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高校/政治
1949

中華人民共和国が成立する

毛沢東
語呂
覚え方
行く獅子来(1949)中華人民共和国
いくしく(1949)ちゅうかじんみんきょうわこく

1949年10月1日、毛沢東率いる中国共産党が国共内戦に勝利し、北京(当時の北平)の天安門城楼から中華人民共和国の成立を宣言しました。これにより、1911年の辛亥革命で成立した中華民国政府(蒋介石率いる国民党)は台湾へ移り、中国大陸には社会主義国家が誕生しました。冷戦下で最大規模の人口を擁する新国家の出現は、東アジアの政治地図を根本から塗り替え、その後の台湾問題や朝鮮戦争にも直結する歴史的転換点となりました。

この記事のポイント

  • 1949年10月1日、毛沢東が北京・天安門城楼から中華人民共和国の成立を宣言
  • 日中戦争後の国共内戦で中国共産党が勝利し、国民党政府(中華民国)は台湾へ移った
  • 1911年成立の中華民国と1949年成立の中華人民共和国は、名称が異なる別の国家体制
  • 成立後はソ連と同盟(中ソ友好同盟相互援助条約)を結び、社会主義建設を推進
  • 台湾問題(中国と台湾の分断)の起点となり、現在も続く問題の原点となっている
ここが面白い

1949年10月1日、毛沢東は天安門で「中国人民は立ち上がった」と宣言した。しかし、その瞬間まで中国には「もうひとつの政府」が存在していた。

ここに至るまでの流れ
背景

中華人民共和国の成立は、突然起きた革命ではなく、20世紀前半の中国の激動の歴史の延長線上にあります。その背景を順を追って見ていきましょう。

辛亥革命と中華民国の成立(1911年)

1911年の辛亥革命によって清朝が倒れ、アジア初の共和国として中華民国が成立しました。しかし政治的混乱が続き、軍閥が各地を割拠する不安定な状況が長く続きました。1928年に蒋介石率いる国民党政府が中国の統一を宣言しましたが、地方支配は不完全なままでした。

中国共産党の結成と国共対立(1921〜)

1921年にコミンテルン(国際共産主義運動)の支援を受けて中国共産党が結成されました。当初は国民党と協力する第1次国共合作(1924〜1927年)が行われましたが、蒋介石が共産党員を大量粛清した上海クーデター(1927年)で関係は決裂。以降、両者は断続的に対立しました。

日中戦争と第2次国共合作(1937〜1945年)

1937年に日中戦争が全面化すると、共産党と国民党は抗日統一戦線(第2次国共合作)を形成しました。しかしこの期間も両陣営の対立は水面下で続き、共産党は農村地帯でゲリラ戦を展開しつつ農民層への支持拡大を図りました。日本の敗戦(1945年)後、両者の最終決戦が始まりました。

国共内戦の再燃と共産党の勝利(1946〜1949年)

1946年に国共内戦が全面化しました。初期は国民党軍が優勢でしたが、共産党は農民に土地を分配する政策(土地改革)を推し進め、広大な農村での支持を固めました。国民党政府の激しいインフレ・腐敗への不満も重なり、次第に戦局は共産党有利に傾き、1949年に大陸全土が共産党の支配下に入りました。

やったこと(≒ 現代でいうと)
何を

天安門での建国宣言

≒ 新政府の発足宣言式典

1949年10月1日、毛沢東が北京の天安門城楼に立ち、中華人民共和国の成立を宣言。「中国人民は立ち上がった(中国人民站起来了)」という言葉が有名。

国民党政府の台湾移転

≒ 対抗政府が別の島に移る

蒋介石率いる中華民国政府は台湾へ移り、中国大陸とは別の政治体制を維持した。これが現在の台湾問題の起点となっている。

社会主義体制の構築

≒ 国の仕組みをゼロから作り直す

土地改革・国有化・計画経済を推進し、ソ連モデルを参考にした社会主義国家建設が始まった。1950年には中ソ友好同盟相互援助条約をソ連と締結した。

前後のできごと
年表
1911
辛亥革命清朝が倒れ、アジア初の共和国・中華民国が成立。孫文(孫中山)が臨時大総統に就任。
1921
共産党結成中国共産党が上海で結成。のちに毛沢東が指導権を握っていく。
1937
日中戦争全面化盧溝橋事件を機に日中戦争が全面化。国共両党は抗日統一戦線を形成。
1945
日本敗戦太平洋戦争終結。日本の敗戦後、国共内戦が再燃する。
1946
国共内戦全面化国民党と共産党の全面的な内戦が始まる。初期は国民党軍が優勢。
1949
建国宣言10月1日、毛沢東が天安門城楼から中華人民共和国の成立を宣言。蒋介石の中華民国政府は台湾へ移る。
1950
中ソ同盟中ソ友好同盟相互援助条約をソ連と締結。同年、朝鮮戦争に義勇軍(中国人民志願軍)として参戦。
1953
第1次五カ年計画ソ連の援助を受けて重工業優先の経済建設を開始。
1958
大躍進運動急進的な農業・工業の大増産運動(大躍進)が始まる。政策の失敗と自然災害が重なり、大規模な食糧難が生じたとされる。
1966
文化大革命毛沢東が主導した政治・文化運動(文化大革命)が始まる。1976年の毛沢東死去まで続き、社会的混乱をもたらしたとされる。
結果とその後
結果
長期にわたる内戦・日中戦争の終結により、中国大陸は統一された政治体制のもとに置かれることとなった。
土地改革によって多くの農民が土地を得るなど、社会構造の大きな変化がもたらされた。
冷戦構造の中でアメリカとの対立が深まり、朝鮮戦争(1950〜1953年)への参戦など、東アジアの緊張を高める要因の一つとなった。
大躍進運動(1958〜1962年頃)では、急進的な農業・工業政策の失敗と自然災害が重なり、大規模な食糧難が生じたとされ、多くの犠牲者が出たと報告されている。
文化大革命(1966〜1976年)では、政治的な弾圧・文化・教育の破壊が起き、社会的混乱と多くの犠牲をもたらしたとされる。
登場人物
人物

毛沢東

中国共産党主席・中華人民共和国初代指導者

湖南省出身。中国共産党の最高指導者として国共内戦を指導し、建国を宣言した。大躍進・文化大革命など後の政策でも主導的役割を果たした。

蒋介石(しょうかいせき)

中華民国総統・国民党指導者

国民党を率いて日中戦争・国共内戦を戦ったが敗れ、1949年に中華民国政府を台湾に移した。台湾では「自由中国」の維持を掲げ長期政権を続けた。

周恩来

中華人民共和国初代国務院総理(首相)

毛沢東の盟友として建国を支え、外交・内政の実務を担った。1972年のニクソン訪中など米中和解にも貢献。

孫文(孫中山)

中華民国の国父・三民主義の提唱者

1911年の辛亥革命を主導し、中華民国の臨時大総統となった。1925年に死去したが、国民党・共産党双方から「国父」と尊ばれた。

スターリン

ソビエト連邦最高指導者

中国共産党の建国を支持し、1950年の中ソ友好同盟相互援助条約を締結。ソ連からの技術・資金援助が新国家建設を支えた。その後、中ソ関係は1960年代に対立(中ソ論争)へと転じる。

キーワード解説
用語
国共内戦
中国共産党(毛沢東)と中華民国・国民党(蒋介石)の間で戦われた内戦。1927年頃から断続的に続き、1946〜1949年に全面化した。共産党の勝利で中華人民共和国が成立した。
中華民国
1911年の辛亥革命で成立した共和国。国民党政府が統治したが、1949年に中国大陸の支配を失い、政府機能を台湾に移した。現在の台湾はこの体制を継承している。
土地改革
地主から土地を没収し農民に分配した政策。中国共産党が農村での支持を得る重要な手段となり、建国後も本格的に実施された。
三民主義
孫文が唱えた政治思想。民族・民権・民生の三つを柱とし、国民党の基本理念となった。共産党の社会主義とは異なる路線を示した。
中ソ論争
1950年代末から1960年代にかけて深まった中国とソ連の対立。イデオロギー・外交方針をめぐる対立が顕在化し、中ソ同盟は事実上崩壊した。
もっと知りたい
豆知識

1「1949年」は語呂合わせが鍵

「行く獅子来(いくしく)」という語呂で1949年を覚えるのが定番。「獅子(=共産党)が来た」というイメージで、中国大陸の政権交代を連想できる。

2天安門の毛沢東肖像画は現在も掲げられている

建国宣言が行われた北京・天安門城楼には、現在も毛沢東の巨大な肖像画が掲げられている。毛沢東をめぐる評価は中国国内でも複雑だが、建国の指導者として一定の位置づけが続いている。

3中華民国は現在も存続している

1949年に台湾へ移った中華民国は、現在も政府として機能している。「中国」の代表権をめぐる問題は長く続いたが、1971年に国連代表権は中華人民共和国に移った。

4アメリカは建国当初、中華人民共和国を承認しなかった

冷戦の文脈で、アメリカは長く中華民国(台湾)を「中国の正統政府」として承認し続けた。米中国交正常化は1979年まで実現しなかった。

5建国の年に朝鮮戦争の火種が生まれた

1949年の中華人民共和国成立は、翌1950年の朝鮮戦争勃発に連鎖した。中国は義勇軍として参戦し、朝鮮半島の分断固定化にも深く関わることとなった。

世界史の博士
ここが出る博士のワンポイント
建国年は1949年(10月1日)。語呂は「行く獅子来(1949)中華人民共和国」。
1911年成立の中華民国と1949年成立の中華人民共和国は別の国家体制であることを区別する。
国共内戦で勝利したのは共産党(毛沢東)、敗れた国民党(蒋介石)は台湾へ移った。
建国後はソ連と中ソ友好同盟相互援助条約(1950年)を結んだが、1960年代に中ソ論争で関係が悪化した点も頻出。
台湾問題(中国大陸と台湾の分断)の起点として、この出来事を位置づけておく。
語呂クイズ
「行く獅子来(1949)中華人民共和国」= 中華人民共和国が成立するは西暦何年?
よくある質問
FAQ
Q. 中華人民共和国と中華民国は何が違いますか?
A. 中華民国は1911年の辛亥革命で成立した国家で、国民党が統治していました。1949年の国共内戦敗北後、中華民国政府は台湾へ移りました。一方、中華人民共和国は1949年に中国共産党が中国大陸に建国した社会主義国家です。名称が似ていますが、成立年・体制・支配地域が異なる別の国家体制です。
Q. なぜ国民党は内戦に負けたのですか?
A. 複数の要因が重なっています。共産党が農民への土地分配(土地改革)で農村の支持を広げたこと、国民党政府の激しいインフレや腐敗への民衆の不満が積み重なったこと、共産党の軍事戦略の優位などが挙げられています。
Q. 台湾問題とはどういうことですか?
A. 1949年に中華民国政府が台湾へ移った後、中国大陸の中華人民共和国と台湾の中華民国は互いに「自分が正統なひとつの中国だ」と主張し、対立が続いてきました。この分断が現在の台湾問題の起点です。
Q. 中華人民共和国が成立したのはなぜ社会主義国家なのですか?
A. 中国共産党はマルクス・レーニン主義を基盤とする社会主義政党であり、コミンテルン(国際共産主義運動)の影響を受けて1921年に結成されました。共産党が内戦に勝利したため、成立した国家も社会主義体制となりました。
Q. 大躍進や文化大革命は建国とどう関係しますか?
A. どちらも建国後に毛沢東が主導した政策・運動です。大躍進(1958〜)は急速な工業化・農業増産を目指しましたが、政策の失敗と自然災害が重なり大規模な食糧難をもたらしたとされます。文化大革命(1966〜1976年)は社会主義の徹底を掲げた政治運動で、社会的混乱と多くの犠牲をもたらしたとされます。建国の理念と実際の政策の結果は、歴史的に複合的に評価されています。
Q. 中ソ関係はその後どうなりましたか?
A. 建国直後は中ソ友好同盟相互援助条約(1950年)を結ぶなど協力関係にありましたが、1950年代末から路線の違いをめぐる中ソ論争が表面化し、1960年代にはソ連が中国への技術援助を打ち切るなど事実上の対立関係となりました。
まとめ

1949年10月1日の中華人民共和国成立は、20世紀アジア史における最大規模の政治的変動の一つです。辛亥革命(1911年)で生まれた中華民国と、国共内戦の末に誕生した中華人民共和国は別の国家体制であることを明確に区別することが重要です。また、台湾問題という現在進行形の問題の起点でもあります。「行く獅子来(1949)中華人民共和国」の語呂とあわせて、国共内戦での共産党勝利・国民党の台湾移転・社会主義国家の成立という3点の流れを整理して押さえましょう。

編集メモ(ファクト)
大躍進・文化大革命の犠牲者数については、研究者・資料によって数値に大きな幅があるため、具体的な数字を記述せず「多くの犠牲者が出たとされる」「社会的混乱と多くの犠牲をもたらしたとされる」と表現した。
result・faqでは中立的な史実記述を心がけ、特定の政治的評価に肩入れしない表現をとった。
孫文は「孫中山(そんちゅうざん)」とも呼ばれるが、日本の教科書では「孫文」が一般的であるため両表記を併記した。
「中国人民站起来了(中国人民は立ち上がった)」という発言は建国宣言の場で述べられたとされる有名なフレーズだが、正確な文脈については複数の記録がある。