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中学/政治
1776

アメリカ独立宣言が出される

トマス・ジェファソン(独立宣言の主起草者)
語呂
覚え方
いーな、なろう(1776)独立国
いななろ(1776)どくりつこく

1776年7月4日、北アメリカの13植民地の代表たちがフィラデルフィアに集まり、独立宣言を採択しました。主な起草者はトマス・ジェファソンです。「すべての人は平等に作られ、生命・自由・幸福の追求という不可侵の権利を持つ」という言葉は、ジョン・ロックの社会契約説を土台に、国家権力の限界と人民の抵抗権を明文化したものでした。この宣言はイギリスからの正式な独立の意思表示であり、独立戦争(1775〜83年)の大義を世界に向けて示す歴史的文書となりました。なお独立の完成(イギリスによる正式承認)は1783年のパリ条約まで待つことになります。

この記事のポイント

  • 1776年7月4日、北アメリカ13植民地の代表が独立宣言を採択
  • 主起草者はトマス・ジェファソン。ロックの自然権思想(生命・自由・幸福の追求)を明文化
  • 背景にはイギリス本国の課税強化(印紙法・茶法)への「代表なくして課税なし」という抵抗
  • 独立戦争は1775年に開戦、1783年のパリ条約でイギリスが独立を正式承認
  • フランス革命(1789年)など近代市民革命に大きな影響を与えた
ここが面白い

「すべての人は平等に作られた」と謳いながら、起草者ジェファソン自身は生涯600人以上の奴隷を所有していた。

ここに至るまでの流れ
背景

独立宣言はある日突然生まれたわけではありません。1760年代からイギリス本国と植民地の間で積み重なってきた対立が、ついに決定的な形をとったものです。その経緯を順に見てみましょう。

13植民地とは何か

17世紀初頭からイギリス人が北アメリカ東海岸に次々と植民地を建設し、18世紀半ばまでに13の植民地が形成されました。各植民地はそれぞれ議会を持ち、税の自己決定を当然の権利として育ってきました。

イギリス本国の課税強化

フレンチ・インディアン戦争(1754〜63年)の戦費を負担させるため、イギリスは1765年の印紙法を皮切りにタウンゼンド諸法(1767年)・茶法(1773年)と立て続けに植民地への課税を強化しました。植民地側はイギリス議会に代表を送れないままだったため、「代表なくして課税なし」と強く反発しました。

ボストン茶会事件(1773年)

東インド会社のお茶の独占販売に抗議するため、植民地の急進派が英国船に乗り込み、茶箱342個を港に投げ捨てました。これに対してイギリスはボストン港封鎖など強硬策で応じ(強制法)、両者の対立は修復不能な状態になりました。

独立戦争の開戦(1775年)

1775年4月のレキシントン・コンコードの戦いで植民地民兵とイギリス軍が衝突し、独立戦争が始まりました。第2回大陸会議が招集され、ジョージ・ワシントンが総司令官に任命されます。当初は独立よりも権利回復を求める穏健派も多くいましたが、トマス・ペインの『コモン・センス』(1776年1月)が独立の必要性を平易な言葉で説き、世論を大きく動かしました。

やったこと(≒ 現代でいうと)
何を

自然権の明文化

≒ 「生命・自由・幸福の追求は生まれながらの権利」という宣言

ジョン・ロックの社会契約説を踏まえ、政府は人民の権利を守るために存在すると明記。人民はその目的を果たさない政府を変える権利(抵抗権)を持つとした。

イギリス国王への告発状

≒ 「私たちが独立する理由はこれだけある」という国際向け声明

宣言の大部分はジョージ3世が植民地に行った27の不当行為を列挙する「告発文」であり、独立の正当性を国際社会に示す外交的意図があった。

1783年パリ条約との関係

≒ 宣言≠独立の完成

1776年の独立宣言は独立の意思表明であり、独立戦争はその後も続いた。イギリスが正式に独立を承認したのは1783年のパリ条約である。この区別は試験頻出。

前後のできごと
年表
1765
印紙法イギリスが印紙法を制定。植民地側は「代表なくして課税なし」と強く反発し、翌年撤廃されたが火種は残った。
1773
茶会事件ボストン茶会事件。急進派が英国船の茶箱を港に投棄し、英本国との対立が決定的となった。
1775
開戦レキシントン・コンコードの戦いで独立戦争が始まる。ジョージ・ワシントンが総司令官に就任。
1776
独立宣言7月4日、第2回大陸会議が独立宣言を採択。主起草者はトマス・ジェファソン。
1781
ヨークタウンヨークタウンの戦いでワシントン・フランス連合軍がイギリス軍を降伏させ、事実上の戦争終結。
1783
パリ条約パリ条約でイギリスがアメリカの独立を正式承認。ミシシッピ川以東の広大な領土も獲得。
1787
合衆国憲法フィラデルフィア憲法会議で合衆国憲法を制定。近代最初の成文憲法のひとつ。
1789
初代大統領ジョージ・ワシントンが初代大統領に就任。同年フランス革命が勃発し、独立宣言の思想が世界へ広まった。
結果とその後
結果
1783年のパリ条約でイギリスが独立を正式承認し、アメリカ合衆国が国際社会に認められた。生命・自由・幸福の追求を謳った宣言の思想はフランス革命(1789年)をはじめ近代市民革命に多大な影響を与えた。
「すべての人は平等に作られた」と宣言しながら、奴隷制は廃止されなかった。この矛盾は南北戦争(1861〜65年)まで引き継がれ、奴隷解放宣言(1863年)まで根本的な解決を見なかった。
登場人物
人物

トマス・ジェファソン

独立宣言の主起草者、後に第3代大統領

ロックの自然権思想をもとに宣言の草稿を17日で書き上げた。一方で生涯600人以上の奴隷を所有した矛盾する側面も持つ。

ジョージ・ワシントン

大陸軍総司令官、後に初代大統領

決戦を避けて戦力を温存する粘り強い持久戦でイギリス軍を消耗させ、フランスの支援も得て独立を勝ち取った。1789年に初代大統領に就任。

ベンジャミン・フランクリン

外交官・科学者

駐仏大使としてフランスの軍事同盟と財政支援を取り付け、独立戦争の勝利に貢献。パリ条約の交渉にも参加した。

トマス・ペイン

政治思想家・著述家

1776年1月に発表した『コモン・センス』で独立の必要性を平易な言葉で説き、世論を独立支持に動かした。

ジョン・アダムズ

大陸会議代表、後に第2代大統領

独立宣言起草委員会の中心メンバー。ジェファソンに草稿を依頼した人物でもある。

キーワード解説
用語
自然権
人が生まれながらに持つ権利。ロックは生命・自由・財産を、独立宣言ではジェファソンが「生命・自由・幸福の追求」と表現した。
社会契約説
ジョン・ロックらが唱えた理論。人々は権利を守るために政府に権力を委ね、政府がその役割を果たさなければ人民は政府を変える権利(抵抗権)を持つとする。
代表なくして課税なし
植民地側の合言葉。議会に代表を送れないまま課税されることは不当だという主張で、イギリスへの抵抗の根拠となった。
大陸会議
13植民地の代表が集まった政治会議。1774年の第1回から継続して開催され、独立宣言の採択や憲法制定など重要決定を行った機関。
パリ条約(1783年)
アメリカ独立戦争を終結させた条約。イギリスはアメリカの独立を正式に承認し、ミシシッピ川以東の領土を割譲した。独立宣言(1776年)とは別物。
もっと知りたい
豆知識

17月4日はじつは「採択日」ではなかった?

独立宣言の本文は7月2日に13植民地全体で独立の決議(リー決議)が可決された後、4日に文書として採択された。実際の署名は8月2日にまとめて行われたものが多く、7月4日に全員が署名したわけではない。それでも7月4日が「独立記念日」として定着している。

2最初の草稿には奴隷制廃止の条文があった

ジェファソンの初稿にはジョージ3世を奴隷貿易の責任者として批判する条文が含まれていたが、南部植民地の代表が強く反対したため最終的に削除された。「平等」を謳いながら奴隷制が残った根本的な矛盾はここにある。

3フランスの支援なしに独立戦争は勝てなかった

ヨークタウンの決戦(1781年)ではフランス艦隊が制海権を握り、フランス陸軍が連合して戦った。フランスの軍事・財政支援がなければ独立はなかったと言っても過言ではない。フランスはこの支援による財政悪化が後のフランス革命の一因になった。

4「幸福の追求」はロックの原文と違う

ロックの『統治二論』では自然権を「生命・自由・財産」としていたが、ジェファソンは「財産」を「幸福の追求」に置き換えた。「財産のない者は権利を持てない」という誤解を避けるためだったとも言われるが、正確な意図は今も議論がある。

5独立宣言の羊皮紙は現在も存在する

フィラデルフィアで採択された独立宣言の原本はワシントンD.C.の国立公文書記録管理局に保管されており、一般公開されている。ただし長年の光曝露などで文字は相当かすんでおり、肉眼では読みにくくなっている。

世界史の博士
ここが出る博士のワンポイント
独立宣言の採択は1776年7月4日。語呂は「いーな、なろう(1776)独立国」。
主起草者はトマス・ジェファソン。思想的背景はジョン・ロックの社会契約説・自然権論。
独立宣言(1776年)とイギリスによる独立承認(1783年パリ条約)は別。試験で混同しやすい。
ボストン茶会事件(1773年)→独立戦争開戦(1775年)→独立宣言(1776年)の流れを押さえる。
独立宣言はフランス革命(1789年)・人権宣言など近代市民革命に影響を与えたという因果も頻出。
語呂クイズ
「いーな、なろう(1776)独立国」= アメリカ独立宣言が出されるは西暦何年?
よくある質問
FAQ
Q. アメリカが独立したのはいつですか?
A. 独立宣言の採択は1776年7月4日ですが、イギリスが独立を正式に承認したのは1783年のパリ条約です。「独立宣言」と「独立の承認」は別の出来事なので注意しましょう。
Q. 独立宣言を書いたのは誰ですか?
A. 主な起草者はトマス・ジェファソンです。ただし大陸会議の委員会(ジェファソン・フランクリン・アダムズら5名)が関与し、議会での審議を経て最終的な文書が採択されました。
Q. 「代表なくして課税なし」とはどういう意味ですか?
A. 植民地はイギリス議会に議員を送れないまま一方的に課税されていたため、「議会に代表がいない以上、課税は不当だ」という抵抗の合言葉です。近代民主主義の原則「課税には代表が必要」の源流のひとつです。
Q. ボストン茶会事件と独立宣言はどう関係しますか?
A. 1773年のボストン茶会事件はイギリスの茶法への抗議行動で、英本国が強硬策で報復したことで対立が決定的になりました。その後1775年に独立戦争が始まり、1776年の独立宣言につながる重要な前段です。
Q. 独立宣言は奴隷制を廃止しましたか?
A. していません。「すべての人は平等に作られた」と謳いながら奴隷制は存続し続け、廃止されたのは南北戦争後の1865年(修正第13条)のことです。この矛盾は当時から批判されていました。
Q. アメリカ独立がフランス革命に影響したのはなぜですか?
A. 独立宣言の自然権・人民主権の思想がフランスに伝わったこと、また独立戦争に参加したフランスの軍人(ラファイエットなど)が自由主義思想を持ち帰ったことが大きな要因です。さらにフランスが戦費支援で財政破綻したことも革命の引き金のひとつになりました。
まとめ

アメリカ独立宣言は単なる「独立の手続き文書」ではありません。「すべての人は平等に作られ、生命・自由・幸福の追求という権利を持つ」という言葉は、君主制が当然だった時代に「人民が政府を変える権利を持つ」という革命的な思想を世界に向けて宣言したものでした。この宣言が火をつけた近代市民革命の連鎖は、フランス革命、さらには世界各地の独立運動・民主化運動へとつながっていきます。語呂「いーな、なろう(1776)独立国」とともに、1776年の宣言と1783年のパリ条約(独立承認)という2つの年号を区別して覚えておきましょう。

編集メモ(ファクト)
独立宣言(1776年7月4日採択)とイギリスによる独立承認(1783年パリ条約)は別の出来事。混同しやすいため本文・exam_pointsで重ねて強調した。
奴隷制の矛盾については、史実として中立的に記載している。断定的な評価は避けた。
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