高校/経済
1957
ヨーロッパ経済共同体(EEC)が発足する
ロベール・シューマン/ジャン・モネ(欧州統合の父)
語呂
覚え方
行く午な(1957)EEC発足
いくごな(1957)EEC発足
1957年3月、イタリアのローマで歴史的な条約が調印されました。フランス・西ドイツ・イタリア・ベルギー・オランダ・ルクセンブルクの6か国が「ローマ条約」に署名し、翌1958年1月にヨーロッパ経済共同体(EEC)とヨーロッパ原子力共同体(EURATOM)が正式に発足したのです。二度の世界大戦で壊滅的な被害を受けたヨーロッパが、今度は経済的な統合によって平和と繁栄を追求しようとした試みでした。EECは加盟国間の関税を段階的に撤廃し、人・物・資本・サービスが自由に移動できる「共同市場」の建設をめざしました。この仕組みはやがて1967年のヨーロッパ共同体(EC)、さらに1993年のヨーロッパ連合(EU)へと発展し、現代ヨーロッパの政治・経済秩序の礎となっています。
この記事のポイント 1957年3月、ローマ条約が6か国(フランス・西ドイツ・イタリア・ベルギー・オランダ・ルクセンブルク)により調印 1958年1月にEECとEURATOMが発足。域内の関税撤廃と共同市場の実現をめざした 1952年発足のヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC)が土台となっており、一連の統合の流れの中に位置づけられる 1967年にECSC・EEC・EURATOMが統合してヨーロッパ共同体(EC)となり、1993年のマーストリヒト条約でEUへと発展 フランスのシューマン外相やモネらが統合構想を主導し、「欧州統合の父」と称される
ここが面白い 「二度と戦争を繰り返さない」――その誓いを形にするために、かつて敵として戦ったフランスと西ドイツが手を携え、ヨーロッパ統合という壮大な実験を始めたのが1957年のことだった。
EECの発足は突然起きたことではありません。二度の世界大戦という悲惨な経験と、戦後の冷戦という国際情勢を背景に、ヨーロッパ統合の機運が段階的に高まった結果です。その歩みを順に見ていきましょう。
二度の大戦とヨーロッパ統合の機運 第一次世界大戦(1914〜1918年)と第二次世界大戦(1939〜1945年)は、いずれもヨーロッパを主戦場とし、膨大な死者と国土の荒廃をもたらした。特にフランスと西ドイツ(ドイツ)は幾度も戦火を交えた宿命の隣国であり、この二国間の敵対関係を解消することが恒久平和の鍵と考えられた。こうした反省のもと、戦後のヨーロッパでは国境を越えた協力の仕組みを作ろうという動きが盛んになった。
ECSC(ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体)の発足 統合への具体的な一歩として、1950年にフランスのシューマン外相が「シューマン・プラン」を発表した。石炭と鉄鋼――当時の軍需産業の基幹資源――の生産を共同管理しようという構想で、これをもとに1951年にパリ条約が調印され、1952年にECSCが発足した。加盟国は後のEECと同じ6か国で、石炭・鉄鋼に関する関税や輸出入制限を廃止した。ECSCはEECの直接の「前身」として、統合の実験台となった。
ローマ条約の調印(1957年) ECSCの成功を受け、統合をより広範な経済分野に拡大しようという議論が進んだ。1955年のメッシーナ会議で加盟6か国が協議を開始し、2年後の1957年3月25日にイタリアのローマ(カンピドリオ広場)でEEC設立条約とEURATOM設立条約の2本が調印された。これが「ローマ条約」と総称される。1958年1月1日に両機関が正式に発足し、共同市場の建設が始まった。
EECの仕組みと共同市場 EECの目的は加盟国間での関税の段階的撤廃と、対外共通関税の設定による共同市場の実現にあった。人・物・サービス・資本の移動の自由(四つの自由)を保障し、農業共同政策(CAP)や競争政策など共通ルールを設けることで、加盟国の経済を一体として機能させる仕組みを整えた。域内の関税は1968年までにほぼ完全に撤廃された。
域内関税の撤廃と共同市場の実現 ≒ EU域内でモノが自由に行き来できる仕組みの原型 加盟6か国間の輸入関税を段階的に廃止し、対外的には共通関税を設定した。これによりヨーロッパ全体が一つの巨大な市場として機能するようになった。
EURATOM(ヨーロッパ原子力共同体)の同時発足 ≒ 核エネルギーの平和利用を共同管理する仕組み EECと同日の調印・発足。原子力エネルギーの研究・開発・普及を加盟国が共同で行い、核技術が軍事転用されないよう監視する機能も担った。
EC・EUへの発展の礎 ≒ 現在のEU(27か国・人口約4.5億人)の出発点 EECは1967年にECSC・EURATOMと統合してEC(ヨーロッパ共同体)となり、1993年のマーストリヒト条約でEUに移行。単なる経済統合から政治・安全保障・共通通貨(ユーロ)を含む多面的な統合へと深化した。
1945 第二次世界大戦終結 ヨーロッパ全土が荒廃。戦争の再発防止と復興をめざし、国際協力の機運が高まる。
1948 マーシャル・プラン開始 アメリカが西ヨーロッパ諸国への大規模経済援助を開始。受け入れの条件として各国の経済協力が求められ、統合を後押しした。
1950 シューマン宣言 フランス外相ロベール・シューマンが石炭・鉄鋼の共同管理を提案(シューマン・プラン)。ジャン・モネが立案に深く関与した。
1951 パリ条約調印 フランス・西ドイツ・イタリア・ベルギー・オランダ・ルクセンブルクの6か国がECSC設立条約(パリ条約)に調印。
1952 ECSC発足 ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体が正式に発足。石炭・鉄鋼の共同管理が始まる。EECの直接の前身。
1955 メッシーナ会議 6か国外相がイタリアのメッシーナで会議を開き、経済統合の範囲をより広げる交渉を開始することで合意。
1957 ローマ条約調印 3月25日、ローマのカンピドリオ広場でEEC・EURATOM設立条約(ローマ条約)が6か国により調印される。
1958 EEC・EURATOM発足 1月1日、EECとEURATOMが正式に発足。共同市場の建設に向けた関税撤廃が段階的に開始される。
1967 EC(ヨーロッパ共同体)発足 ECSC・EEC・EURATOMの三機関が統合されてEC(ヨーロッパ共同体)となる。
1973 第一次拡大 イギリス・デンマーク・アイルランドが加盟し、EC加盟国は9か国に拡大。
1993 EU発足 マーストリヒト条約が発効し、ECからEU(ヨーロッパ連合)へ移行。共通通貨ユーロや共通外交・安全保障政策が盛り込まれた。
◎ 域内関税の撤廃と共同市場の形成により加盟国の経済成長が加速し、戦後ヨーロッパの「奇跡の復興」を下支えした。国家間の経済的相互依存が深まったことで、大規模な戦争の再発を抑止する構造が生まれた。
△ EECは当初から加盟に消極的な国もあり、イギリスは1957年の設立に加わらず独自の貿易圏(EFTA)を組織した。また農業共同政策(CAP)では域内農家への補助金が加盟国間で利害対立を生み、運営の複雑さも課題となった。さらにEUに発展した後も、ユーロ危機(2010年代)やイギリス離脱(ブレグジット、2020年)など統合の難しさを示す事例が続いた。
ロベール・シューマン フランス外相(1948〜1952年) 1950年5月9日に「シューマン宣言」を発表し、石炭・鉄鋼の共同管理を提唱。ヨーロッパ統合の最初の具体的一歩を切り開いた。「欧州統合の父」の一人とされ、5月9日は「ヨーロッパの日」として記念されている。
ジャン・モネ フランスの経済官僚・欧州統合の理論的指導者 シューマン・プランの実質的な起草者。ECSC初代高等機関議長を務め、一貫して超国家的統合を主導した。「欧州統合の父」の筆頭として世界的に評価される。
コンラート・アデナウアー 西ドイツ首相(1949〜1963年) かつての敵国フランスとの和解を最優先に掲げ、ECSCへの参加を決断。ド・ゴールとの仏独枢軸(エリゼ条約)形成にも尽力し、ヨーロッパ統合の基盤を政治的に固めた。
アルチーデ・デ・ガスペリ イタリア首相(1945〜1953年) イタリアを西側民主主義陣営に定着させ、ECSCへの参加を推進した。シューマン・アデナウアーとともに「欧州統合の三父」に数えられることもある。
ローマ条約 1957年3月25日にローマで調印されたEEC設立条約とEURATOM設立条約の総称。翌1958年に両機関が発足した。後にEC・EUの基本条約として改正・更新されてきた。
EEC(ヨーロッパ経済共同体) European Economic Communityの略。1958年発足。加盟6か国間の関税撤廃と共同市場の実現を目的とした経済統合機関。1967年にEC(ヨーロッパ共同体)へ統合された。
ECSC(ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体) European Coal and Steel Communityの略。1952年発足。石炭と鉄鋼の共同管理を目的とした機関で、EECの前身。2002年に設立条約の期限(50年)が満了し、EUに吸収されて消滅した。
共同市場 加盟国間で人・物・サービス・資本が自由に移動できる経済圏のこと。EECが目指した最大の目標であり、域内関税の廃止と対外共通関税の設定により実現した。
農業共同政策(CAP) Common Agricultural Policyの略。EECが導入した共通農業政策で、加盟国の農家に補助金を出して食料の安定供給と農業従事者の収入を保障する仕組み。EU予算の大きな割合を占め、域内外で利害対立を生んできた。
マーストリヒト条約 1992年調印・1993年発効。ECをEU(ヨーロッパ連合)に発展させた条約。共通通貨ユーロ、共通外交・安全保障政策、市民権(EU市民権)などを新たに盛り込んだ。
1 調印の場所「カンピドリオ」はローマ帝国の聖地ローマ条約が調印されたカンピドリオ広場は、古代ローマ時代にユピテル神殿があったローマ七丘のひとつ。かつての「世界の支配者」ローマ帝国の象徴的な地で、新しいヨーロッパの秩序が誕生したという歴史的皮肉は多くの論者に指摘されている。
2 5月9日が「ヨーロッパの日」になった理由1950年5月9日にシューマンが「シューマン宣言」を発表した日を記念し、EUは毎年5月9日を「ヨーロッパの日」と定めている。EECが発足した1月1日でも、ローマ条約調印の3月25日でもなく、統合の理念を最初に公表したこの日が選ばれた。
3 イギリスは当初参加を拒否したイギリスはメッシーナ会議から途中で離脱し、EECへの参加を見送った。その後、独自にEFTA(ヨーロッパ自由貿易連合)を結成したが、1973年に方針を転換してECに加盟した。そして2020年にはEUを離脱(ブレグジット)するなど、イギリスとヨーロッパ統合の関係は一貫して複雑だった。
4 EECの域内関税は予定より早く撤廃されたローマ条約では12〜15年かけて段階的に関税を撤廃する予定だったが、加盟国の経済成長が予想を上回ったため交渉が進み、予定より1年半早い1968年7月に域内関税はほぼ完全に撤廃された。
5 モネは「欧州合衆国」を夢見ていたジャン・モネはヨーロッパ統合の最終目標として「欧州合衆国」のような連邦国家を構想していたとされる。実際の統合はより緩やかな政府間協調の形をとることが多かったが、モネの連邦主義的ビジョンは統合推進派の理想として今も参照される。
ここが出る 博士のワンポイント
年号は1957年(ローマ条約調印)・1958年(EEC発足)。語呂は「行く午な(1957)EEC発足」。
加盟6か国はフランス・西ドイツ・イタリア・ベルギー・オランダ・ルクセンブルク(ベネルクス3国を含む)。
EECの前身はECSC(ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体、1952年発足)。1952→1957(1958)→1967→1993という統合の流れを押さえる。
1967年にECSC・EEC・EURATOMが統合してEC(ヨーロッパ共同体)に、1993年のマーストリヒト条約でEU(ヨーロッパ連合)に発展。
統合を主導した人物:シューマン(フランス外相・シューマン宣言)、モネ(起草者・ECSC高等機関議長)。「欧州統合の父」として問われることがある。
EECの目的は域内関税の撤廃と共同市場の実現(四つの自由:人・物・サービス・資本の移動の自由)。
語呂クイズ
「行く午な(1957)EEC発足」= ヨーロッパ経済共同体(EEC)が発足するは西暦何年?
1956 1957 1959
Q. EECとEUはどう違うのですか? A. EECは1958年に発足した経済統合機関で、加盟国間の関税撤廃と共同市場の建設が主な目的でした。その後1967年にEC(ヨーロッパ共同体)、1993年にEU(ヨーロッパ連合)へと発展し、経済統合にとどまらず政治・安全保障・共通通貨(ユーロ)まで含む多面的な統合体になりました。EECはEUの出発点と言えます。
Q. なぜ1952年のECSCではなく1957年のEECが重要とされるのですか? A. ECSCは石炭と鉄鋼という特定産業に限った統合でしたが、EECは経済全体を対象とする共同市場を目指した点で統合の規模と意義がはるかに大きく、現在のEUに直接つながる仕組みを作りました。また6か国すべてが参加するという構図もECSCと同じであり、EECが統合の本格的な出発点と位置づけられています。
Q. なぜフランスと西ドイツが手を組めたのですか? A. 二度の大戦での被害の記憶から、両国とも戦争の根を断ちたいという共通の動機がありました。フランスは西ドイツを封じ込める代わりに統合の枠組みに取り込もうとし、西ドイツは国際社会への復帰と信頼回復のためにECSC・EECへの参加を積極的に選びました。共通の利害が和解を可能にしました。
Q. イギリスはなぜ最初からEECに参加しなかったのですか? A. イギリスはコモンウェルス(旧英連邦)との特別な経済関係を優先し、大陸ヨーロッパとの深い統合には否定的でした。また主権を超国家機関に委ねることへの抵抗感も強く、EECへの参加を見送りました。その後1973年にEC加盟、2020年にEUを離脱(ブレグジット)するなど、イギリスのヨーロッパとの関係は複雑な変遷をたどりました。
Q. EECはどのように拡大していったのですか? A. 発足時の6か国から、1973年にイギリス・デンマーク・アイルランドが加盟して9か国に拡大(第一次拡大)。その後ギリシャ(1981年)、スペイン・ポルトガル(1986年)が加わりました。EUとなってからも拡大は続き、2024年時点で27か国が加盟しています。
EECの発足は、二度の世界大戦で傷ついたヨーロッパが「戦争ではなく経済統合で平和をつくる」という新しい選択をした歴史的瞬間です。1952年のECSCで石炭・鉄鋼という軍需の基幹を共同管理し、1957年のローマ条約でより広い経済統合へと踏み出し、1993年にはEUという政治・経済・通貨の統合体へと発展しました。「行く午な(1957)EEC発足」の語呂とともに、1952年のECSC発足→1957年ローマ条約調印・1958年EEC発足→1967年EC→1993年EU、という一連の統合の流れを整理して押さえておきましょう。
編集メモ(ファクト) ローマ条約の調印日は1957年3月25日が通説であり、史料でも確認される。 EECの発足日(効力発生日)は1958年1月1日であり、調印(1957年)と発足(1958年)の年が異なる点に注意。試験では「ローマ条約調印=1957年」「EEC発足=1958年」と区別して問われることがある。 「欧州統合の父」という称号はシューマン・モネ・アデナウアー・デ・ガスペリなど複数の人物に用いられ、確定的な一人に絞るものではない。 EURATOM(ヨーロッパ原子力共同体)はEECと同日に調印・発足したが、高校世界史ではEECが主に扱われ、EURATOMは補足的に触れる程度が多い。 related IDは世界史サイト内の実在IDとして 1993-european-union・1955-warsaw-pact を記載。存在しない場合は削除すること。