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高校/政治
1823

モンロー宣言が出される

アメリカ大統領ジェームズ・モンロー
語呂
覚え方
嫌な文(いやふみ)(1823)モンロー宣言
いやふみ(1823)モンロー宣言

1823年12月、アメリカ第5代大統領ジェームズ・モンローは連邦議会への年次教書演説の中で、歴史的な外交方針を宣言しました。ヨーロッパ列強によるアメリカ大陸への新たな植民地化や干渉を認めず、その代わりアメリカもヨーロッパの内政・戦争には関与しない、という「相互不干渉」の立場です。当時、スペインの旧植民地だったラテンアメリカ諸国が次々と独立を果たしており、ヨーロッパの保守的な列強(神聖同盟)がこれらの独立国に干渉して旧体制を取り戻そうとする動きを見せていました。モンローの宣言はその牽制を主たる目的としていましたが、やがて「モンロー主義」として独立したアメリカ外交の柱となり、孤立主義の伝統を形成するとともに、20世紀には逆に中南米介入を正当化する根拠にも使われました。

この記事のポイント

  • 1823年12月、大統領ジェームズ・モンローが議会への年次教書演説でモンロー宣言(モンロー主義)を発表
  • ヨーロッパ諸国によるアメリカ大陸への干渉・植民地化を拒絶し、アメリカもヨーロッパの争いに不干渉とする相互不干渉の方針
  • ラテンアメリカ諸国の独立を支持し、神聖同盟による干渉を牽制することが直接の目的だった
  • アメリカ外交における孤立主義の伝統の出発点とされる
  • 後世には中南米諸国への介入を正当化する口実にも転用され、帝国主義的な側面も指摘される
ここが面白い

「ヨーロッパはアメリカ大陸に手を出すな。その代わりアメリカもヨーロッパの争いに口を挟まない」――たった一つの演説が、約100年にわたるアメリカ外交の根本原則を決定づけた。

ここに至るまでの流れ
背景

モンロー宣言は突然生まれた政策ではありません。アメリカ独立後の外交的伝統、ラテンアメリカの独立ラッシュ、ヨーロッパ列強の動向という三つの流れが重なって生まれた宣言です。その背景を順に見ていきましょう。

初代大統領ワシントンの孤立主義の伝統

初代大統領ジョージ・ワシントンは1796年の告別演説で「ヨーロッパとの恒久的な同盟を避けよ」と述べ、アメリカ外交における不干渉の考え方を打ち立てた。第3代大統領トーマス・ジェファーソンも「欧州のもつれ合いには不干渉」という姿勢を維持した。モンローはこの伝統を継承しつつ、当時の情勢に合わせて公式の政策宣言として打ち出した。

ラテンアメリカ独立運動の広がり

ナポレオン戦争(1799〜1815年)でスペインが弱体化したことを機に、ラテンアメリカ各地で独立運動が加速した。ベネズエラのシモン・ボリバルやアルゼンチンのホセ・デ・サン・マルティンらの指導者が活躍し、1810年代〜1820年代にメキシコ・コロンビア・チリ・ペルーなど多くの国が相次いで独立を宣言した。アメリカはこれらの新興共和国を支持する立場にあった。

神聖同盟の脅威と国務長官アダムズの役割

1815年にウィーン体制を支えるために結成された神聖同盟(オーストリア・プロイセン・ロシア主導)は、ヨーロッパの革命運動を弾圧する保守的な連合体だった。フランスがスペインの要請でラテンアメリカに干渉する可能性も取り沙汰された。当時の国務長官ジョン・クインシー・アダムズは、イギリスとの共同宣言ではなく単独宣言を強く主張し、モンロー宣言の実質的な起草者となった。

宣言の内容とその限界

モンロー宣言は年次教書の一部として発表されたもので、条約でも法律でもなかった。主な内容は、①ヨーロッパ列強によるアメリカ大陸への新たな植民地化の禁止、②既存のヨーロッパの植民地(当時はカリブ海や南米の一部)への不干渉、③アメリカのヨーロッパ戦争への不介入、の三点だった。当時のアメリカには宣言を実力で守る海軍力がなく、実際の抑止力はイギリス海軍が担っていたという指摘もある。

やったこと(≒ 現代でいうと)
何を

ヨーロッパによるアメリカ大陸への干渉を拒絶

≒ 自分たちの地域には外部勢力を入れないという地域秩序の主張

ヨーロッパ列強がラテンアメリカの独立国を再植民地化したり、政治介入したりすることをアメリカが公式に拒絶した。これはアメリカ大陸をヨーロッパの勢力圏から切り離す宣言だった。

アメリカのヨーロッパへの不干渉を約束

≒ 他国の争いに首を突っ込まないという孤立主義の表明

ヨーロッパが干渉しない代わりに、アメリカもヨーロッパの政治的・軍事的争いには介入しないという相互不干渉の原則を宣言した。これが後のアメリカ孤立主義の根拠となった。

ラテンアメリカの独立を間接的に保護

≒ 新興国を後ろ盾として支援する安全保障の枠組み

直接の軍事同盟ではないが、ラテンアメリカ諸国の独立を支持する姿勢を明確にし、神聖同盟による再植民地化への牽制となった。後の時代には逆にこの宣言を口実に中南米への内政干渉が行われた。

前後のできごと
年表
1796
ワシントンの告別演説初代大統領ジョージ・ワシントンが「ヨーロッパとの恒久的同盟を避けよ」と述べ、不干渉主義の伝統を打ち立てた。
1810
ラテンアメリカで独立運動開始ナポレオン戦争によるスペインの弱体化を機に、ラテンアメリカ各地で独立を求める運動が活発化した。
1815
神聖同盟の結成ウィーン体制を支えるため、オーストリア・プロイセン・ロシアを中心に神聖同盟が結成。保守的な秩序の維持を目的とした。
1817
モンロー大統領就任ジェームズ・モンローが第5代大統領に就任。国務長官にはジョン・クインシー・アダムズを任命した。
1820
ラテンアメリカ各国の独立が加速コロンビア・ペルー・メキシコなどが相次いで独立を宣言。神聖同盟による干渉の懸念が高まった。
1823
イギリスが共同宣言を打診イギリスのカニング外相が、ラテンアメリカへのヨーロッパ干渉を共同で阻止する声明をアメリカに提案した。
1823
モンロー宣言の発表12月2日、モンロー大統領が議会への年次教書演説でモンロー宣言を発表。アメリカ外交の新たな方針を打ち出した。
1845
マニフェスト・デスティニーと結合モンロー主義が「アメリカの明白な使命(マニフェスト・デスティニー)」とともに、大陸膨張の正当化に使われるようになった。
1904
ルーズベルト・コロラリー(追加方針)セオドア・ルーズベルト大統領がモンロー主義を拡大解釈し、中南米への介入を正当化する「ルーズベルト・コロラリー」を発表した。
1941
第二次世界大戦への参戦で孤立主義が終焉真珠湾攻撃を機にアメリカが参戦し、モンロー主義的な孤立主義の時代に事実上の終止符が打たれた。
結果とその後
結果
アメリカ大陸をヨーロッパの勢力圏から切り離す外交原則が確立され、ラテンアメリカ諸国の独立を間接的に保護した。孤立主義の伝統として約1世紀にわたってアメリカ外交の基軸となった。
当時のアメリカに宣言を実力で担保する軍事力はなく、実際の抑止力はイギリス海軍が支えていた。また20世紀には「ルーズベルト・コロラリー」などによって宣言が拡大解釈され、逆に中南米諸国への内政干渉を正当化する口実として使われ、ラテンアメリカ諸国との関係を悪化させた側面もある。
登場人物
人物

ジェームズ・モンロー

第5代アメリカ合衆国大統領(在任1817〜1825年)

バージニア州出身。独立革命世代の最後の大統領の一人。1823年の年次教書演説でモンロー宣言を発表した。彼の任期中は「好感情の時代」と呼ばれ、党派対立が少なかった。

ジョン・クインシー・アダムズ

国務長官(後に第6代大統領)

モンロー宣言の実質的な起草者とされる。イギリスとの共同宣言ではなく単独宣言を主張し、アメリカの自立した外交を重視した。モンローの後を継いで大統領に就任した。

シモン・ボリバル

ラテンアメリカ独立運動の指導者(ベネズエラ出身)

「解放者」と称されたラテンアメリカ独立運動の英雄。コロンビア・ベネズエラ・エクアドル・ペルー・ボリビアの独立に貢献した。モンロー宣言はこうした指導者たちの運動を間接的に後押しした。

ジョージ・カニング

イギリス外務大臣(後に首相)

ラテンアメリカへのヨーロッパ干渉を阻止するため、アメリカに共同宣言を打診した。アメリカはイギリスの提案を断り単独宣言に踏み切ったが、実際の抑止力はイギリス海軍が担っていたとされる。

キーワード解説
用語
モンロー主義(モンロー・ドクトリン)
1823年のモンロー宣言に基づくアメリカの外交方針。ヨーロッパとアメリカ大陸の相互不干渉を原則とし、19世紀から20世紀初頭のアメリカ外交の基軸となった。
神聖同盟
1815年のウィーン会議後、オーストリア・プロイセン・ロシアを中心に結成されたヨーロッパの保守的な列強の連合。フランス革命やナポレオンが生み出した自由主義・民族主義の動きを抑圧することを目的とした。
孤立主義
他国(特にヨーロッパ)の政治・軍事的争いに関与せず、自国の利益に集中するという外交姿勢。モンロー宣言はアメリカの孤立主義の出発点の一つとされる。
年次教書(一般教書演説)
アメリカ大統領が毎年議会に対して国の状況と政策方針を説明する演説。現在は一般教書演説(State of the Union Address)と呼ばれる。モンロー宣言はこの形式で発表された。
ルーズベルト・コロラリー
1904年にセオドア・ルーズベルト大統領がモンロー主義を拡大解釈して発表した方針。中南米諸国が債務不履行などの問題を起こした場合、アメリカが介入する権利を主張した。ラテンアメリカ諸国の反感を招いた。
もっと知りたい
豆知識

1宣言はわずか数段落の演説の一部だった

モンロー宣言として歴史に残る内容は、大統領の年次教書全体のうちの一部にすぎない。当時は特に「宣言」と名付けられたわけでもなく、後世の歴史家がその重要性に気づき「モンロー主義(Monroe Doctrine)」と命名した。

2実際の抑止力はイギリス海軍だった

1823年当時のアメリカ海軍はヨーロッパの列強に比べはるかに弱小だった。神聖同盟が実際にラテンアメリカへの干渉を踏みとどまったのは、アメリカの宣言よりも、カリブ海・大西洋を支配するイギリス海軍の存在が大きかったとされる。

3ラテンアメリカ諸国は宣言に感謝しなかった

モンロー宣言はラテンアメリカの独立を守ると思われがちだが、当のラテンアメリカ諸国には事前の相談もなく、一方的に発表されたものだった。後にアメリカが宣言を利用して中南米に介入するようになると、ラテンアメリカでは強い反感が生まれた。

420世紀には孤立主義から世界関与へ転換

第一次世界大戦(1914〜1918年)でアメリカは一時中立を保ったが、1917年に参戦。第二次世界大戦(1939〜1945年)では真珠湾攻撃を機に参戦し、戦後は国際連合の主導国・冷戦の西側陣営の中心となった。モンロー主義的な孤立主義は実質的に終わりを告げた。

5語呂合わせは「嫌な文」

「嫌な文(いやふみ)1823」という語呂でモンロー宣言の年号1823年を覚えることができる。「嫌な」の「いや」が「1(い)8(や)」、「文(ふみ)」が「23(ふみ)」を表す。ヨーロッパからの「嫌な」干渉を拒否した内容ともつながるため、記憶に残りやすい。

世界史の博士
ここが出る博士のワンポイント
年号は1823年。語呂は「嫌な文(いやふみ)(1823)モンロー宣言」。
発表者はアメリカ第5代大統領ジェームズ・モンロー。発表形式は議会への年次教書演説(宣言・条約ではない)。
内容の核心:①ヨーロッパによるアメリカ大陸への干渉・植民地化の拒絶、②アメリカのヨーロッパ争いへの不干渉、という相互不干渉の原則。
背景としてラテンアメリカ独立運動の活発化と神聖同盟の動向を押さえる。実質的な起草者は国務長官ジョン・クインシー・アダムズ。
後世への影響として、孤立主義の伝統の形成と、ルーズベルト・コロラリー(1904年)による中南米介入への転用の両面を問われることがある。
語呂クイズ
「嫌な文(いやふみ)(1823)モンロー宣言」= モンロー宣言が出されるは西暦何年?
よくある質問
FAQ
Q. モンロー宣言とはどういう内容ですか?
A. 1823年に第5代大統領ジェームズ・モンローが議会演説で発表した外交方針です。ヨーロッパ列強がアメリカ大陸(特に独立したラテンアメリカ諸国)へ干渉・植民地化することを拒絶し、代わりにアメリカもヨーロッパの政治・軍事的争いには不干渉とする、相互不干渉の原則を宣言しました。
Q. なぜこの時期にモンロー宣言が出されたのですか?
A. ナポレオン戦争後、ラテンアメリカ各地でスペインからの独立運動が活発化していました。ヨーロッパの保守的な列強(神聖同盟)がこれらの独立国へ干渉して旧体制を取り戻そうとする動きがあり、これを牽制するためにモンローが宣言を発表しました。
Q. モンロー宣言はラテンアメリカ諸国にとって良いものでしたか?
A. 当初は独立を間接的に保護する効果もありましたが、ラテンアメリカへの事前相談はなく、一方的な発表でした。さらに20世紀になるとアメリカが宣言を拡大解釈して中南米に繰り返し介入したため、ラテンアメリカ諸国の反感を招きました。
Q. モンロー主義と孤立主義はどう関係しますか?
A. モンロー宣言はアメリカがヨーロッパの争いに関与しないという不干渉主義を明確にしたため、アメリカの孤立主義の出発点の一つとされています。この考え方は第一次世界大戦参戦(1917年)、特に第二次世界大戦への参戦(1941年)まで外交方針に影響し続けました。
Q. モンロー宣言と神聖同盟はどう関係しますか?
A. 神聖同盟はウィーン会議後にオーストリア・プロイセン・ロシアが作った保守的な列強の連合体で、ラテンアメリカの独立運動を弾圧しようとする勢力でした。モンロー宣言はこの神聖同盟のラテンアメリカへの干渉を牽制するために発表されたものです。
まとめ

モンロー宣言は、アメリカが独立後の外交方針を世界に向けて明確に打ち出した歴史的な演説です。「ヨーロッパはアメリカ大陸に手を出すな、アメリカもヨーロッパの争いには加わらない」という相互不干渉の原則は、孤立主義としてアメリカ外交の根幹を約100年にわたって規定しました。一方で、この宣言が後にラテンアメリカへの内政干渉を正当化する口実に使われた事実も、歴史の重要な教訓です。「嫌な文(いやふみ)1823」の語呂とともに、宣言の背景・内容・その後の影響をセットで押さえておきましょう。

編集メモ(ファクト)
モンロー宣言は条約・法律ではなく年次教書演説の一部であり、法的拘束力はない。この点を本文で明示した。
実質的な起草者とされるジョン・クインシー・アダムズについては、史学的に広く認められているため明記した。
ルーズベルト・コロラリー(1904年)はモンロー主義の拡大解釈として重要な後日談であり、exam_pointsとtimelineに含めた。
当時のアメリカの軍事力の限界(実際の抑止力はイギリス海軍)は入試には直接出にくいがリテラシーとして重要なため、resultとtriviaに記載した。
relatedは指定のID(1776-us-independence、1804-napoleon-emperor)のみ使用。