語呂で覚える世界史年号語呂合わせ・世界史暗記
一覧 / 二つの世界大戦 / ナチスが政権をとる
ナチスが政権をとるのイラスト
高校/政治
1933

ナチスが政権をとる

アドルフ・ヒトラー
語呂
覚え方
行くささ(1933)ナチス政権
いくささ(1933)ナチスせいけん

1933年1月30日、アドルフ・ヒトラーがドイツ首相に任命されました。これをきっかけに、ナチ党(国民社会主義ドイツ労働者党)はわずか数か月で立法権・行政権を掌握し、一党独裁体制を確立しました。同年3月に成立した全権委任法は、議会を通さずに政府が法律を制定できる権限をヒトラーに与えました。世界恐慌による大量失業と社会不安、ヴェルサイユ条約への民族的不満を背景に、ナチスは選挙で第一党に躍進していました。この政権掌握は民主的な手続きの中から独裁が生まれた歴史的事例として、今も広く研究されています。政権掌握後は反ユダヤ主義の迫害、再軍備、対外膨張政策が進み、第二次世界大戦とホロコーストへとつながりました。

この記事のポイント

  • 1933年1月30日、ヒンデンブルク大統領がヒトラーを首相に任命
  • 同年3月の全権委任法で、議会を通さずに政府が法律を制定できる権限を獲得
  • 世界恐慌による大量失業・社会不安・ヴェルサイユ条約への不満が台頭の背景
  • 民主主義の選挙制度を通じてナチスが第一党となり、合法的に独裁体制を樹立した
  • 政権掌握後は反ユダヤ主義の迫害が組織化され、のちのホロコーストへとつながった
ここが面白い

ナチスは選挙で票を集めて政権の座を得た。民主主義の仕組みの中から、独裁が生まれた瞬間だった。

ここに至るまでの流れ
背景

ヒトラーと国民社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)が政権を握るまでには、いくつかの複合的な背景があります。

ヴェルサイユ条約と民族的不満

第一次世界大戦の敗戦国となったドイツは、1919年のヴェルサイユ条約で広大な領土の割譲・多額の賠償金・軍備制限を課せられました。この条約はドイツ国民の多くに屈辱感と不満をもたらし、「敗戦の責任をドイツ政府が一方的に認めさせられた(戦争罪悪条項)」として批判が集中しました。ナチスはこうした不満を政治的に利用し、条約の破棄と民族的名誉の回復を訴えました。

世界恐慌とワイマール共和国の弱体化

1929年にアメリカで始まった世界恐慌はドイツ経済を直撃し、1932年には失業者が600万人を超えました。ワイマール共和国は比例代表制を採用していたため小政党が乱立し、安定した連立政権を形成できない状態が続きました。内閣が短期間に何度も交代する政治的混乱の中、社会秩序の回復を訴えるナチスへの期待が高まりました。

ナチスの選挙での台頭

ナチ党は1928年の総選挙では得票率2.6%に過ぎませんでしたが、世界恐慌後の1930年には18.3%、1932年7月には37.4%と急伸し、議会第一党の地位を得ました。大規模な街頭演説・プロパガンダ(ラジオ・ポスター・映画の活用)・突撃隊(SA)による示威活動などにより、幅広い層に支持を広げました。

ヒンデンブルクによる首相任命

保守派の一部はナチスを自分たちの目的に利用できると考え、ヒトラーを首相に据えることで政局を安定させる計算をしました。1933年1月30日、パウル・フォン・ヒンデンブルク大統領がヒトラーを首相に任命しました。当初の内閣はナチス以外の閣僚も多く、保守派はナチスをコントロールできると思っていましたが、その予測はすぐに外れることになりました。

やったこと(≒ 現代でいうと)
何を

ヒトラーの首相就任

≒ 選挙で第一党になった党首が国のトップに就いた

1933年1月30日、ヒンデンブルク大統領がヒトラーを首相に任命。これにより議会第一党のナチス党首が行政の最高責任者となった。

国会議事堂放火事件と緊急令

≒ 非常事態を口実に市民の基本的権利を停止した

1933年2月27日に国会議事堂が放火された。ナチスはこれを共産主義者の陰謀と主張し、翌日「国民と国家を守るための緊急令」を発令。集会・出版・通信の自由など基本的人権を停止し、政治的反対派の逮捕を可能にした。

全権委任法の成立

≒ 「議会を通さず政府が法律を作れるようにした法律」を可決した

1933年3月23日、全権委任法(授権法)が可決された。内容は「政府(ヒトラー)が憲法によらずに法律を制定できる」というもの。社会民主党が反対票を投じた以外は賛成多数で成立し、議会の立法権は実質的に形骸化した。

一党独裁体制の確立

≒ 他の政党をすべて解散・禁止にして、競争相手をなくした

1933年7月には他のすべての政党が解散または禁止され、ナチ党だけが合法的に存在できる唯一の政党となった。労働組合も解体され、ナチス系の組織に置き換えられた。

前後のできごと
年表
1919
ヴェルサイユ条約第一次世界大戦後の講和条約。ドイツに多額の賠償金・領土割譲・軍備制限を課し、民族的不満の源となった。
1929
世界恐慌アメリカ発の世界恐慌がドイツを直撃。失業者が激増し社会不安が高まる中、ナチスへの支持が急拡大した。
1932
ナチス第一党へ7月の総選挙でナチ党が得票率37.4%を得て議会第一党となる。同年11月選挙では33.1%に低下したが依然最大党。
1933
首相就任(1月30日)ヒンデンブルク大統領がヒトラーを首相に任命。政権掌握の出発点。
1933
国会議事堂放火(2月27日)国会議事堂が放火され、翌日に緊急令を発令。基本的人権の停止と反対派逮捕が可能になった。
1933
全権委任法(3月23日)政府が憲法によらず法律を制定できる全権委任法が成立。議会の立法権が形骸化した。
1933
一党独裁確立(7月)すべての政党が解散・禁止となり、ナチ党のみが合法政党として残った。
1934
総統就任ヒンデンブルク大統領の死去後、ヒトラーが大統領職も兼任し「総統(フューラー)」として独裁権力を確立した。
1935
ニュルンベルク法ユダヤ人の市民権を剥奪する法律が制定され、組織的な反ユダヤ主義迫害が法制化された。
1939
第二次世界大戦勃発ドイツのポーランド侵攻により第二次世界大戦が始まった。ナチスの対外膨張政策の帰結。
結果とその後
結果
全権委任法の成立により議会制民主主義が機能を失い、三権分立が崩壊した。政治的反対派・共産主義者・社会民主主義者が逮捕・収容所送りとなった。
反ユダヤ主義政策が組織化され、ユダヤ人は公職追放・財産没収・市民権剥奪と迫害がエスカレートし、1941年以降はホロコースト(ユダヤ人の組織的大量虐殺)に至った。
再軍備と対外膨張政策が進み、ラインラント進駐(1936年)・オーストリア併合(1938年)・ポーランド侵攻(1939年)へと続き、第二次世界大戦を引き起こした。
歴史的教訓として、民主主義の制度的手続きの中から独裁が生まれ得ることが示され、現代の民主主義国家における権力分立・基本的人権の保障・多数派による少数派の権利侵害への歯止めの重要性について広く議論される契機となった。
登場人物
人物

アドルフ・ヒトラー

ナチ党党首・ドイツ首相(後に総統)

オーストリア生まれ。1933年1月に首相就任、全権委任法により独裁体制を確立。1945年のドイツ敗戦直前に自殺した。

パウル・フォン・ヒンデンブルク

ドイツ大統領

第一次世界大戦の英雄的将軍。1932年の大統領選でヒトラーを破ったが、1933年1月にヒトラーを首相に任命した。1934年に死去し、その後ヒトラーが総統に就任した。

ヨーゼフ・ゲッベルス

ナチス宣伝相

ラジオ・映画・ポスターを駆使したプロパガンダでナチスの台頭を支えた。大規模な世論操作を担い、ナチスのイデオロギー普及に中心的役割を果たした。

ヘルマン・ゲーリング

ナチス幹部・プロイセン州内相

政権掌握後に秘密警察ゲシュタポの創設に関与し、反対派弾圧を推し進めた。後にドイツ空軍最高司令官を務めた。

エルンスト・テールマン

ドイツ共産党(KPD)党首

国会議事堂放火事件後に逮捕・拘禁され、強制収容所に11年間収容された後、1944年に処刑された。ナチス弾圧の象徴的人物の一人。

キーワード解説
用語
ナチ党(国民社会主義ドイツ労働者党)
Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei(NSDAP)の略称ナチス(Nazis)。民族主義・反ユダヤ主義・反共主義を掲げた政党。1933年に一党独裁を確立した。
全権委任法(授権法)
1933年3月23日に成立した法律。「議会を通さずに政府が法律を制定できる」権限をヒトラー政府に与えた。憲法改正に相当する内容だったため、3分の2以上の賛成が必要だったが、野党議員が逮捕・脅迫される状況下で可決された。
ワイマール共和国
1919年から1933年まで続いたドイツの共和制。世界史上初の普通選挙・比例代表制を採用した民主主義体制だったが、経済危機と政治的不安定により崩壊し、ナチス政権に取って代わられた。
ヴェルサイユ条約
1919年に締結された第一次世界大戦の講和条約。ドイツに戦争責任(戦争罪悪条項)を認めさせ、多額の賠償金・領土割譲・軍備制限を課した。この条約への不満がドイツ国内でナチスの台頭を後押しした。
突撃隊(SA)
ナチ党の準軍事組織。街頭でのデモや政治集会の警備・反対派への暴力行為を担い、ナチスの政治的台頭を物理的に支えた。1934年の「長いナイフの夜」でその指導部が粛清された。
プロパガンダ
特定の政治的目的のために大衆の思想・感情を操作する情報宣伝活動。ナチスはラジオ・映画・大規模集会・ポスター・新聞などをフル活用し、支持者を拡大した。
もっと知りたい
豆知識

1全権委任法に反対票を投じたのは社会民主党だけだった

1933年3月23日、全権委任法の採決では444票が賛成、94票が反対だった。反対票を投じたのは社会民主党(SPD)のみで、共産党議員はすでに逮捕・追放されており投票できなかった。議長のオットー・ヴェルスは「自由と生命は奪えても、名誉は奪えない」と演説し反対を表明したが、法案は可決された。

2ヒトラーはもともとオーストリア人で、ドイツ国籍を取得したのは政権掌握直前だった

ヒトラーはオーストリア生まれで長年無国籍に近い状態だったが、1932年に地方公務員への任命という形でドイツ国籍を急遽取得した。これにより大統領選挙への出馬が可能になった。

3ナチス最盛期の得票率は3分の1強にとどまった

1932年7月の総選挙でのナチスの得票率は37.4%が最高で、単独過半数を取ったことは一度もなかった。同年11月選挙では33.1%に下落している。それでも第一党として首相の座を得たこと、そして全権委任法により議会制民主主義を内側から崩壊させた点が歴史的に注目される。

4国会議事堂放火の真犯人は今も議論がある

1933年2月27日の国会議事堂放火事件では、オランダ人共産主義者のマリヌス・ファン・デア・ルッベが現行犯逮捕され処刑された。しかし単独犯か、ナチスの自作自演か、あるいは別の関与があったかについては歴史家の間で議論が続いており、現在も完全には解明されていない。

5ドイツ各地の焚書(本の焼却)は大学生が主導した

1933年5月、ドイツ各地の大学でナチス系学生組織が主導する焚書が行われた。マルクス・ハイネ・フロイトなど「非ドイツ的」とされた著者の書籍が公開焼却された。詩人ハインリヒ・ハイネは100年以上前に「本を焼く者はやがて人間を焼く」と書いており、この言葉は現在、焚書が行われたベルリンの広場(現ベーベル広場)の記念碑に刻まれ、皮肉にも歴史を象徴する言葉として知られている。

世界史の博士
ここが出る博士のワンポイント
年号は1933年。語呂は「行くささ(1933)ナチス政権」。
政権掌握の流れは「首相就任(1月)→緊急令(2月)→全権委任法(3月)→一党独裁(7月)」の順を押さえる。
全権委任法は「議会を通さず政府が法律を制定できる法律」。議会の立法権を政府に移した点が重要。
背景として世界恐慌(1929年)・ヴェルサイユ条約への不満・ワイマール共和国の弱体の3点を覚える。
ナチスは選挙で票を集めた上で独裁体制を樹立した点(民主主義の手続きを経た独裁)が頻出論点。
ナチスの台頭はホロコースト・第二次世界大戦への直接的な前提となった事実を押さえる。
語呂クイズ
「行くささ(1933)ナチス政権」= ナチスが政権をとるは西暦何年?
よくある質問
FAQ
Q. ナチスはどうして選挙で勝てたのですか?
A. 世界恐慌による大量失業と社会不安、ヴェルサイユ条約への民族的不満、ワイマール共和国の政治的混乱という背景の中で、社会秩序の回復・経済再建・民族的誇りの奪還を訴えたナチスへの期待が高まりました。また、ラジオや映画などを駆使した大規模なプロパガンダと、突撃隊による示威活動が支持拡大を後押ししました。
Q. 全権委任法とはどんな法律ですか?
A. 「議会を通さずに政府が法律を制定できる」権限をヒトラー政府に与えた法律です。通常の法律より重い議会の3分の2以上の賛成が必要でしたが、共産党議員がすでに逮捕・追放されており、多くの議員が脅迫的状況に置かれる中で可決されました。この法律により議会の立法権が実質的に形骸化しました。
Q. ナチスの政権掌握はなぜ問題だったのですか?
A. 民主主義的な手続きを通じて権力を握ったナチスが、その後に基本的人権の停止・政治的反対派の弾圧・一党独裁体制の確立を行いました。反ユダヤ主義の迫害は組織化されてホロコーストに至り、再軍備・対外膨張が第二次世界大戦を引き起こしました。民主主義の制度が独裁を生み出した歴史的事例として記憶されています。
Q. ヒトラーはどのようにして権力をさらに強めましたか?
A. 首相就任後、緊急令(2月)・全権委任法(3月)・他政党の解散禁止(7月)と段階的に権力を集中させ、1934年に大統領ヒンデンブルクが死去すると大統領職も兼任して「総統(フューラー)」として絶対的権力を確立しました。
Q. ワイマール共和国とはなんですか?
A. 1919年から1933年まで続いたドイツの共和制政府です。普通選挙や比例代表制を採用した民主主義体制でしたが、世界恐慌による経済崩壊と政治的不安定に対応できず崩壊し、ナチス政権に取って代わられました。
Q. ナチスの政権掌握とホロコーストはどう関係しますか?
A. 政権掌握後、ナチスは反ユダヤ主義政策を段階的に強化しました。1935年のニュルンベルク法でユダヤ人の市民権を剥奪し、1938年のクリスタルナハト(水晶の夜)でユダヤ人への組織的暴力が公然と行われ、1941年以降には絶滅収容所での組織的大量虐殺(ホロコースト)へとエスカレートしました。
まとめ

1933年のナチスの政権掌握は、民主的な選挙制度と議会手続きの中から独裁が生まれた歴史的な事例です。世界恐慌による経済的混乱・ヴェルサイユ条約への不満・ワイマール共和国の政治的弱体という背景の下、ナチスは合法的に政権を手に入れ、全権委任法によって立法権を掌握し、一党独裁体制を確立しました。この政権掌握は反ユダヤ主義の組織的迫害・ホロコースト・第二次世界大戦への直接的な前提となりました。「行くささ(1933)ナチス政権」の語呂と合わせて、「首相就任(1月)→全権委任法(3月)→一党独裁(7月)」という流れ、背景としての世界恐慌とヴェルサイユ条約、全権委任法の内容(議会を通さず政府が法律を制定できる)をしっかり押さえましょう。

編集メモ(ファクト)
全権委任法の可決に関して、反対票を投じたのは社会民主党のみという史実を明記した。共産党は議員がすでに逮捕・追放されており採決に参加できなかった。
国会議事堂放火事件の真犯人については歴史的に議論があるため、断定を避け「議論が続いている」と記述した。
ホロコーストへの言及はナチス政権掌握の帰結として史実として中立的に記述し、断定的な価値評価は避けた。
resultの「歴史的教訓」項目は現代への示唆として中立的に記述し、断定的表現を避けた。