中学/社会
1492
コロンブスが新大陸に到達する
クリストファー・コロンブス
語呂
覚え方
意欲に(1492)燃えるコロンブス
いよくに(1492)もえるコロンブス
1492年、スペイン王室の支援を受けたコロンブスが大西洋を西に横断し、カリブ海の島(サンサルバドル島とされる)に到達しました。ヨーロッパ人が「知らなかった」広大な土地との本格的な接触が始まった瞬間です。ただし、コロンブス自身は生涯にわたって「自分はアジア(インド)に着いた」と信じており、先住民を「インディオ」と呼んだのもそのためです。この出来事は大航海時代の象徴として語られますが、一方でヨーロッパによる征服・感染症の流行・奴隷貿易など、先住民社会への深刻な打撃の始まりでもありました。
この記事のポイント 1492年、スペイン女王イサベル1世の支援でコロンブスが大西洋を横断 カリブ海のサンサルバドル島(現在のバハマ付近)に到達 コロンブスは生涯「アジア(インド)に着いた」と信じ続けた 先住民を「インディオ」と呼んだのは、そこをインドと誤認したため 大航海時代の画期となる一方、先住民社会への征服・感染症の始まりでもあった
ここが面白い コロンブスは死ぬまで自分が「インド」に着いたと信じていた。「新大陸」に気づいたのは、別の人物だった。
コロンブスの航海は突然起きたわけではありません。15世紀のヨーロッパは、東方への新しい道を求める機運が高まっていました。その背景を見てみましょう。
オスマン帝国による東方交易路の圧迫 1453年にオスマン帝国がコンスタンティノープル(現イスタンブール)を陥落させ、東地中海の交易拠点を掌握しました。香辛料・絹などを求めてアジアと取引したいヨーロッパ諸国は、陸路・地中海ルートを使いにくくなり、新しい航路を探す動機が強まりました。
地球球体説と『東方見聞録』 当時の学者の間では地球が球体であるという考えは広く知られていました。コロンブスはこの考えと、マルコ・ポーロが13世紀に著した『東方見聞録』に描かれたアジアの豊かさに強く影響を受けました。ただし、コロンブスは地球の大きさを実際より大幅に小さく見積もっており、大西洋を越えればすぐアジアに着くと計算していました。
ポルトガルとの競争 15世紀、ポルトガルはアフリカ西海岸を南下してアジアへの航路を開拓していました。1488年にはバルトロメウ・ディアスがアフリカ南端の喜望峰に到達。コロンブスはまずポルトガル王に航海計画を売り込みましたが断られ、最終的にスペインのイサベル1世・フェルナンド2世夫妻の支援を取り付けました。
スペイン王室との合意 コロンブスはスペイン王室と「サンタフェ協定」を結び、新たに発見した土地の総督・副王の地位と交易利益の10分の1を受け取る権利を得ました。1492年8月、スペインのパロス港を3隻の船(サンタマリア号・ピンタ号・ニーニャ号)で出航しました。
大西洋の横断 ≒ 未知のルートを開拓する一大ベンチャー 1492年8月にスペインを出港し、10月12日にカリブ海の島に到達。約70日の航海だった。
先住民との接触 ≒ 異なる文明どうしの初めての邂逅 島の先住民(タイノ人)と接触。コロンブスはここをアジアと思い込み、先住民を「インディオ」と呼んだ。
スペインへの報告と再航海 ≒ 「新市場発見」の報告と後続投資 帰国後に国王夫妻に報告し、計4回の航海を実施。カリブ海・中米・南米北岸を探索した。
1453 転機 オスマン帝国がコンスタンティノープルを陥落。東方交易路が圧迫される。
1488 喜望峰 ポルトガルのバルトロメウ・ディアスがアフリカ南端・喜望峰に到達。
1492 到達 コロンブスが大西洋を横断し、カリブ海のサンサルバドル島に到達(10月12日)。
1493 帰国・再航海 スペインへ帰国し国王夫妻に報告。同年に第2回航海へ出航。
1498 南米北岸 第3回航海で現在のベネズエラ沿岸(南米大陸)に到達するが、依然アジアと信じていた。
1499 ヴェスプッチ アメリゴ・ヴェスプッチが南米沿岸を探検し、「これはアジアではなく新大陸だ」と主張し始める。
1506 没 コロンブス死去。最後まで自分が到達した地はアジアだと信じていたとされる。
◎ 大西洋を経由するヨーロッパ・アジア・アメリカ大陸の三大陸をつなぐ「大西洋世界」が形成される契機となった。
△ ヨーロッパ人の到来により、先住民はスペインによる征服・強制労働・感染症(天然痘など)にさらされ、タイノ人をはじめ多くの先住民社会が壊滅的な打撃を受けた。
△ のちに植民地支配・奴隷貿易が組織的に展開され、アフリカからアメリカへの強制移送(大西洋奴隷貿易)につながった。
クリストファー・コロンブス ジェノバ出身の航海者 スペイン王室の支援で大西洋を横断。生涯アジアに着いたと信じ、死後に「新大陸」と認識された。
イサベル1世 カスティリャ女王 夫フェルナンド2世とともにコロンブスの航海を支援。サンタフェ協定に署名した。
フェルナンド2世 アラゴン王 イサベル1世の夫。スペイン王国を共同統治しコロンブスを支援した。
アメリゴ・ヴェスプッチ イタリアの探検家 南米沿岸を探検し「ここはアジアではなく新大陸だ」と主張。「アメリカ」の名はここから来ている。
バルトロメウ・ディアス ポルトガルの航海者 1488年に喜望峰に到達。ポルトガルがアフリカ回りの航路を先行していた。
大航海時代 15〜17世紀、ヨーロッパ諸国が新たな航路や土地を求めて大規模な航海を行った時代。スペイン・ポルトガルが先導した。
インディオ スペイン語で「インド人」の意。コロンブスが到達地をインドと誤認したため、アメリカ大陸の先住民をこう呼んだ。
サンタフェ協定 1492年、コロンブスとスペイン王室が結んだ契約。発見地の総督・副王職と交易利益の一部をコロンブスに与えることを約束した。
『東方見聞録』 13世紀に元(中国)などを旅したマルコ・ポーロが口述した旅行記。アジアの豊かさを伝え、コロンブスを含む多くの探検家に影響を与えた。
喜望峰 アフリカ南端の岬。1488年にディアスが到達し、ヨーロッパ・アジア間の海路がつながる可能性を示した。
1 「アメリカ」の名はコロンブスではなくヴェスプッチに由来アメリゴ・ヴェスプッチが「ここはアジアではなく未知の新大陸だ」と主張し、1507年にドイツの地図制作者ヴァルトゼーミュラーがその土地を「アメリカ」と命名した。コロンブスが新大陸と気づいていれば、大陸名は「コロンビア」になっていたかもしれない。
2 コロンブスは地球の大きさを大幅に過小評価していたコロンブスはアジアまでの距離を実際の約4分の1程度しか見積もっておらず、航海学者の多くから「計算が間違っている」と批判されていた。偶然アメリカ大陸がそこにあったから生き延びられたのであって、なければ大西洋上で乗組員は餓死していたと言われている。
3 サンタマリア号は帰国できなかった旗艦サンタマリア号は1492年12月にイスパニョーラ島(現在のハイチとドミニカ共和国がある島)の沿岸で座礁・難破した。残る2隻(ピンタ号・ニーニャ号)でスペインへ帰国したが、コロンブスはニーニャ号に乗り込んだ。
4 「10月12日」は500年以上後も記念日に1492年10月12日のサンサルバドル島到達は、スペインでは「ディア・デ・ラ・イスパニダ(ヒスパニックの日)」として現在も国民の祝日。一方、先住民文化への弾圧の象徴として批判的に見直す動きも広まっており、複数の国で「先住民の日」に改称されている。
5 コロンブスは晩年に失脚したスペイン王室から総督の地位を与えられたコロンブスだったが、植民地での統治が乱暴だとして告発を受け、1500年に鎖につながれてスペインへ送還された。その後権利の一部は回復されたが、総督職は失い、1506年に失意のうちに死去した。
ここが出る 博士のワンポイント
到達年は1492年。語呂は「意欲に(1492)燃えるコロンブス」。
支援国はスペイン(イサベル1世・フェルナンド2世)。ポルトガルではない。
コロンブスは生涯「アジア(インド)に着いた」と信じており、「新大陸」と気づかなかった点が頻出。
「アメリカ」の名はアメリゴ・ヴェスプッチに由来し、コロンブスとは別人であることを押さえる。
大航海時代の背景として、オスマン帝国による東方交易路の圧迫を理解しておく。
語呂クイズ
「意欲に(1492)燃えるコロンブス」= コロンブスが新大陸に到達するは西暦何年?
1488 1492 1498
Q. コロンブスはどこの国の人ですか? A. イタリアのジェノバ出身です。ただし航海はスペイン王室の支援を受けて行いました。
Q. コロンブスが到達した場所はどこですか? A. カリブ海のサンサルバドル島(現在のバハマ付近)とされています。コロンブス自身はそこをアジアと信じていました。
Q. なぜ先住民を「インディオ」と呼んだのですか? A. コロンブスが到達地をインドだと思い込んでいたため、そこに住む人々を「インドの人(インディオ)」と呼んだからです。
Q. 「アメリカ」という名前はコロンブスから来ていないのですか? A. 来ていません。アメリゴ・ヴェスプッチという別の探検家が「新大陸だ」と主張し、その名にちなんで「アメリカ」と命名されました。コロンブスは生涯アジアだと信じていたため、名前を残せませんでした。
Q. コロンブスの航海はなぜ可能だったのですか? A. 地球が球体であるという知識と、西に進めばアジアに着けるという考えがあったからです。ただし距離の計算を誤っており、偶然アメリカ大陸が途中にあったため到達できました。
Q. コロンブスの航海のマイナス面は何ですか? A. ヨーロッパ人の到来により、先住民はスペインによる征服・強制労働・天然痘などの感染症にさらされました。タイノ人など多くの先住民社会が壊滅的な打撃を受け、その後の植民地支配・奴隷貿易につながりました。
コロンブスの1492年の航海は、ヨーロッパ人が「知らなかった」世界との接触という点で歴史的な転換点です。しかしコロンブス自身は「新大陸」と気づかず、「アメリカ」の名前すら残せませんでした。大航海時代の画期である一方、先住民社会への征服と破壊の始まりでもあった、という二面性を理解することが大切です。「意欲に(1492)燃えるコロンブス」の語呂とあわせて、支援国がスペイン・到達地がカリブ海・「新大陸と気づかなかった」という3点をしっかり押さえましょう。
編集メモ(ファクト) 到達した島については「グアナハニ島(サンサルバドル島)」説が有力だが、現代の研究でも確定していないため「カリブ海の島(サンサルバドル島とされる)」と表記した。 コロンブスが「最後まで新大陸と気づかなかった」かどうかは研究者の間で議論があるが、中学教科書レベルでは「インドだと信じ続けた」として定説化しており、その表現を採用した。 result の負の側面は断定的な非難でなく、史実として中立的に記述した。