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高校/政治
1787

アメリカ合衆国憲法が制定される

ジェームズ・マディソン(「憲法の父」)/ジョージ・ワシントン(議長)
語呂
覚え方
稲花(1787)合衆国憲法
いなはな(1787)合衆国憲法

1787年5月から9月にかけて、ペンシルヴェニア州フィラデルフィアで憲法制定会議が開かれました。議長にはジョージ・ワシントン、起草の中心にはジェームズ・マディソンが立ち、13の州から集まった代表たちが連合規約に代わる新たな最高法規を起草しました。完成した合衆国憲法は、連邦主義(連邦と州の権限分割)・三権分立(立法=連邦議会、行政=大統領、司法=最高裁判所)・抑制と均衡(チェック=アンド=バランス)・人民主権という四つの柱を持ちます。1788年に必要な州数(9州)の批准を経て発効し、1789年にワシントンが初代大統領に就任。さらに1791年には権利章典(修正第1〜10条)が追加され、個人の自由を明文で保障する現代的な成文憲法の原型となりました。

この記事のポイント

  • 1787年、フィラデルフィアの憲法制定会議でアメリカ合衆国憲法が起草された(議長はワシントン、「憲法の父」はマディソン)
  • 連邦主義・三権分立・チェック=アンド=バランス・人民主権の四つが基本原理
  • 1788年に9州が批准して発効、1789年にワシントンが初代大統領に就任
  • 1791年に権利章典(修正第1〜10条)が追加され、言論・宗教・集会の自由などを保障
  • 奴隷制を実質的に温存した点は当時の重大な限界であり、南北戦争後の修正(第13〜15条)まで抜本的な解消は持ち越された
ここが面白い

「人民が、人民のために、人民によって定めた政府」――その礎となる文書を、独立からわずか11年後の若い国家が書き上げた。三権分立・連邦主義・チェック=アンド=バランスを一枚の羊皮紙に凝縮した、この合衆国憲法は今日も改正を重ねながら現役で機能している。

ここに至るまでの流れ
背景

合衆国憲法は突然生まれたわけではありません。独立戦争後の統治の失敗と混乱、そしてヨーロッパの政治思想という二つの文脈が交差した場所から生まれた文書です。その背景を順に見ていきましょう。

連合規約の限界とシェーズの乱

1781年に発効した連合規約は、各州の主権を最大限に尊重する緩やかな連合を定めたものだった。しかし中央政府(連合会議)には課税権がなく、軍の維持も州に依存した。独立戦争の借金は膨らみ、各州は独自の関税を設けて通商を阻害した。こうした混乱の中、1786〜1787年にマサチューセッツ州でシェーズの乱(重税に苦しむ農民の武装蜂起)が発生し、既存の統治体制の脆弱さが白日の下にさらされた。

フィラデルフィア憲法制定会議(1787年)

1787年5月、フィラデルフィアの独立記念館(州議会議事堂)に12州(ロードアイランド州は欠席)の代表55名が集まった。表向きの名目は連合規約の「修正」だったが、代表たちはやがて連合規約を全面的に書き換える方向へ舵を切った。ジョージ・ワシントンが議場の議長を務め、ジェームズ・マディソンが詳細な記録を残しながら草案の骨格を形成した。会議は非公開で進められ、4か月の審議を経て1787年9月17日に最終草案が署名された。

モンテスキューと三権分立

合衆国憲法の設計者たちが強く影響を受けたのが、フランスの啓蒙思想家モンテスキューの著書『法の精神』(1748年)だった。モンテスキューは権力が一か所に集中すると自由が失われるとして、立法・行政・司法の三権を分立させる必要性を論じた。アメリカの起草者たちはこの理論を実地に落とし込み、三権を別々の機関に担わせるとともに、互いに干渉して行き過ぎを防ぐ「チェック=アンド=バランス」の仕組みを憲法に組み込んだ。

批准をめぐる論争と権利章典の追加

起草された憲法は各州議会の批准を必要とした。強力な中央政府を支持する連邦派(フェデラリスト)と、州権の侵害を恐れる反連邦派(アンティ・フェデラリスト)の間で激しい論争が起きた。マディソン・ハミルトン・ジェイによる論文集『ザ・フェデラリスト』はこの時期に発表された連邦派の代表的な論説である。批准の条件として個人の権利を明文化するよう求める声が強まり、1791年に権利章典(修正第1〜10条)が追加されて論争はひとまず収束した。

やったこと(≒ 現代でいうと)
何を

連邦主義——連邦と州の権限分割

≒ 「国全体のルール」と「各地域のルール」を使い分ける二重政府の仕組み

外交・通商・通貨など国家全体に関わる権限は連邦政府が持ち、教育・警察など各州固有の問題は州政府が担う。この二層構造により、広大な国土の多様性を保ちながら一国としてまとまる設計となった。

三権分立とチェック=アンド=バランス

≒ 「権力を一か所に集中させない」権力の相互監視システム

立法権は上院と下院からなる連邦議会が、行政権は大統領が、司法権は連邦最高裁判所が担う。大統領は議会の法案に拒否権を持ち、議会は大統領の拒否権を3分の2の多数決で覆せ、最高裁は法律の違憲審査を行う。権力の行き過ぎを三機関が互いに抑制する仕組みだ。

成文憲法と人民主権

≒ 国家の最高法規が文書で明確に定められ、主権は国民に属するという宣言

前文の冒頭「われら合衆国人民は……この憲法を制定し確立する」という文言が人民主権を明示する。また成文憲法として権力の根拠と限界を文書で確定したことは、後の近代国家の標準モデルとなった。

前後のできごと
年表
1776
独立宣言第二次大陸会議がイギリスからの独立を宣言。独立戦争が本格化する。
1781
連合規約発効13州による緩やかな連合体の基本法として連合規約が発効。しかし中央政府の権限は著しく弱かった。
1783
パリ条約イギリスがアメリカの独立を正式に承認。独立戦争が終結。
1786
シェーズの乱マサチューセッツ州で農民が重税に抗議して武装蜂起。連合規約の限界が露呈した。
1787
憲法制定会議5月からフィラデルフィアで開催。9月17日に最終草案が署名された。
1788
憲法発効必要な9州目(ニューハンプシャー州)が批准し、憲法が正式に発効した。
1789
ワシントン初代大統領就任新憲法のもとで行われた初の大統領選挙でジョージ・ワシントンが選出され、4月に就任した。
1791
権利章典追加修正第1〜10条(権利章典)が批准され、言論・宗教・集会・武器携帯・適正手続きなどの権利が憲法に明記された。
1803
マーベリー対マディソン判決連邦最高裁が違憲審査権を確立した歴史的判決。三権分立の実効性を高めた。
1865
修正第13条批准南北戦争終結後、奴隷制を廃止する修正第13条が批准。憲法制定時の限界の一つが解消された。
結果とその後
結果
世界初の近代的な成文憲法として、連邦主義・三権分立・チェック=アンド=バランス・人民主権という原理を一体化させた統治モデルを確立した。その後の多くの国の憲法制定に影響を与えた。
制定時、奴隷制を実質的に存続させた(五分の三条項など)という根本的な限界を抱えており、すべての人間の平等を謳った独立宣言との矛盾は解消されなかった。また財産を持たない白人男性・女性・先住民なども当初は参政権から排除されており、「人民主権」の範囲は現代の基準から見れば著しく狭かった点に注意が必要である。
登場人物
人物

ジェームズ・マディソン

バージニア州代表・第4代大統領(「憲法の父」)

憲法制定会議の詳細な議事録を記録し、草案の骨格となるバージニア・プランを提示した。のちにハミルトン・ジェイとともに『ザ・フェデラリスト』を執筆し批准運動を主導した。

ジョージ・ワシントン

ヴァージニア州代表・憲法制定会議議長・初代大統領

会議の議長として議事を統率し、その威信が憲法批准への信頼を高めた。1789年に初代大統領に就任し、2期務めて自発的に引退した。この先例が後の大統領任期慣行の基盤となった。

アレクサンダー・ハミルトン

ニューヨーク州代表・初代財務長官

強力な中央政府を主張した連邦派の代表格。マディソン・ジェイとともに『ザ・フェデラリスト』を執筆し、憲法の意義を広く説いた。初代財務長官として財政基盤を整備した。

ベンジャミン・フランクリン

ペンシルヴェニア州代表・外交官・科学者

会議当時81歳の最年長代表。多くの意見が割れる中、最終草案への署名を代表たちに促す演説を行い、合意形成に貢献した。

モンテスキュー

フランスの啓蒙思想家(直接の参加者ではない)

著書『法の精神』(1748年)で三権分立論を提唱。合衆国憲法の設計に最も大きな影響を与えた思想家の一人とされる。

キーワード解説
用語
連邦主義
連邦政府と州政府がそれぞれ独自の権限を持ち、二層構造で国家を運営する仕組み。中央集権でも完全な州の独立でもない、その中間を目指した政治原理。
三権分立
立法・行政・司法の三つの権力を別々の機関に担わせ、権力の集中を防ぐ制度設計。フランスの思想家モンテスキューが提唱し、合衆国憲法で初めて国家規模で制度化された。
チェック=アンド=バランス(抑制と均衡)
三権がそれぞれ他の権力の行き過ぎを制御し合う仕組み。大統領の拒否権・議会の弾劾権・最高裁の違憲立法審査権などがその具体例。
権利章典
1791年に批准された修正第1〜10条の総称。言論・出版・宗教・集会の自由(第1条)、武器携帯の権利(第2条)、不当な逮捕や自己負罪からの保護(第4・5条)などを規定する。
連合規約
1781年に発効した独立後初の最高法規。各州の主権を最大限に保護したが、中央政府に課税権・通商規制権がなく機能不全に陥り、合衆国憲法に取って代わられた。
ザ・フェデラリスト
マディソン・ハミルトン・ジェイが1787〜1788年に発表した85本の論文集。憲法批准の根拠を論じたもので、現在もアメリカ憲法の解釈において最重要の一次資料とされる。
もっと知りたい
豆知識

1世界最古の現行成文憲法

合衆国憲法は1788年の発効以来、修正を加えながらも同一の文書として効力を持ち続けており、現存する成文憲法としては世界最古の部類に入る。本体はわずか7か条と前文からなる比較的短い文書であり、その簡潔さが長寿の一因とも言われる。

2会議は秘密裏に進められた

フィラデルフィア憲法制定会議は非公開で行われ、代表たちは審議内容を外部に漏らさないよう誓約した。議事録を詳細に記録したマディソンのノートは彼の死後(1836年)まで公開されなかった。

3ロードアイランド州だけが欠席した

会議に参加したのは12州で、ロードアイランド州は強力な中央政府への警戒から代表を送ることを拒否した。批准も最後(1790年)となり、13州では最も懐疑的な州だった。

4奴隷を「五分の三人」と数えた条項

制定時の憲法には奴隷を人口の五分の三として下院議席数と直接税に算入する「五分の三条項」が設けられた。この条項は奴隷制南部の政治的発言力を高める一方、奴隷自身には一切の権利を与えなかった。1865年の修正第13条で奴隷制が廃止されたのちに実質的に無効となった。

5「憲法の父」マディソンは当初懐疑派だった?

「憲法の父」と呼ばれるマディソンだが、後年には自身が起草に関わった憲法の解釈(とくに連邦権限の範囲)をめぐって連邦派と対立し、州権を重視する民主共和党を結成した。「設計者が後に自説と反対の解釈を唱えた」というねじれが、アメリカの憲法論争に深みを与えている。

世界史の博士
ここが出る博士のワンポイント
年号は1787年(制定・署名)・1788年(発効)・1789年(ワシントン就任)・1791年(権利章典)。語呂は「稲花(1787)合衆国憲法」。
憲法制定会議の議長はジョージ・ワシントン、草案の中心人物(「憲法の父」)はジェームズ・マディソン。
四大原理:①連邦主義(連邦と州の権限分割)、②三権分立(立法=連邦議会・行政=大統領・司法=最高裁)、③チェック=アンド=バランス、④人民主権。
三権分立の思想的源流はフランスのモンテスキュー(『法の精神』1748年)。
1791年の権利章典(修正第1〜10条)は言論・宗教・集会の自由など個人の権利を明文化したもの。
制定時の限界として奴隷制の温存(五分の三条項など)が挙げられ、解消は南北戦争後の修正第13条(1865年)まで持ち越された点も重要。
語呂クイズ
「稲花(1787)合衆国憲法」= アメリカ合衆国憲法が制定されるは西暦何年?
よくある質問
FAQ
Q. アメリカ合衆国憲法はなぜ1787年に制定されたのですか?
A. 独立後の連合規約体制では中央政府が弱すぎて財政・通商の混乱が収まらず、1786年のシェーズの乱などで危機が顕在化したためです。強力な中央政府を持つ新たな最高法規の必要性が各州で共有され、1787年のフィラデルフィア会議で起草されました。
Q. 「憲法の父」は誰ですか?
A. ジェームズ・マディソンです。会議の詳細な議事録を記録し、草案の骨格となるバージニア・プランを提示したことから「憲法の父」と呼ばれます。のちに第4代大統領となりました。
Q. 三権分立とチェック=アンド=バランスはどう違いますか?
A. 三権分立は立法・行政・司法を別々の機関に担わせる「分割」の原理で、チェック=アンド=バランスはその三権が互いに行き過ぎを抑制し合う「相互監視」の仕組みです。セットで機能する二つの概念で、合衆国憲法はその両方を制度化しました。
Q. 権利章典はなぜ憲法本体に含まれていなかったのですか?
A. 制定会議の多くの代表は、三権分立などの構造的な権力制限こそが権利を守ると考えていたため、個別の権利条文の列挙は不要と判断しました。しかし批准過程で反連邦派が「個人の権利が保障されていない」と強く批判したため、批准後に修正条項(権利章典)として追加することで合意が成立しました。
Q. 合衆国憲法とフランス人権宣言はどう関係していますか?
A. どちらも1780年代後半に成立した近代民主主義の文書です。アメリカの独立・合衆国憲法はフランスの啓蒙思想(モンテスキュー・ルソーら)の影響を受けており、逆にアメリカの成功がフランス革命の人々を鼓舞したという相互影響があります。独立宣言(1776年)・合衆国憲法(1787年)・フランス人権宣言(1789年)はセットで問われることが多い重要事項です。
まとめ

アメリカ合衆国憲法は、独立後の混乱を乗り越えた若い国家が「どうすれば権力の腐敗を防ぎ、自由を守れるか」という問いに向き合った答えでした。連邦主義・三権分立・チェック=アンド=バランス・人民主権という四つの柱は、その後の近代国家の標準モデルとなり、日本国憲法を含む世界中の憲法に影響を与えました。「稲花(1787)合衆国憲法」の語呂とともに、三権分立の思想的源流(モンテスキュー)・「憲法の父」マディソン・1791年の権利章典というポイントを整理して押さえておきましょう。

編集メモ(ファクト)
「憲法の父」という呼称はマディソン自身が否定したという逸話もあり、後世の評価によるものである。本文では広く通用する通称として使用した。
五分の三条項(三分の五条項とも表記される)の記述は通説に従った。この条項の具体的な条文番号(第1条第2節第3項)は本文の読みやすさを優先して省いた。
モンテスキューの影響については起草者たちが直接言及しており史料的な根拠があるが、「最も大きな影響」という表現は評価を含むため、本文では「影響を受けた」という表現にとどめた。
「世界最古の現行成文憲法」という記述は一般的な評価に基づくが、何をもって「成文憲法」と定義するかによって異論もある。trivia 欄では「世界最古の部類に入る」という慎重な表現を用いた。
related は世界史サイト内の実在IDとして 1776-us-independence・1789-french-revolution を記載した。存在しない場合は削除すること。