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中学/政治
1863

リンカーンが奴隷解放宣言を出す

エイブラハム・リンカーン(アメリカ大統領)
語呂
覚え方
人はみな自由、いやむさ(1863)奴隷解放
いやむさ(1863)奴隷解放宣言

1863年1月1日、アメリカ大統領エイブラハム・リンカーンは「奴隷解放宣言」を発布しました。南北戦争のさなか、南部連合に反乱している諸州の奴隷を解放すると宣言したこの文書は、道徳的な理念だけでなく、南部の労働力を奪い、黒人兵士を北軍に引き込み、イギリスなど列強の南部支援を防ぐという政治的・軍事的な狙いも持っていました。宣言単独では全米の奴隷制が即廃止されたわけではありませんでしたが、戦争の意義を「奴隷制廃止のための戦い」に塗り替え、1865年の憲法修正第13条による奴隷制の正式廃止へとつながる歴史的な一歩となりました。

この記事のポイント

  • 1863年1月1日、リンカーン大統領が奴隷解放宣言を発布した
  • 対象は南部連合の反乱諸州の奴隷に限られ、北部や南部の一部(連邦支配下)の奴隷には適用されなかった
  • 軍事的に南部の労働力を奪い、黒人兵士を北軍に招き入れ、列強の南部支援を防ぐ狙いがあった
  • 同年11月のゲティスバーグ演説で「人民の、人民による、人民のための政治」という民主主義の理念が示された
  • 奴隷制の正式廃止は宣言ではなく、1865年成立の憲法修正第13条によって実現した
ここが面白い

「すべての奴隷は永遠に自由である」――南北戦争の最中、リンカーン大統領がこの宣言を発したとき、アメリカの歴史は大きく動き始めた。しかしそれは、戦争を勝ち抜くための緻密な政治的・軍事的判断でもあった。

ここに至るまでの流れ
背景

奴隷解放宣言は突然生まれたわけではありません。アメリカ建国以来の奴隷制をめぐる対立、南北の経済格差、そして南北戦争という歴史的危機が積み重なった末に生まれた文書です。その背景を順に見ていきましょう。

南北の対立と南北戦争の勃発

アメリカ南部は綿花栽培を中心とするプランテーション農業で栄え、その労働力を黒人奴隷に依存していた。一方、北部は工業化が進み、奴隷制拡大に反対する世論が強まっていた。1860年の大統領選でリンカーンが当選すると、南部11州は連邦から離脱して南部連合を結成し、1861年4月に南北戦争が始まった。

リンカーンの当初の立場と戦況の変化

リンカーンは当初、戦争の目的を「連邦の維持(南部諸州の再統合)」と定め、奴隷制への直接介入を避けていた。しかし戦争は予想以上に長期化し、北軍は劣勢の時期も経験した。一方、南部は奴隷を軍事労働力として活用しており、これを断ち切ることが軍事的に有効であると判断されるようになった。

宣言の政治的・軍事的意図

奴隷解放宣言には複数の目的があった。第一に、南部の農園・軍事施設で使役されていた奴隷を解放することで南部の戦争継続能力を弱める。第二に、解放された黒人を北軍の兵士として組み込む(実際に約18万人の黒人兵士が北軍に加わった)。第三に、イギリスやフランスが奴隷制廃止を掲げる北部を支持せざるを得ない国際世論をつくり、南部への承認・支援を封じる。

宣言の限界と憲法修正第13条

奴隷解放宣言は大統領令であり、連邦議会による立法ではなかった。また対象は「反乱状態にある南部連合の諸州」に限定され、北部の奴隷州(ケンタッキー・デラウェアなど)や南部でも連邦軍が支配する地域の奴隷には適用されなかった。アメリカ全土での奴隷制の正式廃止は、南北戦争終結後の1865年12月に憲法修正第13条が批准されて初めて実現した。

やったこと(≒ 現代でいうと)
何を

反乱諸州の奴隷を解放すると宣言

≒ 戦時下の大統領令による奴隷制への打撃

南部連合を構成する反乱諸州の奴隷を解放すると宣言。即時の法的効力は限定的だったが、戦争の意義を「奴隷制廃止のための戦い」へと転換させた。

黒人兵士の北軍参加を促進

≒ 差別に苦しむ当事者が自ら歴史を変えた転機

宣言後、解放奴隷や自由黒人が続々と北軍に志願し、約18万人の黒人兵士(USCT:合衆国有色人種部隊)が戦場に立った。これが北軍の戦力増強に直結した。

ゲティスバーグ演説で民主主義の理念を表明

≒ 「人民の、人民による、人民のための政治」という言葉の誕生

1863年11月、ゲティスバーグの戦いの戦没者追悼式でリンカーンは「government of the people, by the people, for the people」という言葉を残した。奴隷解放と民主主義の理念が結びついた歴史的な演説とされる。

前後のできごと
年表
1820
ミズーリ協定奴隷州と自由州のバランスを保つ妥協策が成立。しかし根本的な対立は解消されなかった。
1852
アンクル・トムの小屋ハリエット・ビーチャー・ストウの小説が出版され、奴隷制の残酷さを広く世論に訴えた。
1860
リンカーン当選奴隷制拡大反対派の共和党リンカーンが大統領選に当選。南部諸州が連邦離脱の動きを加速させる。
1861
南北戦争開始南部連合が連邦要塞を攻撃し、4月に南北戦争が勃発。リンカーンは連邦維持を最優先の目標とした。
1862
予備宣言の発布9月、リンカーンは奴隷解放予備宣言を発布。100日以内に反乱をやめなければ奴隷を解放すると南部に通告した。
1863
奴隷解放宣言(1月1日)1月1日、本宣言を発布。南部連合の反乱諸州の奴隷を解放すると正式に宣言した。
1863
ゲティスバーグ演説(11月)7月のゲティスバーグの戦いの後、11月の追悼式でリンカーンが「人民の、人民による、人民のための政治」という言葉を残した。
1865
南北戦争終結・リンカーン暗殺4月に南部連合のリー将軍が降伏し戦争が終結。直後の4月14日、リンカーンはワシントンの劇場で射殺された。
1865
憲法修正第13条批准12月、全米での奴隷制を正式に廃止する憲法修正第13条が批准された。奴隷解放が法律として確定した瞬間である。
結果とその後
結果
戦争の目的が「奴隷制廃止のための戦い」へと転換し、約18万人の黒人兵士が北軍に加わって戦力が増強された。イギリス・フランスの南部支援を防ぎ、国際世論を北部寄りにする外交的効果も大きかった。1865年の憲法修正第13条による奴隷制の正式廃止への道を開いた。
宣言単独では全米の奴隷制は廃止されず、北部の奴隷州などには適用されなかった点に注意。黒人への法的平等(公民権)の実現は宣言後も長い道のりを要し、人種差別(ジム・クロウ法など)は20世紀まで続いた。リンカーン自身も当初は奴隷制廃止より連邦維持を優先しており、宣言には軍事的・政治的な計算が大きく働いていた。
登場人物
人物

エイブラハム・リンカーン

第16代アメリカ大統領

ケンタッキー州生まれの弁護士出身。1860年に共和党から大統領に当選。南北戦争を指導し奴隷解放宣言を発布したが、1865年4月に南部支持者のジョン・ウィルクス・ブースに暗殺された。

ジェファーソン・デイビス

南部連合大統領

南北戦争中の南部連合を率いた指導者。奴隷制を基盤とする南部の社会・経済を守ることを主張し、リンカーンと対峙した。南軍降伏後に逮捕されたが起訴は免れた。

ハリエット・タブマン

逃亡奴隷・「地下鉄道」の案内人

自ら奴隷から逃亡し、秘密の逃亡経路「地下鉄道」を使って約70人の奴隷を北部へ脱出させた。南北戦争中は北軍のスパイとしても活動した。

フレデリック・ダグラス

元奴隷・奴隷制廃止運動家

奴隷から逃亡して廃止論者・演説家・作家として活躍した黒人指導者。リンカーンに奴隷解放を強く働きかけた人物の一人であり、宣言の実現に大きく貢献した。

キーワード解説
用語
奴隷解放宣言
1863年1月1日にリンカーン大統領が発した大統領令。南部連合の反乱諸州にいる奴隷を「永遠に自由である」と宣言したが、全米への奴隷制廃止は後の憲法修正第13条によって実現した。
南北戦争
1861〜1865年にかけてアメリカ合衆国(北軍)と南部連合(南軍)の間で戦われた内戦。奴隷制の存廃と連邦の維持が最大の争点。北軍の勝利で終結し、アメリカの統一と奴隷制廃止が実現した。
南部連合
1860〜1861年にかけてアメリカ連邦から離脱した南部11州が結成した独立国家(未承認)。ジェファーソン・デイビスを大統領とし、奴隷制の維持を主要な主張とした。
憲法修正第13条
1865年12月に批准されたアメリカ合衆国憲法の修正条項。奴隷制と強制的な使役を、刑罰としての場合を除いて全面的に禁止した。奴隷解放を法律として確定させた条文。
ゲティスバーグ演説
1863年11月、ペンシルベニア州ゲティスバーグの戦没者国立墓地の開幕式でリンカーンが行った演説。「人民の、人民による、人民のための政治」という言葉で民主主義の本質を表現した名演説として知られる。
もっと知りたい
豆知識

1宣言の対象から外れた奴隷州があった

奴隷解放宣言の対象は南部連合の反乱諸州に限定された。ケンタッキー・デラウェア・メリーランド・ミズーリといった連邦に残留した奴隷州や、南部でも連邦軍が支配していた地域(テネシー州の一部など)は対象外だった。この制約は宣言の軍事的な根拠(反乱鎮圧のための戦争権限)から来るものだった。

2宣言の直前に南軍が大勝していた

1862年8月の第二次ブル・ランの戦いで北軍は大敗した。リンカーンは9月に予備宣言を出すが、閣僚の中には「敗戦の直後に出すと降伏文書のように見える」と反対した者もいた。9月のアンティータムの戦いで北軍がかろうじて「引き分け」に持ち込んだ直後に予備宣言を発したのは、そのためである。

3ゲティスバーグ演説はわずか272語

1863年11月のゲティスバーグ演説は、当日の主賓演説者エドワード・エベレットが2時間にわたって演説した後にリンカーンが行ったもので、わずか272語・約2分という短さだった。当時の聴衆の反応は薄かったとも伝わるが、後世に「民主主義の定義」として世界中で引用されている。

4リンカーンは身長約193cmで歴代最長身大統領

リンカーンは約193センチと歴代アメリカ大統領の中で最も身長が高い。農家・丸太小屋育ちから独学で弁護士・政治家になった経歴を持ち、「誠実なエイブ(Honest Abe)」と呼ばれた。その風貌(特徴的なあごひげ)は11歳の少女グレース・ベデルに手紙で「ひげを生やすとかっこいい」と勧められて生やし始めたものだと伝わる。

5暗殺されたのは戦争終結の5日後

1865年4月9日に南軍のリー将軍が降伏して南北戦争が終結したが、リンカーンはその5日後の4月14日にワシントンのフォード劇場で観劇中に南部支持者の俳優ジョン・ウィルクス・ブースに銃撃された。翌15日早朝に死去し、奴隷制廃止の実現を見届けることなく56年の生涯を閉じた。

世界史の博士
ここが出る博士のワンポイント
年号は1863年。語呂は「人はみな自由、いやむさ(1863)奴隷解放」。
発布したのは第16代アメリカ大統領エイブラハム・リンカーン(1863年1月1日)。
宣言の対象は南部連合の反乱諸州の奴隷のみ。北部の奴隷州などは対象外だった点に注意。
奴隷制の全米での正式廃止は宣言ではなく、1865年の憲法修正第13条による。
同年11月のゲティスバーグ演説「人民の、人民による、人民のための政治」と、戦争の背景(南北戦争1861〜1865年)をセットで押さえる。
語呂クイズ
「人はみな自由、いやむさ(1863)奴隷解放」= リンカーンが奴隷解放宣言を出すは西暦何年?
よくある質問
FAQ
Q. 奴隷解放宣言はいつ、だれが出しましたか?
A. 1863年1月1日、第16代アメリカ大統領エイブラハム・リンカーンが発布しました。南北戦争のさなかに大統領令として出されたものです。
Q. 奴隷解放宣言でアメリカの奴隷制はすべて廃止されましたか?
A. いいえ。宣言の対象は南部連合の反乱諸州に限られ、北部の奴隷州や連邦支配下の南部地域には適用されませんでした。全米での奴隷制の正式廃止は1865年の憲法修正第13条によって実現しました。
Q. なぜリンカーンは南北戦争中に奴隷解放宣言を出したのですか?
A. 道徳的な理由だけでなく、南部の労働力・軍事力を弱める、解放された黒人を北軍に引き込む、イギリスなど列強の南部支援を封じる、という政治的・軍事的な狙いがありました。
Q. ゲティスバーグ演説と奴隷解放宣言はどう関係しますか?
A. どちらも1863年の出来事です。1月の奴隷解放宣言で戦争の目的を奴隷制廃止に転換し、11月のゲティスバーグ演説で「人民の、人民による、人民のための政治」という民主主義の理念を示しました。二つ合わせてリンカーンの戦争指導の核心を表しています。
Q. リンカーンはその後どうなりましたか?
A. 1865年4月に南北戦争が終結しましたが、その5日後の4月14日にワシントンのフォード劇場で南部支持者に銃撃され、翌15日に死去しました。奴隷制の正式廃止(憲法修正第13条、同年12月批准)を見届けることはできませんでした。
まとめ

奴隷解放宣言は、人道的な理念と政治的・軍事的な計算が重なり合って生まれた歴史的文書です。南北戦争の流れを「奴隷制廃止のための戦い」へと転換させ、約18万人の黒人兵士を北軍に引き込み、1865年の憲法修正第13条による奴隷制正式廃止への道を開きました。ただし宣言単独では全米の奴隷が解放されたわけではなく、その後の黒人の権利獲得にも長い歴史が続くことを忘れてはなりません。「いやむさ(1863)奴隷解放宣言」の語呂と、南北戦争・憲法修正第13条とのつながりをセットで理解しておきましょう。

編集メモ(ファクト)
宣言の軍事的・政治的意図(南部の労働力を奪う、黒人兵を招く、列強の介入を防ぐ)は史料で裏付けられており、記述に含めた。
対象地域の限定(北部の奴隷州除外)と憲法修正第13条による正式廃止の区別は、試験頻出の誤解ポイントとして複数箇所で触れた。
ゲティスバーグ演説(1863年11月)は奴隷解放宣言と同年の出来事として関連づけた。
related は指示された2つのID(1861-us-civil-war・1776-us-independence)のみを記載。存在しない場合は削除すること。
ハリエット・タブマンの項は南北戦争期の北軍スパイとしての活動も含め記述した(史料で裏付けられている)。