高校/社会
1347
ヨーロッパでペスト(黒死病)が大流行する
当時のヨーロッパの人々
語呂
覚え方
いざ世な(いさよな)(1347)黒死病
いさよな(1347)ペストの大流行
1347年、黒海に面するクリミア半島からイタリア・シチリアに入港したジェノヴァの商船が、恐ろしい病をヨーロッパに持ち込みました。ペスト菌が引き起こすこの感染症は、高熱・皮膚の黒変・リンパ節の腫れを特徴とし、感染者の多くが数日以内に死亡しました。病は海路・陸路を伝って瞬く間に広まり、1350年代までにヨーロッパ全土を席巻。当時の推定人口の約3分の1にあたる数千万人が命を落としたとされます。原因が一切わからなかった時代、人々は神の怒りを恐れ、鞭打ち苦行やユダヤ人迫害にまで走りました。この大災禍は中世ヨーロッパの社会・経済・宗教すべてを根底から揺さぶり、封建制の崩壊を加速させた世界史上の転換点となりました。
この記事のポイント 1347年、ジェノヴァの商船がクリミア半島からシチリアへペスト菌を持ち込み、ヨーロッパ全土に拡大 数年でヨーロッパ人口の約3分の1(数千万人規模)が死亡したとされる 原因は当時不明で、後にネズミなどのノミが媒介するペスト菌(Yersinia pestis)と判明 労働力の激減が農民・農奴の交渉力を高め、荘園制の崩壊と封建社会の動揺を加速させた 原因不明の恐怖からユダヤ人が「井戸に毒を入れた」と疑われ、各地で迫害・虐殺が起きた
ここが面白い 「神の罰が降った」――人々がそう信じるほどの惨禍が14世紀のヨーロッパを覆った。わずか数年で人口の約3分の1が失われた史上最大級の疫病、それがペスト(黒死病)だ。
ペストの大流行は突然始まったわけではありません。中央アジアで発生した疫病がモンゴル帝国の交易路に乗って西へ広がり、交易都市イタリアを窓口にヨーロッパへ侵入しました。その背景を順に見ていきましょう。
ペストの起源とモンゴル帝国の役割 ペスト菌(Yersinia pestis)は中央アジアを起源とするとされます。13〜14世紀、モンゴル帝国がユーラシア大陸に構築した広大な交易・軍事ネットワーク(パクス・モンゴリカ)は物資や人の往来を劇的に増やし、病原菌の移動も加速させました。1346年ごろ、黒海北岸のカッファ(現クリミア半島フェオドシア)でモンゴル軍がペストで多数死亡し、包囲されていたジェノヴァ商人たちが逃げ帰る際に菌を持ち出したとされています。
イタリアへの上陸と急拡大 1347年秋、カッファから戻ったジェノヴァの船がシチリア・メッシーナ港に入港した際、船員の多くがすでに発症・死亡していました。港側は船を追い返しましたが時すでに遅く、ペストは陸に上がっていました。イタリア半島から南フランス、イベリア半島、北フランス、イングランドへと海路・陸路を通じてわずか3〜4年でヨーロッパ全域に広がりました。
症状と当時の対応 ペストには主に腺ペスト(リンパ節が大きく腫れ、皮膚が黒ずむ)と肺ペスト(肺に感染し飛沫で広まる)があります。皮膚が黒ずむことから「黒死病(Black Death)」と呼ばれました。当時は原因が全くわからず、医師は「悪い空気(瘴気)」が原因と考え、花束を持ち歩く、香を焚くなどの対策がとられました。隔離(検疫)の概念が芽生えたのもこの時期で、イタリアの港湾都市ラグーサ(現クロアチアのドゥブロヴニク)では船を30日間(後に40日間)沖に停泊させる措置が記録されています。「検疫(quarantine)」という言葉はイタリア語の「40日(quarantina)」に由来します。
社会への衝撃と封建制の動揺 人口の激減は労働力の急激な不足を引き起こしました。生き残った農民・農奴は希少な存在となり、地主(領主)に対してより良い条件を要求できるようになりました。イングランドでは1381年に農民一揆(ワット・タイラーの乱)が起き、フランスでも農民反乱(ジャックリーの乱、1358年)が発生しました。これらはペスト後の社会変動が直接の遠因となっています。また、教会が大量死を防げなかったことで、教会の権威も傷つきました。
ペスト菌がノミを介して感染 ≒ 感染症の拡大経路(媒介動物・衛生管理の重要性) クマネズミなどにつくノミがペスト菌を持ち、人を刺すことで感染する。当時は原因不明だったが、後の科学でネズミとノミの役割が解明された。
ヨーロッパ人口の約3分の1が死亡 ≒ パンデミックが社会構造・経済・文化を根底から変える 短期間に数千万人が命を落としたことで、労働力・農業生産・都市機能が激変。封建制の崩壊と農民の地位向上につながった。
原因不明の恐怖が社会不安と迫害を生む ≒ 不安・無知が差別・陰謀論を生むという教訓 ユダヤ人が井戸に毒を入れたという根拠のない噂が広まり、ライン川流域などで大規模な迫害・虐殺が起きた。鞭打ち苦行団が街を練り歩く光景も見られた。
1346 カッファ包囲戦でペスト発生 黒海北岸のカッファ(クリミア半島)でモンゴル軍の陣営にペストが発生。包囲されたジェノヴァ商人たちが逃走。
1347 シチリアへ上陸 カッファから逃れたジェノヴァの商船がシチリア・メッシーナに入港。ヨーロッパへのペスト侵入が始まる。
1348 イタリア・フランスに拡大 フィレンツェ・ヴェネツィア・パリなど主要都市に感染が広がる。フィレンツェでは人口の半数以上が死亡したとの記録も残る。
1348 ライン川流域でユダヤ人迫害 ドイツ・スイスのライン川流域で「ユダヤ人が井戸に毒を入れた」という噂が広まり、大規模な迫害・虐殺が起きる。
1349 イングランド・北欧に拡大 イングランドに到達し、ロンドンでも多数の死者が出る。スカンジナビア諸国にも拡大。
1350 ヨーロッパ全土を席巻 1350年代前半までにほぼヨーロッパ全域がペストの影響を受ける。推定死者数はヨーロッパだけで2500万〜5000万人。
1358 ジャックリーの乱(フランス) ペスト後の社会混乱・重税への反発からフランスで農民反乱が発生。
1381 ワット・タイラーの乱(イングランド) ペストによる労働力不足と人頭税への抵抗からイングランドで農民一揆が起きる。封建制崩壊の象徴的事件。
1894 ペスト菌の発見 フランスの細菌学者アレクサンドル・イェルサンがペスト菌(Yersinia pestis)を発見。原因の科学的解明がなされる。
◎ 労働人口の激減が農民・農奴の交渉力を高め、荘園制の崩壊と封建社会の変容を加速させた。また、検疫(quarantine)制度の原型が生まれ、感染症対策の歴史的出発点ともなった。
△ ペストはその後も14〜17世紀にかけて繰り返し流行し、ヨーロッパ社会に長期的な影響を与え続けた。また、恐怖と無知から生じたユダヤ人迫害は、この時代の暗部として忘れてはならない歴史的事実である。
ジョヴァンニ・ボッカッチョ イタリアの作家(1313〜1375年) ペストが猛威を振るうフィレンツェを舞台に短編集『デカメロン』を著し、黒死病の惨状を生き生きと記録した。文学史上の名作であると同時に、当時の状況を伝える一次史料としても重要。
アレクサンドル・イェルサン フランスの細菌学者(1863〜1943年) 1894年、香港のペスト流行時にペスト菌を発見・分離した。菌の学名「Yersinia pestis」はその名にちなむ。14世紀の黒死病の原因がようやく科学的に特定された。
教皇クレメンス6世 ローマ教皇(在位1342〜1352年) ペスト流行中、アヴィニョンで医師の勧めにより常に焚き火をはさんで謁見し、自身は生き延びた。ユダヤ人迫害に反対する勅書を発布したが、各地の迫害は止まらなかった。
ワット・タイラー イングランドの農民一揆の指導者(?〜1381年) ペスト後の社会変動を背景とした農民一揆(1381年)を指導した。封建的な農奴制廃止を要求したが、反乱は鎮圧され処刑された。ペストが生んだ社会変動の象徴的人物。
ペスト(黒死病) ペスト菌(Yersinia pestis)が引き起こす感染症。ネズミなどの動物につくノミが媒介し、リンパ節の腫れ・高熱・皮膚の黒変などの症状を引き起こす。皮膚が黒ずむことから「黒死病(Black Death)」と呼ばれた。
検疫(quarantine) 感染症の拡大を防ぐために、感染の疑いがある人や船を一定期間隔離する措置。ペスト流行時にイタリアのラグーサで船を40日間停泊させたことが語源で、イタリア語の「40日(quarantina)」に由来する。
荘園制 中世ヨーロッパで領主(貴族・教会)が農奴を使って農地を経営した制度。農奴は土地に縛られ、領主に労働・貢納の義務を負った。ペストによる労働力不足がこの制度の崩壊を加速させた。
腺ペスト ペストの主な病型。ノミに刺されてペスト菌が体内に入り、リンパ節が大きく腫れ(横痃)、発熱・皮膚の黒変が起きる。黒死病の代表的な型で、14世紀の流行の中心もこの型とされる。
パクス・モンゴリカ 13〜14世紀、モンゴル帝国の支配下でユーラシア大陸が統一され、東西交易・人の往来が活発化した時代のこと。この交易ネットワークがペスト菌の西方への拡散を助けたとされる。
1 「くちばしマスク」の医師たちペスト流行時、医師たちは長いくちばし状のマスクを着けて患者のもとを訪れた。くちばしの中にハーブや香料を詰め、「悪い空気」を吸わないようにするためとされた。このコスチュームはヴェネツィアのカーニバルで現在も見られる。
2 『デカメロン』はペスト避難中の物語イタリアの作家ボッカッチョが著した『デカメロン』(1353年ごろ完成)は、ペストを避けてフィレンツェ郊外に逃れた男女10人が10日間にわたって語り合う短編集。冒頭にフィレンツェでのペストの惨状が生々しく描かれており、14世紀の記録文学としても貴重。
3 検疫の40日はキリスト教の数字ラグーサ(現ドゥブロヴニク)での40日間隔離という数字は、キリストが荒野で過ごした40日・モーセの40年の旅など、聖書における「試練の期間」を意識した数字とも言われる。現代の検疫(quarantine)という言葉はここから生まれた。
4 花輪を持ち歩いた子どもたちとマザーグース英語圏の童謡「Ring Around the Rosie(バラの輪の周りを)」はペストを歌ったものという説がある。「バラ色の輪(発疹)」「ポシー(花束=悪臭よけ)」「ハックション(くしゃみ)」「みんな倒れる」という歌詞がペストの症状に対応するというのだが、この説の根拠は弱く、民俗学者の間では否定的な見方も多い。
5 ペストは繰り返し再来した1347〜1351年の第一波のあと、ペストは14〜17世紀にかけてヨーロッパで繰り返し流行した。ロンドンでは1665年に「大ペスト」が起き、その翌年にロンドン大火が発生している。ペストが世界から実質的に根絶されたわけではなく、現在も年間数千件の感染が報告されている。
ここが出る 博士のワンポイント
年号は1347年。語呂は『いざ世な(いさよな)(1347)黒死病』。
ペストはジェノヴァの商船によってクリミア半島(黒海)からシチリアへ持ち込まれ、数年でヨーロッパ全土に拡大した。
当時のヨーロッパ人口の約3分の1が死亡したとされ、労働力の激減が農奴の地位向上と荘園制・封建制の崩壊を加速させた。
ペスト菌の媒介はネズミにつくノミであると後に判明したが、当時は原因不明で、ユダヤ人迫害や鞭打ち苦行など社会不安が広がった。
百年戦争(1337年〜)と同時期に起きた出来事であることを押さえておく。封建社会の動揺という観点から、農民一揆(ワット・タイラーの乱1381年・ジャックリーの乱1358年)とセットで問われることがある。
語呂クイズ
「いざ世な(いさよな)(1347)黒死病」= ヨーロッパでペスト(黒死病)が大流行するは西暦何年?
1337 1347 1368
Q. ペスト(黒死病)はなぜ「黒死病」と呼ばれるのですか? A. 感染すると皮膚が内出血によって黒ずむことがあったため、「黒死病」と呼ばれました。正式にはペスト菌(Yersinia pestis)が引き起こす感染症で、リンパ節の腫れ・高熱・皮膚の変色が主な症状です。
Q. ペストはどのようにしてヨーロッパに入ってきたのですか? A. 1347年、黒海北岸のクリミア半島(カッファ)からイタリア・シチリアに入港したジェノヴァの商船が持ち込んだとされています。中央アジアを起源とし、モンゴル帝国の広大な交易網を通じて西へ広まりました。
Q. ペストはヨーロッパ社会にどんな影響を与えましたか? A. 人口の約3分の1が死亡したことで労働力が激減し、農民・農奴の地位が向上しました。これが荘園制・封建社会の崩壊を加速させ、農民一揆の遠因ともなりました。また、教会が大量死を防げなかったことで宗教的権威も揺らぎました。
Q. 当時の人々はペストの原因を何だと思っていたのですか? A. 当時は「悪い空気(瘴気)」が原因と考えられていました。科学的な原因(ペスト菌とノミの媒介)が判明したのは1894年のことです。原因不明の恐怖から、ユダヤ人が毒を盛ったという噂が広まり、各地で迫害事件が起きました。
Q. 百年戦争とペストはどう関係していますか? A. 百年戦争(1337〜1453年)とペストの大流行はほぼ同時期に起き、どちらも14世紀ヨーロッパの社会・経済を大きく揺さぶりました。戦争と疫病の二重の打撃が封建社会の動揺を加速させ、中世から近世への移行期を特徴づける出来事となっています。
1347年のペスト大流行は、中世ヨーロッパの人口の約3分の1を奪い去り、社会・経済・宗教の構造を根底から変えた世界史上最大級の惨禍です。封建制の崩壊・農民の地位向上・検疫制度の誕生など、現代につながる変化の起点ともなりました。「いさよな(1347)ペストの大流行」の語呂とともに、この出来事がなぜ起き、何を変えたかを大きな視点でつかんでおきましょう。
編集メモ(ファクト) 死者数の推定は2500万〜5000万人と幅があり、「約3分の1」という表現は通説の中央値にもとづく。地域差が大きいため断定を避けた。 カッファでのペスト発生とジェノヴァ船の関係は有力な史料にもとづく通説だが、感染経路の詳細には諸説ある。 ワット・タイラーの乱(1381年)はペストの直接の結果ではなく、人頭税が直接の引き金。ペストが背景因子の一つであると注記した。 童謡「Ring Around the Rosie」のペスト起源説は根拠が弱いため、triviaでその旨を明記した。 related は指定された 1337-hundred-years-war・1453-fall-constantinople の2件のみ。