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高校/戦争
1931

満州事変が起こる

日本の関東軍
語呂
覚え方
戦い(いくさい)(1931)満州事変
いくさい(1931)満州事変

1931年9月、中国東北部(満州)に駐留する日本の関東軍は、奉天(現在の瀋陽)郊外の柳条湖で南満州鉄道の線路を自ら爆破しました。これを中国側の仕業として軍事行動を開始し、わずか数か月で満州の主要地域を占領します。これが「満州事変」です。翌1932年には清朝最後の皇帝・溥儀を元首に据えた「満州国」を樹立しましたが、実権は日本が握る傀儡(かいらい)国家でした。国際連盟はリットン調査団を派遣して満州国を認めず日本軍の撤退を勧告し、これに反発した日本は1933年に国際連盟を脱退。国際社会から孤立を深め、その後の日中戦争・第二次世界大戦への道を切り開く転換点となりました。

この記事のポイント

  • 1931年9月、関東軍が柳条湖で南満州鉄道の線路を自ら爆破し、これを口実に軍事行動を開始(柳条湖事件)
  • 数か月で満州全域をほぼ占領し、1932年に溥儀を元首とする傀儡国家「満州国」を建国
  • 国際連盟はリットン調査団の報告を受け、満州国不承認・日本軍撤退を求める勧告を採択
  • 日本は国際連盟の勧告に反発し、1933年に国際連盟を脱退。国際的孤立が深まった
  • 世界恐慌後の行き詰まりを対外進出で打開しようとした動きで、日中戦争・太平洋戦争への出発点とされる
ここが面白い

「自分たちで線路を爆破して、それを相手のせいにして戦争を始める」――これを組織的に実行したのが、1931年の日本の軍隊だった。

ここに至るまでの流れ
背景

満州事変は突然起きたのではありません。日本の満州への権益拡大の歴史、世界恐慌による経済危機、そして軍部の台頭という積み重ねの末に生じた出来事です。その背景を順に見ていきましょう。

日本の満州権益の歴史

日本は1904〜1905年の日露戦争に勝利し、ロシアから南満州鉄道(旅順〜長春間)の権益と関東州(遼東半島南部)の租借権を引き継ぎました。この権益を守るために設けられた軍隊が「関東軍」です。日本は満州を経済的・軍事的要衝とみなし、鉄道沿線の開発を進めていましたが、中国側の権益回収運動(国権回収運動)と衝突するようになりました。

世界恐慌と日本の行き詰まり

1929年に始まった世界恐慌は日本経済にも深刻な打撃を与えました。輸出は激減し、農村部では農家が疲弊、都市では失業者があふれました。政府の経済政策への不満が高まるなかで、「大陸への進出で資源と市場を確保すべき」という強硬論が軍の内部で勢いを増しました。

関東軍の謀略——柳条湖事件

1931年9月18日夜、奉天郊外の柳条湖で南満州鉄道の線路が爆破されました。これは関東軍の参謀・石原莞爾や板垣征四郎らが計画した謀略であり、中国軍の仕業に見せかけて軍事行動の口実を作ったものです。関東軍はただちに軍事行動を開始し、翌19日には奉天を占領。日本政府が事態の不拡大を決定するなか、関東軍は独断で行動を拡大し続けました。

満州国建国と国際連盟の対応

1932年3月、関東軍は清朝最後の皇帝・溥儀を執政(後に皇帝)として満州国の建国を宣言しました。しかし実際の政策決定は日本側が握る事実上の傀儡国家でした。中国は国際連盟に提訴し、連盟はイギリスのリットン卿を団長とする調査団を派遣。1932年10月に出されたリットン報告書は柳条湖事件を中国側の攻撃とは認めず、満州国不承認・日本軍撤退を勧告しました。

やったこと(≒ 現代でいうと)
何を

謀略による戦争の開始

≒ フェイクニュースで戦争を始める手口

自ら線路を爆破して相手国の仕業とする「偽旗作戦」で軍事行動を正当化した。政府の方針を無視して軍が独断行動した点も、後の軍部優位の政治体制につながる。

傀儡国家・満州国の建国

≒ 名目上は独立国でも実態は支配されている国

溥儀を元首に立てながら、法律の制定・軍事・外交の実権を日本が握る構造。国際社会からは独立国と認められなかった。

国際連盟の限界と日本の脱退

≒ 国際ルールを守らせる仕組みの限界

国際連盟は日本軍の撤退を勧告したが、強制する手段(集団安全保障の実効性)を持たなかった。日本は1933年に脱退し、国際的孤立を深めた。これは後の国連設立への反省にもつながる。

前後のできごと
年表
1905
日露戦争終結・南満州鉄道権益獲得日露戦争勝利によりロシアから南満州鉄道権益と関東州租借権を引き継ぎ、関東軍を設置。
1929
世界恐慌アメリカ発の世界恐慌が日本経済を直撃。農村疲弊・失業増大で軍部の強硬論が勢いを増す。
1931
柳条湖事件(9月18日)関東軍が奉天郊外の柳条湖で南満州鉄道の線路を爆破。中国軍の仕業と発表して軍事行動を開始し、翌日に奉天を占領。
1931
満州各地を占領日本政府の不拡大方針を無視して関東軍が独断で行動を拡大。年内に満州の主要都市をほぼ制圧。
1932
満州国建国(3月)清朝最後の皇帝・溥儀を執政に立て、満州国の建国を宣言。実権は日本側が握る傀儡国家。
1932
リットン報告書(10月)国際連盟のリットン調査団が報告書を提出。満州国不承認・日本軍撤退を勧告。
1933
国際連盟脱退(3月)国際連盟総会でリットン報告書に基づく勧告が42対1で採択。日本は全権大使・松岡洋右が退場を宣言し、連盟を脱退。
1934
満州国「帝政」移行溥儀が「満州国皇帝」に即位し、帝政に移行。日本との間に「日満議定書」を締結し、一体化が進む。
1937
日中戦争勃発盧溝橋事件をきっかけに日中全面戦争へ。満州事変以来の軍事的拡張路線が全面戦争に発展。
1945
満州国消滅第二次世界大戦の終結(日本の敗戦)とともに満州国は消滅。溥儀はソ連軍に拘束された。
結果とその後
結果
日本は短期間で満州全域を掌握し、資源・農地・市場を確保。一時的に経済上の利益をもたらし、国内では軍部への支持が高まった。
謀略による戦争開始・政府の統制を無視した軍の独断行動・国際連盟脱退による孤立化は、日本を日中戦争・太平洋戦争へと引きずり込む連鎖の起点となった。満州国は住民への支配と資源搾取の側面も持ち、現地の中国人・朝鮮人・モンゴル人との摩擦を生んだ。
登場人物
人物

石原莞爾

関東軍作戦参謀(当時中佐)

柳条湖事件を板垣征四郎らとともに計画・実行した中心人物。「世界最終戦論」を唱え、満州占領が対ソ戦備の要と主張した。後に東条英機と対立して軍中枢から外れた。

板垣征四郎

関東軍高級参謀(当時大佐)

石原莞爾とともに柳条湖事件を計画した人物。後に関東軍司令官・陸軍大臣を歴任。東京裁判でA級戦犯として死刑判決を受けた。

溥儀

清朝最後の皇帝・満州国執政/皇帝

清朝第12代皇帝。辛亥革命で退位後、関東軍に擁立されて満州国の元首となった。敗戦後ソ連に抑留され、後に中国に引き渡されて戦犯として収容。自伝「我が半生」は映画「ラストエンペラー」の原作となった。

松岡洋右

国際連盟日本全権大使

1933年の国際連盟総会でリットン報告書に基づく勧告が採択された際、退場を宣言して脱退を告げた人物。後に外務大臣として日独伊三国同盟締結に関わった。

キーワード解説
用語
関東軍
日露戦争後に中国東北部(満州)の日本権益を守るために設置された日本陸軍の部隊。本来は南満州鉄道の警備が任務だったが、次第に政治的・軍事的に独走するようになった。
柳条湖事件
1931年9月18日に関東軍が奉天郊外の柳条湖で南満州鉄道の線路を自ら爆破し、中国軍の仕業として軍事行動を開始した謀略事件。満州事変の引き金となった。
傀儡(かいらい)国家
表面上は独立国だが、実際の権力を別の国や勢力が握っている国家。満州国は溥儀を元首に立てたが、政治・軍事・経済の実権は日本が握っていたため傀儡国家と呼ばれる。
リットン調査団
満州事変を調査するために国際連盟が派遣した調査団。イギリスのリットン卿が団長。1932年10月に報告書を提出し、柳条湖事件は中国側の攻撃ではないと認定。満州国不承認と日本軍撤退を勧告した。
集団安全保障
複数の国が協力して侵略国に対抗することで平和を維持しようとする仕組み。国際連盟が採用したが、主要国の不参加(アメリカ)や強制力の欠如により十分に機能しなかった。
もっと知りたい
豆知識

1爆破したのはわずか75センチメートル分の線路

柳条湖での線路爆破は非常に小規模なもので、爆破後も列車が通過できるほどだったとされる。実際、事件の直後に奉天行きの列車が現場を通過したという記録が残っており、爆破が軍事行動の口実を作るための最低限の工作だったことを示している。

2日本政府は当初「不拡大方針」を決定していた

柳条湖事件の翌日(9月19日)、若槻礼次郎内閣は事態を拡大しないよう指示する「不拡大方針」を閣議決定した。しかし関東軍はこれを無視して行動を拡大し続け、政府は既成事実を追認するしかなかった。軍が政府をコントロールできない状況が露呈した出来事でもある。

3溥儀は「自分の意思ではなかった」と証言した

満州国皇帝として君臨した溥儀は、後の東京裁判(極東国際軍事裁判)で証人として立ち、満州国への就任は関東軍に強制されたものであり自分の意思ではなかったと証言した。後に書かれた自伝でも日本軍による強制の側面を詳細に記述している。

4リットン調査団に日本人メンバーもいた

リットン調査団はイギリス・フランス・ドイツ・イタリア・アメリカ各1名の計5名で構成されており、日本人はメンバーに含まれていなかった。ただし調査過程で日本側の説明も聴取され、報告書にも日本側の主張が一定程度反映されていた。それでも結論として満州国不承認を勧告したことに日本政府は強く反発した。

5脱退演説の松岡洋右は帰国後に英雄扱いされた

1933年2月の国際連盟総会で退場を宣言した松岡洋右は、帰国すると熱狂的な歓迎を受けた。当時の日本の世論は国際連盟の勧告を「内政干渉」と捉える雰囲気が強く、脱退を毅然とした行動と評価する声が多かった。この民意の動向が、軍部の台頭を支えた一因でもある。

世界史の博士
ここが出る博士のワンポイント
年号は1931年。語呂は『戦い(いくさい)(1931)満州事変』。
事変の直接の引き金は「柳条湖事件」——関東軍が南満州鉄道の線路を自ら爆破した謀略事件。
翌1932年に建国された「満州国」は、溥儀を元首とする傀儡国家で実権は日本が握っていた。
国際連盟は「リットン調査団」を派遣し、満州国不承認・日本軍撤退を勧告。日本はこれに反発して1933年に国際連盟を脱退した。
満州事変→国際連盟脱退→日中戦争(1937年)→太平洋戦争(1941年)という流れを押さえること。
語呂クイズ
「戦い(いくさい)(1931)満州事変」= 満州事変が起こるは西暦何年?
よくある質問
FAQ
Q. 満州事変とはひと言でいうと何ですか?
A. 1931年、日本の関東軍が中国東北部(満州)で軍事行動を起こし、満州全域を占領した事件です。翌年には傀儡国家「満州国」が建国されました。
Q. 柳条湖事件とは何ですか?また、なぜ日本が爆破したのですか?
A. 1931年9月18日に関東軍が南満州鉄道の線路を自ら爆破し、中国側の仕業として軍事行動の口実にした謀略事件です。政府の承認なしに満州占領を既成事実化しようとした関東軍の将校たちが計画しました。
Q. 満州国はなぜ「傀儡国家」と呼ばれるのですか?
A. 清朝最後の皇帝・溥儀を元首に立てましたが、実際の政治・軍事・外交の実権は日本が握っており、溥儀自身も「強制された」と証言しているためです。独立国家の体裁をとりながら、日本の支配下にある国家でした。
Q. 国際連盟はなぜ日本を止められなかったのですか?
A. 国際連盟には勧告を強制する軍事力がなく、また主要国のアメリカが加盟していなかったため、強制力が乏しい状態でした。日本が勧告を無視して脱退したことで、国際連盟の「集団安全保障」の限界が露呈しました。
Q. 満州事変は日中戦争・第二次世界大戦とどう関係しますか?
A. 満州事変での軍の独断行動が政府に追認されたことで、軍部が政治を主導する流れが強まりました。1937年の日中戦争、1941年の太平洋戦争へとつながる連鎖の出発点とされています。
まとめ

満州事変は、日本の軍部が政府の方針を無視して独断で戦争を起こし、国際社会との決定的な対立を招いた転換点です。柳条湖での謀略から始まり、傀儡国家・満州国の建国、国際連盟脱退へと至るこの流れは、その後の日中戦争・太平洋戦争への道を開くことになりました。『戦い(いくさい)(1931)満州事変』の語呂とともに、柳条湖事件・満州国・リットン調査団・国際連盟脱退という4つのキーワードをセットで押さえておきましょう。

編集メモ(ファクト)
柳条湖事件が関東軍による謀略であることは、戦後の調査・裁判・当事者証言などにより歴史学上ほぼ確定している事実として記述した。
溥儀の就任が強制によるものだという証言は東京裁判での本人証言および自伝に基づく。
リットン調査団の構成(5か国)は公式記録に基づく。
related は指定された2つのID(1920-league-of-nations・1933-nazi-power)のみを記載。