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1762

ルソーが『社会契約論』を発表する

ジャン=ジャック・ルソー
語呂
覚え方
否無二(いなむに)の(1762)社会契約論
いなむに(1762)社会契約論

1762年、フランスの啓蒙思想家ジャン=ジャック・ルソーは『社会契約論』を発表しました。この書物でルソーは、国家や政府の権力はもともと人々の合意(社会契約)に基づくものであり、主権は人民全体にあると主張しました。王や貴族が生まれながらに支配する権利を持つという当時の常識を根底から覆す思想であり、人民主権・一般意志・自由と平等といった近代民主主義の核心的な概念を打ち立てました。ルソーの思想は、27年後の1789年フランス革命に直接の影響を与え、近代国家の政治哲学の礎となりました。

この記事のポイント

  • 1762年、ルソーが『社会契約論』を発表。国家の権力は人民の合意(社会契約)に基づくと主張した
  • 主権は人民全体にある(人民主権)という考え方を明確に打ち出した
  • 一般意志(共同体全体の利益を目指す意志)に基づく政治が理想とされた
  • 冒頭の一節「人間は生まれながらに自由であるが、いたるところで鎖につながれている」が象徴的
  • 1789年のフランス革命に大きな思想的影響を与え、近代民主主義の原点の一つとなった
ここが面白い

「人間は生まれながらに自由であるが、いたるところで鎖につながれている」――この衝撃的な一文から始まる書物が、後にフランス革命を引き起こす思想の火種となった。

ここに至るまでの流れ
背景

『社会契約論』は突然生まれたわけではありません。18世紀ヨーロッパの絶対王政への批判・啓蒙思想の広がり・先行する社会契約思想という積み重ねの末に生まれた著作です。その背景を順に見ていきましょう。

絶対王政と啓蒙思想の時代

17〜18世紀のヨーロッパでは、フランスのルイ14世に代表される絶対王政が各国で行われていました。王は「王権神授説」を根拠に絶対的な権力を持つとされ、議会や民衆の意見は顧みられませんでした。これに対して啓蒙思想家たちは、理性によって社会や政治を改革しようと主張し、既存の権威を批判しました。ヴォルテール、モンテスキュー(『法の精神』1748年)、ルソーらがその代表です。

先行する社会契約論——ホッブズとロック

ルソー以前にも「社会契約」の考え方は存在しました。ホッブズ(17世紀)は人間の自然状態を「万人の万人に対する闘争」とみなし、安全のために強力な主権者(国家)に権力を委ねると説きました。ロック(1689年)は政府の権力は人民の信託によるものであり、権利を侵害した政府には人民が抵抗できると主張しました。ルソーはこれらを批判的に継承し、人民主権の思想をより徹底させました。

ルソーの生い立ちと思想的出発点

ジャン=ジャック・ルソー(1712〜1778年)はスイスのジュネーヴ生まれ。幼少期に母を失い、放浪・独学を経てパリで活躍した異色の思想家です。1750年の懸賞論文『学問芸術論』で「文明は人間を堕落させた」と主張して一躍有名になりました。ルソーは自然状態の人間を本来は善良で自由な存在とみなし、文明や社会の制度が人間を不平等にしたと考えました。

『社会契約論』の核心

1762年に発表された『社会契約論』(Du Contrat social)は全4編で構成されます。ルソーは、正当な政治権力は人民全員が自発的に結ぶ社会契約によってのみ成立すると論じました。そして人民が共同体全体の利益のために形成する意志(一般意志)が主権の根拠であり、それに反する政府には従う必要がないとしました。この「人民主権」の思想は、フランス革命の理論的支柱となりました。

やったこと(≒ 現代でいうと)
何を

社会契約——権力の源は人民の合意

≒ 選挙で代表者を選び、法律に基づいて政治を行う民主主義

国家や政府の権力は神や血統から来るのではなく、人民全員が自発的に結ぶ合意(社会契約)によって生まれるとした。この考えは王権神授説を根本から否定するものだった。

人民主権——主権は人民にある

≒ 国民が政治の主体であるという憲法の原則

主権者は王や貴族ではなく、人民全体にあると宣言した。統治者はあくまで人民から権力を委ねられた存在にすぎないとし、後のフランス革命や近代憲法の基本原則となった。

一般意志——共同体全体の利益を目指す意志

≒ 個人の利益ではなく公共の利益を追求する政治の理想

ルソーは個人の欲求の集まりにすぎない「全体意志」と区別して、共同体全体の善を目指す「一般意志」という概念を打ち出した。一般意志に基づく政治こそが正当な統治だと論じた。

前後のできごと
年表
1712
ルソー誕生ジャン=ジャック・ルソーがスイスのジュネーヴで誕生。幼くして母を失い、父とも別れ、独学で成長した。
1748
モンテスキュー『法の精神』啓蒙思想家モンテスキューが三権分立(立法・行政・司法の分離)を説いた『法の精神』を発表。ルソーに先行する啓蒙思想の代表的著作。
1750
ルソー『学問芸術論』ディジョン・アカデミーの懸賞論文に「学問と芸術の発展は人間を堕落させた」と論じた論文が入賞。ルソーが一躍有名になるきっかけとなった。
1755
ルソー『人間不平等起源論』自然状態の人間は平等だったが、私有財産の発生が不平等をもたらしたと論じた。『社会契約論』の思想的前提となる著作。
1762
『社会契約論』『エミール』発表ルソーが『社会契約論』と教育論『エミール』を同年に発表。どちらもフランスで発禁処分となり、ルソーは逃亡生活を強いられた。
1763
ルソー市民権を返上著作が危険思想として弾圧されたため、ルソーはジュネーヴの市民権を返上し、各地を転々とする生活を余儀なくされた。
1778
ルソー死去ルソーがパリ近郊のエルムノンヴィルで死去。フランス革命勃発の11年前のことだった。
1789
フランス革命勃発ルソーの人民主権思想に強く影響されたフランス革命が勃発。人権宣言(人および市民の権利宣言)が採択され、主権が人民にあると宣言された。
1794
ルソーの遺骸をパンテオンへ革命政府によってルソーの遺骸がパリのパンテオン(偉人廟)に移葬された。革命の精神的父として称えられた証。
結果とその後
結果
人民主権・社会契約・一般意志という概念を確立し、フランス革命(1789年)・アメリカ独立宣言(1776年)・近代民主主義の思想的基盤となった。王権神授説に依拠した絶対王政を批判する理論的根拠を提供し、立憲主義や共和主義の発展に大きく貢献した。
ルソーの「一般意志」の概念は多義的であり、後世に全体主義的な解釈に利用される危険性も指摘されている。また同年に発表した『エミール』ともどもフランスおよびジュネーヴで発禁・焚書となり、ルソー自身は逃亡生活を余儀なくされた。思想が社会に与える影響の大きさと、それに伴う危険性の両面を押さえておく必要がある。
登場人物
人物

ジャン=ジャック・ルソー

啓蒙思想家・哲学者(1712〜1778年)

スイス・ジュネーヴ出身。独学でパリに出て啓蒙思想家として活躍。『社会契約論』『エミール』などで人民主権・自然教育を説いた。フランス革命の思想的父とも呼ばれる。

ジョン・ロック

イギリスの政治哲学者(1632〜1704年)

1689年に『統治二論』を著し、社会契約論・抵抗権・権力の信託を説いた。ルソーに先行する社会契約論の代表的論者で、ルソーはロックの思想を批判的に発展させた。

モンテスキュー

フランスの啓蒙思想家(1689〜1755年)

1748年に『法の精神』を著し、立法・行政・司法の三権分立を説いた。ルソーと並ぶフランス啓蒙思想の代表者で、フランス革命やアメリカ合衆国憲法の設計にも影響を与えた。

マクシミリアン・ロベスピエール

フランス革命の指導者(1758〜1794年)

ルソーの熱心な信奉者で、革命中に「美徳の共和国」を掲げて恐怖政治を指導した。一般意志の名のもとに反対派を処刑したことから、ルソー思想の危険な解釈の象徴的人物とされる。

キーワード解説
用語
社会契約
国家や政府は人民全員が自発的に結んだ合意(契約)によって成立するという考え方。ホッブズ・ロック・ルソーが代表的論者。ルソーは人民全員が主権を保持したまま共同体を形成すると論じた。
人民主権
国家の主権は人民全体にあるという原則。王や貴族ではなく、人民こそが政治の主体であるとするルソーの核心的思想。フランス革命・近代憲法の基本原則となった。
一般意志
ルソーが提唱した概念で、個人の利益の集まりにすぎない「全体意志」と区別して、共同体全体の公共の善を目指す意志のこと。正当な政治はこの一般意志に基づくべきとされた。
王権神授説
国王の権力は神から直接授けられたものであり、人民が干渉する余地はないという考え方。絶対王政を支えるイデオロギーで、ルソーらの啓蒙思想によって批判された。
啓蒙思想
17〜18世紀ヨーロッパに広がった知的運動。理性を最高の基準として、既存の権威・宗教・慣習を批判的に問い直し、人間の自由・平等・進歩を説いた。ルソー・モンテスキュー・ヴォルテールらが代表的人物。
もっと知りたい
豆知識

1『社会契約論』の書き出しは世界史上最も有名な一文の一つ

「人間は生まれながらに自由であるが、いたるところで鎖につながれている」という冒頭の一節は、200年以上たった現在も世界中で引用され続ける。当時の絶対王政の下で、これは革命的な宣言だった。

2『社会契約論』と『エミール』は同じ1762年に発禁処分に

ルソーは『社会契約論』と教育論『エミール』を同年に発表したが、どちらもフランスおよびジュネーヴで危険思想として発禁・焚書となった。ルソーはフランスとスイスを逃げ回り、ヒューム(イギリスの哲学者)の助けでイングランドに亡命したこともある。

3ルソーの遺骸は革命後にパンテオンへ

ルソーはフランス革命の11年前に亡くなったが、革命政府は彼を「革命の精神的父」として称え、1794年に遺骸をパリのパンテオンに移葬した。ヴォルテールの遺骸も同じ年にパンテオンに移され、二人は奇しくも同じ廟に眠ることとなった。

4ルソーの思想は全体主義に悪用された面も

ルソーの「一般意志」という概念は「共同体全体の意志」を代表する者が個人の自由を制限できるとも解釈でき、革命期のロベスピエールによる恐怖政治、後には全体主義思想の正当化に利用されたという批判がある。自由と平等の思想家が、かえって自由の抑圧に使われるという歴史の皮肉だった。

5ロック・ルソー・モンテスキューの覚え方

社会契約論の思想家を整理する語呂合わせとして「ロックで社会契約、ルソーで人民主権、モンテスキューで三権分立」と覚えると試験に役立つ。三人とも啓蒙思想の代表者で、いずれもフランス革命やアメリカ独立に影響を与えた。

世界史の博士
ここが出る博士のワンポイント
年号は1762年。語呂は『否無二(いなむに)の(1762)社会契約論』。
著者はジャン=ジャック・ルソー(スイス・ジュネーヴ出身のフランス啓蒙思想家)。
核心的主張:①社会契約——権力の源は人民の合意、②人民主権——主権は人民全体にある、③一般意志——共同体全体の利益を目指す意志に基づく政治が理想。
冒頭の一節「人間は生まれながらに自由であるが、いたるところで鎖につながれている」は頻出。
ロックの社会契約論・抵抗権(1689年)、モンテスキューの三権分立・『法の精神』(1748年)との違いを整理し、フランス革命(1789年)への影響とセットで押さえておくこと。
語呂クイズ
「否無二(いなむに)の(1762)社会契約論」= ルソーが『社会契約論』を発表するは西暦何年?
よくある質問
FAQ
Q. 社会契約論とはどんな本ですか?
A. 1762年にルソーが発表した政治哲学の著作です。国家や政府の権力は神から与えられたものではなく、人民全員が自発的に結んだ合意(社会契約)によって成立すると論じ、主権は人民全体にあると主張しました。
Q. ルソーはロックとどう違うのですか?
A. ロックも社会契約を説きましたが、人民は統治者に権力を委ねると論じました(権力の信託)。ルソーはさらに徹底して、主権は人民全員が常に保持し続けるべきで、一般意志に反する政府には従う必要がないと主張しました。
Q. 一般意志とは何ですか?
A. ルソーが提唱した概念で、個人の欲求の寄せ集め(全体意志)と区別して、共同体全体の公共の善を目指す意志のことです。正当な政治はこの一般意志に基づくべきだとルソーは主張しました。
Q. 『社会契約論』はフランス革命とどう関係しますか?
A. ルソーの人民主権・社会契約の思想は、フランス革命(1789年)の指導者たちに強く影響しました。革命で採択された人権宣言には「主権の原理は国民にある」という条項が盛り込まれ、ルソーの思想が直接反映されています。
Q. なぜ『社会契約論』は発禁になったのですか?
A. 王権神授説に基づく絶対王政が当たり前だった時代に、主権は人民にあると主張したからです。また宗教的な権威も批判的に論じていたため、フランスとジュネーヴの両方で危険思想として焚書・発禁処分となりました。
まとめ

ルソーの『社会契約論』は、「権力の源は人民の合意にある」「主権は人民にある」という近代民主主義の根本原則を打ち立てた歴史的著作です。絶対王政が支配するヨーロッパで発表されたこの思想は危険視されて発禁処分となりましたが、フランス革命(1789年)の指導者たちに熱烈に支持され、その後の近代国家の政治哲学に深く刻まれました。「否無二(1762)の社会契約論」の語呂とともに、人民主権・社会契約・一般意志というキーワードを押さえ、ロックの抵抗権・モンテスキューの三権分立とセットで整理しておきましょう。

編集メモ(ファクト)
ルソーはジュネーヴ(現スイス)生まれだが、フランス語圏で活動したためフランスの啓蒙思想家として分類されることが多い。ここでは両面を記した。
一般意志の概念は哲学的に多義的であり、全体主義的解釈への批判も存在する。結果(caution)欄でその点を明記した。
ロベスピエールの記載は、ルソー思想の光と影を示すために含めた。
relatedは指定の2件(1689-bill-of-rights・1789-french-revolution)のみを記載。