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第一次世界大戦が始まるのイラスト
中学/戦争
1914

第一次世界大戦が始まる

(各国指導者)フランツ・フェルディナント大公 ほか
語呂
覚え方
行く意思(1914)第一次世界大戦
いくいし(1914)だいいちじせかいたいせん

1914年6月28日、オーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者フランツ・フェルディナント大公夫妻が、ボスニアの都市サラエボでセルビア人民族主義者ガヴリロ・プリンツィプに暗殺されました。これがきっかけとなり、ヨーロッパの列強が事前に結んでいた同盟関係を次々と発動させ、同年8月には「第一次世界大戦」が始まりました。この戦争は、史上初めて塹壕戦・毒ガス・戦車・飛行機など新兵器が大規模に使われた「総力戦」であり、兵士だけでなく国民・経済・産業すべてを動員しました。1918年11月にドイツが降伏して終結するまでの4年間で、死者は軍民合わせて1500万人以上に達し、ヨーロッパの旧秩序を根底から覆しました。

この記事のポイント

  • 1914年6月、サラエボ事件でオーストリア皇太子フランツ・フェルディナント大公夫妻が暗殺される
  • オーストリアがセルビアに宣戦し、同盟関係が連鎖して8月には主要列強が参戦
  • 同盟国(ドイツ・オーストリア=ハンガリーなど)対 協商国(イギリス・フランス・ロシアなど)の対立構造
  • 塹壕戦・毒ガス・戦車・飛行機など新兵器が登場した初の「総力戦」
  • 1918年11月ドイツ降伏で終結、翌1919年ヴェルサイユ条約で講和
ここが面白い

「一発の銃声」が世界を変えた。1914年のサラエボでの暗殺事件は、わずか6週間でヨーロッパ列強すべてを巻き込む未曾有の大戦を引き起こした。

ここに至るまでの流れ
背景

第一次世界大戦はサラエボの一発の銃声だけで始まったわけではありません。19世紀後半から積み重なってきた帝国主義・軍拡・ナショナリズムの矛盾が一気に噴出した出来事です。

帝国主義と列強の対立

19世紀末、ヨーロッパ列強はアフリカ・アジアへの植民地拡大を競っていました。特にドイツが後発ながら急速に工業力と軍事力を高め、イギリス・フランスの既存の植民地秩序と摩擦を生じさせました。1905年・1911年のモロッコ危機など、植民地問題をめぐる衝突が繰り返されていました。

三国同盟と三国協商

1882年、ドイツ・オーストリア=ハンガリー・イタリアは「三国同盟」を結びました。一方、フランス・ロシア・イギリスはそれぞれ個別の協商(協定)を結び、「三国協商」陣営を形成しました。どちらかが攻撃されたら互いに助け合うという約束が、サラエボの事件を連鎖反応で大戦に拡大させました。

「ヨーロッパの火薬庫」バルカン半島

オスマン帝国の衰退により、バルカン半島ではスラヴ系民族の独立運動が活発になりました。セルビアは大セルビア主義を掲げ、オーストリア=ハンガリーが支配するボスニアのスラヴ系住民の解放を目指していました。この地域はすでに1912〜1913年にバルカン戦争が起きており、一触即発の状態でした。

軍拡競争とナショナリズム

各国は軍事力の増強を競い、特にドイツとイギリスの海軍拡張競争が緊張を高めていました。また、各国の大衆メディアや教育がナショナリズム(自国優先主義)を煽り、「戦争も辞さず」という世論が形成されていました。開戦時には多くの国で市民が熱狂的に戦争を歓迎するという現象も見られました。

やったこと(≒ 現代でいうと)
何を

サラエボ事件(1914年6月28日)

≒ 政治指導者への暗殺テロ

オーストリア皇太子フランツ・フェルディナント大公夫妻が、ボスニアのサラエボでセルビア人民族主義組織「黒手団」に関係するガヴリロ・プリンツィプに拳銃で暗殺された。

同盟の連鎖と宣戦布告(1914年7〜8月)

≒ 同盟契約の自動発動

オーストリアがセルビアに最後通牒を送り宣戦。ロシアが動員を開始するとドイツがロシア・フランスに宣戦し、ドイツのベルギー侵攻を受けてイギリスも参戦。主要列強が6週間で揃った。

塹壕戦と総力戦(1914〜1918年)

≒ 兵士だけでなく国民・経済すべてを動員する戦争

西部戦線ではフランス北部に全長700km超の塹壕が掘られ、膠着状態が続いた。毒ガス・戦車・飛行機・潜水艦など新兵器が初めて大規模に使われ、銃後の国民も工場労働・食料統制・国債購入で戦争に動員された。

アメリカ・日本の参戦と戦局の転換

≒ 新興国の台頭で戦況が変わる

日本は日英同盟に基づき1914年に連合国側として参戦し、ドイツの東アジア・太平洋権益を占領。アメリカは1917年に参戦し、協商国側に大量の兵力・物資を供給して戦局を決定づけた。

ドイツの降伏と終戦(1918年11月)

≒ 交渉ではなく「休戦」という形で幕を引いた

ロシア革命(1917年)でロシアが離脱する一方、アメリカ参戦で協商国側が優勢となった。ドイツ国内で革命(キール軍港の反乱・皇帝退位)が起き、1918年11月11日に休戦協定が成立した。

前後のできごと
年表
1882
三国同盟ドイツ・オーストリア=ハンガリー・イタリアが三国同盟を締結。
1907
三国協商英露協商の成立で、フランス・ロシア・イギリスの三国協商体制が完成。
1912
バルカン戦争第1次バルカン戦争勃発。バルカン半島の緊張が高まる。
1914
サラエボ事件6月28日、フランツ・フェルディナント大公夫妻がサラエボで暗殺される。
1914
開戦7〜8月、オーストリアのセルビアへの宣戦を皮切りに主要列強が次々参戦。第一次世界大戦が本格的に始まる。
1915
毒ガス使用ドイツがイープル(ベルギー)で塩素ガスを大規模使用。化学兵器が初めて本格投入される。
1916
ヴェルダン・ソンムの戦い西部戦線で史上最大規模の消耗戦。ソンム川の戦いだけで両軍合計約100万人が死傷した。
1917
アメリカ参戦・ロシア革命アメリカが協商国側として参戦。一方、ロシア革命によりロシアが戦線を離脱(翌1918年ブレスト=リトフスク条約)。
1918
終戦11月11日、ドイツが休戦協定に署名。第一次世界大戦が終結。
1919
ヴェルサイユ条約パリ講和会議でヴェルサイユ条約調印。ドイツに多額の賠償金・領土割譲・軍備制限が課される。
結果とその後
結果
軍民合わせて死者1500万人以上、負傷者2000万人以上という未曾有の被害をもたらし、ヨーロッパの国家・社会・経済が壊滅的な打撃を受けた。
ヴェルサイユ条約でドイツに課された過酷な賠償金・領土割譲は、ドイツ国民の怨恨を生み、ナチズム台頭と第二次世界大戦の遠因となった。
国際連盟(1920年設立)が創設され、初めて「戦争を防ぐための国際機関」という概念が実現した。アメリカの国際的影響力が飛躍的に高まり、世界の主役がヨーロッパからアメリカへシフトし始めた。
オスマン帝国・オーストリア=ハンガリー帝国・ロシア帝国・ドイツ帝国の4大帝国が解体し、東欧・中東に多数の新独立国家が誕生した。
登場人物
人物

フランツ・フェルディナント大公

オーストリア=ハンガリー帝国 皇位継承者

1914年6月28日、妻ゾフィーとともにサラエボで暗殺された。この暗殺が第一次世界大戦の直接的引き金となった。

ガヴリロ・プリンツィプ

セルビア人民族主義者

「黒手団」の影響を受けた19歳の青年。フランツ・フェルディナント大公夫妻を拳銃で射殺した。裁判では未成年を理由に死刑を免れ、獄中で1918年に病死した。

ヴィルヘルム2世

ドイツ皇帝

1888年即位。積極的な世界政策(ヴェルトポリティク)を進め、英仏との対立を深めた。1918年の革命で退位しオランダに亡命した。

フランツ・ヨーゼフ1世

オーストリア=ハンガリー帝国 皇帝

サラエボ事件後、セルビアに最後通牒を送り宣戦布告。1916年に在位中に死去し、帝国は崩壊に向かった。

ウッドロウ・ウィルソン

アメリカ大統領

「十四か条の平和原則」を提唱し、民族自決・国際連盟創設を主導した。パリ講和会議でも主導的役割を果たしたが、上院の反対でアメリカ自身は国際連盟に加盟できなかった。

ダグラス・ヘイグ

イギリス軍総司令官

ソンムの戦いなど西部戦線の大規模作戦を指揮。多大な犠牲を出したことから「屠殺者ヘイグ」とも呼ばれ、現代でも評価が分かれる指揮官。

キーワード解説
用語
サラエボ事件
1914年6月28日、ボスニアのサラエボでオーストリア皇太子フランツ・フェルディナント大公夫妻が暗殺された事件。第一次世界大戦の直接的引き金となった。
三国同盟
1882年に成立したドイツ・オーストリア=ハンガリー・イタリアの軍事同盟。第一次世界大戦ではイタリアが離脱し、ドイツ・オーストリア・オスマン帝国などが「同盟国」として戦った。
三国協商
フランス・ロシア・イギリスが個別の協商(協定)で結んだ陣営。第一次世界大戦では「協商国(連合国)」として戦い、日本・アメリカなども加わった。
総力戦
国家の軍事力だけでなく、経済・産業・国民すべてを戦争に動員する戦い方。第一次世界大戦で本格的に登場し、銃後の国民も工場労働・食料統制・国債購入などで戦争に参加した。
塹壕戦
両軍が地面に深い溝(塹壕)を掘り、その中から撃ち合う消耗戦。西部戦線ではフランス北部に全長700km超の塹壕が掘られ、数年間ほとんど戦線が動かなかった。
ヴェルサイユ条約
1919年、パリ講和会議でドイツと連合国が結んだ講和条約。ドイツに1320億金マルクの賠償金・領土の約13%の割譲・軍備制限などを課した。
国際連盟
アメリカのウィルソン大統領が提唱し1920年に発足した、世界初の国際平和機構。ただし提唱国のアメリカは上院の反対で不参加となり、制裁手段も限られていた。
もっと知りたい
豆知識

1暗殺は二度目の挑戦で成功した

1914年6月28日、プリンツィプの仲間は最初にフランツ・フェルディナント大公の車列に手榴弾を投げたが失敗した。大公の車が別の道を通ろうとしたところ偶然立ち寄ったデリカテッセンの前でプリンツィプと鉢合わせし、至近距離から射殺された。まさに偶然が重なった暗殺だった。

2「クリスマスまでに帰れる」と思っていた

開戦時、ドイツ兵をはじめ多くの兵士が「クリスマスまでには帰れる短い戦争になるだろう」と楽観していた。実際には4年以上の泥沼の消耗戦となり、多くの兵士が塹壕の中で年を越すことになった。

3クリスマス休戦(1914年)

1914年12月25日、西部戦線の一部で、ドイツ兵とイギリス兵が自発的に銃を置き「非公式の休戦」を行った。無人地帯でサッカーをしたという証言も残っている。しかし翌日以降は再び激しい戦闘が再開された。

4毒ガスを開発した化学者はノーベル賞受賞者だった

塩素ガス・マスタードガスなどの化学兵器開発を主導したドイツの化学者フリッツ・ハーバーは、空気中の窒素を固定してアンモニアを合成する「ハーバー・ボッシュ法」でノーベル化学賞(1918年)を受賞している。窒素固定は農業の大増産をもたらした一方、同じ技術が兵器にも使われた、という科学の二面性を示す象徴的な人物だ。

5スペインかぜは第一次世界大戦末期に大流行した

1918年、世界的に大流行したインフルエンザ「スペインかぜ」は、第一次世界大戦の疲弊した兵士・民衆の間で猛威を振るい、死者は5000万人以上ともいわれ、大戦の戦死者を大幅に上回った。戦時中の情報統制で各国が流行を隠す中、中立国スペインが正直に報道したため「スペインかぜ」と呼ばれた。

世界史の博士
ここが出る博士のワンポイント
勃発年は1914年。語呂は「行く意思(1914)第一次世界大戦」。終結は1918年、講和条約(ヴェルサイユ条約)は1919年の3年分を正確に押さえる。
直接的引き金はサラエボ事件(オーストリア皇太子夫妻の暗殺)。場所はボスニアのサラエボ。
同盟国(ドイツ・オーストリア=ハンガリーなど)対 協商国・連合国(イギリス・フランス・ロシア、のち日本・アメリカ)の構図を整理する。
日本は日英同盟に基づき協商国側として参戦(1914年)し、ドイツの東アジア・太平洋権益を占領した点が日本史でも頻出。
ヴェルサイユ条約でドイツに課された過酷な条件が、のちのナチズム台頭・第二次世界大戦の遠因となった流れを理解する。
国際連盟はウィルソン(アメリカ)が提唱したが、アメリカ自身は上院の反対で不参加になった点が頻出の引っかけ。
語呂クイズ
「行く意思(1914)第一次世界大戦」= 第一次世界大戦が始まるは西暦何年?
よくある質問
FAQ
Q. 第一次世界大戦はなぜサラエボの暗殺事件から始まったのですか?
A. 暗殺事件そのものよりも、各国がすでに同盟を結んでいたことが原因です。オーストリアがセルビアに宣戦すると、ロシア(セルビアの後ろ盾)→ドイツ(オーストリアの同盟国)→フランス・イギリスと連鎖反応が起き、6週間で主要列強が全員参戦しました。サラエボの銃声は積み重なった対立の「導火線」に点火しただけです。
Q. 同盟国と協商国(連合国)の違いは何ですか?
A. 同盟国は主にドイツ・オーストリア=ハンガリー・オスマン帝国・ブルガリア。協商国(連合国)は主にイギリス・フランス・ロシア、のちに日本・イタリア・アメリカなど。要するに「ドイツ側」対「ドイツと戦った側」です。
Q. 日本はなぜ第一次世界大戦に参加したのですか?
A. 日本はイギリスと日英同盟(1902年)を結んでいたため、同盟国として参戦しました。ヨーロッパに直接軍を送ることはほぼなく、主にドイツが持っていた中国(青島)・太平洋の島々の権益を占領しました。
Q. 総力戦とはどういう意味ですか?
A. 兵士だけでなく、国民全員・経済・産業・科学技術すべてを戦争に動員する戦い方です。銃後の女性が工場で弾薬を作り、国民は食料を配給制で受け取り、国債を買って戦費を支えました。「国家丸ごとで戦う戦争」が第一次世界大戦で初めて本格的に現れました。
Q. ヴェルサイユ条約でドイツにはどんな条件が課されましたか?
A. 主に3点です。①1320億金マルク(現代換算で数十兆円規模)の賠償金、②国土の約13%・人口の約10%を失う領土割譲(アルザス=ロレーヌをフランスへ返還など)、③陸軍10万人以下などの軍備制限。この過酷な条件がドイツ国民の怨恨を生み、ナチズム台頭の土壌となりました。
Q. 国際連盟を提唱したアメリカがなぜ加盟しなかったのですか?
A. アメリカのウィルソン大統領が「十四か条」で国際連盟創設を提唱しましたが、国内の上院(議会)が「ヨーロッパの問題に巻き込まれるべきでない」という孤立主義の立場から加盟条約の批准を拒否したためです。提唱国が不在という国際連盟の弱点の一因になりました。
まとめ

1914年のサラエボ事件に端を発した第一次世界大戦は、帝国主義・軍拡・同盟関係が絡み合って起きた「ヨーロッパの火薬庫」の爆発でした。史上初の総力戦・塹壕戦・新兵器の登場により、4年間で1500万人以上が命を落としました。1918年のドイツ降伏・1919年のヴェルサイユ条約という3つの年号の流れをしっかり押さえましょう。また、ヴェルサイユ条約の過酷な条件がのちのナチズム台頭につながる流れ、国際連盟を提唱したアメリカが不参加だった点が頻出の入試ポイントです。「行く意思(1914)第一次世界大戦」の語呂とあわせて、同盟国・協商国の構図、日本が日英同盟で参戦した事実を整理しておきましょう。

編集メモ(ファクト)
「同盟国」「協商国」の呼称は文脈により「連合国」とも訳されるが、第一次世界大戦の文脈では「協商国」が一般的な日本語表記であり、双方を記載した。
ガヴリロ・プリンツィプと「黒手団」の関係については、研究者の間で直接の正式メンバーかどうか議論があるが、中学・高校レベルでは「影響を受けた」と表記した。
ヴェルサイユ条約の賠償金額(1320億金マルク)はロンドン会議(1921年)で確定した数字であり、1919年条約調印時点では未確定。史実の流れとして1919年条約調印の文脈に含めたが、注意が必要。
trivia・faqは中学生〜大学受験生を対象読者として平易な表現で記述した。