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1859

ダーウィンが『種の起源』を発表する

チャールズ・ダーウィン
語呂
覚え方
嫌でも極めた(いやごく)(1859)種の起源
いやごく(1859)種の起源

1859年、イギリスの博物学者チャールズ・ダーウィンは『種の起源』を出版し、生物進化論を体系的に提唱しました。その核心は「自然選択(自然淘汰)」の理論です。環境に適した形質を持つ個体がより多く生き残り、子孫を残す。その積み重ねが長い時間をかけて新しい種を生み出す――というものです。ダーウィンは若い頃の測量船ビーグル号での世界周航でガラパゴス諸島などの生き物を観察し、20年以上かけて証拠を積み上げてこの理論を完成させました。生物は神が現在の形に創造したとするキリスト教の創造説と真っ向から対立するこの学説は、科学界だけでなく宗教界・社会全体を巻き込む大論争を引き起こしました。そして近代生物学の基礎として、現代の科学に至るまで深く根づいています。

この記事のポイント

  • 1859年、ダーウィンが『種の起源』を出版し、自然選択による生物進化論を体系的に提唱した
  • ビーグル号での世界周航(1831〜1836年)でのガラパゴス諸島などの観察が着想の重要な基礎となった
  • 「環境に適した個体が生き残り子孫を残す」自然選択の積み重ねが種の変化をもたらすと主張した
  • 生物が神によって創造されたとするキリスト教の創造説と激しく対立し、宗教界・社会を巻き込む大論争となった
  • 近代生物学・遺伝学・生態学の基礎となり、20世紀の分子生物学とも統合されて現代進化論へと発展した
ここが面白い

「神様が生き物を今の形に作った」――そのキリスト教の常識を、一冊の本が根底から覆した。1859年、ダーウィンの『種の起源』は世界に衝撃を与えた。

ここに至るまでの流れ
背景

『種の起源』は一日にして生まれたわけではありません。ダーウィンの長年にわたる観察と思索、そして当時の科学・宗教的背景という土台の上に生まれた著作です。その背景を順に見ていきましょう。

ビーグル号航海と観察の積み重ね

1831年、22歳のダーウィンは博物学者として測量船ビーグル号に乗り込み、約5年間の世界周航に出た。南アメリカ・ガラパゴス諸島・オーストラリアなどで多様な生物を観察した。特にガラパゴス諸島では、島ごとに異なるくちばしの形を持つフィンチ類に注目し、食物環境の違いに適応して変化したのではないかという考えの芽生えとなった。

帰国後の研究と理論の構築

1836年に帰国したダーウィンは、家畜・農作物の品種改良の研究、地質学、マルサスの『人口論』(食料が不足すれば競争が起こるという考え)などを参照しながら理論を深めた。1844年には進化論の草稿を書いたが、社会的反発を恐れて公表を長らくためらった。その間も証拠を丹念に集め続けた。

ウォレスとの同時発見と出版の経緯

1858年、ダーウィンはアルフレッド・ラッセル・ウォレスから、自分とほぼ同じ自然選択説を述べた論文原稿を受け取り、驚愕した。2人の論文はその年にリンネ学会で共同発表されたが、ほとんど注目を集めなかった。ダーウィンは急いで長年の研究をまとめ、1859年11月に『種の起源』を出版した。初版1250部は発売当日に完売した。

創造説との衝突と大論争

『種の起源』は、生物が神によって現在の姿に創造されたとするキリスト教の創造説を根底から覆すものだった。1860年のオックスフォード大学討論会では、ウィルバーフォース司教とトマス・ハクスリー(ダーウィンの友人・「ダーウィンのブルドッグ」)が激しく論争した。この論争は科学と宗教の関係を問い直す象徴的な出来事として歴史に刻まれている。

やったこと(≒ 現代でいうと)
何を

自然選択(自然淘汰)による進化の理論

≒ 生き物が環境に適応して変化していくメカニズムの発見

環境に適した形質(特徴)を持つ個体がより多く生き残り、その特徴を子孫に伝える。これが何世代も積み重なると種が変化し、やがて新しい種が生まれる。この仕組みを「自然選択」と呼んだ。人間が品種改良で行う人為選択の、自然界における版と考えるとわかりやすい。

共通祖先と生物の多様性の説明

≒ すべての生き物は遠い祖先でつながっているという考え方

地球上の多様な生物は、共通の祖先から自然選択と時間の積み重ねによって多様化したとする。これによって生物の地理的分布・化石の記録・生物間の形態的類似をまとめて説明できると示した。後の研究でDNAレベルでも裏づけられた。

キリスト教創造説への根本的な挑戦

≒ 科学が宗教的権威に基づく常識に問いを投げかけた歴史的転換点

それまでヨーロッパでは聖書の記述に基づき、生物は神が現在の形に創ったとする創造説が主流だった。ダーウィンの理論はこれを自然のメカニズムだけで説明しようとするものであり、宗教界・社会に大きな衝撃を与えた。科学と宗教の関係を問い直す契機ともなった。

前後のできごと
年表
1831
ビーグル号出港22歳のダーウィンが博物学者として測量船ビーグル号に乗り込み、世界周航の旅に出る。
1835
ガラパゴス諸島訪問ガラパゴス諸島で島ごとに異なるフィンチや陸ガメを観察。後の進化論の着想に重要な経験となる。
1836
帰国約5年間の航海を終えてイギリスに帰国。観察記録の整理と理論構築を開始する。
1844
草稿の作成進化論の草稿(約230ページ)をまとめるが、社会的反発を恐れて公表を保留する。
1858
ウォレスとの同時発見ウォレスから同様の自然選択説の論文が届く。ダーウィンとウォレスの論文がリンネ学会で共同発表される。
1859
『種の起源』出版11月24日、チャールズ・ダーウィン著『種の起源』(正式名:自然選択、または生存競争における有利な変種の保存)が出版される。初版1250部が発売当日に完売。
1860
オックスフォード討論会ウィルバーフォース司教とトマス・ハクスリーが進化論をめぐって激しく論争。科学と宗教の対立を象徴する出来事となる。
1871
『人間の由来』出版ダーウィンが人間も進化の産物であることを論じた『人間の由来と性選択』を出版。さらなる論争を呼ぶ。
1882
ダーウィン死去チャールズ・ダーウィン死去(享年73歳)。国葬に準じた扱いでウェストミンスター寺院に埋葬される。
1953
DNAの二重らせん構造解明ワトソンとクリックがDNAの構造を解明。遺伝子レベルで進化論が裏づけられ、現代進化総合説(ネオダーウィニズム)が確立していく。
結果とその後
結果
自然選択による進化の理論は近代生物学の基礎となり、遺伝学・生態学・分子生物学など現代科学の多くの分野を支える根幹的な理論となった。生物多様性・医学・農業など幅広い分野に応用されている。
「適者生存」という言葉はダーウィン自身ではなくハーバート・スペンサーが作った言葉であり、後にダーウィンが引用した。また、進化論を人間社会の競争・差別・優生学に当てはめる「社会ダーウィニズム」は後世の誤用・悪用として批判されており、ダーウィン本人の理論とは切り離して理解する必要がある。
登場人物
人物

チャールズ・ダーウィン

イギリスの博物学者(1809〜1882年)

ビーグル号での世界周航での観察と20年以上の研究をもとに進化論を体系化した。『種の起源』(1859年)・『人間の由来』(1871年)などを著す。死後はウェストミンスター寺院に埋葬された。

アルフレッド・ラッセル・ウォレス

イギリスの博物学者・探検家(1823〜1913年)

マレー諸島での調査から独自に自然選択説に到達し、1858年にダーウィンへ論文草稿を送った。ダーウィンとの共同発表がきっかけで『種の起源』の出版が急がれた。進化論の共同発見者として評価されている。

トマス・ハクスリー

イギリスの生物学者(1825〜1895年)

進化論の熱烈な支持者・普及者として活躍し、「ダーウィンのブルドッグ」と呼ばれた。1860年のオックスフォード討論会でウィルバーフォース司教と激しく論争し、進化論の社会的普及に大きく貢献した。

サミュエル・ウィルバーフォース

英国国教会オックスフォード主教(1805〜1873年)

1860年のオックスフォード討論会で進化論を批判し、ハクスリーと対立した。創造説の立場から進化論に反論した代表的人物として知られるが、議論の正確な記録は諸説ある。

キーワード解説
用語
自然選択(自然淘汰)
環境に適した形質を持つ個体がより多く生き残り子孫を残す仕組み。その積み重ねが生物の変化(進化)を生み出すとダーウィンが提唱した。英語ではnatural selection。
進化論
生物は固定したものではなく、長い時間をかけて変化(進化)してきたという理論。ダーウィンは自然選択をその主な原動力として説明した。現代ではDNA・遺伝子の知識も取り込んだ現代進化総合説に発展している。
創造説
神が生物を現在の姿に創ったとする考え方。特にキリスト教的文脈では聖書の記述(創世記)に基づき、種は変化しないと主張する。ダーウィンの進化論と正面から対立した。
適者生存
「環境に最も適したものが生き残る」という表現。ハーバート・スペンサーが作った言葉で、後にダーウィンも引用した。ただし、この言葉を人間社会の競争・格差に当てはめる「社会ダーウィニズム」はダーウィン本人の理論とは別物として批判されている。
共通祖先
地球上の多様な生物は、はるか昔の共通の祖先から枝分かれして多様化したとする進化論の考え方。現代の遺伝子解析でも支持されており、ヒトとチンパンジーが共通の祖先を持つことなどが確認されている。
もっと知りたい
豆知識

1初版1250部は発売当日に完売した

1859年11月24日に出版された『種の起源』の初版はわずか1250部だったが、書店に並んだ当日に完売した。その後も版を重ね、ダーウィン存命中に6版まで改訂された。

2ガラパゴスのフィンチは帰国後に「気づいた」

ダーウィンは航海中、ガラパゴスの鳥がすべてフィンチ類だとは認識していなかった。帰国後に鳥類学者ジョン・グールドに鑑定してもらって初めてその多様性を認識し、進化の着想を得たとされる。現地での観察だけがすべてではなかった。

3「種の起源」の正式タイトルは長い

正式名称は『自然選択、または生存競争における有利な変種の保存による種の起源について』(英語:On the Origin of Species by Means of Natural Selection, or the Preservation of Favoured Races in the Struggle for Life)という長いものである。

4ダーウィンはウェストミンスター寺院に眠る

ダーウィンは1882年に死去したが、イギリス社会はその功績を讃え、国葬に準じた形でウェストミンスター寺院に埋葬した。同寺院にはアイザック・ニュートンも眠っており、イギリスの偉大な科学者として同等に扱われたことになる。

5日本への影響――明治の「進化論ブーム」

ダーウィンの進化論は明治時代の日本にも大きな影響を与えた。特に加藤弘之や丘浅次郎らが進化論を紹介・普及させた。一方で「社会ダーウィニズム」的な解釈も広がり、近代日本の思想形成に複雑な影響を及ぼした。

世界史の博士
ここが出る博士のワンポイント
年号は1859年。語呂は「嫌でも極めた(いやごく)(1859)種の起源」。
著者はイギリスの博物学者チャールズ・ダーウィン。若い頃のビーグル号での世界周航(1831〜1836年)が着想の基礎となった。
理論の核心は「自然選択(自然淘汰)」。環境に適した個体が生き残り子孫を残す積み重ねが進化をもたらすと主張した。
キリスト教の創造説と対立し、科学と宗教の大論争を引き起こした。1860年のオックスフォード討論会(ハクスリーvsウィルバーフォース)が有名。
「適者生存」という言葉はスペンサーによるもの。社会ダーウィニズムはダーウィン本人の理論の誤用・悪用として批判されている点も重要。
語呂クイズ
「嫌でも極めた(いやごく)(1859)種の起源」= ダーウィンが『種の起源』を発表するは西暦何年?
よくある質問
FAQ
Q. 『種の起源』とはどんな本ですか?
A. 1859年にイギリスの博物学者チャールズ・ダーウィンが出版した本です。生物は神によって現在の形に創られたのではなく、自然選択(自然淘汰)のメカニズムによって長い時間をかけて共通の祖先から変化してきたという進化論を体系的に述べています。
Q. 自然選択(自然淘汰)とは何ですか?
A. 環境に適した形質(特徴)を持つ個体がより多く生き残り、子孫を残す仕組みのことです。この積み重ねが何世代にもわたって続くことで、生物の種が少しずつ変化し、やがて新しい種が生まれるとダーウィンは主張しました。
Q. ガラパゴス諸島はなぜ重要なのですか?
A. ダーウィンがビーグル号の航海中に訪れたガラパゴス諸島では、島ごとに食べ物の環境に合わせて異なるくちばしの形を持つフィンチ類が生息していました。これが、生物が環境に適応して変化するという着想の重要なきっかけになったとされています。
Q. 「適者生存」という言葉はダーウィンが作ったのですか?
A. いいえ。「適者生存」という言葉はハーバート・スペンサーが作った表現で、後にダーウィンが引用したものです。進化論を人間社会の競争・格差・優生思想に当てはめる「社会ダーウィニズム」はダーウィン自身の理論ではなく、後世の誤用・悪用として批判されています。
Q. 進化論はキリスト教と今も対立しているのですか?
A. 現在は多くのキリスト教の教派が進化論を科学的事実として認めており、「神の創造の方法が進化である」と解釈する立場も広くあります。ただし、聖書を字義通りに解釈する一部のキリスト教グループ(創造論者)は今なお進化論に反対しています。
まとめ

1859年にダーウィンが発表した『種の起源』は、生物は変化しないとするキリスト教的世界観を覆し、自然選択による進化という全く新しい視点で生命の多様性を説明しました。この理論は宗教界・社会との激しい論争を経ながらも科学的証拠を積み重ね、現代の生物学・遺伝学・医学の根幹を支える理論として確立されました。「嫌でも極めた(1859)種の起源」の語呂とともに、自然選択による進化という概念がいかに世界の見方を変えたかを押さえておきましょう。

編集メモ(ファクト)
「適者生存」はスペンサーによる造語でありダーウィン本人の言葉ではないことを明記した。
社会ダーウィニズムはダーウィン本人の理論とは区別して誤用・悪用として記述した。
ガラパゴスのフィンチについて、ダーウィンが現地では種を正確に認識しておらず帰国後に鑑定された点をtriviaで補足した。
relatedは指定された2つのID(1543-copernicus・1687-newton-principia)のみ使用。存在しない場合は削除すること。
ウィルバーフォース討論会の記録には諸説あるため「議論の正確な記録は諸説ある」と注記した。