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1479

スペイン王国が成立する

イサベル1世(カスティリャ女王)・フェルナンド2世(アラゴン王)
語呂
覚え方
いよ、泣く(1479)スペイン王国
いよなく(1479)スペイン王国成立

1469年、カスティリャの王女イサベルとアラゴンの王子フェルナンドが政略結婚を果たしました。そして1479年、フェルナンドがアラゴン王フェルナンド2世として即位すると、カスティリャ王国とアラゴン王国が「同君連合」として結びつき、スペイン王国が実質的に誕生しました。カトリック両王と称されたこの二人は、イスラーム勢力を半島から追い出す「レコンキスタ(国土回復運動)」を推進し、1492年にはその最後の拠点であるグラナダ王国を陥落させます。さらに同年、クリストファー・コロンブスの西回り航路に国家として支援を与え、新大陸到達を後押しします。一方で異端審問の強化やユダヤ教徒追放令(1492年)など、宗教的統合政策も強行しました。孫のカルロス1世(神聖ローマ皇帝カール5世)の代には、スペインは広大な植民地帝国の中心として世界史を主導する存在となっていきます。

この記事のポイント

  • 1469年にカスティリャのイサベルとアラゴンのフェルナンドが結婚し、二王国の合同への道が開かれた
  • 1479年にフェルナンドがアラゴン王に即位し、同君連合としてスペイン王国が実質的に成立した
  • カトリック両王はレコンキスタを主導し、1492年にグラナダ王国を陥落させてイベリア半島を統一した
  • 同1492年にはコロンブスを支援して新大陸到達を実現、また異端審問強化・ユダヤ教徒追放令も発布した
  • 孫のカルロス1世(カール5世)の代に、スペインは新旧両世界にまたがる超大国へと発展した
ここが面白い

「カトリック両王」と呼ばれた二人の君主が手を結んだとき、イベリア半島に新しい大国が誕生した。その国はやがてコロンブスを新大陸へ送り出し、世界の歴史を塗り替えることになる。

ここに至るまでの流れ
背景

スペイン王国の成立は、ある日突然起きたわけではありません。八百年近くにわたるレコンキスタ(国土回復運動)の積み重ね、そしてカスティリャとアラゴンという二大王国の政治的結びつきが、1479年という年に結実したものです。その背景を順に見ていきましょう。

レコンキスタ――800年の戦い

711年、北アフリカから渡来したイスラーム王朝(ウマイヤ朝)がイベリア半島の大部分を征服しました。その後、半島北部のキリスト教諸王国が少しずつ南下して領土を回復していく過程が「レコンキスタ(Reconquista=国土回復運動)」です。10世紀ごろにはカスティリャ・アラゴン・ポルトガルなどの王国が形成され、互いに競い合いながらも南下を続けました。15世紀前半には、半島南端のグラナダ王国だけがイスラーム勢力の最後の拠点として残るという状況になっていました。

カスティリャとアラゴン――二大王国の政略結婚

15世紀のイベリア半島で最大の王国はカスティリャ王国でした。一方、アラゴン王国は地中海に進出し、シチリア島やナポリを支配する海洋強国でした。1469年、カスティリャ王女イサベル(のちのイサベル1世、在位1474〜1504年)とアラゴン王子フェルナンド(のちのフェルナンド2世、在位1479〜1516年)が政略結婚を果たします。この結婚はポルトガルとの間で争われたイサベルの後継者争いを制したものであり、両王国の合同という大きな政治的賭けでもありました。

1479年――同君連合の誕生

1474年にイサベルがカスティリャ女王に即位すると、兄エンリケ4世の娘フアナを擁する反対勢力との継承戦争が始まりましたが、1479年に和約が成立します。同じ1479年、フェルナンドが父フアン2世の死去によりアラゴン王フェルナンド2世として即位しました。これにより、カスティリャとアラゴンは同一の君主夫妻のもとに置かれる「同君連合」となり、スペイン王国が実質的に誕生しました。ただし両王国はそれぞれ独自の議会・法制度・通貨を保持しており、当初は完全な統一国家ではなく連合体でした。

グラナダ陥落とレコンキスタの完成

同君連合のもとで両王はレコンキスタの仕上げに乗り出します。1482年にグラナダ戦争を開始し、10年の戦いを経て1492年1月2日、グラナダ王国の最後のスルタン・ムハンマド12世(ボアブディル)が城を明け渡しました。これによってイベリア半島から最後のイスラーム王朝が滅び、約800年にわたるレコンキスタが完成しました。グラナダのアルハンブラ宮殿はこの時代のイスラーム文化の遺産として、現在も世界遺産に登録されています。

やったこと(≒ 現代でいうと)
何を

同君連合によるスペイン統一の実現

≒ 複数の地域が一つの国家として統合されるプロセス

カスティリャとアラゴンという二つの独立王国が、共通の君主夫妻のもとで連合することで、イベリア半島に強力な統一国家の土台が生まれた。これが後の「スペイン」という国家の原型となった。

レコンキスタの完成(1492年グラナダ陥落)

≒ 長年続いてきた国土の統一・異文化との境界線の再画定

800年近くにわたって続いたキリスト教王国によるイベリア半島の奪還が、グラナダ王国の陥落をもって完結した。これにより半島全土がキリスト教王国の支配下に入った。

コロンブス支援と大航海時代への跳躍

≒ 国家が民間探検家に投資して新市場・新領土を開拓する手法

1492年、女王イサベルがジェノバ出身の航海者コロンブスの西回り航路計画を承認・支援したことで、同年10月にカリブ海の島々に到達。スペインが大航海時代の主役へと躍り出るきっかけとなった。

前後のできごと
年表
711
イスラーム勢力の侵入ウマイヤ朝の軍がジブラルタル海峡を渡り、イベリア半島の大部分を征服。レコンキスタが始まる。
1469
イサベルとフェルナンドの結婚カスティリャ王女イサベルとアラゴン王子フェルナンドが政略結婚。二王国合同への第一歩。
1474
イサベル1世即位イサベルがカスティリャ女王に即位。後継者争い(カスティリャ継承戦争)が勃発する。
1479
スペイン王国の実質的成立フェルナンドがアラゴン王フェルナンド2世として即位。カスティリャとアラゴンが同君連合となりスペイン王国が実質的に成立。
1482
グラナダ戦争開始カトリック両王がイスラーム王朝グラナダ王国への最終攻勢を開始する。
1492
グラナダ陥落・コロンブス出航・ユダヤ教徒追放1月にグラナダ王国が降伏しレコンキスタ完成。3月にユダヤ教徒追放令発布。8月にコロンブスが出航し、10月に新大陸(カリブ海の島々)に到達。
1504
イサベル1世死去イサベル女王が死去。カスティリャは娘フアナ(狂女王)に継承され、フェルナンドはアラゴン王として存続。
1516
フェルナンド2世死去・カルロス1世即位フェルナンドが死去し、孫のカルロス1世(のちの神聖ローマ皇帝カール5世)がスペイン全域を継承。
1519
カール5世として神聖ローマ皇帝に選出カルロス1世が神聖ローマ皇帝カール5世に選出され、スペインはヨーロッパ最大の王朝帝国の中心となる。
1588
無敵艦隊の敗北スペイン無敵艦隊(アルマダ)がイングランドに敗北し、スペインの海洋覇権が揺らぎ始める。
結果とその後
結果
カスティリャとアラゴンの同君連合が成立し、イベリア半島に強力な統一王国の礎が築かれた。レコンキスタ完成・コロンブスの新大陸到達を経て、スペインは16世紀には世界最大の植民地帝国へと成長した。
1492年のユダヤ教徒追放令(セファルディムの追放)や異端審問の強化は、数万〜十数万人規模の人々を国外に追い出す結果となった。また同君連合は完全な統一国家ではなく、カスティリャとアラゴンは法制度・議会・税制を長らく別々に維持した。1479年をもって直ちに「近代スペイン」が完成したわけではない点に注意が必要である。
登場人物
人物

イサベル1世

カスティリャ女王(在位1474〜1504年)

フェルナンドとともに「カトリック両王」と称されたカスティリャの女王。レコンキスタ完成・コロンブス支援・異端審問強化を推進した。強い宗教的信念を持つ政治家として知られる。

フェルナンド2世

アラゴン王(在位1479〜1516年)、カスティリャ共同王

イサベルと結婚し、1479年にアラゴン王として即位することでスペイン同君連合を実現させた。イタリア政策や外交面で手腕を発揮し、マキャヴェリが『君主論』のモデルとしたともいわれる。

クリストファー・コロンブス

航海者・探検家(ジェノバ出身)

1492年、イサベル女王の支援を受けて大西洋を西に横断し、カリブ海の島々に到達した。本人はアジアに到達したと信じたままだったとされる。この航海がスペインの新大陸進出の端緒となった。

カルロス1世(カール5世)

スペイン王(在位1516〜1556年)・神聖ローマ皇帝(在位1519〜1556年)

カトリック両王の孫。1516年にスペイン王、1519年に神聖ローマ皇帝に就き、ヨーロッパ・新大陸にまたがる広大な帝国を統治した。スペイン黄金時代の最初のピークを担った君主。

ムハンマド12世(ボアブディル)

グラナダ王国最後のスルタン

1492年1月にカトリック両王に降伏しグラナダを明け渡した。伝承によれば立ち去る際に涙を流したとされ、その場所は「ムーア人の嘆き」と呼ばれる。

キーワード解説
用語
同君連合
複数の独立した国家が同一の君主を共有する政治的結合形態。カスティリャとアラゴンはイサベルとフェルナンドという夫妻を共通の君主としながら、それぞれの法制度・議会・通貨を維持した。
レコンキスタ
スペイン語で「国土回復運動」を意味する。711年のイスラーム勢力のイベリア半島征服以後、キリスト教諸王国が半島を南下しながら領土を回復していった約800年にわたる過程。1492年のグラナダ陥落をもって完成とされる。
カトリック両王
教皇アレクサンデル6世が1496年にイサベルとフェルナンドに与えた称号。カトリック信仰の擁護者という意味が込められており、両王の宗教政策(レコンキスタ完成・異端審問・ユダヤ教徒追放)が背景にある。
異端審問(スペイン異端審問)
1478年、教皇の承認のもとカトリック両王が設置したカトリック信仰の監視・裁判機関。改宗したユダヤ教徒(コンベルソ)やイスラーム教徒(モリスコ)の信仰の真偽を調査し、拷問・処刑を含む厳しい手段で「異端」を排除した。
セファルディム
イベリア半島(スペイン語でセファラド)に居住していたユダヤ教徒の呼称。1492年の追放令により大部分がオスマン帝国・北アフリカ・オランダなどへ散住した。その後裔は現在もスファルディ系ユダヤ人として世界各地に存在する。
大航海時代
15〜17世紀に、ヨーロッパの諸国が未知の航路・大陸を開拓した時代。ポルトガルとスペインが先駆者として知られ、スペインはコロンブスの新大陸到達(1492年)を機に中南米への植民地進出を拡大させた。
もっと知りたい
豆知識

1「カトリック両王」の称号は教皇から贈られた

イサベルとフェルナンドが「カトリック両王(Los Reyes Católicos)」と呼ばれるのは、1496年に教皇アレクサンデル6世が二人に与えた公式称号による。グラナダ陥落やユダヤ教徒追放令など、カトリック信仰の守護者としての実績が認められたものである。

2コロンブスはイサベルに三度断られた

コロンブスが西回り航路の支援を求めてカスティリャ宮廷を訪れたのは一度ではなかった。複数回の審査委員会で否定的な評価を受け、却下されたこともあった。最終的にイサベルが支援を決断したとされるが、その経緯については諸説ある。

3二王国は「合体」ではなく「連合」だった

スペイン王国の成立といっても、1479年時点ではカスティリャとアラゴンはそれぞれ独自のコルテス(議会)・法体系・税制・通貨を維持したままだった。両王国が法的に完全統合されるのは後の時代のことであり、16世紀においてもなお別々の制度が並存していた。

4グラナダのアルハンブラ宮殿は今も残る

1492年にカトリック両王に明け渡されたグラナダのアルハンブラ宮殿は、14世紀ナスル朝時代の建築が今日も良好な状態で残り、1984年にユネスコ世界遺産に登録された。イスラーム建築の精華として毎年多くの観光客が訪れる。

5フェルナンドはマキャヴェリの君主論のモデル?

イタリアの政治思想家マキャヴェリは著書『君主論』(1513年)において、理想的な君主の一例として賢明な政略家フェルナンドを言及したとされる。宗教的大義を政治利用する現実主義的な手腕を評価したものと考えられている。

世界史の博士
ここが出る博士のワンポイント
年号は1479年。語呂は「いよ、泣く(1479)スペイン王国」。
カスティリャ女王イサベル1世とアラゴン王フェルナンド2世の1469年の結婚が前提。1479年はフェルナンドのアラゴン王即位により同君連合が実現した年。
二人の称号は「カトリック両王」。レコンキスタ完成(1492年グラナダ陥落)とコロンブス支援(1492年新大陸到達)がセットで頻出。
1492年には①グラナダ陥落②コロンブスの新大陸到達③ユダヤ教徒追放令の三つが同年に起きた点は特に問われやすい。
孫のカルロス1世=神聖ローマ皇帝カール5世という対応関係を押さえること(スペイン王としての呼称と神聖ローマ皇帝としての呼称が異なる)。
1479年の「同君連合」は完全な統一国家ではなく、法制度・議会が別々だった点に注意。近代的意味の統一国家とは区別して理解すること。
語呂クイズ
「いよ、泣く(1479)スペイン王国」= スペイン王国が成立するは西暦何年?
よくある質問
FAQ
Q. スペイン王国はいつ成立したと考えればよいですか?
A. 1479年にフェルナンドがアラゴン王に即位し、カスティリャとアラゴンが同一の君主夫妻のもとに置かれた時点が実質的な成立とされます。ただし両王国は法制度や議会を別々に維持したため、法的な意味での完全統一はさらに後の時代のことです。
Q. 「カトリック両王」とは何ですか?
A. イサベル1世とフェルナンド2世が1496年に教皇から贈られた公式称号です。レコンキスタ完成・異端審問・ユダヤ教徒追放令などカトリック信仰を強力に推進したことが評価されて与えられました。
Q. なぜ1492年にコロンブスが出航できたのですか?
A. 1492年1月にグラナダ陥落でレコンキスタが完成し、戦争終結後の余力を大西洋探検に振り向けることができたためとも言われます。イサベル女王が長年の交渉の末にコロンブスの計画を承認し、スペイン国家が支援する形で8月に出航しました。
Q. ユダヤ教徒追放令とはどのようなものでしたか?
A. 1492年3月に発布された勅令で、スペイン国内のユダヤ教徒(セファルディム)にカトリックへの改宗または国外退去を命じたものです。数万〜十数万人規模が国外に去り、多くはオスマン帝国・北アフリカ・オランダなどに移住しました。
Q. カルロス1世とカール5世は同一人物ですか?
A. はい、同一人物です。カルロス1世はスペイン王としての名称で、カール5世は神聖ローマ皇帝としての名称です。カトリック両王の孫にあたり、1516年にスペイン王、1519年に神聖ローマ皇帝に就きました。
Q. レコンキスタとはどういう意味ですか?
A. スペイン語で「国土回復」を意味します。711年にイスラーム勢力がイベリア半島を征服した後、キリスト教諸王国が約800年かけて半島を回復していった過程のことを指します。1492年のグラナダ陥落をもって完成とされています。
まとめ

1479年のスペイン王国成立は、一組の夫妻の即位という一見小さな出来事でしたが、その意味するところは計り知れませんでした。カトリック両王イサベルとフェルナンドのもとで、イベリア半島は800年の戦いに終止符を打ち、同じ年に新大陸への扉を開きます。孫のカルロス1世の代には、スペインはヨーロッパから新大陸にまたがる世界最大の帝国となりました。「いよ、泣く(1479)スペイン王国」の語呂とともに、1492年の三大事件(グラナダ陥落・新大陸到達・ユダヤ教徒追放)がセットで問われやすいことを意識して、この一連の歴史の流れをしっかりおさえておきましょう。

編集メモ(ファクト)
「スペイン王国の成立」の年号については1469年(結婚)・1479年(同君連合)・1492年(グラナダ統一)など複数の解釈があるが、本記事では1479年(フェルナンドのアラゴン王即位による同君連合の実現)を軸として執筆した。
1479年時点ではカスティリャとアラゴンは別々の制度を維持しており、近代的統一国家の成立は後の時代のことである。この点は exam_points および result(caution)で注記した。
コロンブスがイサベルに「三度断られた」という記述は伝承的要素が強いため、trivia 内で「諸説ある」として明記した。
ユダヤ教徒追放令による追放者数については史料によって数万〜十数万人と幅があるため、「数万〜十数万人規模」と幅を持たせた表現にとどめた。
related は世界史サイト内の実在 ID として 1492-columbus・1588-spanish-armada を記載。存在しない場合は削除すること。