1689年、イギリス議会は「権利章典(Bill of Rights)」を制定しました。前年の名誉革命でジェームズ2世を追放し、新たにウィリアム3世とメアリ2世を迎えた議会は、国王が守るべきルールを文書で明確にしました。内容は、議会の同意なしに法律を停止したり課税したりすることの禁止、議会内での言論の自由、常備軍の違法化(議会承認なしの場合)、議会の定期的開催の保障など多岐にわたります。これにより「王は君臨すれども統治せず」という近代イギリス政治の基礎が確立され、1215年のマグナ・カルタ以来続く議会主権・法の支配の流れが一つの到達点を迎えました。
1689年2月、議会はウィリアムとメアリに対して「権利の宣言」を提示し、これを受け入れることを条件として二人を共同統治の国王・女王として迎えました。同年12月、この宣言は議会制定法として「権利章典(Bill of Rights)」となりました。国王の権限を議会が明文で制約するという前例のない形で、立憲君主制の基盤が法的に確立されました。
1689年は権利章典の年であると同時に、哲学者ジョン・ロックが『統治二論(Two Treatises of Government)』を出版した年でもある。ロックは自然権(生命・自由・財産)と社会契約論・抵抗権を論じ、権利章典の精神と共鳴した。この理論は後にアメリカ独立宣言(1776年)やフランス人権宣言(1789年)に直接影響した。
5「王は君臨すれども統治せず」という言葉の由来
「王は君臨すれども統治せず(The king reigns but does not govern)」というフレーズは、権利章典によって確立された立憲君主制の本質を端的に表している。国王は国家の象徴として存在するが、実際の政治は議会と内閣(大臣)が担うという原則で、現在の日本の「象徴天皇制」と似た考え方の源流にもなっている。
A. 1688年の名誉革命でジェームズ2世が追放された後、議会が新国王ウィリアム3世とメアリ2世に対して「国王が守るべきルール」を文書で示し、これを受け入れることを即位の条件としたためです。翌1689年にこの「権利の宣言」が権利章典として法律化されました。
Q. 権利章典の最も重要な内容は何ですか?
A. 議会の同意なしに国王が課税したり法律を停止したりすることの禁止です。これにより課税権と立法権が実質的に議会のものとなり、立憲君主制・議会主権の原則が確立されました。
Q. マグナ・カルタと権利章典の違いは何ですか?
A. マグナ・カルタ(1215年)は、主に貴族が自分たちの権利を守るために王に認めさせた文書で、当初は一般庶民への権利保障を意図したものではありませんでした。権利章典(1689年)は、議会全体が国王に対して議会の優越を確立した文書で、立憲君主制・議会主権という近代的な政治原則を法律として定めた点で大きく発展しています。
Q. 「名誉革命」と権利章典はどう関係していますか?
A. 名誉革命(1688年)は権利章典成立の直接のきっかけです。名誉革命でジェームズ2世を追放した議会が、新国王に対して提示した条件文書が「権利の宣言」であり、これが翌1689年に権利章典として法制化されました。名誉革命と権利章典はセットで「立憲君主制確立」の出来事として覚えるとよいでしょう。
Q. 権利章典は現在も有効ですか?
A. はい。権利章典は現在もイギリスの法律として有効です。イギリスには一般的な意味での成文憲法がありませんが、マグナ・カルタ・権利の請願・権利章典などの歴史的文書が憲法的な役割を果たしています。議院内閣制や言論の自由など、現在のイギリス政治の基本原則の多くはこれらの文書に由来しています。
編集メモ(ファクト) 権利章典の正式名称は「臣民の権利および自由を宣言し、また王位継承を定める法律(An Act Declaring the Rights and Liberties of the Subject and Settling the Succession of the Crown)」。 「名誉革命」はスコットランド・アイルランドでの戦闘を伴っており、完全に無血ではないが、イングランド本国では流血がほぼなかったためこの名で呼ばれる。 ジョン・ロックの『統治二論』出版年(1689年)は権利章典と同年だが、内容はそれ以前から準備されていたとされる。 related には指定された2つのID(1688-glorious-revolution・1215-magna-carta)のみ記載。サイト内に当該ページが存在しない場合は削除すること。