中学/政治
1789
フランス革命が起こる
ルイ16世/ロベスピエールら
語呂
覚え方
非難爆発(1789)フランス革命
ひなばく(1789)フランス革命
1789年、フランスで旧体制(アンシャン・レジーム)への民衆の怒りが頂点に達し、世界史を変えた大革命が始まりました。第三身分(平民)の代表が国民議会を宣言し、7月14日には民衆がバスティーユ牢獄を襲撃。8月には「人はうまれながらに自由で平等」をうたった人権宣言が採択されます。聖職者・貴族が特権を享受し、重い税を平民に押しつけてきた旧体制は崩壊へ向かい、近代市民社会と国民国家の出発点となりました。「非難爆発(1789)」の語呂とともに、世界史最大の転換点を押さえましょう。
この記事のポイント
- 1789年、財政危機と身分制の不満が爆発しフランス革命が開幕
- 第三身分が国民議会を宣言(6月)→バスティーユ牢獄襲撃(7月14日)→人権宣言(8月)
- 人権宣言は自由・平等・国民主権・所有権を明記し、近代憲法の原型となった
- 旧体制(アンシャン・レジーム)=聖職者・貴族の特権と第三身分への不平等な課税構造
- 革命は共和政・恐怖政治・ナポレオン登場へと発展し、ヨーロッパ全体を揺るがした
ここが面白いバスティーユ牢獄に収監されていた囚人は、たった7人だった。それでも「革命の象徴」として語り継がれる理由とは。
フランス革命は突然起きたのではありません。国王ルイ16世の治世に蓄積された財政の破綻、身分制の矛盾、そして「理性と自由」を説く啓蒙思想の普及が長年にわたって積み重なり、最終的に爆発した出来事です。ここに至るまでの背景を順に確認しましょう。
旧体制(アンシャン・レジーム)とは
フランス社会は三つの身分に分かれていました。第一身分(聖職者)と第二身分(貴族)は税の免除など多くの特権を持ち、人口の約97%を占める第三身分(平民・農民・都市の商工業者)が国家財政を支える重税を負っていました。現代にたとえると「生まれた家柄だけで税の有無と社会的地位がすべて決まる仕組み」です。
財政危機と凶作
アメリカ独立戦争への支援(1778〜1783年)がフランスの財政を著しく悪化させました。さらに1788年の大凶作でパンの価格が急騰し、民衆は食料すら満足に手に入れられない状態に追い込まれました。ルイ16世は財政立て直しのために貴族にも課税しようとしましたが、特権階級の猛反発を受けて失敗します。
啓蒙思想とアメリカ独立の影響
ルソーが「人民主権」を、モンテスキューが「三権分立」を唱えた啓蒙思想は、教育を受けたブルジョワジーに広く読まれていました。また1776年のアメリカ独立と独立宣言は「人民が自ら国のあり方を決める」実例として、フランスの知識人・市民に大きな刺激を与えました。
三部会の召集と決裂
財政危機を乗り切るため、ルイ16世は1789年5月、175年ぶりに三部会(聖職者・貴族・平民の代表会議)を招集しました。しかし採決方式(身分ごとに1票か、代表者数に比例か)をめぐって第三身分と特権階級が対立し、交渉は決裂。この混乱が革命の直接の引き金となります。
国民議会の宣言(1789年6月)
≒ 「私たちが国家の本当の代表だ」という宣言三部会での採決方式に反発した第三身分の代表が独自に国民議会を結成。テニスコートの誓い(ヴェルサイユ宮殿のテニスコートで「憲法を制定するまで解散しない」と誓約)で団結を示した。
バスティーユ牢獄の襲撃(1789年7月14日)
≒ 「象徴的な権力の要塞」への民衆の実力行使王が軍を動員し国民議会を武力鎮圧するとの噂が広まると、パリ市民が蜂起。旧体制の象徴だったバスティーユ牢獄を民衆が占拠した。実際の収監者は7人だったが、この日はフランス革命記念日(7月14日)として現在も国民の祝日となっている。
人権宣言の採択(1789年8月)
≒ 国のあり方の「基本ルール」を人民が宣言した「人はうまれながらに自由で平等な権利を持つ」「主権は国民にある」「言論の自由」「所有権の保障」など17条から成る宣言を国民議会が採択。近代憲法の原型となり、世界に広まった。
1789三部会召集5月、175年ぶりに三部会が召集されるも採決方式をめぐり決裂。6月に第三身分が国民議会を宣言、テニスコートの誓い。7月14日バスティーユ牢獄襲撃。8月、封建的特権の廃止宣言・人権宣言採択。10月、ヴェルサイユ行進でルイ16世がパリへ移送される。
1791立憲君主制1791年憲法が制定され、立憲君主政が成立。しかしルイ16世が国外逃亡を図り(ヴァレンヌ逃亡事件)、国王の信頼は地に落ちた。
1792共和政へオーストリア・プロイセンとの戦争が始まる(革命戦争)。王政廃止、第一共和政が宣言される。
1793恐怖政治1月、ルイ16世が断頭台で処刑される。ロベスピエールら山岳派(ジャコバン派)が主導権を握り、反革命分子とされた人々を次々と処刑する恐怖政治が始まる。
1794テルミドールの反動7月(テルミドール)、ロベスピエールが逮捕・処刑される(テルミドールのクーデタ)。恐怖政治が終結し、穏健派が政権を掌握。
1804ナポレオン即位ナポレオン・ボナパルトが皇帝に即位。革命の成果(法の下の平等・ナポレオン法典)をヨーロッパ全土に広めていく。
◎旧体制の特権構造が崩壊し、自由・平等・国民主権を基礎とする近代市民社会の出発点となった。人権宣言の理念は現代の民主主義・人権思想に直接つながっている。
△革命は急進化して恐怖政治(1793〜1794年)に陥り、多数の命が失われた。最終的には革命の混乱を収束させたナポレオンによる帝政(1804年)で幕を閉じ、「自由・平等・友愛」のスローガンとは異なる方向へ向かう局面もあった。
ルイ16世
フランス国王(在位1774〜1792年)財政危機に対処できず三部会を召集。革命後に立憲君主として残るが、国外逃亡を図り信頼を失う。1793年に処刑。
マリー・アントワネット
ルイ16世の王妃(オーストリア出身)宮廷の浪費を象徴する存在として民衆の憎悪を集めた。1793年に処刑される。
ロベスピエール
ジャコバン派の指導者「美徳と恐怖」を掲げ、恐怖政治を主導。1794年のテルミドールのクーデタで逮捕・処刑された。
ジャン=ジャック・ルソー
啓蒙思想家(1778年没)「社会契約論」で人民主権を説き、革命の理論的支柱となった。革命開始前にすでに没していたが、その思想が革命を動かした。
ラファイエット
国民衛兵隊司令官・自由主義貴族アメリカ独立戦争に参加した経験を持ち、人権宣言の起草に関わった。立憲君主制を支持する穏健派として革命初期に活躍した。
- アンシャン・レジーム(旧体制)
- フランス革命前の身分制社会体制。聖職者(第一身分)・貴族(第二身分)が特権を持ち、平民(第三身分)が重税を負担する不平等な構造。
- 三部会
- 聖職者・貴族・平民の代表が集まるフランスの身分制議会。1614年以来開かれておらず、1789年の召集が革命のきっかけとなった。
- 人権宣言
- 1789年8月に国民議会が採択した「人間と市民の権利の宣言」。自由・平等・国民主権・所有権・言論の自由など17条から成る。近代憲法の原型。
- テニスコートの誓い
- 1789年6月20日、国民議会の代表たちがヴェルサイユ宮殿のテニスコートに集まり「憲法を制定するまで解散しない」と誓約した出来事。
- 恐怖政治(テロール)
- 1793〜1794年、ロベスピエール率いるジャコバン派が反革命分子を次々と処刑した独裁的な統治。約17000人が公式に処刑されたとされる。
- ジャコバン派(山岳派)
- フランス革命期の急進的共和主義勢力。ロベスピエールを中心に恐怖政治を推進したが、テルミドールのクーデタで打倒された。
1バスティーユの囚人はたった7人だった
革命の象徴として襲撃されたバスティーユ牢獄だが、当日の収監者はわずか7人(詐欺師4人・精神病患者2人・貴族1人)。要塞としての軍事的価値もほぼなくなっていた。それでも「王権の象徴的な要塞」だったため、民衆の感情を一気に燃え上がらせた。
2マリー・アントワネットは「パンがないならケーキを」と言っていない
民衆がパンを食べられないと聞かされた王妃が「ではブリオッシュを食べれば」と言ったという逸話は有名だが、現在では史料上の根拠がなく、ルソーの著作に登場する無名の王女のエピソードが混同されたとみられている。
3「自由・平等・友愛」はフランス革命当時のスローガンではなかった
「Liberté, Égalité, Fraternité(自由・平等・友愛)」がフランスの公式標語になったのは19世紀後半の第三共和政期。フランス革命当時から使われた言葉ではあるが、三語がセットで定着したのはずっと後のことである。
4ギロチンは「人道的」な処刑装置として導入された
断頭台(ギロチン)は、身分によって処刑方法が異なる旧体制を改め「すべての死刑囚に平等な苦痛のない死を」という啓蒙主義的発想から導入された。提唱者ギヨタン医師の名前に由来する。
5革命暦で「年」も「月」も変えてしまった
フランス革命後の国民公会は、旧体制の名残を一掃するため革命暦(フランス共和暦)を制定。週を10日制にし、月名もテルミドール(熱月)・ブリュメール(霧月)などに変更した。この暦はナポレオンが廃止する1806年まで使用された。

ここが出る博士のワンポイント
年号は1789年。語呂は「非難爆発(1789)フランス革命」。
バスティーユ牢獄襲撃は7月14日(現在のフランス革命記念日・パリ祭)。
人権宣言(1789年8月)は「自由・平等・国民主権・所有権」を明記した17条の宣言。
ルイ16世処刑(1793年)・恐怖政治(1793〜1794年)・テルミドール(1794年)は1789年と混同しないこと。
背景として「啓蒙思想(ルソー・モンテスキュー)」と「アメリカ独立(1776年)の影響」はセットで答えられるようにする。
三部会→国民議会→テニスコートの誓い→バスティーユ→人権宣言、という流れの順番を問われる。
語呂クイズ
「非難爆発(1789)フランス革命」= フランス革命が起こるは西暦何年?
- Q. フランス革命はなぜ1789年に起きたのですか?
- A. 財政破綻・凶作によるパン不足・身分制の不満が同時に頂点を迎えたためです。ルイ16世が財政立て直しのために招集した三部会が決裂し、それが直接の引き金となりました。
- Q. 第三身分とは何ですか?
- A. 聖職者(第一身分)・貴族(第二身分)以外の一般市民・農民・都市の商工業者(ブルジョワジー)のことです。人口の約97%を占めながら重税を負担し、政治的発言権が極めて弱い立場に置かれていました。
- Q. 人権宣言とはどんな内容ですか?
- A. 1789年8月に国民議会が採択した17条の宣言で、「人はうまれながらに自由で平等な権利を持つ」「主権は国民にある」「言論・思想の自由」「所有権の保障」などを明記しています。近代民主主義の原型とされます。
- Q. フランス革命とアメリカ独立宣言の関係は?
- A. アメリカ独立宣言(1776年)は「人民が自ら国のあり方を決める」実例をフランスに示しました。さらにフランスはアメリカ独立戦争を支援したため財政が悪化し、革命の経済的背景にもなっています。
- Q. ルイ16世はいつ処刑されましたか?
- A. 1793年1月に断頭台(ギロチン)で処刑されました。革命開始(1789年)から4年後のことで、1789年の出来事と混同しないよう注意が必要です。
- Q. フランス革命はいつ終わりましたか?
- A. 明確な終わりの定義は諸説ありますが、一般に1799年のナポレオンによるクーデタ(ブリュメール18日のクーデタ)が革命の終結とされることが多いです。
フランス革命は「旧体制の打倒」という一点だけでなく、「人はうまれながらに自由で平等である」という近代社会の根本原理を世界に宣言した歴史的事件です。恐怖政治という暗い側面も持ちながら、その理念はナポレオンを通じてヨーロッパ全土に広まり、その後の民主主義・人権思想・国民国家の形成に決定的な影響を与えました。「非難爆発(1789)フランス革命」の語呂とともに、バスティーユ→人権宣言という流れを確実に押さえましょう。
編集メモ(ファクト)
年号1789は「革命の開始」。ルイ16世処刑(1793年)・恐怖政治(1793〜1794年)・ナポレオン即位(1804年)は別の年号として区別すること。
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「パンがないならケーキを」の逸話は史料的根拠が薄いため、trivia にその旨を明記した。断定的に掲載することは避けている。