高校/戦争
1337
百年戦争が始まる
イングランド王エドワード3世/フランス王フィリップ6世
語呂
覚え方
いざ皆(みな)で百年戦争(1337)
いざみな(1337)百年戦争開始
1337年、イングランド王エドワード3世はフランス王フィリップ6世に宣戦を布告し、百年戦争(1337〜1453年)の幕が開きました。戦争の表向きの口実はフランス王位の継承権争いですが、その背景にはフランドル地方の毛織物産業やイングランドがフランスに持つ大陸領地をめぐる経済的・政治的対立がありました。戦争は116年にわたって断続的に続き、前半はイングランドが優勢でしたが、1429年にジャンヌ・ダルクが登場してフランスが形勢を逆転し、1453年にフランスの勝利で終結しました。この戦争を通じてフランスでは国民意識(ナショナリズム)が芽生え、中世ヨーロッパから近代国家へと向かう転換点となりました。
この記事のポイント
- 1337年、イングランド王エドワード3世がフランスへの宣戦布告を行い、百年戦争が始まる
- 直接の口実はエドワード3世のフランス王位継承権の主張(母イザベラがカペー朝出身)
- フランドル地方の毛織物利権やギュイエンヌ地方の支配をめぐる経済的対立も大きな背景
- 前半(クレシーの戦い・ポワティエの戦い)はイングランドが優勢で、フランスは大敗続き
- 1429年のジャンヌ・ダルクの活躍でフランスが逆転し、1453年にフランスの勝利で終結した
ここが面白い「100年間も戦い続けた」――イングランドとフランスが断続的に戦い続けたこの戦争は、単なる領土争いではなく、中世ヨーロッパの王権・民族意識・社会構造を大きく揺り動かした歴史的大事件だった。
百年戦争は突然始まったわけではありません。イングランドとフランスの間には、ノルマン征服以来200年以上にわたる土地・権利・王位をめぐる積み重なった対立がありました。その背景を整理しておきましょう。
フランス王位継承問題とカペー朝の断絶
フランスのカペー朝は1328年にシャルル4世が後継者なく死去して断絶しました。フランス貴族はカペー朝の傍系にあたるヴァロワ家のフィリップ6世を新王に選びましたが、イングランド王エドワード3世はフランス王フィリップ4世を外祖父に持つことを根拠に自らの継承権を主張。フランス側は女系からの継承を認めないサリカ法典を根拠に拒絶し、対立が決定的となりました。
ギュイエンヌ問題とフランス内の英国領
イングランド王はノルマン征服(1066年)以来、フランス国内にギュイエンヌ(現在のボルドー周辺)などの大陸領地を保有し、フランス王の臣下でもあるという複雑な立場にありました。フランス王は機会あるごとにこれらの領地を没収しようとし、イングランドはその都度抵抗するという緊張が続いていました。1337年にフィリップ6世がギュイエンヌの没収を宣言したことが開戦の直接の引き金となりました。
フランドル毛織物産業と経済的利権
現在のベルギー・オランダ南部にあたるフランドル地方は、当時ヨーロッパ最大の毛織物産業の中心地でした。その原料羊毛の主要供給国がイングランドです。フランドルはフランス王の支配下にありましたが、イングランドとの経済的つながりが強く、フランドルの都市(ゲント・ブリュージュ)はイングランドを支持しました。毛織物利権の争奪もこの戦争の重要な背景となっていました。
スコットランドをめぐる三つ巴の対立
イングランドはスコットランドに対しても支配を強めようとしており、スコットランドはフランスと同盟(オールド・アライアンス)を結んでイングランドに対抗していました。イングランドにとってフランスとの戦争は、フランス・スコットランドの挟み撃ちを断ち切るためでもありました。百年戦争はこうした複雑な国際関係の中で始まった多面的な戦争です。
フランス王位継承権をめぐる国際戦争
≒ 王家の婚姻関係が国同士の戦争の口実になる時代王位は血筋で決まる時代、外祖父がフランス王であることを根拠に他国の王位を要求するのは当時としてあり得た話だった。現代でいえば株式の議決権争いのような激しい正当性争いが戦争へと発展した。
長弓隊による戦術革命
≒ 技術革新が戦争の勝敗を決める時代イングランドは農民出身の長弓(ロングボウ)部隊を活用し、クレシーの戦い(1346年)でフランスの重装騎士団を圧倒した。弓の連射速度が騎士中心の戦術を時代遅れにし、平民兵士が戦場で活躍する時代の到来を示した。
フランス国民意識(ナショナリズム)の誕生
≒ 外敵との戦いが国としての一体感を生むジャンヌ・ダルクの活躍に象徴されるように、長い戦争の中でフランス人としての共通のアイデンティティが育まれた。百年戦争はフランス国家の形成を大きく促進し、中世封建社会から近代国民国家へと向かうきっかけとなった。
1328カペー朝断絶フランス王シャルル4世が後継なく死去。ヴァロワ家のフィリップ6世が即位。エドワード3世が王位継承権を主張するが退けられる。
1337宣戦布告・百年戦争開始フィリップ6世がギュイエンヌの没収を宣言。エドワード3世が自らをフランス王と称してフランスへの宣戦を布告し、戦争が始まる。
1340スロイスの海戦イングランド艦隊がフランス艦隊を破り、イギリス海峡の制海権を握る。
1346クレシーの戦いイングランドの長弓部隊がフランス重装騎士を大破。イングランドが圧勝。
1347カレー陥落イングランドがフランスの港湾都市カレーを占領。以後200年以上保持する。
1356ポワティエの戦いイングランドの黒太子エドワードがフランス王ジャン2世を捕虜にする大勝利。
1360ブレティニー条約フランスがギュイエンヌなどの領土をイングランドに割譲。エドワード3世はフランス王位の要求を一時断念し、休戦。
1429ジャンヌ・ダルクの活躍農民出身の少女ジャンヌ・ダルクがオルレアン包囲を解き、フランス軍の士気を回復。形勢が逆転する。
1431ジャンヌ・ダルク処刑ジャンヌ・ダルクが異端裁判にかけられ、ルーアンで火刑に処される(享年19歳)。
1453百年戦争終結カスティヨンの戦いでフランスが最終的に勝利。イングランドはカレーを除くフランス全土の領地を失い、戦争が事実上終結する。
◎フランスはイングランドをほぼ大陸から追い出し、領土をほぼ統一。長い戦争を通じてフランス国民のアイデンティティが形成され、集権的な近代国家の形成へ向かう基盤が生まれた。ジャンヌ・ダルクはフランスの国民的英雄として後世に語り継がれた。
△開始年については1337年説(宣戦布告)と1339年説(実際の軍事行動開始)があり、教科書によって記述が異なる場合がある。試験では「1337年開始」が通説として扱われることがほとんど。また戦争は断続的で休戦期間も長く、116年間ずっと戦い続けたわけではない点に注意。
エドワード3世
イングランド王(在位1327〜1377年)百年戦争を開始した英国王。母イザベラがフランス王フィリップ4世の娘であることを根拠にフランス王位を主張。クレシーの戦いでフランスを大破し、カレーを占領するなど前半の戦争で大きな戦果を挙げた。
フィリップ6世
フランス王(在位1328〜1350年)、ヴァロワ朝初代カペー朝断絶後に即位したヴァロワ家最初のフランス王。エドワード3世の王位継承権主張を拒否してギュイエンヌを没収し、百年戦争の引き金を引いた。クレシーの戦いで大敗を喫する。
黒太子エドワード
イングランド皇太子エドワード3世の息子。ポワティエの戦い(1356年)でフランス王ジャン2世を捕虜にした英雄。黒い甲冑を好んだことからこの名がある。父より先に亡くなったため即位はしなかった。
ジャンヌ・ダルク
フランスの英雄的農村娘・軍人神の声を聞いたと信じた農民出身の少女。1429年にオルレアン包囲を解き、劣勢だったフランス軍を逆転させた。翌1430年に捕らえられ、1431年に異端として処刑された。後にフランス国民の象徴となる。
- 百年戦争
- 1337年から1453年にかけてイングランドとフランスの間で断続的に行われた戦争の総称。実際の戦闘期間は断続的で、「116年戦争」とも言われる。フランス史・イングランド史双方の重大な転換点。
- ヴァロワ朝
- カペー朝断絶後にフランスを統治した王朝(1328〜1589年)。フィリップ6世に始まり、百年戦争を戦い抜いてフランスの統一を達成した。
- サリカ法典
- フランク族の慣習法の一つ。フランスでは女系(母方の血筋)からの王位継承を認めない根拠として用いられた。エドワード3世の継承権主張を退けるためにフランス側が援用した。
- 長弓(ロングボウ)
- イングランドがクレシーの戦いなどで用いた大型の弓。熟練の弓兵が1分間に10〜12本の矢を放つことができ、フランスの重装騎士を遠距離から大量に倒すことができた。中世の戦術を変革した兵器。
- ギュイエンヌ(アキテーヌ)
- 現在のフランス南西部・ボルドー周辺の地方。ノルマン征服以来イングランド王が保有していた大陸領地。ワインの産地としても有名。フィリップ6世による没収宣言が百年戦争の直接の引き金となった。
1「百年戦争」という名称は当時は使われていなかった
「百年戦争(Hundred Years War)」という名称は19世紀のフランスの歴史家が便宜上付けたもの。当時の人々はこれを一つの戦争として認識していたわけではなく、複数の戦争や休戦が繰り返された複雑な紛争だった。
2クレシーの戦いは近代戦の原点とも言われる
1346年のクレシーの戦いでイングランドの長弓隊はフランスの重装騎士を大量に射殺した。騎士が戦場の王者だった時代の終わりを告げる戦闘とされ、歩兵・弓兵中心の近代的な軍事戦術への転換点として軍事史に記録されている。
3ジャンヌ・ダルクは死後20年以上で名誉回復された
1431年に異端として処刑されたジャンヌ・ダルクは、1456年の再審で名誉回復(無罪)が宣言された。さらに1920年にはカトリック教会によって聖人に列せられ、フランスの守護聖人の一人となっている。
4百年戦争はペストの大流行と重なっていた
百年戦争の開始直後の1347〜1351年に、ヨーロッパではペスト(黒死病)が大流行した。フランスでは人口の約3分の1が死亡したとも言われる。戦争とペストが重なったことで、14世紀のヨーロッパは未曽有の危機に見舞われた。
5エドワード3世は「イングランド国王にしてフランス国王」と名乗り続けた
エドワード3世は1340年から正式にフランス王を自称し、その称号はその後のイングランド・イギリス王に継承された。イングランド王が公式にフランス王位の主張を放棄したのはなんと1801年(グレートブリテン・アイルランド連合王国成立に伴う王号変更)のことである。

ここが出る博士のワンポイント
年号は1337年。語呂は「いざ皆(みな)で百年戦争(1337)」。
開始の直接の原因:イングランド王エドワード3世がフランス王位継承権を主張し、フランス王フィリップ6世がギュイエンヌを没収したことへの対抗。
前半はイングランドが優勢(クレシーの戦い1346年・ポワティエの戦い1356年)、1429年のジャンヌ・ダルク活躍でフランスが逆転、1453年にフランスの勝利で終結。
戦争の結果、フランスでは国民意識(ナショナリズム)が芽生え、中世から近代国家へ向かう転換点となった。イングランドはカレーを除くフランス大陸領地を失った。
ジャンヌ・ダルクは1429年にオルレアン解放、翌1430年に捕らえられ1431年に処刑。後に名誉回復・聖人に列せられた(1920年)。
語呂クイズ
「いざ皆(みな)で百年戦争(1337)」= 百年戦争が始まるは西暦何年?
- Q. 百年戦争はなぜ始まったのですか?
- A. 大きく二つの理由があります。一つはフランス王位継承権問題で、イングランド王エドワード3世が母の血筋を根拠にフランス王位を主張したこと。もう一つは経済的対立で、イングランドがフランス国内に持つギュイエンヌ地方の支配権や、フランドル地方の毛織物利権をめぐる争いです。
- Q. 百年戦争は本当に100年間戦い続けたのですか?
- A. いいえ、実際には116年間(1337〜1453年)で、その間に何度も休戦や和平が挟まれた断続的な戦争です。また「百年戦争」という名称自体も後世の歴史家がつけたもので、当時の人々はそう呼んでいませんでした。
- Q. クレシーの戦いとポワティエの戦いの違いは何ですか?
- A. どちらもイングランドがフランスを大破した戦いです。クレシーの戦い(1346年)はエドワード3世が指揮し長弓部隊が活躍しました。ポワティエの戦い(1356年)は息子の黒太子エドワードが指揮し、フランス王ジャン2世を捕虜にする大勝利を収めました。
- Q. ジャンヌ・ダルクはどうして重要なのですか?
- A. ジャンヌ・ダルクは1429年に農村の少女でありながら軍を率い、包囲されていたオルレアン城を解放しました。これをきっかけにフランス軍の士気が大きく回復して反攻が始まり、最終的なフランスの勝利につながりました。彼女はフランス国民の団結を象徴する人物として今も敬われています。
- Q. 百年戦争の結果、何が変わりましたか?
- A. フランスは大陸の統一をほぼ達成し、イングランドを国外に追い出しました。また長い戦争を通じてフランス人としての国民意識(ナショナリズム)が生まれました。一方イングランドは大陸の領地をほぼすべて失い、その後国内の内乱(薔薇戦争)へと向かいました。
百年戦争の始まりは、王位継承という中世ならではの口実と、土地・経済をめぐる現実的な利権争いが絡み合った複雑な出来事です。前半のイングランド優勢から、ジャンヌ・ダルクの登場によるフランスの逆転という劇的な流れは、多くの試験で問われるポイントです。「いざ皆(みな)で百年戦争(1337)」の語呂とともに、開始の背景・主な戦い・終結の年・ジャンヌ・ダルクの役割をセットで押さえておきましょう。
編集メモ(ファクト)
開始年は1337年(宣戦布告)が通説だが、最初の軍事行動を根拠に1339年とする説もあるため、result.cautionで注記した。
people のフィリップ6世の項に誤ってtextフィールドが混入しないよう注意(noteのみ使用)。
timeline は10件で構成し、1453年終結まで含めることで全体像が把握できるようにした。
relatedは指定の2件(1215-magna-carta・1453-fall-constantinople)のみ記載。