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高校/経済
1602

オランダが東インド会社を設立する

オランダ連邦議会(全国議会)
語呂
覚え方
色鬼(1602)オランダ東インド会社
いろおに(1602)オランダ東インド会社

1602年、オランダ(ネーデルラント連邦共和国)の全国議会は、アジアへ向かう複数の貿易会社を一つに統合し、オランダ連合東インド会社(VOC)を設立しました。VOCは広く一般から株式を募ることで膨大な資本を集め、「世界初の株式会社」と呼ばれる組織形態を生み出しました。全国議会からは喜望峰以東での貿易独占権・条約締結権・軍隊保有権・城砦建設権など、まるで国家のような主権的権限が与えられました。VOCはジャワ島のバタヴィア(現在のジャカルタ)を拠点に香辛料貿易を支配し、1623年のアンボイナ事件でイギリス勢力をモルッカ諸島から排除。日本の平戸や長崎(出島)とも交易を続け、17世紀を通じて世界最大規模の貿易会社として君臨しました。

この記事のポイント

  • 1602年、オランダ全国議会が複数の貿易会社を統合し、VOC(オランダ連合東インド会社)を設立
  • 広く株式を公募して資本を集める「世界初の株式会社」とされる組織形態を確立
  • 喜望峰以東の貿易独占権・条約締結権・軍隊保有権など主権的な権限を全国議会から付与された
  • バタヴィア(現ジャカルタ)を拠点に香辛料貿易を独占し、1623年アンボイナ事件でイギリスを排除
  • 日本(平戸・出島)とも通商し、江戸時代を通じてオランダは日本に残った唯一のヨーロッパ国家となった
ここが面白い

「株を買えば誰でも出資者になれる」――当たり前に見えるこの仕組みを人類で初めて制度化したのが、1602年に設立されたオランダ東インド会社(VOC)だった。

ここに至るまでの流れ
背景

VOCの誕生は突然ではありません。ポルトガルのアジア進出から約1世紀、オランダがスペインとの独立戦争を戦いながら海洋進出を模索した歴史の必然として生まれた組織です。その背景を順に見ていきましょう。

ポルトガル・スペインによる独占と「中継ぎ」オランダ

15世紀末以降、ポルトガルはバスコ・ダ・ガマのインド航路開拓(1498年)を機にアジア貿易を独占し、リスボンが香辛料の集散地となった。オランダ商人はリスボンで香辛料を仕入れてヨーロッパ各地に転売する「中継ぎ」で利益を得ていた。しかし1580年にポルトガルがスペインに併合されると、スペインと独立戦争中だったオランダはリスボンへの入港を禁じられ、自らアジアへ直航しなければならなくなった。

オランダの八十年戦争と独立の気運

オランダ(ネーデルラント)はハプスブルク家(スペイン)の支配に対して1568年から独立戦争(八十年戦争)を開始した。1581年にネーデルラント連邦共和国として事実上の独立を宣言し、アムステルダムが金融・商業の中心都市として急成長した。独立資金の調達と海上覇権の確立がオランダの国家的課題であり、アジア貿易の利益はその両方に直結していた。

先発各社の乱立と過当競争

1595年、コルネリス・デ・ハウトマンが率いる船団がアジアへの初航海に出発した。帰国後は利益が見込めるとわかり、各都市で競って貿易会社が設立された。しかし各社が競合してアジアの現地市場で買値を吊り上げ、ヨーロッパで売値を崩し合うという過当競争が生じた。利益率が低下する一方、ポルトガル・スペインや後発のイギリス(1600年設立のイギリス東インド会社)との競争も激化していた。

全国議会による統合とVOC設立

1602年3月20日、オランダ全国議会の特許状によって、複数の先行会社(前身会社群)が統合されオランダ連合東インド会社(VOC、Vereenigde Oost-Indische Compagnie)が正式に設立された。特許状は21年間の有効期限付きで、喜望峰以東・マゼラン海峡以西の海域での貿易独占権をVOCに付与した。資本金は約650万ギルダーにのぼり、貴族から庶民まで広く株式を公募した点が画期的だった。

やったこと(≒ 現代でいうと)
何を

世界初の株式会社

≒ 証券取引所に上場する現代の株式会社の直接の起源

広く一般から出資者(株主)を募り、利益を配当として還元する仕組みを制度的に確立した。1602年にはアムステルダム証券取引所も開設され、株式の売買市場が誕生した。

国家的権限を持つ超大型商社

≒ 現代では国家のみが持つ外交権・軍事力を私企業が持った点が最大の特徴

全国議会から独占貿易権のほか、条約締結権・軍隊保有権・城砦建設権・現地統治権まで与えられた。単なる貿易会社を超えた「国家内国家」的な存在であり、植民地支配の先駆けとなった。

香辛料貿易の独占と価格支配

≒ 独占による価格支配という手法は現代のカルテル規制の議論の原点の一つ

モルッカ諸島(香辛料諸島)のナツメグ・丁字(クローブ)などの産地を直接支配し、供給量を調整して価格をコントロールした。競争相手の排除(アンボイナ事件)や現地住民への強制栽培(バンダ島虐殺)など暴力的な独占手段も用いた。

前後のできごと
年表
1488
喜望峰発見ポルトガルのバルトロメウ・ディアスがアフリカ南端の喜望峰を回航し、インドへの航路が現実となった。
1498
インド航路開拓ポルトガルのバスコ・ダ・ガマがカリカット(インド)に到達し、ヨーロッパとアジアを結ぶ海の道が開かれた。
1568
八十年戦争開始オランダ(ネーデルラント)がスペイン(ハプスブルク家)に対して独立戦争を開始。
1580
ポルトガルのスペイン併合ポルトガルがスペインに併合され、スペインとの戦争中のオランダはリスボンへの入港を禁止された。
1595
オランダ、初のアジア航海コルネリス・デ・ハウトマンが率いる4隻の船団がオランダ初のアジア直航に出発。
1600
イギリス東インド会社設立イギリスがエリザベス1世の勅許によって東インド会社を設立。オランダにとって最大のライバルとなる。
1602
VOC設立3月20日、オランダ全国議会の特許状によりオランダ連合東インド会社(VOC)が設立。アムステルダム証券取引所も同年開設。
1619
バタヴィア建設ヤン・ピーテルスゾーン・クーンがジャワ島にバタヴィア(現ジャカルタ)を建設し、VOCのアジア総督府を置いた。
1623
アンボイナ事件モルッカ諸島アンボン島でVOCがイギリス商館員ら約20名を拷問・処刑。イギリスはモルッカ諸島から事実上撤退した。
1641
出島での交易開始幕府がポルトガルを追放した後、VOCが長崎の出島に移り、以後鎖国下で日本と唯一交易するヨーロッパ国家となった。
1799
VOC解散財政難と腐敗によりVOCは解散。その資産はオランダ国家に接収され、植民地は国家直轄となった。
結果とその後
結果
株式の公募による資本集中という革新的な仕組みを生み出し、近代資本主義・証券市場の原型となった。オランダは17世紀を通じてアジア貿易を支配し、「オランダの黄金時代」と呼ばれる空前の繁栄を謳歌した。
VOCは独占権と軍事力を背景に現地住民への強制栽培・虐殺(バンダ島虐殺など)を行い、植民地支配の先駆けともなった。また18世紀以降は腐敗と競争激化で経営が悪化し、1799年に解散した。繁栄の陰にある暴力的側面も合わせて評価する必要がある。
登場人物
人物

ヤン・ピーテルスゾーン・クーン

VOC第4代アジア総督(在任1619〜1623年、1627〜1629年)

バタヴィア建設を主導し、VOCのアジア支配体制を確立した。アンボイナ事件やバンダ島での強制制圧も彼の在任中に起きており、苛烈な帝国主義的手法で知られる。

コルネリス・デ・ハウトマン

オランダ初のアジア航海の指揮官

1595年に出発したオランダ初のアジア直航を指揮。利益は少なかったが、アジア直航の可能性を実証し、後のVOC設立の気運をつくった。

ヨハン・ファン・オルデンバルネフェルト

オランダ共和国の政治家・大法律顧問

VOC設立を主導した政治家。各社の乱立を解消して一つの独占会社に統合する構想を推進し、全国議会に設立特許状を認めさせた。

バスコ・ダ・ガマ

ポルトガルの航海者

1498年のインド航路開拓者。VOC設立の直接のきっかけとなったポルトガルのアジア進出を切り開いた人物であり、世界史における大航海時代の象徴。

キーワード解説
用語
VOC(オランダ連合東インド会社)
Vereenigde Oost-Indische Compagnieの略。1602年にオランダが設立した特許会社で、世界初の株式会社とされる。喜望峰以東の貿易独占権と軍事・外交権限を持ち、17世紀の世界貿易を支配した。
株式会社
資本を細かく分割した「株式」を発行して広く投資家から資金を集め、利益を株主に配当する企業形態。VOCが制度的な原型を確立したとされる。
特許状(チャーター)
国家(君主・議会)が特定の会社や個人に対して独占権や特権を与える公式の文書。VOCはオランダ全国議会の特許状により設立・活動した。
喜望峰
アフリカ最南端に近い岬。ヨーロッパからインド洋・アジアへ向かう航路の重要な通過点。VOCの独占権は喜望峰以東の海域を対象としていた。
アンボイナ事件(1623年)
モルッカ諸島のアンボン島でVOCがイギリス東インド会社の商館員ら約20名を拷問・処刑した事件。これによりイギリスはモルッカ諸島から撤退を余儀なくされ、VOCの香辛料貿易独占が確立した。
バタヴィア
現在のインドネシア・ジャカルタにあたるVOCのアジア支配拠点。1619年に建設され、アジア総督府が置かれた。
出島
長崎港内の扇形の人工島。1641年以降、VOCの商館が置かれ、鎖国下の日本と貿易を続けた唯一のヨーロッパ国家としてのオランダの窓口となった。
もっと知りたい
豆知識

1世界初の株式公開と証券取引所

VOCが1602年に株式を公募したことで、同年アムステルダムに世界初の証券取引所が開設された。貴族だけでなく商人・職人・一般市民まで出資できる仕組みは当時としては革命的で、現代の株式市場の直接の起源とされている。

2社員数15万人・船舶1600隻以上

最盛期(17世紀後半)のVOCは従業員約15万人、軍隊約4万人、アジアに展開する商船・戦艦を合わせて1600隻以上を擁したとされ、当時の世界で最大規模の企業組織だった。

3日本との関係――蘭学の窓口

VOCは1609年に平戸に商館を開設し、1641年に長崎の出島へ移った。鎖国下で唯一残ったヨーロッパ国家として約200年にわたり交易を続け、オランダ語を通じた西洋の学術・技術が日本に流入する「蘭学」の窓口となった。

4バンダ島虐殺――香辛料のための暴力

1621年、VOCは総督クーンの命令でモルッカ諸島のバンダ諸島を武力制圧し、ナツメグ産地の独占を確保した。当時の島民はおよそ1万5000人いたとされるが、虐殺・奴隷化・飢餓によって数百人まで激減したとも伝わる。繁栄の影に潜む植民地的暴力の典型例として語られる。

5「VOC」の刻印と現代のロゴ

VOCはアジアで流通させた銀貨や陶器にVOCの頭文字を刻んだ。このロゴマークはオランダ各地・アジア・日本の出土品にも確認されており、世界最初の企業ブランドの一つとも言われる。

世界史の博士
ここが出る博士のワンポイント
年号は1602年。語呂は「色鬼(1602)オランダ東インド会社」。
設立したのはオランダ(ネーデルラント連邦共和国)。イギリス東インド会社(1600年)に対抗する形で設立された点も頻出。
「世界初の株式会社」として資本主義・証券市場の起源という点が最大のポイント。
全国議会から付与された権限:喜望峰以東の貿易独占権・条約締結権・軍隊保有権・城砦建設権。
拠点はバタヴィア(現ジャカルタ)。日本との関係では平戸→出島(1641年〜)が頻出。
アンボイナ事件(1623年)でイギリスをモルッカ諸島から排除したことを押さえる。
語呂クイズ
「色鬼(1602)オランダ東インド会社」= オランダが東インド会社を設立するは西暦何年?
よくある質問
FAQ
Q. オランダ東インド会社はなぜ「世界初の株式会社」と呼ばれるのですか?
A. 広く一般から株式(出資証券)を募り、利益を配当として株主に還元し、さらに株式を市場で売買できるアムステルダム証券取引所が同年開設された点が画期的だったからです。それ以前にも共同出資の組合はありましたが、これほど制度的に整った形での株式公開は初めてでした。
Q. VOCが「国家のような権限」を持っていたとはどういう意味ですか?
A. 通常、条約を結ぶ権限(外交権)や軍隊を持つ権限(軍事権)は国家だけが持つものです。しかしVOCはオランダ全国議会から、喜望峰以東の地域でこれらの権限を行使することを特許状で認められていました。現地の国や民族と条約を結び、自前の軍隊で要塞を守ることができたため、実質的に国家と同等の権力を持つ存在でした。
Q. なぜオランダはアジアへ進出したのですか?
A. もともとオランダ商人はリスボンで香辛料を仕入れてヨーロッパに転売していましたが、1580年にポルトガルがスペインに併合されると、スペインと独立戦争中だったオランダはリスボンへの入港を禁止されました。そのため自らアジアへ直航して香辛料を調達する必要に迫られました。
Q. アンボイナ事件とはどのような出来事ですか?
A. 1623年にモルッカ諸島のアンボン島で、VOCがイギリス東インド会社の商館員ら約20名を「反乱計画」の疑いで拷問・処刑した事件です。この事件をきっかけにイギリスはモルッカ諸島から実質的に撤退し、VOCの香辛料貿易独占が確立しました。イギリスはその後インドに活動拠点を移しました。
Q. VOCはなぜ解散したのですか?
A. 18世紀に入ると、役員の汚職・横領などの腐敗が深刻化し、イギリスとの競争でも劣勢になりました。さらにナポレオン戦争の影響でオランダ本国が混乱し、1799年12月31日にVOCは正式に解散しました。その債務と植民地はオランダ国家に引き継がれました。
まとめ

オランダ東インド会社(VOC)の設立は、「株式を広く公募して資本を集める」という仕組みを世界で初めて制度化した歴史的な画期でした。単なる一商社にとどまらず、国家に匹敵する軍事・外交権限を持ち、17世紀のアジア貿易を掌握したVOCは、近代資本主義・証券市場の原型であると同時に、植民地支配の先駆けでもあります。「色鬼(1602)オランダ東インド会社」の語呂とともに、株式会社の誕生とオランダの黄金時代を結びつけて押さえておきましょう。

編集メモ(ファクト)
VOCを「世界初の株式会社」とする呼称は広く通説として使われているが、厳密には共同出資の事業体はそれ以前にも存在したとする議論もある。本文では「世界初の株式会社とされる」という表現にとどめた。
アンボイナ事件での死者数は史料によって差があるため、「約20名」という通説的な数字を採用しつつ断定を避けた。
バンダ島虐殺の犠牲者数については諸説あり(数千人〜数万人規模という説も)、本文では「数百人まで激減したとも伝わる」という表現で幅を持たせた。
related に指定された 1488-cape-of-good-hope および 1498-vasco-da-gama を記載。実在しない場合は削除すること。
出島への移転年(1641年)はポルトガル追放(1639年)後のことだが、本文では流れを簡潔にまとめるため「1641年」のみ記した。