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1997
香港が中国に返還される
イギリス/中国
語呂
覚え方
行く悔な(いくくな)(1997)香港返還
いくくな(1997)香港返還
1997年7月1日深夜0時、香港の旗がユニオンジャックから中国・香港特別行政区の旗へと交代し、約150年にわたるイギリス統治に幕が下りました。その起源は1842年のアヘン戦争後の南京条約にあり、イギリスは香港島を獲得、その後九龍半島の割譲と新界の99年租借(1898年〜)によって香港全域を支配しました。返還にあたり中国は「一国二制度」を掲げ、2047年まで50年間、香港が資本主義経済・独自の法制度・高度な自治を維持できると保証しました。冷戦後の東アジアを象徴するこの出来事は、大英帝国の植民地時代の終わりと、台頭する中国の新時代の始まりを世界に印象づけました。
この記事のポイント
- 1997年7月1日深夜0時、香港がイギリスから中国に正式返還された
- 返還の背景には1842年の南京条約(香港島)・九龍半島割譲・1898年の新界99年租借があり、租借期限の到来が直接の契機
- 中国は「一国二制度」を採用し、返還後50年間(2047年まで)は香港の資本主義・独自の法制度・高度な自治を維持すると約束した
- 香港はアジア有数の国際金融センターであり、返還後も経済的な地位は維持された
- 1999年にはポルトガルからマカオも中国に返還され、ポルトガルの植民地時代も終わりを告げた
ここが面白い「50年間は今まで通りの生活を続けてよい」――そう約束されて、150年以上イギリスの支配下に置かれてきた香港が、1997年7月1日の真夜中、中国へと返還された。
香港の返還は突然の出来事ではなく、アヘン戦争から続く150年以上の歴史と、1980年代からの外交交渉の積み重ねの末に実現しました。その経緯を順に見ていきましょう。
アヘン戦争と香港島の獲得(1842年)
19世紀前半、イギリスはインド産のアヘンを中国に密輸して莫大な利益を得ていました。清(中国)がアヘン輸入を禁止して衝突が起きたのがアヘン戦争(1840〜1842年)です。清はイギリスに敗れ、1842年の南京条約で香港島をイギリスに割譲しました。これが香港をめぐるイギリスと中国の関係の原点となります。
九龍半島の割譲と新界の租借(1860〜1898年)
1856〜1860年のアロー戦争(第二次アヘン戦争)後、北京条約(1860年)で九龍半島南部もイギリスに割譲されました。さらに1898年、清とイギリスの間で九龍半島北部(新界)の99年間租借が結ばれ、期限は1997年6月30日とされました。この租借期限の到来が、後の返還交渉の出発点になります。
英中共同声明と「一国二制度」の合意(1984年)
1982年、イギリスのサッチャー首相が北京を訪問して中国の鄧小平と会談。交渉の末、1984年に英中共同声明が締結されました。この声明で中国は1997年7月1日の返還後も50年間(2047年まで)、香港に高度な自治・資本主義経済・独自の法制度を認める「一国二制度」の枠組みを約束しました。
国際金融センターとしての香港と返還後の位置づけ
香港は返還前から自由貿易港・国際金融センターとして発展しており、アジアを代表する経済都市でした。「一国二制度」は香港の経済的地位を維持するためにも重要な枠組みであり、返還後も香港ドルや独自の出入国管理などが維持されました。なお1999年にはポルトガルからマカオも中国に返還され、マカオ特別行政区が成立しています。
一国二制度
≒ 「同じ国でも、地域によってルールを変える」という特別な仕組み中国という一つの国の中で、香港だけは50年間、資本主義・独自の司法・高度な自治を維持できるという政策。1997年の返還の際に約束された枠組みで、2047年まで有効とされる。
新界の99年租借の満了
≒ 期限つきの土地貸し借りが歴史を動かした1898年に清がイギリスに99年間の期限つきで貸し出した新界の租借期限が1997年に到来したことが、返還交渉の直接の引き金となった。香港島・九龍半島は割譲(永久譲渡)だったが、新界なしでは香港として機能しないため、全体を返還する形になった。
大英帝国の植民地時代の終焉
≒ 歴史の転換点として世界が注目した香港返還は、19世紀から続くイギリスの帝国主義・植民地支配の終わりを象徴する出来事の一つ。翌1999年のマカオ返還とあわせて、東アジアにおける西洋列強の植民地時代が完全に幕を閉じた。
1842南京条約アヘン戦争の講和条約。清がイギリスに香港島を割譲。イギリスの香港支配が始まる。
1860北京条約アロー戦争(第二次アヘン戦争)の講和条約。九龍半島南部がイギリスに割譲される。
1898新界99年租借清がイギリスに九龍半島北部(新界)を99年間租借。期限は1997年6月30日。
1941日本軍による占領太平洋戦争中、日本軍が香港を占領(〜1945年)。終戦後イギリスが統治を再開。
1982サッチャー訪中イギリスのサッチャー首相が鄧小平と会談。香港の将来をめぐる英中交渉が本格化。
1984英中共同声明イギリスと中国が共同声明を締結。1997年に香港を返還し、「一国二制度」を50年間維持することに合意。
1997香港返還7月1日深夜0時、香港がイギリスから中国に正式返還。香港特別行政区が発足。
1999マカオ返還12月20日、ポルトガルからマカオが中国に返還され、マカオ特別行政区が発足。西洋列強の東アジア植民地が全て消滅。
2047「一国二制度」の期限1997年の返還時に約束された「一国二制度」の50年間の期限が到来する予定の年。
◎150年以上にわたるイギリス統治が終わり、中国への主権返還が実現した。「一国二制度」のもと、香港は国際金融センターとしての機能を維持し、独自の法制度・経済システム・出入国管理を引き続き持つこととなった。
△「一国二制度」は2047年までの50年間という期限つきの約束であり、返還後も政治的自由や自治の範囲をめぐって摩擦が生じてきた。香港市民の間では、本土との一体化が進むことへの不安や抵抗感も存在したことに注意が必要である。
クリス・パッテン
香港最後のイギリス総督(在任1992〜1997年)香港返還前最後の総督。返還式典でイギリス国旗を降ろした人物として知られる。民主化推進の姿勢が中国との摩擦を生んだ。
鄧小平(とう しょうへい)
中国の最高指導者(改革開放政策を推進)「一国二制度」を提唱した中国指導者。1984年の英中共同声明の実現に中心的な役割を果たした。返還と同じ1997年の2月、返還式典を待たずに死去した。
マーガレット・サッチャー
イギリス首相(在任1979〜1990年)1982年に北京を訪問し、鄧小平と香港の将来をめぐる交渉を開始した。1984年の英中共同声明締結時の首相。
江沢民(こう たくみん)
中国国家主席(在任1993〜2003年)1997年の香港返還式典に出席した中国の最高指導者。返還を「百年の屈辱の終わり」として祝辞を述べた。
- 一国二制度
- 「一つの国(中国)の中に、二つの制度(社会主義と資本主義)が共存する」という政策。香港(1997年〜)とマカオ(1999年〜)に適用され、各地域に高度な自治・独自の経済制度・法制度が認められた。
- 南京条約
- 1842年、アヘン戦争の講和条約。清がイギリスに香港島を割譲し、上海など5港を開港した。中国にとって近代の「不平等条約」の象徴的な条約の一つ。
- 英中共同声明
- 1984年にイギリスと中国が締結した外交文書。1997年の香港返還と、その後50年間の「一国二制度」維持を取り決めた。国連にも登録された国際的な条約。
- 香港特別行政区
- 1997年の返還後の香港の正式名称。「一国二制度」のもと、独自の行政・法律・経済制度を持つ中国の特別地域。略称はHKSAR(Hong Kong Special Administrative Region)。
- 租借(そしゃく)
- 一定期間、他国に土地の統治権を貸し出す国際法上の行為。香港の新界は1898年から99年間の租借でイギリスが支配した。割譲(永久譲渡)とは異なり、期限がある点が特徴。
1返還の瞬間は7月1日0時0分0秒
1997年6月30日深夜から7月1日にかけての式典で、ちょうど0時0分0秒に香港の旗が交代した。式典はコンベンションセンターで行われ、チャールズ皇太子(現・国王チャールズ3世)がイギリス側を代表して出席した。
2返還前に多くの香港市民が海外移住
返還が決まった1980年代後半から1990年代にかけて、将来への不安から多くの香港市民がカナダ・オーストラリア・イギリスなどへ移住した。この動きは「移民潮」と呼ばれ、香港の人口や経済に少なからぬ影響を与えた。
3鄧小平は返還を見ずに死去
「一国二制度」を提唱し、英中交渉の立役者となった鄧小平は、1997年2月に死去し、自らが主導した返還の瞬間を見届けることができなかった。返還式典では江沢民国家主席が中国を代表した。
4香港ドルは返還後も使用
返還後も香港では独自の通貨「香港ドル」が使われ続けており、中国本土の人民元とは別に流通している。米ドルへの固定相場制(ペッグ制)も維持されており、「一国二制度」の象徴の一つとなっている。
5マカオも1999年にポルトガルから返還
1999年12月20日、ポルトガルが約450年間統治してきたマカオが中国に返還された。マカオも「一国二制度」が適用され、マカオ特別行政区となった。これにより東アジアにおける西洋の植民地が全て消滅した。

ここが出る博士のワンポイント
年号は1997年。語呂は「行く悔な(いくくな)(1997)香港返還」。
返還の直接の契機は、1898年に始まった新界の99年租借の期限到来(1997年)。
「一国二制度」とは、返還後50年間(2047年まで)香港の資本主義経済・独自の法制度・高度な自治を維持する中国の政策。提唱者は鄧小平。
香港をめぐる条約の流れ:南京条約(1842年・香港島割譲)→北京条約(1860年・九龍半島割譲)→新界租借(1898年)→英中共同声明(1984年)→返還(1997年)。
1999年にはポルトガルからマカオも中国に返還され、「一国二制度」が適用された(マカオとセットで問われることが多い)。
語呂クイズ
「行く悔な(いくくな)(1997)香港返還」= 香港が中国に返還されるは西暦何年?
- Q. なぜ香港はイギリスのものになったのですか?
- A. 19世紀のアヘン戦争でイギリスが清(中国)に勝利し、1842年の南京条約で香港島を獲得したのが始まりです。その後、九龍半島の割譲(1860年)や新界の99年租借(1898年)によって、香港全域をイギリスが支配するようになりました。
- Q. 「一国二制度」とは何ですか?
- A. 中国という一つの国の中で、香港だけは50年間(1997〜2047年)、資本主義経済・独自の法制度・高度な自治を維持できるという特別な仕組みです。鄧小平が提唱し、1984年の英中共同声明で国際的に約束されました。
- Q. なぜ1997年に返還されたのですか?
- A. 1898年に清とイギリスの間で結ばれた新界の租借期限が99年で、1997年6月30日に満了したためです。新界なしでは香港全体を維持できないため、イギリスは香港全域を中国に返還することを選びました。
- Q. 香港は返還後も中国本土と同じルールになりましたか?
- A. いいえ。「一国二制度」のもと、返還後も香港は独自の通貨(香港ドル)・出入国管理・法制度(英国法に基づくコモン・ロー)・経済制度を維持しました。中国本土とは異なる仕組みが2047年まで続く約束です。
- Q. マカオの返還とは何ですか?
- A. 1999年12月20日、ポルトガルが約450年間統治してきたマカオが中国に返還されました。香港と同様に「一国二制度」が適用され、マカオ特別行政区となりました。これにより東アジアの西洋植民地が全て終わりを迎えました。
1997年7月1日、約150年にわたるイギリス統治を経て、香港は中国へと返還されました。その背景には南京条約以来の不平等条約の歴史があり、返還は「大英帝国の時代の終わり」と「台頭する中国の新時代の始まり」を同時に象徴する出来事でした。「一国二制度」という独自の枠組みのもと、香港は2047年まで独自の経済・法制度・自治を維持することが約束されています。「行く悔な(1997)香港返還」の語呂と、一国二制度・英中共同声明・鄧小平というキーワードをセットで押さえておきましょう。
編集メモ(ファクト)
「一国二制度」の期限は2047年。試験では「50年間」と「2047年まで」の両方の表現が使われる。
南京条約・北京条約・新界租借の三段階で香港領有が拡大した経緯は、入試で問われることが多い。
鄧小平は返還の年(1997年)に死去しており、式典には江沢民が出席した点を押さえる。
マカオ返還(1999年)とセットで出題されることがあるため、年号と国(ポルトガル)を確認しておく。
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