中学/経済
1929
世界恐慌が始まる
フランクリン・ローズヴェルト(のちの米大統領)ほか
語呂
覚え方
行く憎く(1929)世界恐慌
いくにく(1929)せかいきょうこう
1929年10月24日、ニューヨークのウォール街で株価が大暴落しました(「暗黒の木曜日」)。これをきっかけに銀行破綻・企業倒産・大量失業がアメリカ全土を覆い、やがて世界へと波及して「世界恐慌」と呼ばれる未曾有の経済危機が始まりました。各国はさまざまな方法で対応しました。アメリカはフランクリン・ローズヴェルト大統領(1933年就任)の主導でニューディール政策を打ち出し、公共事業や農業支援によって雇用を生み出そうとしました。イギリス・フランスは植民地を抱え込む「ブロック経済」で自国を守りました。一方、広大な植民地を持たないドイツ・イタリア・日本は出口を対外膨張に求め、ファシズムや軍国主義が台頭する温床となりました。世界恐慌は第二次世界大戦の「遠因の一つ」とされています。
この記事のポイント
- 1929年10月24日(暗黒の木曜日)、ニューヨーク株式市場で株価が大暴落
- 銀行破綻・企業倒産・大量失業がアメリカから世界へ連鎖した
- アメリカはニューディール政策(1933年〜、ローズヴェルト大統領)で公共事業・農業支援を推進
- イギリス・フランスはブロック経済(植民地を囲い込む保護主義)で対応
- 植民地を持たないドイツ・イタリア・日本ではファシズム・軍国主義が台頭し、第二次大戦の遠因の一つとなった
ここが面白い「暗黒の木曜日」の株価暴落から始まった大不況は、なぜドイツや日本をも破滅的な道へ押し込んだのか。
世界恐慌は突然の出来事ではなく、第一次世界大戦後の不安定な国際経済構造の上に積み上がった矛盾が一気に噴き出したものです。
第一次大戦後の国際経済の歪み
第一次世界大戦(1914〜1918年)後、ヨーロッパ各国は多大な債務を抱えた。ドイツはヴェルサイユ条約(1919年)で膨大な賠償金を課され、その支払いにはアメリカからの短期借款に頼っていた。つまりアメリカ→ドイツへ融資→ドイツが賠償→連合国がアメリカへ返済、という不安定な循環が成立していた。
1920年代のアメリカの過熱
1920年代のアメリカは自動車・ラジオ・電化製品の普及で空前の好景気となり、株式投資が大衆化した。信用(借金)による株の購入が横行し、実態を超えたバブルが膨張した。農業部門は1920年代前半から不況が続いており、恐慌の下地は存在していた。
金本位制による連鎖の仕組み
当時の多くの国は金本位制(通貨価値を金と連動させる制度)を採用していた。アメリカが金融を引き締めると、各国も追随して金融を引き締めざるをえず、世界全体で信用収縮と不況が連鎖した。
ホーリー・スムート法による連鎖悪化
1930年、アメリカが輸入品に高関税をかける「ホーリー・スムート法」を制定した。これに対し各国も報復関税を課し、世界貿易が急激に縮小して恐慌がさらに深刻化した。
株価大暴落(暗黒の木曜日)
≒ 株式市場が一夜にして崩壊するような大暴落1929年10月24日、ニューヨーク証券取引所で大量の売り注文が殺到し株価が急落。10月29日(「暗黒の火曜日」)にも大暴落が続いた。
銀行連鎖倒産と信用収縮
≒ 銀行が次々に潰れてATMから現金が引き出せなくなる状態株価暴落を受けて預金者が銀行に殺到して引き出し(取り付け騒ぎ)が相次ぎ、数千もの銀行が倒産。企業への融資が途絶え、連鎖的な倒産と失業が生じた。
ニューディール政策(1933年〜)
≒ 政府が大規模な公共工事を発注して景気を底上げする経済対策1933年就任のローズヴェルト大統領が立案。TVA(テネシー川流域開発公社)などの公共事業・農業調整法(AAA)・全国産業復興法(NIRA)などを推進。政府が積極的に経済介入する「修正資本主義」の先駆けとなった。
ブロック経済(イギリス・フランス)
≒ 身内(植民地)だけで経済を囲い込む、閉じた経済圏の形成広大な植民地を持つイギリス(スターリング・ブロック)・フランスなどは、植民地との間に特恵関税を設けて経済圏を形成した。植民地を持たない国は締め出される形となった。
ファシズム・軍国主義の台頭
≒ 経済危機で生活苦に陥った大衆が、強い指導者や対外侵略を支持するようになる植民地を持たないドイツ・イタリア・日本は経済危機を対外進出で打開しようとした。ドイツではヒトラーのナチ党、日本では軍部が台頭し、第二次世界大戦の遠因の一つとなったとされる。
1919ヴェルサイユ条約第一次大戦の講和条約。ドイツに膨大な賠償金を課す。アメリカからの短期融資に依存する不安定な構造が生まれる。
1929暗黒の木曜日10月24日、ニューヨーク株式市場で株価が大暴落。世界恐慌の始まりとされる。
1930ホーリー・スムート法アメリカが高関税法を制定。各国が報復関税を発動し世界貿易が急縮小、恐慌が深刻化。
1931信用恐慌の拡大オーストリアの大銀行クレジットアンシュタルトが破綻し、ヨーロッパ全体へ金融危機が波及。
1931満州事変日本の関東軍が満州(中国東北部)で軍事行動を起こす。恐慌下での軍部台頭の表れとされる。
1933ニューディール開始ローズヴェルトがアメリカ大統領に就任(3月)し、ニューディール政策を開始。TVAや農業支援などを推進。
1933ヒトラー政権成立ドイツでヒトラー(ナチ党)が首相に就任。恐慌下の大衆の支持を背景とした権力掌握。
1939第二次世界大戦勃発ドイツのポーランド侵攻で始まる。世界恐慌がその遠因の一つとされる。
◎ニューディール政策は政府による積極的な経済介入という新たなモデルを提示し、のちのケインズ経済学の実践例として引用されるようになった。
△ブロック経済は各国を閉鎖的な経済圏に分断し、国際貿易の縮小と国際対立を深刻化させた。
△経済的窮乏を背景にドイツ・イタリア・日本でファシズム・軍国主義が台頭し、第二次世界大戦の遠因の一つとなったとされる。
フランクリン・ローズヴェルト
アメリカ第32代大統領(1933〜1945年在任)1933年就任後にニューディール政策を推進。公共事業・金融改革・社会保障制度の整備など政府主導の経済再建を断行した。
ハーバート・フーヴァー
アメリカ第31代大統領(1929〜1933年在任)恐慌勃発時の大統領。政府の市場介入に消極的で「自然回復」を待つ姿勢をとったが景気は悪化し、1932年の大統領選でローズヴェルトに敗れた。
アドルフ・ヒトラー
ナチ党党首・ドイツ首相(1933年就任)世界恐慌によるドイツ経済の崩壊と大量失業を背景に支持を拡大。1933年に首相となり独裁体制を確立した。
ジョン・メイナード・ケインズ
イギリスの経済学者不況期には政府支出を増やして需要を創出すべきと主張。ニューディール政策はケインズの主張と親和性が高く、戦後の経済政策に大きな影響を与えた。
- 暗黒の木曜日
- 1929年10月24日(木曜日)のニューヨーク株式市場の大暴落を指す。その後10月29日(火曜日)にも大暴落があり「暗黒の火曜日」とも呼ばれる。
- ニューディール政策
- 1933年からローズヴェルト大統領が推進したアメリカの経済復興政策。公共事業(TVAなど)・農業支援・金融規制・社会保障制度の整備が柱。
- ブロック経済
- 本国と植民地などを特恵関税で結び、閉鎖的な経済圏を形成する政策。イギリス(スターリング・ブロック)・フランス・アメリカ(ドル・ブロック)などが採用。
- TVA(テネシー川流域開発公社)
- ニューディール政策の代表的な公共事業。テネシー川流域にダムや発電所を建設し雇用を創出した。大規模な地域開発事業の先駆けとされる。
- ホーリー・スムート法
- 1930年にアメリカが制定した高関税法。輸入品への関税を大幅に引き上げたが、各国の報復を招いて世界貿易が急縮小し恐慌を深刻化させた。
- 金本位制
- 通貨の価値を金の量に連動させる制度。恐慌の連鎖に金本位制が一役買ったとされ、各国は恐慌対策として相次いで金本位制を離脱した(イギリスは1931年、アメリカは1933年)。
1アメリカの失業率は25%に達した
世界恐慌のピーク時(1932〜33年)、アメリカの失業率は約25%に達したとされる。4人に1人が職を失った計算になる。ニューディール政策後も失業率は高止まりし、完全回復は第二次大戦期の軍需景気まで待つことになったという見方もある。
2「暗黒の木曜日」に銀行家が集まって買い支えをした
1929年10月24日、J・P・モルガンなど大手銀行家たちが緊急に資金を拠出して株式を買い支え、一時的に相場を持ち直させた。しかし効果は続かず、その後も暴落が続いた。
3ドイツでは1日で物価が変わった時代もあった
1920年代前半のドイツは天文学的なインフレ(ハイパーインフレーション)を経験した。この記憶が強烈だったため、恐慌後の経済苦境はドイツ国民の怒りをさらに増幅させ、ヒトラーの台頭を後押ししたとされる。
4「ニューディール」は「新しい取り決め」の意
"New Deal" は「新しい切り札を配り直す」という意味。ローズヴェルトが1932年の指名受諾演説で用いた言葉で、それまでの自由放任経済とは一線を画す政府主導の政策を象徴するフレーズとなった。
5世界恐慌の影響は日本にも直撃した
日本では1930〜31年に「昭和恐慌」が深刻化し、農村の困窮・企業倒産・失業が急増した。この経済危機が軍部の政治介入と満州事変(1931年)へつながる背景の一つとされる。

ここが出る博士のワンポイント
世界恐慌の始まりは1929年10月のウォール街株価大暴落(暗黒の木曜日)。語呂は「行く憎く(1929)世界恐慌」。
ニューディール政策の開始は1933年(ローズヴェルト大統領就任後)。1929年の暴落と混同しない。
各国の対応を整理:アメリカ=ニューディール政策、イギリス・フランス=ブロック経済、ドイツ・イタリア・日本=ファシズム・軍国主義・対外進出。
ブロック経済は「植民地を持つ国」の対応策。植民地を「持たない」国(ドイツ・日本など)は採れなかった点が重要。
TVA(テネシー川流域開発公社)はニューディール政策の代表的な公共事業として頻出。
世界恐慌は第二次世界大戦の「遠因の一つ」とされる(直接的な原因ではなくヘッジした表現で覚える)。
語呂クイズ
「行く憎く(1929)世界恐慌」= 世界恐慌が始まるは西暦何年?
- Q. 世界恐慌はいつ始まりましたか?
- A. 1929年10月24日(「暗黒の木曜日」)のニューヨーク株式市場の株価大暴落が始まりとされています。
- Q. ニューディール政策はいつ始まりましたか?
- A. 1933年です。ローズヴェルトが大統領に就任した直後から推進しました。1929年の恐慌発生から約4年後です。混同しないようにしましょう。
- Q. ブロック経済とは何ですか?
- A. 本国と植民地などを特恵関税で結び、閉鎖的な経済圏を形成する政策です。イギリスやフランスが採用しました。「身内だけで経済を囲い込む」というイメージで覚えましょう。
- Q. なぜドイツや日本がファシズム・軍国主義に向かったのですか?
- A. 広大な植民地を持たないこれらの国はブロック経済を採れず、経済危機の出口を対外進出に求めました。国内の生活苦・失業が大衆の不満を高め、強権的な指導者や軍部への支持が集まりやすい状況になったとされています。
- Q. 世界恐慌はどのように世界に波及したのですか?
- A. 主にアメリカからヨーロッパへの短期融資の引き揚げと、ホーリー・スムート法による高関税で世界貿易が縮小したことで波及しました。また金本位制により各国が連動して金融を引き締めたことも連鎖を加速させました。
- Q. 世界恐慌と第二次世界大戦はどう関係しますか?
- A. 直接の原因ではなく「遠因の一つ」とされています。経済危機がドイツでのナチ党台頭、日本での軍部台頭・対外膨張の背景となったと説明されますが、戦争勃発には複合的な要因があります。
1929年10月の「暗黒の木曜日」から始まった世界恐慌は、銀行破綻・大量失業を世界中に連鎖させました。アメリカはニューディール政策(1933年〜)で政府主導の経済再建を図り、イギリス・フランスはブロック経済で植民地を囲い込みました。一方、植民地を持たないドイツ・イタリア・日本は対外進出に活路を求め、ファシズム・軍国主義が台頭する温床となったとされます。「行く憎く(1929)世界恐慌」の語呂とともに、1929年の暴落と1933年のニューディール開始を混同しないこと、ブロック経済は「植民地を持つ国の対応策」という対比を押さえることが重要です。
編集メモ(ファクト)
「暗黒の木曜日」は10月24日、「暗黒の火曜日」は10月29日で、教科書によって強調される日が異なる。本稿では24日(木曜日)を「始まり」として記述した。
ニューディール政策の開始年は1933年(ローズヴェルト就任後)であり、1929年の恐慌発生年と混同しやすいため各所で明記した。
世界恐慌が第二次世界大戦の原因かどうかは学術的に議論があるため、「遠因の一つとされる」とヘッジした表現を一貫して使用した。
ヒトラー・ファシズム台頭の記述は世界恐慌との因果関係を断定せず「背景の一つ」「とされる」の形で記述した。