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高校/文化
1851

第1回ロンドン万国博覧会が開かれる

イギリス(ヴィクトリア女王時代)
語呂
覚え方
嫌来い(いやこい)(1851)ロンドン万博
いやこい(1851)ロンドン万博

1851年、イギリスのロンドン・ハイドパークで世界初の万国博覧会(グレート・エキシビション)が開催されました。会場には鉄骨とガラスで造られた巨大な建物「水晶宮(クリスタル・パレス)」が建ち、世界各国から機械・工業製品・美術品など約10万点の展示物が集められました。6か月間の会期中に約600万人もの来場者を集め、産業革命によって「世界の工場」となったイギリスの工業力と繁栄を世界に知らしめました。この万博をきっかけに、以後パリをはじめ各国で万博が開催されるようになり、近代における技術・文化交流の場が生まれました。

この記事のポイント

  • 1851年、ロンドンのハイドパークで世界初の万国博覧会(グレート・エキシビション)が開催された
  • 会場の「水晶宮(クリスタル・パレス)」は鉄骨とガラスだけで造られた当時最先端の建築物
  • ヴィクトリア女王の夫アルバート公が計画の中心的推進役となった
  • 6か月間で約600万人が来場し、産業革命後のイギリスの工業力と技術力を世界に誇示した
  • この万博をモデルに、以後フランス・アメリカなど各国で万博が開催されるようになった
ここが面白い

「世界の工場」イギリスが、鉄とガラスの巨大な宮殿に全世界を招待した――1851年のロンドンは、産業革命が生んだ奇跡を地球上のすべての人に見せつけた舞台だった。

ここに至るまでの流れ
背景

第1回ロンドン万国博覧会は突然生まれたわけではありません。産業革命による工業化、アルバート公の構想、そして水晶宮という革新的な建築の誕生という三つの要素が重なって実現しました。その背景を順に見ていきましょう。

産業革命と「世界の工場」イギリス

18世紀後半からイギリスで始まった産業革命は、蒸気機関・紡績機・製鉄技術を次々と生み出した。19世紀半ばには世界の工業生産の約3分の1をイギリスが担うとされ、「世界の工場」と呼ばれるまでになった。鉄道網の整備も急速に進み、1825年には世界初の蒸気鉄道が開通していた。万博はこの工業力を世界に見せる絶好の機会となった。

アルバート公の構想と準備

ヴィクトリア女王の夫アルバート公(ザクセン・コーブルク・ゴータ公子出身)は、学術・芸術・産業の振興に熱心な人物だった。1849年ごろから王立芸術協会と協力して国際博覧会の構想を練り、資金集めや各国への参加呼びかけを進めた。政府や産業界の一部は費用対効果を疑問視したが、アルバート公の熱意が計画を動かした。

水晶宮(クリスタル・パレス)の誕生

会場となる巨大な建物の設計には245件もの応募があったが、最終的に採用されたのは園芸家・建築家のジョセフ・パクストンが提案した鉄骨とガラスだけを使う革新的な構造だった。全長約563メートル、高さ約39メートル、内部には大きな木も丸ごと収めた。工期はわずか約9か月という短期間で建設され、その透明で輝く外観から「水晶宮(クリスタル・パレス)」と呼ばれた。

開催と世界各国の参加

1851年5月1日、ヴィクトリア女王みずから開会式に臨んで幕を開けた万博には、イギリスおよびその植民地をはじめ、フランス・プロイセン・オーストリア・アメリカなど約25か国が参加した。展示品は機械・繊維・陶磁器・武器・美術品など多岐にわたり、合計約10万点以上にのぼった。入場料は当初高額だったが値下げされ、鉄道の普及もあって地方からも多数の来場者が訪れた。

やったこと(≒ 現代でいうと)
何を

世界初の万国博覧会

≒ オリンピックのような世界的な国際イベントの原型

特定の国が主催し、世界各国が技術・産業・文化を持ち寄って競い合う国際的な展示会の形式をこの万博が初めて確立した。以後のパリ万博やシカゴ万博など、各国の万博のモデルとなった。

水晶宮という革新的建築

≒ プレハブ工法や大型ガラス建築の先駆け

鉄骨とガラスだけで組み上げる構造は、現代の駅舎・空港・ショッピングモールに通じるプレハブ工法の先駆けだった。大量の工場製品をその場で組み立てる方式は建設業にも革命をもたらした。

産業革命の成果を世界に誇示

≒ 国家ブランディングとしての国際イベント活用

蒸気機関・紡績機械・印刷機など産業革命の産物を一堂に展示することで、イギリスが世界の技術・工業の最先端にいることを各国に印象づけた。これによりイギリスの国際的な威信がさらに高まった。

前後のできごと
年表
1825
世界初の蒸気鉄道開通イギリスでストックトン・ダーリントン鉄道が開通。産業革命の成果が交通にも及んだ。
1837
ヴィクトリア女王即位18歳のヴィクトリア女王がイギリス女王に即位。以後60年以上続く「ヴィクトリア朝」の始まり。
1840
ヴィクトリア女王とアルバート公の結婚アルバート公がヴィクトリア女王と結婚。アルバート公は産業・学術振興に積極的に関与するようになる。
1849
万博の構想始まるアルバート公と王立芸術協会が国際博覧会の開催計画を本格化。各国への参加呼びかけを開始。
1850
水晶宮の設計決定・着工ジョセフ・パクストンの鉄骨・ガラス構造の設計が採用され、ハイドパークでの建設が始まる。
1851
第1回ロンドン万国博覧会開幕(5月1日)ヴィクトリア女王が開会式に出席。約25か国が参加し、約10万点の展示物が並ぶ。
1851
約600万人が来場(10月閉幕)6か月の会期中に約600万人が来場。入場料収益は黒字となり、余剰金でサウスケンジントン地区の文化施設整備に充てられた。
1853
ニューヨーク万博ロンドン万博に刺激を受けたアメリカがニューヨークで万博を開催。以後、万博が世界に広まる。
1855
パリ万博(第1回)フランスがロンドンに対抗してパリで万博を開催。国際的な技術・文化交流の場として定着していく。
1936
水晶宮が焼失移築されていた水晶宮が火災で焼失。その壮大な姿は写真・絵画でのみ伝わる。
結果とその後
結果
世界初の万国博覧会として産業革命期のイギリスの工業力・技術力を世界に示し、国際的な威信を高めた。万博という形式がその後各国に広まり、近代における国際的な技術・文化交流の場が生まれた。また会場建築「水晶宮」は鉄骨・ガラス建築の先駆けとなり、建築史にも大きな影響を与えた。
この万博はあくまでイギリスの工業力・帝国としての繁栄を誇示する場であり、植民地から集められた資源や労働力への言及は展示からは省かれていた。産業革命の恩恵の陰にある労働者の過酷な労働環境や植民地支配の実態と合わせて考える視点も必要である。
登場人物
人物

アルバート公

ヴィクトリア女王の夫・万博の推進役

ドイツ出身の王配。学術・芸術・産業振興に熱心で、国際博覧会の構想を主導した。万博の成功後もサウスケンジントンの文化施設整備を推進し、現在のヴィクトリア・アンド・アルバート博物館などの設立に貢献した。

ヴィクトリア女王

イギリス女王(在位1837〜1901年)

万博の開会式に出席し、その成功を祝った。彼女の治世はイギリスが世界最大の帝国へと発展した時代と重なり、「ヴィクトリア朝」と呼ばれる。

ジョセフ・パクストン

水晶宮の設計者

元々は園芸家・造園家として活躍し、温室建築の経験から鉄骨・ガラス構造の発想を得た。245件の応募を抑えて採用されたその設計は、近代建築史に名を刻む革新的な構造だった。

ヘンリー・コール

王立芸術協会幹部・万博実務の中心人物

アルバート公とともに万博の準備を実務面で支えた。万博終了後も文化行政に携わり、ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館の初代館長となった。

キーワード解説
用語
万国博覧会(万博)
複数の国が参加し、産業・技術・文化・美術などを展示・競い合う国際的な博覧会。1851年のロンドンが第1回で、以後パリ・シカゴ・大阪など世界各地で開催されてきた。
水晶宮(クリスタル・パレス)
1851年の万博会場としてハイドパークに建設された鉄骨とガラスだけの巨大建築物。その透明で輝く外観から名づけられた。万博後はシデナムに移築されたが、1936年に焼失した。
産業革命
18世紀後半〜19世紀にかけてイギリスから始まった、蒸気機関を中心とする機械化・工場制生産への移行。社会・経済・交通を大きく変えた歴史上の大変革。
ヴィクトリア朝
ヴィクトリア女王が在位した1837〜1901年の時代を指す。イギリスが産業革命を経て大英帝国として繁栄した時代で、科学・技術・文化が大きく発展した。
アルバート公(プリンス・アルバート)
ヴィクトリア女王の夫。ドイツのザクセン・コーブルク・ゴータ公家出身。学術・産業・芸術の振興に尽力し、第1回ロンドン万博の構想と実現を主導した人物。
もっと知りたい
豆知識

1入場者約600万人は当時のイギリス人口の約4分の1

当時のイギリスの人口は約2000万人とされており、約600万人という来場者数はその約4分の1に相当する。鉄道の普及が地方からの来場を可能にし、入場料の値下げ(最安1シリング)も普及に貢献した。万博は庶民も楽しむ国民的イベントとなった。

2水晶宮の中には木が生えていた

ハイドパーク内の巨大な木を伐採せずに済むよう、水晶宮の設計はその木を建物の内側に取り込む形で計画された。高い天井のガラス建築の中に大木が立つ光景は当時の人々を驚かせた。

3水洗トイレが初めて一般公開された

万博では「リフレッシュメント・コントラクター」として会場内に設置された水洗トイレが一般に公開され、約82万7000人が利用したという記録がある。当時の都市部でも水洗トイレは珍しく、衛生意識の普及にも一役買った。

4アメリカはミシンとコルト拳銃を出品した

アメリカ館には当時最先端の工業製品としてシンガー社のミシンやコルト社の回転式拳銃が展示された。ヨーロッパ勢に比べて見劣りすると思われていたアメリカの出品が高い評価を受け、以後のアメリカの工業発展を予感させた。

5余剰金で博物館・大学が誕生した

万博は黒字となり、その余剰金はサウスケンジントン地区の文化・教育施設の整備に充てられた。現在のヴィクトリア・アンド・アルバート博物館、自然史博物館、科学博物館、インペリアル・カレッジ・ロンドンなどはこの資金をもとに設立された。

世界史の博士
ここが出る博士のワンポイント
年号は1851年。語呂は「嫌来い(いやこい)(1851)ロンドン万博」。
世界初の万国博覧会(グレート・エキシビション)がイギリスのロンドン・ハイドパークで開催された。
会場の建物は「水晶宮(クリスタル・パレス)」。鉄骨とガラスで造られた当時最先端の建築。
推進役はヴィクトリア女王の夫アルバート公。産業革命で「世界の工場」となったイギリスの工業力を世界に誇示した。
この万博をモデルに、その後パリ・ニューヨークなど各国で万博が開催されるようになった(万博の国際的普及)。
語呂クイズ
「嫌来い(いやこい)(1851)ロンドン万博」= 第1回ロンドン万国博覧会が開かれるは西暦何年?
よくある質問
FAQ
Q. 第1回ロンドン万国博覧会はなぜ重要なのですか?
A. 産業革命によって「世界の工場」となったイギリスが、その工業力と技術力を世界に示した歴史的な出来事だからです。また世界初の万国博覧会として、以後各国で万博が開催される原型を作りました。
Q. 水晶宮(クリスタル・パレス)とは何ですか?
A. 1851年の万博会場としてロンドンのハイドパークに建てられた、鉄骨とガラスだけで造られた巨大な建物です。透明で輝く外観からその名がつきました。当時の建築技術の粋を集めた革新的な構造で、近代建築の先駆けとされています。
Q. アルバート公はなぜ万博を推進したのですか?
A. ドイツ出身のアルバート公は学術・産業・芸術の振興に熱心で、イギリスの工業力を世界に発信する国際的な展覧会の開催が国の発展につながると考えたからです。各国の産業と競い合うことで、イギリス自身のさらなる技術革新を促す狙いもありました。
Q. この万博のあと、世界はどう変わりましたか?
A. ロンドン万博をモデルに、1853年のニューヨーク万博、1855年のパリ万博など各国で万博が開催されるようになりました。万博は近代における国際的な技術・文化交流の場として定着し、国同士が技術力や文化を競い合う舞台となりました。
Q. 万博の会場だった水晶宮は今もありますか?
A. いいえ、現存しません。万博終了後、水晶宮はロンドン南部のシデナムに移築されましたが、1936年に原因不明の火災で焼失しました。現在は跡地に公園(クリスタル・パレス・パーク)が残るのみです。
まとめ

1851年のロンドン万国博覧会は、産業革命を成し遂げたイギリスが「世界の工場」としての実力を地球規模で発信した歴史的な出来事です。鉄とガラスの水晶宮に世界中から集められた最先端の技術・工業製品・美術品は、近代という時代が新たな段階に踏み込んだことを象徴していました。この万博が生んだ「国際的な技術・文化の祭典」という形式は、以後の世界各国に受け継がれ、今日のオリンピックや万博にもつながっています。「嫌来い(1851)ロンドン万博」の語呂とともに、産業革命後のイギリスと近代世界の幕開けを象徴する出来事として記憶に刻んでおきましょう。

編集メモ(ファクト)
来場者数は約600万人(約604万人という説もある)が通説として広く使われているため、「約600万人」と表記した。
参加国数は資料によって25〜28か国と幅があるため「約25か国」と記載した。
水晶宮の寸法(全長約563m・高さ約39m)は一般的な参考値として記載。資料によって若干異なる。
水洗トイレ公開のエピソードは歴史的に広く引用されるが、「初めて一般公開」という表現は誇張を含む可能性があるため、「一般に公開された」という表現にとどめた。
relatedは指定された1825-railway-opening・1869-suez-canalの2件のみを記載。