高校/社会
1833
イギリスが奴隷制度を廃止する
イギリス議会(ウィルバーフォースら)
語呂
覚え方
嫌さ再さ(いやささ)(1833)奴隷制廃止
いやささ(1833)奴隷制廃止
1833年、イギリス議会は奴隷制度廃止法を可決し、大英帝国全体で奴隷制を廃止することを決定しました(翌1834年8月に施行)。イギリスはすでに1807年に奴隷貿易(奴隷の売買・輸送)を禁止していましたが、1833年の法は奴隷を所有する制度そのものを廃止した点で一歩進んだものです。長年にわたって議会で廃止運動を率いた政治家ウィリアム・ウィルバーフォースらの粘り強い活動が実を結んだこの立法は、近代における人権思想の広がりを象徴する出来事として世界史に刻まれています。
この記事のポイント 1833年、イギリス議会が奴隷制度廃止法を可決。大英帝国全域で奴隷制が廃止された(施行は1834年8月) 1807年に奴隷貿易を禁止していたイギリスが、さらに奴隷の所有制度そのものを廃止したのが1833年の画期的な点 廃止運動の指導者ウィリアム・ウィルバーフォースは法成立の直前に死去し、勝利を自ら見届けることはなかった 解放された人々はすぐに完全な自由を得たのではなく、数年の『見習い(アプレンティスシップ)』期間を経る仕組みだった アメリカの奴隷解放宣言(1863年)より30年早く、近代における人権拡大の先駆けとして世界史的に評価されている
ここが面白い 「人を所有する」ことが法律で認められていた時代――それを終わらせた一国の議会の決断が、世界史の流れを変えた。アメリカの奴隷解放宣言より、じつに30年も早い出来事だった。
奴隷制廃止法は突然生まれたわけではありません。大英帝国による奴隷貿易の歴史、廃止運動の長年の積み重ね、そして産業革命という経済変化が複合的に重なって初めて実現した立法です。その背景を順に見ていきましょう。
大英帝国と奴隷貿易の歴史 イギリスは17〜18世紀にかけて、アフリカから西インド諸島やアメリカの植民地へ大量の奴隷を輸送する大西洋奴隷貿易に深く関与していました。砂糖・綿花・タバコなどの植民地農園は奴隷労働に依存しており、奴隷商人や農園主は大きな利益を上げていました。18世紀末時点でイギリス商船は年間数万人規模の奴隷を輸送しており、この貿易はイギリス経済の一部を支えていました。
奴隷貿易廃止(1807年)への道のり 18世紀後半から、ウィリアム・ウィルバーフォースを中心とするクラパム派の人道主義的キリスト教グループが議会での廃止運動を展開しました。1787年には奴隷制廃止協会が結成され、世論を動かすキャンペーンが続けられました。こうした長年の活動の末、1807年に奴隷貿易廃止法が成立し、イギリスは大西洋奴隷貿易から撤退しました。しかし、これは奴隷の売買・輸送を禁止したものであり、すでに植民地にいる奴隷を解放するものではありませんでした。
産業革命と経済構造の変化 19世紀に入ると、産業革命によってイギリス経済の中心は農園経営から工場制機械工業へと移りつつありました。工場主の立場からは、自由な賃金労働者の方が管理コストの面で奴隷労働より有利という見方も広まっていました。こうした経済的背景が、奴隷制維持に固執する勢力の反論を弱め、廃止派の主張を通りやすくしました。
1833年奴隷制度廃止法の内容 1833年の奴隷制度廃止法(Slavery Abolition Act 1833)は、大英帝国全域(一部地域を除く)で奴隷の所有を禁じるものでした。ただし、解放された人々はすぐに完全な自由を得るのではなく、数年間(当初は最長7年)の『見習い(アプレンティスシップ)』制度のもとに置かれました。また、奴隷所有者には政府が約2,000万ポンドという多額の補償金を支払いました。完全な自由は1838年に実現しました。
奴隷制そのものの廃止 ≒ 人を財産として所有することを法律で禁じた 1807年の奴隷貿易禁止に続き、植民地で奴隷を所有すること自体を違法とした。これ以降、大英帝国内では人を売買・所有する制度が法的に消滅した。
大英帝国全域への適用 ≒ 一国の法律が植民地を含む広大な地域に適用された イギリス本国だけでなく、西インド諸島・南アフリカ・カナダなどの植民地にも適用された。近代国家が帝国規模で制度改革を実行した先例として重要。
廃止運動という市民活動の成果 ≒ 世論と議会を動かすロビー活動・請願運動の手本 クラパム派を中心とした数十年にわたる議会外活動・請願・著述・演説が法改正を実現した。市民社会が政策変更を勝ち取った近代的な社会運動の原型の一つとされる。
1787 奴隷制廃止協会結成 ウィルバーフォースらがロンドンで奴隷貿易廃止を目指す協会を結成。議会への請願・世論形成が本格化する。
1807 奴隷貿易廃止法成立 イギリス議会が奴隷の売買・輸送を禁じる奴隷貿易廃止法を可決。ただし既存の奴隷の所有は禁じられなかった。
1815 ウィーン会議での合意 ナポレオン戦争後のウィーン会議で、奴隷貿易廃止を国際的に確認する宣言が採択された。
1823 奴隷制廃止協会再結成 奴隷制そのものの廃止を目指す新たな協会(反奴隷制協会)が結成され、議会への働きかけが再び強まる。
1831 バプティスト・ウォーの反乱 ジャマイカで奴隷たちが大規模な反乱(バプティスト・ウォー)を起こした。鎮圧後の残酷な報復が本国で報道され、廃止論を後押しした。
1833 奴隷制度廃止法可決 8月、イギリス議会が奴隷制度廃止法を可決。ウィルバーフォースはその約1か月前の7月29日に死去しており、死の数日前に法案可決が確実になったとの知らせを受けたとされる。
1834 施行・見習い制度開始 8月1日、法律が施行され、奴隷は正式に解放された。ただし多くの人々は最長7年の『見習い(アプレンティスシップ)』期間に入った。
1838 完全な自由の実現 見習い制度が廃止され、旧奴隷全員が完全に自由な身分となった。
1863 アメリカ奴隷解放宣言 リンカーン大統領がアメリカ南北戦争中に奴隷解放宣言を発布。イギリスの廃止から30年後のことだった。
1865 アメリカ合衆国憲法修正第13条 アメリカで奴隷制が憲法上正式に廃止された。
◎ 大英帝国全域で奴隷の所有が法的に禁止され、約80万人が解放された。アメリカの奴隷解放宣言(1863年)より30年早い先駆的な立法として、近代における人権拡大の流れを牽引した。廃止運動の手法は後世の社会運動の模範となった。
△ 解放後も数年間の『見習い』制度が続いたため、即時の完全な自由ではなかった。また奴隷所有者への補償金(約2,000万ポンド)は支払われたが、旧奴隷たちへの補償はなかった。補償金の負債はイギリス政府が2015年まで返済を続けていたことが近年明らかになり、歴史的な問い直しが続いている。
ウィリアム・ウィルバーフォース イギリスの政治家・廃止運動の指導者 1787年から約45年にわたって議会で奴隷貿易・奴隷制廃止を訴え続けた。1833年7月29日に死去。法成立(8月29日)の約1か月前であったが、法案可決が確実になったとの知らせを病床で受けたとされる。
トーマス・クラークソン 廃止運動の理論的指導者・著述家 奴隷貿易の実態を調査・記録し、廃止運動の世論形成に大きく貢献した。ウィルバーフォースと並ぶ運動の中核人物。1833年の法成立後も長命し、運動の勝利を見届けた。
オラウダー・イクイアノ 元奴隷・著述家 自らの奴隷体験をつづった自伝『興味深い物語』(1789年)はベストセラーとなり、廃止運動を支持する世論形成に強い影響を与えた。
ハリエット・マーティノー イギリスの著述家・廃止論者 女性の立場から奴隷制廃止を支持し、廃止運動を世論に広める著述活動を行った。女性が社会運動に関わる先例を示した人物の一人。
奴隷制度廃止法(1833年) 1833年にイギリス議会が可決した、大英帝国全域で奴隷の所有を禁じる法律。翌1834年8月1日に施行され、完全な自由は1838年に実現した。英語名は Slavery Abolition Act 1833。
奴隷貿易廃止法(1807年) イギリスが1807年に制定した、大西洋奴隷貿易(奴隷の売買・輸送)を禁止する法律。奴隷制そのものは禁じておらず、1833年の廃止法の前提となった。
クラパム派 18〜19世紀初頭のイギリスで活動した、ウィルバーフォースらを中心とする福音主義キリスト教の社会改革グループ。奴隷制廃止運動の中核を担った。
アプレンティスシップ(見習い制度) 1833年の奴隷制廃止法に盛り込まれた移行措置。解放された旧奴隷が最長7年間、以前の主人のもとで「見習い」として無償・低報酬で働く義務を負った。1838年に廃止されて完全な自由が実現した。
大西洋奴隷貿易(三角貿易) ヨーロッパ・アフリカ・アメリカ大陸を結ぶ貿易構造。ヨーロッパが工業製品をアフリカへ輸出し、アフリカから奴隷を新大陸へ輸送、新大陸からは砂糖・綿花などをヨーロッパへ輸入するという三角形の流通。
1 ウィルバーフォースは可決の知らせの3日後に死去した長年にわたって廃止運動を続けたウィルバーフォースは、1833年7月29日に73歳で死去した。法案が事実上可決される見通しになったとの知らせを受けたのはその数日前で、正式な法成立(同年8月)を自らの目で見届けることはできなかった。ただし勝利を確信して安らかに息を引き取ったと伝えられる。
2 補償金の負債は2015年まで残っていた奴隷制廃止の際、イギリス政府は奴隷所有者に約2,000万ポンド(当時のGDPの約40%とも言われる)の補償金を支払った。この補償金を賄うために政府が発行した国債の返済が完了したのは、なんと2015年のことだった。旧奴隷への補償は一切行われなかった。
3 アメリカより30年早かったアメリカのリンカーン大統領が奴隷解放宣言を発したのは1863年で、憲法修正第13条による正式廃止は1865年。イギリスの廃止法(1833年)はアメリカよりも30〜32年早い先駆的な立法だった。ただしイギリスの廃止はあくまでイギリス帝国内の話であり、当時のアメリカはイギリスとは別の国であった点に注意。
4 ジャマイカの反乱が廃止論を後押しした1831年末、ジャマイカで約6万人の奴隷が参加する大規模な反乱(バプティスト・ウォー)が起きた。鎮圧後に奴隷たちが見せしめに処刑・拷問された様子がイギリス本国に伝わり、廃止を求める世論が一気に高まった。この反乱は1833年の法成立を加速した出来事とされている。
5 法律の対象外だった地域もあった1833年の法律は大英帝国の大部分をカバーしていたが、東インド会社が管轄する地域(インドなど)は当初対象外とされ、別途の法整備が必要だった。完全に帝国全域に廃止が適用されるまでには、その後も段階的な立法が必要だった。
ここが出る 博士のワンポイント
年号は1833年。語呂は『嫌さ再さ(いやささ)(1833)奴隷制廃止』。
1807年の奴隷貿易廃止と1833年の奴隷制廃止の違いを区別すること。貿易(売買・輸送の禁止)と所有制度そのものの廃止は別の法律・別の年。
廃止運動の中心人物はウィリアム・ウィルバーフォース。法成立の直前に死去した点も問われることがある。
アメリカの奴隷解放宣言(1863年)より30年早い先駆的立法として、世界史的意義が問われることがある。
解放後も数年間の『見習い(アプレンティスシップ)』期間があり、完全な自由は1838年だった点に注意。
語呂クイズ
「嫌さ再さ(いやささ)(1833)奴隷制廃止」= イギリスが奴隷制度を廃止するは西暦何年?
1830 1833 1840
Q. 1807年と1833年の法律はどう違いますか? A. 1807年の奴隷貿易廃止法は、奴隷の売買や輸送(貿易)を禁じたものです。一方、1833年の奴隷制度廃止法は、すでに植民地にいる奴隷を所有することそのものを禁じました。貿易の禁止と所有の禁止は別々の立法です。
Q. 奴隷を解放された人々はすぐに自由になりましたか? A. いいえ、すぐには完全に自由になりませんでした。法施行後も数年間(当初最長7年)の『見習い(アプレンティスシップ)』期間があり、以前の主人のもとで働く義務がありました。完全な自由が実現したのは1838年のことです。
Q. ウィルバーフォースとはどんな人物ですか? A. イギリスの政治家で、1787年から約45年にわたって議会で奴隷制廃止を訴え続けた廃止運動の象徴的人物です。1833年7月29日に73歳で亡くなりましたが、法案可決が確実になったという知らせを病床で受けたとされています。
Q. なぜイギリスはアメリカより先に奴隷制を廃止できたのですか? A. イギリスでは産業革命で経済の重心が工場制工業に移り、奴隷労働への依存度が相対的に低下していました。またクラパム派などの廃止運動が長年にわたって世論と議会を動かしていたことも大きな要因です。アメリカでは南部の農園経済が奴隷制に強く依存しており、廃止が南北戦争(1861〜1865年)まで持ち越されました。
Q. 奴隷所有者への補償金はなぜ支払われたのですか? A. 当時のイギリス法では奴隷は所有者の財産とみなされており、政府が強制的に取り上げる場合には補償が必要と考えられていました。約2,000万ポンドという巨額が支払われた一方、旧奴隷への補償はありませんでした。この補償のあり方は現代において批判的に再評価されています。
1833年のイギリス奴隷制廃止法は、長年にわたる廃止運動と産業革命による経済変化が重なり合って実現した、近代史の転換点の一つです。アメリカの奴隷解放宣言より30年早いこの決断は、人を財産として所有することを法律で禁じた先駆的な立法として世界史に刻まれています。『嫌さ再さ(いやささ)1833年』の語呂とともに、1807年の奴隷貿易廃止との違い、そして解放後も続いた見習い制度(完全な自由は1838年)という細部まで押さえておきましょう。
編集メモ(ファクト) 1807年の奴隷貿易廃止法と1833年の奴隷制度廃止法は別個の立法であり、両者の違いを明確に区別して記述した。 ウィルバーフォースの死去日(1833年7月29日)は史料上確定。法の可決・国王裁可は同年8月であり、死去はその約1か月前にあたる(当初原稿の「法成立の3日前」は誤りのため修正)。 アプレンティスシップ制度の終了(完全な自由)は1838年で、1834年施行・1838年完全廃止という2段階を記述に反映した。 補償金の返済が2015年まで続いたという情報は近年注目されているトリビアとして採用。 related は指定通り 1863-emancipation-proclamation・1789-french-revolution の2件のみ使用。