中学/政治
1920
国際連盟が発足する
アメリカ大統領ウィルソン(提唱)
語呂
覚え方
行く庭(いくにわ)(1920)国際連盟
いくにわ(1920)国際連盟
1920年、第一次世界大戦の大きな反省から、世界平和を守るための初の本格的な国際機構として国際連盟が発足しました。アメリカ大統領ウィルソンが「十四か条の平和原則」の中で提唱したこの構想は、ヴェルサイユ条約(1919年)に盛り込まれて実現しました。本部はスイスのジュネーヴに置かれ、日本・イギリス・フランス・イタリアが常任理事国となりました。しかし、提唱国のアメリカは議会(上院)の反対で加盟できず、当初はドイツやソヴィエト・ロシアも排除されました。議決が全会一致制をとり、軍事的制裁手段を持たないなどの制度的弱点から、後の日本・イタリア・ドイツによる侵略を止めることができず、第二次世界大戦の勃発を防げなかった。国際連盟はその理念の先進性と運営上の限界という二面性をもった組織として歴史に刻まれています。
この記事のポイント
- 1920年、第一次世界大戦の反省から世界平和を守る初の国際機構・国際連盟が発足
- アメリカ大統領ウィルソンが「十四か条の平和原則」で提唱し、ヴェルサイユ条約に基づき設立
- 本部はスイスのジュネーヴ。常任理事国は日本・イギリス・フランス・イタリアの4か国
- 提唱国アメリカは上院の反対により不加盟。ドイツ・ソヴィエト・ロシアも当初排除された
- 全会一致制・軍事制裁手段の欠如などの弱点により、侵略を抑止できず第二次世界大戦を防げなかった
ここが面白い「もう二度と世界大戦を起こしてはならない」――第一次世界大戦の惨禍を受けて、人類が初めて本格的な国際平和機構をつくりあげたのが1920年のことだった。
国際連盟は突然生まれた組織ではありません。第一次世界大戦という未曾有の惨禍と、戦後講和の場であったパリ講和会議での激論という積み重ねの末に誕生しました。その背景を順に確認していきましょう。
第一次世界大戦と総力戦の衝撃
1914年に始まった第一次世界大戦は、機関銃・毒ガス・戦車・飛行機など新兵器が登場した近代総力戦となった。塹壕戦が続いたヨーロッパ西部戦線では何百万という兵士が泥の中で命を失い、民間人への被害も甚大だった。戦争の惨禍は、二度と戦争を起こさないための国際的な仕組みを求める声を各国で強めた。
ウィルソンの十四か条とパリ講和会議
1918年1月、アメリカ大統領ウッドロー・ウィルソンは「十四か条の平和原則」を発表し、民族自決・秘密外交の廃止・軍備縮小、そして国際平和機構(国際連盟)の設立を訴えた。1919年のパリ講和会議でウィルソンは連盟設立を強力に推し進め、ヴェルサイユ条約の第一部として国際連盟規約が盛り込まれることになった。
国際連盟の組織と加盟国
国際連盟は1920年1月に正式に発足した。主な機関として全加盟国で構成される総会、常任理事国と非常任理事国からなる理事会、常設国際司法裁判所、国際労働機関(ILO)などが設けられた。常任理事国は日本・イギリス・フランス・イタリアの4か国で発足し、後にドイツが加わった(1926年)。新渡戸稲造が事務次長を務め、日本人が国際機関の要職に就いた先例となった。
アメリカ不加盟とその他の限界
皮肉なことに、連盟を提唱したウィルソン大統領の母国アメリカは、上院が「モンロー主義(ヨーロッパ問題への不干渉)に反する」として加盟条約の批准を拒否したため、加盟できなかった。またドイツは「侵略国」として、ソヴィエト・ロシアはイデオロギー的理由から当初排除された。議決の全会一致制は一国でも反対すれば決議が通らないことを意味し、経済制裁はできても軍事的強制力がないという制度的弱点を内包していた。
集団安全保障の初の実践
≒ 国連のような「みんなで平和を守る仕組み」の元祖ある国が侵略行為を行った場合、加盟国全体でその国に制裁を加えることで戦争を防ぐ「集団安全保障」という考え方を、国際機構として初めて制度化した。
国際紛争の話し合い解決の場
≒ 外交交渉の公式フォーラム加盟国間の紛争を武力でなく外交・仲裁によって解決するための常設の場を提供した。常設国際司法裁判所や国際労働機関など専門機関も設置され、国際協調の基盤をつくった。
委任統治制度の導入
≒ 旧植民地の「後見人」制度(現代の信託統治の前身)第一次世界大戦で敗れたドイツとオスマン帝国の旧植民地・領土を、先進国(イギリス・フランス・日本など)が「委任統治」という形で管理する制度をつくった。完全な独立ではないが旧来の植民地支配とも異なる枠組みとして位置づけられた。
1914第一次世界大戦勃発サラエヴォ事件を契機に第一次世界大戦が始まる。以後4年間、未曾有の総力戦が続く。
1918十四か条の平和原則1月、ウィルソン米大統領が国際連盟設立を含む十四か条の平和原則を発表。11月に第一次世界大戦が終結。
1919パリ講和会議・ヴェルサイユ条約パリ講和会議が開かれ、6月にヴェルサイユ条約が調印される。国際連盟規約が条約の第一部として盛り込まれた。
1920国際連盟発足1月10日、ヴェルサイユ条約の発効とともに国際連盟が正式に発足。本部はスイスのジュネーヴに置かれた。
1920アメリカ不加盟確定アメリカ上院が連盟規約を含むヴェルサイユ条約の批准を拒否。提唱国アメリカが不参加のまま連盟が発足する。
1926ドイツ加盟それまで「侵略国」として排除されていたドイツが国際連盟に加盟し、常任理事国となる。
1931満州事変と連盟の限界露呈日本が満州事変を起こす。連盟はリットン調査団を派遣したが実効的な制裁を下せず、1933年に日本は連盟を脱退した。
1935イタリアのエチオピア侵攻イタリアがエチオピアを侵略。連盟は経済制裁を発動したが石油禁輸を外すなど不十分で、侵略を止められなかった。
1939第二次世界大戦勃発ドイツのポーランド侵攻により第二次世界大戦が始まる。国際連盟は機能不全に陥り、戦争を防げなかった。
1946国際連盟解散国際連合(UN)の発足(1945年)を受け、国際連盟は1946年4月に正式に解散した。
◎国際平和を集団で守るという「集団安全保障」の理念を初めて国際機構として制度化した点は画期的であり、国際労働機関(ILO)など専門機関は現在も継続して機能している。国連(国際連合)の設立もこの経験と反省を踏まえたものであり、国際連盟は現代の国際秩序の礎を築いた。
△提唱国アメリカの不加盟・ドイツとソ連の当初排除・全会一致制による意思決定の硬直性・軍事的制裁手段の欠如という根本的な弱点から、日本・イタリア・ドイツの侵略行為を抑止できず、第二次世界大戦の勃発を防げなかった。国際機構は加盟国の意志と実効的な制裁手段がなければ機能しないという教訓を残した。
ウッドロー・ウィルソン
第28代アメリカ大統領(在任1913〜1921年)十四か条の平和原則で国際連盟設立を提唱し、パリ講和会議でも精力的に推進した。しかし帰国後に上院の批准拒否に遭い、連盟への加盟を実現できないまま1924年に死去した。
新渡戸稲造
国際連盟事務次長(1920〜1926年)農学者・教育者として知られ、著書「武士道」で世界的な名声を得た日本人。国際連盟の事務次長として国際協調に尽力した。かつては5,000円札の肖像として親しまれた。
デイヴィッド・ロイド・ジョージ
イギリス首相(パリ講和会議参加)パリ講和会議に参加した英国代表。ウィルソンのやや理想主義的な提案とフランスのドイツへの強硬路線の間で現実的な折衝役を務め、連盟設立でも英国の立場を調整した。
ジョルジュ・クレマンソー
フランス首相(パリ講和会議参加)パリ講和会議でフランスを代表した。ドイツへの厳しい賠償・領土制裁を主張しつつ連盟設立にも賛同したが、アメリカの不加盟決定後は連盟の実効性に懐疑的だったとされる。
- 国際連盟(League of Nations)
- 1920年に発足した世界初の本格的な国際平和機構。集団安全保障を基本原則とし、本部はスイスのジュネーヴに置かれた。1946年に解散し、国際連合(国連)に引き継がれた。
- 集団安全保障
- ある国家が侵略行為を行った際に、加盟国全体でその国に制裁を加えることで平和を守る仕組み。国際連盟が初めて国際機構として制度化したが、軍事的制裁手段の欠如という限界があった。
- 十四か条の平和原則
- 1918年1月にウィルソン米大統領が議会演説で示した戦後処理の原則。秘密外交の廃止・民族自決・軍備縮小・国際連盟の設立などを盛り込み、パリ講和会議の基調となった。
- 全会一致制
- 国際連盟の議会(総会・理事会)での意思決定方式。加盟国全員の賛成がなければ決議が成立しない仕組みで、一国でも反対すれば措置が取れないという機能不全を招いた。
- 委任統治
- 第一次世界大戦の敗戦国(ドイツ・オスマン帝国)の旧植民地・領土を、国際連盟の名のもとに先進国が管理・統治する制度。日本は旧ドイツ領の南洋諸島などの委任統治権を得た。
1ノーベル平和賞を受賞したが連盟には加盟できなかったウィルソン
国際連盟を提唱したウィルソンは1919年にノーベル平和賞を受賞した。しかし帰国後に上院で条約批准が否決され、自らが設計した連盟に母国を加盟させることができなかった。過労がたたって脳卒中を起こし、任期末まで半身不随の状態で執務した。
2日本人唯一の事務次長・新渡戸稲造の活躍
国際連盟では日本人の新渡戸稲造が事務次長(Under-Secretary-General)を務め、国際知識人として文化・教育分野での国際協力を推進した。当時の国際的な地位の高さを示すエピソードとして知られ、日本の旧5,000円札にも肖像が使われた。
3本部のジュネーヴが選ばれた理由
スイスは18世紀以来、永世中立国として認められており、どの大国の影響下にも置かれない中立性が評価された。ジュネーヴはすでに赤十字国際委員会の本部が置かれるなど国際都市としての実績もあり、国際連盟本部の地として選ばれた。
4国際連盟の総会が開催された建物「国際連盟宮殿」
現在のジュネーヴには国際連盟宮殿(Palais des Nations)が残っており、現在は国連ジュネーヴ事務局として使用されている。一般公開ツアーも行われており、歴史の生き証人として訪問者に公開されている。
5ソ連は加盟後すぐに除名された
ソ連(ソヴィエト連邦)は設立当初排除されていたが、1934年に加盟した。しかし1939年にフィンランドへ侵攻したことを理由に、国際連盟から除名された。これは連盟の数少ない「実効的な措置」の一例だが、すでに連盟の機能不全は明らかだった時期のことである。

ここが出る博士のワンポイント
年号は1920年。語呂は「行く庭(いくにわ)(1920)国際連盟」。
提唱者はアメリカ大統領ウィルソン。十四か条の平和原則で呼びかけ、ヴェルサイユ条約に盛り込まれた。
本部はスイスのジュネーヴ。常任理事国は日本・イギリス・フランス・イタリアの4か国(後にドイツが加盟)。
提唱国アメリカは上院の反対で不加盟。ドイツ・ソヴィエト・ロシアも当初排除されたことを押さえる。
弱点のポイント:①全会一致制で決議が困難、②軍事的制裁手段がない。この2点が日本の満州事変やイタリアのエチオピア侵攻を止められなかった根本原因。
語呂クイズ
「行く庭(いくにわ)(1920)国際連盟」= 国際連盟が発足するは西暦何年?
- Q. 国際連盟はどうして作られたのですか?
- A. 第一次世界大戦(1914〜1918年)という未曾有の大戦争の反省から、国家間の話し合いで紛争を解決し二度と大戦を起こさないための国際機構として設立されました。アメリカ大統領ウィルソンが主導しました。
- Q. なぜアメリカは国際連盟に加盟しなかったのですか?
- A. 連盟を提唱したウィルソン大統領は加盟を望みましたが、アメリカ議会(上院)が「ヨーロッパの問題に関わるべきでない(モンロー主義)」「加盟すれば戦争に引き込まれる恐れがある」として連盟規約を含む条約の批准を拒否したためです。
- Q. 国際連盟の本部はどこにありましたか?
- A. スイスのジュネーヴです。スイスは永世中立国であり、どの国の影響も受けない中立な場所として選ばれました。
- Q. 国際連盟と国際連合(国連)は何が違うのですか?
- A. 国際連盟(1920年発足)は全会一致制で軍事制裁手段がなく、アメリカも不加盟だったため機能不全に陥りました。第二次世界大戦後に設立された国際連合(1945年発足)は、安全保障理事会に多数決制と軍事的強制措置の権限を与えるなど、連盟の反省を踏まえた改善が図られています。
- Q. 国際連盟はなぜ第二次世界大戦を防げなかったのですか?
- A. 主な理由は二つです。一つは全会一致制により、一国でも反対すれば制裁決議が成立しなかったこと。もう一つは経済制裁はできても軍事的強制力がなく、侵略国を実力で止める手段がなかったことです。さらに世界最強国のアメリカが不加盟だったことも、連盟の実効性を大きく損ないました。
国際連盟は、第一次世界大戦という人類史上未曾有の惨禍を経て生まれた、世界平和への真剣な取り組みでした。集団安全保障という理念を初めて国際機構として制度化した点は、現代の国連につながる歴史的意義をもちます。しかし、提唱国アメリカの不加盟・全会一致制・軍事制裁手段の欠如という致命的な弱点から、その理想を実現できないまま第二次世界大戦を迎えることになりました。「行く庭(1920)国際連盟」という語呂とともに、その理念と限界の両面をしっかり理解しておきましょう。
編集メモ(ファクト)
常任理事国は発足時4か国(日・英・仏・伊)で、1926年にドイツが加盟し5か国となった。試験では発足時の4か国が問われることが多い。
ソ連(ソヴィエト連邦)は1934年に加盟したが、1939年のフィンランド侵攻(冬戦争)を理由に除名された。
新渡戸稲造の肩書きは「事務次長(Under-Secretary-General)」。事務局長ではない点に注意。
related は世界史サイト内の実在IDとして 1919-versailles・1945-united-nations を記載。存在しない場合は削除すること。