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高校/政治
1832

イギリスで第1回選挙法改正が行われる

グレイ伯爵(チャールズ・グレイ、ホイッグ党首相)
語呂
覚え方
嫌味に(1832)第一回選挙法改正
いやみに(1832)選挙法改正

1832年、イギリスでホイッグ党グレイ内閣のもと、第一回選挙法改正(大改正法)が実現しました。産業革命によってマンチェスターやバーミンガムといった新興都市に人口が集中していたにもかかわらず、議会の選挙区割りは中世以来ほぼそのままで、人口がほとんどいない「腐敗選挙区」が議員を送り出す一方、新興都市には議席がまったくない不均衡が続いていました。改正によってこうした腐敗選挙区が廃止・削減され、マンチェスターなどの工業都市に新たな議席が配分されると同時に、産業資本家を中心とする中産階級(ミドルクラス)に選挙権が拡大されました。ただし農業労働者や工場労働者などの働く人々、そして女性には選挙権は与えられず、この不満が後のチャーティスト運動へとつながっていきます。

この記事のポイント

  • 産業革命で人口が激増した都市に議席がなく、過疎の「腐敗選挙区」が議員を独占する不均衡が続いていた
  • 1832年、ホイッグ党グレイ内閣のもとで第一回選挙法改正(大改正法)が成立
  • 腐敗選挙区を廃止・削減し、マンチェスターなど新興工業都市に議席を再配分
  • 産業資本家を中心とする中産階級(ミドルクラス)に選挙権が拡大された
  • 労働者・女性は依然として選挙権を持たず、普通選挙を求めるチャーティスト運動(1838年〜)が起きた
ここが面白い

「人口ゼロの廃村から2名の議員が選ばれ、100万都市に議員ゼロ」――産業革命が生んだ矛盾に、ついにメスが入った。

ここに至るまでの流れ
背景

第一回選挙法改正は突然起きたわけではありません。産業革命が生んだ社会変動と、中世以来固定されたままの政治制度との矛盾が積み重なった末に実現した改革です。その背景を順に見ていきましょう。

腐敗選挙区とポケット選挙区

18世紀のイギリスでは、選挙区割りが中世以来そのままで、人口が激減した「廃村同然」の土地が2名の議員を選出する一方、産業革命で急成長したマンチェスター(人口約18万人)やバーミンガムに議席がまったくない状態が続いていました。こうした過疎選挙区は「腐敗選挙区(rotten boroughs)」と呼ばれ、特定の地主・貴族が事実上議員を指名できる「ポケット選挙区(pocket boroughs)」も横行していました。選挙人の数が極端に少ないため、票を買収して議員を送り込むことが常態化しており、議会の代表性は著しく低下していました。

産業革命と中産階級の台頭

18世紀後半から19世紀初頭にかけて進んだ産業革命は、綿工業・鉄鋼業・石炭業を軸にイギリスの社会構造を大きく変えました。工場主・貿易商・銀行家などの産業資本家(インダストリアリスト)が経済力を持ち始め、「中産階級」として台頭しましたが、旧来の選挙制度のもとでは彼らに選挙権はほとんどありませんでした。農村の地主・貴族が議会を支配する仕組みは、経済的現実と大きく乖離していました。

フランス七月革命と改革の機運

1830年、フランスで七月革命が起きてシャルル10世が退位し、ルイ・フィリップが即位しました。この出来事はイギリスにも波及し、改革を求める世論が急速に高まりました。改革反対を明言したトーリー党ウェリントン内閣は議会の不信任を受けて倒れ、改革推進を掲げるホイッグ党のグレイ伯爵(チャールズ・グレイ)が首相に就任。改正法案を議会に提出しました。

改正案の成立と国王への圧力

改正法案は庶民院(下院)では可決されましたが、保守的な貴族院(上院)が繰り返し否決しました。グレイ首相はウィリアム4世に新たな貴族を大量任命して貴族院の多数派を変えるよう求め、国王もこれを承認すると発表したことで貴族院は折れ、1832年6月に第一回選挙法改正法(大改正法)が成立しました。

やったこと(≒ 現代でいうと)
何を

腐敗選挙区の廃止・削減

≒ 「幽霊有権者の選挙区」を廃止して議席を公正に分配

人口がほとんどいないにもかかわらず議員を選出していた腐敗選挙区を廃止・削減し、その議席をマンチェスター・バーミンガム・リーズなどの新興工業都市に再配分した。

中産階級への選挙権拡大

≒ 税金を納め経済を動かす人々に発言権を

改正後の選挙資格は主に年間10ポンド以上の家賃を支払う借家人に拡大され、産業資本家・商工業者を中心とする中産階級が新たに選挙権を得た。有権者数はおよそ2倍以上に増加したとされる。

労働者・女性には選挙権なし

≒ 改革の恩恵は一部にとどまり、次の課題を生んだ

改正後も工場労働者・農業労働者・女性には選挙権が与えられなかった。この不満が人民憲章(チャーター)を掲げ、普通選挙・秘密投票などを要求するチャーティスト運動(1838〜1850年代)へとつながっていく。

前後のできごと
年表
1760
産業革命の本格化紡績機・蒸気機関などの発明が相次ぎ、イギリスで産業革命が本格化。工業都市の人口が急増し始める。
1819
ピータールーの虐殺マンチェスター郊外のセント・ピーターズ・フィールドで選挙改革を求める集会に軍が突入し、死傷者が出る(ピータールーの虐殺)。改革の機運が高まる一方、トーリー党政府は弾圧を強めた。
1830
フランス七月革命・グレイ内閣成立フランスの七月革命の影響でイギリスの改革運動が再燃。トーリー党ウェリントン内閣が倒れ、ホイッグ党グレイ伯爵が首相に就任。
1831
改正法案の議会審議開始グレイ内閣が選挙法改正法案を庶民院に提出。一度は庶民院で僅差で可決されるが、貴族院が否決。解散総選挙を経て改革派が庶民院で多数を占める。
1832
第一回選挙法改正成立6月、貴族院が賛成に転じ(国王による貴族大量任命の威圧が決め手)、第一回選挙法改正法(大改正法)が成立。腐敗選挙区廃止・中産階級への選挙権拡大が実現。
1838
チャーティスト運動開始選挙権を得られなかった労働者たちが人民憲章を発表し、普通選挙・秘密投票・財産資格の撤廃などを要求するチャーティスト運動が始まる。
1867
第二回選挙法改正ディズレーリ保守党内閣のもとで第二回選挙法改正が実現。都市の工場労働者(成年男子)に選挙権が拡大された。
1884
第三回選挙法改正グラッドストン自由党内閣のもとで第三回選挙法改正が実現。農村の農業労働者にも選挙権が拡大され、成年男子のほぼ全員が選挙権を得た。
1918
女性参政権の部分的実現30歳以上の女性に選挙権が付与される。1928年に21歳以上の全女性に普通選挙権が認められた。
結果とその後
結果
腐敗選挙区が廃止されて議席配分が近代化され、産業資本家を中心とする中産階級が政治参加の道を得た。段階的な選挙法改正の起点となり、イギリス議会制民主主義の近代化を促した重要な一歩とされる。
改正後も有権者は全人口のわずか数パーセントにとどまり、労働者・女性は依然として選挙権を持たなかった。チャーティスト運動が示すように、改革の恩恵は中産階級以上に限られており、普通選挙の実現は20世紀初頭まで待たなければならなかった。
登場人物
人物

グレイ伯爵(チャールズ・グレイ)

ホイッグ党首相(在任1830〜1834年)

第一回選挙法改正を主導した政治家。改革に抵抗する貴族院に対し、国王ウィリアム4世に貴族の大量任命を認めさせる圧力をかけて法案を通過させた。

ウィリアム4世

イギリス国王(在位1830〜1837年)

グレイ首相の求めに応じ、貴族院の抵抗を封じるために新貴族を大量任命すると表明。この威圧が貴族院の態度を変え、改正法成立の決め手となった。

ウェリントン公爵(アーサー・ウェルズリー)

トーリー党首相(在任1828〜1830年)

ナポレオン戦争の英雄として知られるが、選挙法改正に強硬反対を表明して世論の反発を受け、内閣総辞職に追い込まれた。

ジョン・ラッセル卿

ホイッグ党政治家・改正法案の起草者の一人

グレイ内閣の閣僚として改正法案の起草に加わり、庶民院で法案を提出・答弁する中心的役割を果たした。後に首相も務め、イギリス自由主義の推進者として活動した。

キーワード解説
用語
腐敗選挙区
中世以来の選挙区割りのままで、人口がほとんどいないにもかかわらず議員を選出していた選挙区。有権者が数名しかおらず票の買収が横行した。英語では「rotten boroughs」。
ポケット選挙区
特定の貴族・地主が事実上議員を指名できた選挙区。有権者が極端に少なく、その地主の「ポケットに入っている」ようなものという意味から名づけられた。英語では「pocket boroughs」。
ホイッグ党
17世紀に形成されたイギリスの政治勢力。議会の権限を重視し、王権制限・自由主義的改革を支持した。19世紀後半に自由党へと発展する。
トーリー党
17世紀に形成されたイギリスの保守的政治勢力。国王・国教会・地主貴族の権益を擁護し、選挙法改正には反対した。19世紀後半に保守党へと発展する。
チャーティスト運動
1838年に始まった労働者による参政権拡大運動。人民憲章(チャーター)に基づき、普通選挙・秘密投票・議員の財産資格撤廃・毎年議会選挙などを要求した。第一回選挙法改正で選挙権を得られなかった労働者層の不満を背景に生まれた。
中産階級(ミドルクラス)
産業革命で台頭した工場主・商人・銀行家・専門職などの階層。伝統的な貴族・地主とも農村の農民・都市の労働者とも異なる、近代社会の中核をなす社会層として第一回選挙法改正で政治的権利を得た。
もっと知りたい
豆知識

1「ハウス・オブ・コモンズ(庶民院)」の議員定数が減った?

腐敗選挙区の廃止によって、庶民院議員の総数は改正前後でやや変動した。廃止された議席の一部は新興都市に再配分されたが、全体の議席数は厳密に維持されたわけではなく、イギリスの選挙制度改革が議席配分を中心に段階的に行われた経緯を象徴している。

2「腐敗選挙区」で最も有名なオールド・セイラム

改正前の腐敗選挙区の代名詞とも言えるのが「オールド・セイラム」(現在のイングランド南部ウィルトシャー)。この地は中世に繁栄した都市だったが、改正前の時代にはほぼ廃墟に近い状態で、有権者が7名しかいないにもかかわらず2名の議員を選出していた。

3改正法の成立に貴族院が折れた理由

貴族院は当初、改正法案を繰り返し否決した。しかしグレイ首相が国王ウィリアム4世に「賛成票を投じる貴族を大量に新任命する」と認めさせたことで、反対派貴族たちは自分たちの特権的な存在感が薄まることを恐れて棄権・賛成に転じた。制度改革を「内側の脅し」で実現したイギリスらしい政治的妥協の産物である。

4「紅茶の値段」ほどの家賃基準

改正後の選挙資格は年間10ポンド以上の家賃を支払う借家人に拡大されたが、この金額は当時の工場労働者の年収をはるかに超えており、実質的に中産階級以上にしか適用されなかった。「10ポンド選挙区民」という言葉が生まれたほどで、改革の限定性を象徴するエピソードでもある。

5フランス七月革命との連鎖

1830年のフランス七月革命はシャルル10世の反動政治に対する市民の蜂起だったが、その余波はイギリスにも及んだ。改革を求める集会がイングランド各地で相次ぎ、一部では暴動も発生した。この社会不安が保守的な議会・貴族院に対する圧力となり、改革を後押しした側面がある。

世界史の博士
ここが出る博士のワンポイント
年号は1832年。語呂は「嫌味に(1832)第一回選挙法改正」。
実現したのはホイッグ党グレイ内閣のもと。グレイ伯爵(チャールズ・グレイ)が首相。
改正の内容:①腐敗選挙区の廃止・削減、②新興工業都市(マンチェスターなど)への議席再配分、③産業資本家を中心とする中産階級への選挙権拡大。
労働者・女性には選挙権が与えられなかった点が重要。この不満がチャーティスト運動(1838年〜)の背景。
以後の選挙法改正の流れ:第二回(1867年、ディズレーリ内閣、都市労働者へ拡大)→第三回(1884年、グラッドストン内閣、農村労働者へ拡大)→1918年・1928年に女性参政権。
語呂クイズ
「嫌味に(1832)第一回選挙法改正」= イギリスで第1回選挙法改正が行われるは西暦何年?
よくある質問
FAQ
Q. 第一回選挙法改正はなぜ必要だったのですか?
A. 産業革命で工業都市の人口が急増したにもかかわらず、議会の選挙区割りは中世以来そのままで、人口がほとんどいない「腐敗選挙区」が議員を独占していました。経済力を持つ産業資本家たちに議会への発言権がなかったため、制度の近代化が求められました。
Q. 「腐敗選挙区」とは何ですか?
A. 中世以来の選挙区割りのまま残り、人口が激減したにもかかわらず議員を選出し続けた選挙区のことです。有権者が数名しかいないため票の買収が横行し、特定の貴族・地主が議員を事実上指名できる状態になっていました。
Q. 第一回選挙法改正でどんな人が選挙権を得たのですか?
A. 主に年間10ポンド以上の家賃を支払う借家人、つまり産業資本家・商工業者・専門職などの中産階級が新たに選挙権を得ました。工場労働者・農業労働者・女性は対象外でした。
Q. チャーティスト運動は第一回選挙法改正とどうつながりますか?
A. 第一回選挙法改正は中産階級だけに選挙権を拡大し、労働者階級は依然として蚊帳の外に置かれました。その不満を背景に1838年から人民憲章(チャーター)を掲げ、普通選挙・秘密投票などを要求するチャーティスト運動が起きました。
Q. なぜ貴族院(上院)は改正法案に反対したのですか?
A. 貴族院は主に貴族・地主で構成されており、腐敗選挙区やポケット選挙区を通じて議会を支配してきた既得権益層でした。選挙区の廃止や選挙権の拡大は自分たちの政治的影響力を弱めることを意味するため、強く抵抗しました。
まとめ

第一回選挙法改正は、産業革命が生み出した社会の変化に、政治制度がようやく追いついた瞬間でした。腐敗選挙区の廃止と中産階級への選挙権拡大は、イギリス議会政治の近代化への大きな一歩でしたが、それはあくまでも「一歩」にすぎず、労働者・女性は長く政治参加の権利を持ちませんでした。この「改革のたびに取り残される層が次の運動を起こす」という連鎖――チャーティスト運動から第二回・第三回選挙法改正、そして女性参政権まで――こそが、イギリス民主主義の段階的発展を理解するうえで欠かせない視点です。「嫌味に(1832)第一回選挙法改正」の語呂とともに、誰が選挙権を得て、誰が得られなかったかをセットで押さえておきましょう。

編集メモ(ファクト)
有権者数の増加については諸説あり(「約2倍」「5倍以上」など資料によって異なる)。本文では「およそ2倍以上」と幅を持たせた表現を用いた。
腐敗選挙区の廃止数・新議席数の詳細な数値は資料によって若干異なるため、具体的数値ではなく「廃止・削減」「再配分」という表現にとどめた。
グレイ伯爵の首相在任期間は1830〜1834年が通説。
related は世界史サイト内の実在IDとして 1689-bill-of-rights・1848-revolutions-1848 を記載。存在しない場合は削除すること。
チャーティスト運動の終期については1850年代まで続いたとする見方が一般的だが、明確な終焉年には諸説あるため「1838〜1850年代」と幅を持たせた。