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1898

アメリカ=スペイン戦争が起こる

マッキンリー大統領(アメリカ合衆国第25代大統領)
語呂
覚え方
嫌、悔は(1898)米西戦争
いやくは(1898)米西戦争

1898年、アメリカ合衆国はスペインに宣戦布告し、わずか100日余りで勝利を収めました。きっかけはキューバのハバナ港で起きたアメリカ軍艦メイン号の爆沈事件です。スペイン領キューバで続く独立運動への同情と、ハースト系新聞社によるいわゆる「黄色ジャーナリズム」が世論を煽り、マッキンリー大統領は開戦に踏み切りました。戦後のパリ条約でアメリカはスペインからフィリピン・グアム・プエルトリコを獲得し、キューバを形式上独立させつつ保護国化しました。同じ1898年にはハワイも正式に併合しており、この年はアメリカが本格的な帝国主義国家として太平洋・カリブ海に進出した転換点として位置づけられます。

この記事のポイント

  • 1898年、ハバナ港でのアメリカ軍艦メイン号爆沈をきっかけに米西戦争が勃発
  • マッキンリー大統領がスペインに宣戦布告。フィリピン・カリブ海の二方面でアメリカが圧勝
  • パリ条約でアメリカはフィリピン・グアム・プエルトリコを獲得。フィリピンはアメリカが2000万ドルを支払って割譲
  • キューバは形式上独立したが、プラット条項によりアメリカの事実上の保護国とされた
  • 同1898年にハワイも併合。アメリカは太平洋・カリブ海への帝国主義的進出を完成させた
ここが面白い

「メイン号を忘れるな!」――一隻の軍艦の爆沈が、老いた帝国スペインを破り、アメリカを太平洋とカリブ海の覇者へと押し上げた100日余りの短期戦争が始まった。

ここに至るまでの流れ
背景

米西戦争はある日突然起きたわけではありません。19世紀後半のアメリカの膨張主義、スペイン植民地帝国の衰退、そしてキューバ独立運動という三つの潮流が交わった末の衝突です。その背景を順に見ていきましょう。

キューバの独立運動とスペインの弾圧

キューバでは1868年から1878年にかけての十年戦争でスペインへの反乱が起き、一時停戦となったものの独立は実現しませんでした。1895年に詩人ホセ・マルティらが再び独立戦争を起こすと、スペインのウェイラー将軍は農村住民を強制収容所(レコンセントラシオン)に押し込める「再集結政策」を実施し、多数の民間人が飢えと病で死亡しました。この惨状がアメリカの新聞で大々的に報じられ、キューバへの同情世論が高まりました。

黄色ジャーナリズムとメイン号事件

ニューヨークで激しい販売競争を繰り広げていたハースト系「ニューヨーク・ジャーナル」とピューリッツァー系「ニューヨーク・ワールド」は、センセーショナルな報道でキューバ問題を煽りました。1898年2月15日夜、ハバナ港に停泊中のアメリカ軍艦メイン号が突然爆発・沈没し、乗員266名が死亡しました。原因は現在も諸説あり確定していませんが、両紙はスペインの仕業と断定して世論を反スペインへと誘導しました。

アメリカの帝国主義的野心と海軍力強化

1890年代のアメリカは、海軍理論家マハンの『海上権力史論』(1890年)の影響を受け、シーパワー(海上権力)の強化が国家的課題とされていました。若き海軍次官補セオドア・ローズヴェルトは開戦前から太平洋のスペイン領フィリピン攻撃を計画しており、4月25日の宣戦布告の直後、フィリピン派遣艦隊を率いるデューイ提督にマニラ湾攻撃を命じました。アメリカは初めから対スペイン戦争をカリブ海だけでなく太平洋における権益拡大の機会と位置づけていました。

戦争の経過と短期決着

1898年5月1日、デューイ提督率いるアジア艦隊がマニラ湾海戦でスペイン艦隊を壊滅させました。カリブ海では義勇騎兵隊「ラフ・ライダーズ」を率いたローズヴェルトがサンティアゴ周辺のサンファン高地の戦いで活躍し、7月にキューバのスペイン艦隊も撃破されました。グアムも無抵抗で降伏。宣戦からわずか100日余りで停戦となり、12月に結ばれたパリ条約で講和が成立しました。

やったこと(≒ 現代でいうと)
何を

アメリカの「帝国主義国家」への転換

≒ 外交・軍事・経済でグローバルに影響力を行使する大国の誕生

フィリピン・グアム・プエルトリコの獲得とキューバの保護国化により、アメリカは大西洋・カリブ海・太平洋にまたがる海外領土を初めて保有した。本格的な帝国主義国家への転換を告げる戦争として位置づけられる。

パリ条約による植民地の移転

≒ 国際条約による領土・主権の移譲の実例

1898年12月のパリ条約でスペインはフィリピン(アメリカが2000万ドルを支払い割譲)・グアム・プエルトリコをアメリカに割譲し、キューバの主権を放棄した。スペイン帝国は事実上解体された。

プラット条項とキューバ保護国化

≒ 形式上の独立国の内政を別の国が左右できる「事実上の保護国」のモデル

キューバ憲法に挿入されたプラット条項(1901年)により、アメリカはキューバへの軍事介入権・条約締結の制限・海軍基地租借権(グアンタナモ)を得た。名目上は独立国だが実質的に保護国とする仕組みの典型例となった。

前後のできごと
年表
1895
キューバ独立戦争再燃ホセ・マルティらがキューバ独立戦争を再開。スペインはウェイラー将軍を派遣し、強制収容政策で弾圧。
1898
メイン号爆沈(2月15日)ハバナ港に停泊中のアメリカ軍艦メイン号が爆発・沈没し、乗員266名が死亡。原因は不明ながらアメリカ世論は対スペイン感情を硬化させる。
1898
宣戦布告(4月25日)マッキンリー大統領がスペインに宣戦布告。アメリカ議会はキューバの独立支持を宣言。
1898
マニラ湾海戦(5月1日)デューイ提督率いるアメリカアジア艦隊がフィリピン・マニラ湾でスペイン艦隊を壊滅させる。
1898
キューバ陸上戦(6〜7月)ローズヴェルトの義勇騎兵隊「ラフ・ライダーズ」がサンファン高地・エル・カネーの戦いで活躍。7月にキューバのスペイン艦隊も撃破。
1898
停戦・ハワイ併合(7〜8月)8月12日に停戦協定。同年7月にはハワイがアメリカに正式に併合された。
1898
パリ条約締結(12月10日)パリ条約でスペインはフィリピン・グアム・プエルトリコをアメリカに割譲。キューバの主権を放棄。フィリピンの割譲対価として2000万ドルが支払われた。
1899
フィリピン=アメリカ戦争勃発フィリピン独立を求めるアギナルドらがアメリカに対し独立戦争を起こす(〜1902年)。
1901
プラット条項採択キューバ憲法にプラット条項が挿入され、アメリカの軍事介入権などが明記された。
結果とその後
結果
アメリカはフィリピン・グアム・プエルトリコを獲得し、キューバを保護国化。太平洋・カリブ海に拠点を持つ帝国主義国家として台頭し、その後の世界史での主導的地位の基礎を築いた。
フィリピンではアメリカの植民地支配に反発する独立運動が起き、フィリピン=アメリカ戦争(1899〜1902年)へと発展した。キューバのプラット条項は1934年まで存続し、アメリカによる内政干渉を正当化した。スペインからの「解放」が新たな支配の交代に過ぎなかったとする批判は今日も根強い。
登場人物
人物

ウィリアム・マッキンリー

アメリカ合衆国第25代大統領

開戦当初は慎重姿勢をとっていたが、メイン号事件後の世論と議会圧力に押されてスペインへの宣戦布告を決断した。帝国主義的な対外拡張路線をとりながらも、フィリピン統治の是非については国内で論争があった。1901年に暗殺される。

セオドア・ローズヴェルト

海軍次官補・義勇騎兵隊「ラフ・ライダーズ」指揮官

開戦前からデューイ提督のフィリピン攻撃を準備するなど積極的な拡張論者。キューバ戦線ではサンファン高地の戦闘で名声を得て、その後大統領へと駆け上がる。

ジョージ・デューイ

アメリカ海軍提督・アジア艦隊司令官

マニラ湾海戦でスペイン艦隊を一方的に壊滅させ、アメリカ初の大きな帝国主義的勝利を演出した。後に「マニラの英雄」として称えられた。

エミリオ・アギナルド

フィリピン独立運動指導者

スペインとの戦争ではアメリカと共闘してフィリピン独立を目指したが、アメリカがパリ条約でフィリピンの割譲を受けると、1899年にアメリカに対し独立戦争を起こした。

ホセ・マルティ

キューバの民族詩人・独立運動指導者

1895年の独立戦争再開を指導したが、同年戦場で戦死。キューバ独立の象徴的英雄として今日も尊敬される。

キーワード解説
用語
黄色ジャーナリズム
事実を誇張・歪曲してセンセーショナルに報じる報道スタイルのこと。米西戦争前後にハースト系・ピューリッツァー系新聞が行った煽情的な対スペイン報道が典型例とされる。「イエロー・ジャーナリズム」とも呼ばれる。
プラット条項
1901年にキューバ憲法に挿入された条項。アメリカのキューバへの軍事介入権、キューバの条約締結制限、グアンタナモ海軍基地の租借権などを定め、キューバをアメリカの事実上の保護国とした。1934年に廃止。
帝国主義
19世紀後半〜20世紀初頭に欧米列強が競ってアジア・アフリカ・太平洋に植民地・勢力圏を拡大した動き。米西戦争はアメリカが帝国主義国家として本格登場した象徴的な出来事とされる。
パリ条約(1898年)
1898年12月10日にアメリカとスペインがパリで締結した講和条約。スペインはフィリピン・グアム・プエルトリコをアメリカに割譲し、キューバの主権を放棄した。スペイン帝国の海外植民地喪失を決定づけた条約とも言われる。
フィリピン=アメリカ戦争
1899年にフィリピン独立共和国がアメリカの植民地支配に抵抗して起こした戦争(〜1902年)。アメリカ側は鎮圧に3年以上を要し、多大な犠牲を払った。米西戦争の「後日譚」として重要。
シーパワー(海上権力)
アメリカ海軍理論家アルフレッド・マハンが1890年の著作で提唱した概念。制海権を握ることが国家の繁栄と安全保障に不可欠であるという考え方。米西戦争はこの理論の実践とも見られる。
もっと知りたい
豆知識

1メイン号爆沈の原因は今も謎

メイン号(排水量約6800トン)の爆沈原因については、1898年当時のアメリカ調査委員会は「外部からの機雷による爆発」と結論づけてスペインの関与を示唆した。しかし1976年の再調査では「内部の石炭自然発火が弾薬庫に引火した可能性が高い」とされ、現在も決定的な結論は出ていない。「メイン号を忘れるな!」のスローガンは、原因不明の事故が戦争の大義名分にされた例として今日も語られる。

2「100日戦争」と呼ばれた短期決着

4月25日の宣戦布告から8月12日の停戦までわずか109日。老大国スペインに対する圧倒的な勝利の速さは世界を驚かせた。アメリカの戦死者は戦闘での死よりも熱帯病(主に黄熱病)による死の方がはるかに多く、病死者約2450名に対し戦闘死は379名とされる。

3ハワイ併合も1898年

米西戦争の年である1898年7月、アメリカはハワイ(1894年成立のハワイ共和国)を正式に併合した。ハワイ併合は1893年のアメリカ系農園主らによるクーデターと王政打倒から続く動きの結末であり、米西戦争での太平洋進出の勢いがその後押しをした形となった。

4フィリピン独立は半世紀後

米西戦争で「解放」されたフィリピンは、アメリカの植民地統治が続き、正式に独立を果たしたのは1946年のことである。第二次世界大戦中に日本軍の占領を経験し、マッカーサーのレイテ湾上陸(1944年)後に解放されてからようやく独立への道が開かれた。

5グアンタナモ基地は今も残る

プラット条項によりアメリカがキューバから租借したグアンタナモ海軍基地は、プラット条項廃止後も1934年締結の条約により存続し、現在もアメリカが管轄している。2002年以降はテロ容疑者の収容施設としても知られ、今日の国際政治にも尾を引く。

世界史の博士
ここが出る博士のワンポイント
年号は1898年。語呂は「嫌、悔は(1898)米西戦争」。
開戦のきっかけ:ハバナ港でのアメリカ軍艦メイン号の爆沈(1898年2月)。
パリ条約(1898年12月)でアメリカが獲得した領土:フィリピン・グアム・プエルトリコ。フィリピンは2000万ドルで割譲。
キューバの扱い:形式上独立させたが、プラット条項(1901年)によりアメリカの保護国化。
同年1898年のハワイ併合もセットで押さえること。
戦後のフィリピン=アメリカ戦争(1899〜1902年):フィリピン人がアメリカの植民地支配に抵抗して起こした独立戦争。
語呂クイズ
「嫌、悔は(1898)米西戦争」= アメリカ=スペイン戦争が起こるは西暦何年?
よくある質問
FAQ
Q. 米西戦争はなぜ起きたのですか?
A. スペイン植民地支配下のキューバでの独立運動と、アメリカの黄色ジャーナリズムによる煽情報道が背景にあります。1898年2月のアメリカ軍艦メイン号の爆沈事件が引き金となり、マッキンリー大統領がスペインに宣戦布告しました。
Q. アメリカはフィリピンをどうやって手に入れたのですか?
A. 1898年12月のパリ条約でスペインがフィリピンをアメリカに割譲しました。アメリカはその対価として2000万ドルをスペインに支払っています。もともと植民地支配をしていたスペインが「売却」した形です。
Q. キューバは米西戦争の後に独立したのですか?
A. 形式上は独立しましたが、実質的な独立ではありませんでした。1901年にキューバ憲法に挿入されたプラット条項により、アメリカの軍事介入権が認められ、グアンタナモ海軍基地もアメリカが租借するなど、アメリカの事実上の保護国とされました。プラット条項は1934年まで存続しました。
Q. フィリピンはなぜアメリカと戦ったのですか?
A. スペインとの戦争中、フィリピン独立運動のアギナルドらはアメリカと共闘して独立を期待しました。しかしパリ条約でフィリピンがアメリカに割譲されたことで、独立の夢は裏切られたと感じた独立派がアメリカに対し独立戦争を起こしました(フィリピン=アメリカ戦争・1899〜1902年)。
Q. 米西戦争とハワイ併合はどう関係しますか?
A. どちらも1898年の出来事で、アメリカが太平洋に本格進出した転換点として一体的に理解されます。ハワイ併合(7月)は米西戦争の戦況が有利に進む中で実現しており、太平洋への影響力を強めようとするアメリカの帝国主義的膨張の流れの中に位置づけられます。
まとめ

米西戦争は「100日余りの短期戦」でしたが、アメリカ史における転換点です。フィリピン・グアム・プエルトリコの獲得、キューバの保護国化、ハワイの併合――この1898年の一連の動きによって、アメリカは大陸の中に閉じていた共和国から、太平洋とカリブ海に覇権を持つ帝国主義国家へと変貌しました。「嫌、悔は(1898)米西戦争」の語呂とともに、パリ条約で獲得した三領土(フィリピン・グアム・プエルトリコ)とプラット条項によるキューバ保護国化を必ず押さえてください。

編集メモ(ファクト)
メイン号爆沈の原因は現在も確定していない。1898年当時の調査は「外部機雷説」を採ったが、1976年の再調査では内部爆発の可能性が指摘されている。本文では「謎の爆発」「原因不明」として断定を避けた。
パリ条約でのフィリピン割譲の対価「2000万ドル」は条約本文に明記された通説に従った。
プラット条項はキューバ憲法に「挿入」されたものであり、アメリカが一方的に押し付けた性格が強い。この経緯を踏まえ、「保護国化」という表現を用いた。
フィリピン=アメリカ戦争の終結年については「1902年」が通説的区切りだが、組織的抵抗終結後も散発的な戦闘が続いたとする見解もある。本文は1899〜1902年という通説に従った。
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