き込んで国際戦争化すること1940年のフランス陥落、1941年のドイツのソ連侵攻(バルバロッサ作戦)、日本の真珠湾攻撃(1941年12月)とアメリカ参戦により、戦争は文字どおり世界大戦となった。
1933ナチ政権誕生ヒトラーがドイツ首相に就任。ナチ党が一党独裁体制を確立し、再軍備・反ユダヤ政策を本格化させる。
1938ミュンヘン会談英仏がドイツのズデーテン地方割譲要求を認める。宥和政策の象徴。チェンバレンは「我々の時代の平和」と宣言したが翌年破綻した。
1939独ソ不可侵条約・開戦8月23日、独ソ不可侵条約(秘密議定書を含む)締結。9月1日ドイツがポーランドへ侵攻し、9月3日イギリス・フランスが宣戦布告。第二次世界大戦が始まる。
1940パリ陥落・バトル・オブ・ブリテン5月、ドイツが西方侵攻を開始。フランスは6月に降伏しパリが陥落。ドイツはイギリス本土への航空攻撃(バトル・オブ・ブリテン)を試みるが制空権を奪えず断念。
1941独ソ戦・太平洋戦争開戦6月、ドイツがソ連に侵攻(バルバロッサ作戦)し独ソ不可侵条約を破棄。ソ連は連合国側に転じる。12月、日本が真珠湾を攻撃し太平洋戦争が始まりアメリカが参戦。戦争が真の意味で世界規模となる。
1943スターリングラードの戦い・イタリア降伏2月、スターリングラード(現ヴォルゴグラード)でドイツ軍が敗北し、戦局がドイツ不利に転換。9月、イタリアが連合国に降伏し枢軸国が瓦解し始める。
1944ノルマンディー上陸作戦6月6日(Dデイ)、連合国軍がフランスのノルマンディー海岸に史上最大規模の上陸作戦を敢行。フランス解放へ向けて一気に進撃した。
1945ドイツ・日本の降伏4月30日ヒトラーが自殺、5月8日ドイツが無条件降伏(ヨーロッパの戦争終結)。8月6日広島・9日長崎への原子爆弾投下ののち、8月15日日本がポツダム宣言を受諾し降伏(9月2日正式調印)。第二次世界大戦が終結。
△死者数は軍民合わせて7000万人以上(推計)と史上最大規模の惨禍となり、ヨーロッパのユダヤ人約600万人がホロコーストで組織的に虐殺された。
△広島・長崎への原子爆弾投下により両市が壊滅、数十万人が犠牲となり、核兵器の恐怖が人類の歴史に刻まれた。
◎1945年10月に国際連合(国連)が設立され、集団安全保障と国際協調による平和維持の枠組みが整えられた。
◎ドイツは東西に分割占領され、戦後の西ドイツは民主主義国家として再建された。日本もGHQ占領下で民主化・非軍事化が進められた。
アドルフ・ヒトラー
ナチス・ドイツ総統第一次世界大戦の敗戦と世界恐慌の混乱を背景に台頭。ユダヤ人迫害・領土拡張を強行し第二次世界大戦を引き起こした。1945年4月30日にベルリンの総統地下壕で自殺。
ウィンストン・チャーチル
イギリス首相(1940年就任)「決して降伏しない」演説でイギリス国民を鼓舞。バトル・オブ・ブリテンを乗り切り、連合国の結束をリードした。
フランクリン・ルーズベルト
アメリカ大統領真珠湾攻撃を受けて参戦を決断。チャーチル・スターリンと連携しテヘラン・ヤルタ会談で戦後構想を形成。1945年4月、終戦を見ずに死去。
ヨシフ・スターリン
ソ連最高指導者独ソ不可侵条約でヒトラーと結んだが、1941年にドイツの侵攻を受け連合国側へ。スターリングラードの勝利を経てドイツを東から圧迫した。
ヴャチェスラフ・モロトフ
ソ連外務人民委員独ソ不可侵条約(モロトフ・リッベントロップ協定)の締結者の一人。秘密議定書にも署名した。
- 独ソ不可侵条約
- 1939年8月23日にドイツとソ連が締結した相互不可侵条約。公開された本文に加え、東欧の勢力圏分割(ポーランド分割を含む)を定めた秘密議定書が存在した。モロトフ・リッベントロップ協定とも呼ばれる。
- 電撃戦(ブリッツクリーク)
- ドイツ軍が採用した高速機動戦術。戦車・自動車化歩兵・航空機を組み合わせ、敵の防衛線を突き破り素早く深部に侵入することで短期決戦を目指す。ポーランド・フランスへの侵攻で威力を発揮した。
- ホロコースト
- ナチス・ドイツがユダヤ人・ロマ・障害者・同性愛者など「望ましくない」とみなした人々を組織的に迫害・大量虐殺した政策。ユダヤ人だけで約600万人が犠牲になったと推定される。
- バルバロッサ作戦
- 1941年6月22日にドイツが開始したソ連への大規模侵攻作戦の暗号名。独ソ不可侵条約を一方的に破棄した。ソ連は連合国側に転じ、東部戦線は戦争最大の激戦場となった。
- ポツダム宣言
- 1945年7月にアメリカ・イギリス・中国(のちソ連も参加)が日本に発した無条件降伏勧告。日本は8月15日に受諾を表明し、9月2日に正式調印。第二次世界大戦の終結を画した。
1独ソ不可侵条約の秘密議定書は50年以上隠されていた
秘密議定書の存在は長年ソ連によって否定されていた。公式に認められたのは1989年、ゴルバチョフ政権下のことで、原本が公開されたのは冷戦崩壊後だった。バルト三国の人々はこの条約に基づくソ連による占領を「不当な占領」として抵抗を続けた。
2「まやかし戦争」の8か月間
英仏がドイツに宣戦布告した1939年9月から1940年5月のドイツ西方侵攻開始まで、西部戦線では本格的な地上戦がほとんど起きなかった。フランスの兵士たちはマジノ線の要塞でトランプをして過ごしていたとも伝えられ、英語では「Phoney War」(まやかし戦争)と呼ばれた。
3ヒトラーはチャップリンと同年生まれ・同じ口ひげ
ヒトラー(1889年生まれ)と喜劇王チャーリー・チャップリン(1889年生まれ)は同い年で、同じスタイルの口ひげをしていた。チャップリンは1940年の映画『独裁者』でヒトラーを風刺し、その類似性を逆手に取った。
4エニグマ解読が勝利を早めた
ドイツ軍が使用した暗号機「エニグマ」は理論上解読不可能とされていたが、イギリスの数学者アラン・チューリングらが率いるチームがブレッチリー・パークで解読に成功。これにより連合国はドイツ軍の通信を傍受でき、戦争を少なくとも2年短縮したと評価されている。
5国連の「常任理事国」は戦勝国5か国
1945年に設立された国際連合の安全保障理事会常任理事国(アメリカ・イギリス・フランス・ソ連→ロシア・中国)はいずれも第二次世界大戦の主要連合国であり、拒否権を持つ。現在も続くこの枠組みは戦後秩序の産物そのものだ。

ここが出る博士のワンポイント
開戦年は1939年。語呂は「戦(いくさ)来る(1939)第二次世界大戦」。
開戦の直接の契機は1939年9月1日のドイツのポーランド侵攻と9月3日の英仏の宣戦布告。
直前に締結された独ソ不可侵条約(1939年8月)と秘密議定書によるポーランド分割の合意は頻出。
枢軸国(ドイツ・イタリア・日本)対連合国(イギリス・フランス・ソ連・アメリカ・中国など)の対立構図を正確に押さえる。
終結年は1945年(ドイツ降伏5月・日本降伏8月)。1945年に国際連合が設立されたことも必ず押さえる。
ホロコーストとバルバロッサ作戦(独ソ戦開始)の年(1941年)も混同しないよう注意。
語呂クイズ
「戦(いくさ)来る(1939)第二次世界大戦」= 第二次世界大戦が始まるは西暦何年?
- Q. 第二次世界大戦はいつ始まりましたか?
- A. 1939年9月1日にドイツがポーランドに侵攻し、9月3日にイギリス・フランスがドイツに宣戦布告したことで始まりました。
- Q. 独ソ不可侵条約とは何ですか?
- A. 1939年8月23日にナチス・ドイツとソ連が結んだ「互いに攻撃しない」という条約です。ただし公開されなかった秘密議定書にポーランド分割などが盛り込まれており、ドイツはこの条約でソ連の脅威を排除してポーランド侵攻を実行しました。
- Q. 枢軸国と連合国はどの国ですか?
- A. 枢軸国はドイツ・イタリア・日本が中心です。連合国はイギリス・フランスに始まり、ドイツのソ連侵攻後にソ連、日本の真珠湾攻撃後にアメリカが加わりました。中国(国民政府)も連合国側です。
- Q. 第二次世界大戦はいつ終わりましたか?
- A. 1945年5月8日にドイツが無条件降伏し(ヨーロッパの戦争終結)、その後8月15日に日本がポツダム宣言を受諾(9月2日正式調印)し全面終結しました。
- Q. ホロコーストとは何ですか?
- A. ナチス・ドイツが行ったユダヤ人などへの組織的な大量虐殺です。強制収容所でのガス室使用などにより、ヨーロッパのユダヤ人約600万人が犠牲になったとされています。
- Q. 第二次世界大戦後にどんな変化がありましたか?
- A. 1945年10月に国際連合が設立され、戦後国際秩序の枠組みが整えられました。また、ドイツは東西に分割され冷戦の象徴となり、日本はアメリカの占領下で民主化・非軍事化が進められました。
第二次世界大戦は、1939年9月のドイツのポーランド侵攻に始まり、1945年の日独の降伏で終わった史上最大の戦争です。独ソ不可侵条約の秘密議定書・枢軸国対連合国の構図・ホロコースト・1945年の国連設立という流れを軸に理解しましょう。語呂「戦(いくさ)来る(1939)第二次世界大戦」で開戦年1939年を確実に覚え、終戦年1945年とセットで押さえることが受験対策の基本です。
編集メモ(ファクト)
第二次世界大戦の死者数は推計によって大きく異なるため「7000万人以上(推計)」と幅のある表記とした。
独ソ不可侵条約の秘密議定書は冷戦期ソ連によって否定されており、教科書によっては扱いが異なる場合があるが、現在は史実として確定しているため記述した。
日本降伏については8月15日の玉音放送(受諾表明)と9月2日の正式調印日の両方を併記し、誤解を避けた。