「何が」ではなく「なぜ」を、「歴史用語の多さ」ではなく「その関係性」を大切に。

O奈良時代の日本という、小さな中世的中央集権帝国 O奈良時代の日本という、小さな中世的中央集権帝国

奈良時代における日本の、世界史的位置づけ

 まず〈奈良時代〉とは、710 年から 784 年にかけて、奈良盆地にある〈平城京〉において、政治がなされた時期を指す。

 

 奈良時代における政治体制のあり方を述べるならば、これはひと通り、日本がひとつの国家として完成した状態にあったと言える。

 

 その理由は、この時代は日本において、天皇と朝廷を中心とする中央集権体制がとりあえずは整ったからである。

 

 ところが奈良時代をつうじ、天皇の立場はやや微妙なものとなっていった。

 

 というのは、さまざまな事件が発生したため、天皇による中央集権体制がもろくなっていったからである。

 

 また奈良時代と同時期の世界を比較しても、同様のことが言える。

 

 中国では618 年に興り、7 世紀の全盛期を過ぎると政情はだんだんと不安定になっていった

 

 同様にイスラム王朝であるアッバース朝、750 年に成立したが、9 世紀からは領土の分裂に悩まされるようになった

 

 これまで「K大唐帝国の成立-ユーラシアを貫徹する、中世的大帝国」のページ等で述べてきたように、唐やアッバース朝は中世を代表する大帝国である。

 

 またそれでありながら、その全盛期は短かったということも共通している

 

 さらには「O飛鳥時代-世界の中世大帝国成立と呼応」のページにおいて、日本という国は、東アジアの小島国でありながらもその歴史のあり方が、どの時代も世界の趨勢を反映しているところに特徴があるとも、語った。

 

 そうした観点から見た場合、奈良時代の朝廷や日本のあり方も、まったく例外ではない。

 

 当時の日本とは典型的な中世的国家であったため中央集権が成立し、また同時に、それは早く崩れ去ったのだ。

 

 このページでは、その点を中心に論じる。

奈良時代 概要

 8 世紀初頭に、元明天皇はそれまでの藤原京から、奈良の平城京へと遷都した。

 

 その理由は、まず藤原京は低地にあった。

 

 よって用水・排水の便が悪く、かつ神々の直系子孫である天皇が、そうしたところに住むのは、ふさわしくないと考えられたためと思われる。

 

 ただこの点は、現在の史学でも定説はない。

 

 もしかしたら、それは(日本)古代を支配した怨霊思想にも、原因があるかもしれない。

 

 そこから古代の朝廷は、藤原京をなんらかの不吉な場所と判断したとも、考えられる。

 

 そうしたわけで奈良の盆地に、中国・唐の長安をモデルにした都が置かれ、それは「平城京」と名づけられた。

 

O奈良時代の日本という、小さな中世的中央集権帝国
平城京のあり方
借用元 http://www1.kcn.ne.jp/~watblue7/tenpyo/shiseki/heijo/heijo.html

 

 奈良時代には遣唐使が何度も派遣され、彼らがもち帰った唐の文化をもとに、〈天平文化〉がつくられた。

 

 また朝廷は、はじめは〈公地公民制度〉という、朝廷が日本の国土を一元的に支配する中央集権政策を採っていた

 

 ところがそれでは、国家財政を支える農業生産力が追いつかないため個人が耕作した土地にかんしては、その者や子孫がその所有を許される政策を出した

 

 これは、〈三世一身法(さんぜんいっしんほう)〉や、〈墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいほう)〉と呼ばれる法である。

 

 そのためこの施策は、力のある豪族や寺院がさらなる財を得るという結果をもたらした

 

 さらにはそうした実力者たちは、生活に困窮した農民等を下級労働者として使役したため、国民のあいだで貧富の差が拡がった。

 

 そのようにして開墾された土地を、「荘園」と呼ぶ。

 

 くわえて鉄器の普及や農法の進歩により、一部の荘園はさらに巨大化したためそれに反比例して、天皇の実力は落ちていった

 

 なぜならそれにより、荘園をもつ豪族・貴族たちの力が増したからだ。

 

 そうしたわけで、奈良時代の後期においては、天皇は藤原氏に寄生され天皇の実権は藤原氏へと移っていった

 

 しかし奈良時代には、日本各地の行政機関である〈国分寺〉が多く建てられ、さらに奈良には巨大大仏が造られた。

 

O奈良時代の日本という、小さな中世的中央集権帝国
国分寺の想像図
借用元 http://bunkazai.akaiwa-rekishi.jp/34.html

 

 こうした動きは、日本が一元的にひとつの国家として完成されてきたことを意味する

世界の中世大帝国はなぜ、長期にわたり中央集権制を保てなかったか?

 最初の章で述べたように、唐やアッバース朝など、中世を代表する大帝国は、全盛期が短い

 

 まず唐という王朝自体は 300 年間存続したが、その最盛期は最初の 100 年足らずで、その後は各地の反乱や外戚の横行に、悩まされることとなった。

 

 くわえてアッバース朝もまた、王朝そのものは500 年ほど続いたが、黄金期は最初の 50 年ほどであり、後は分裂・縮小をくり返していった。

 

 ではなぜ、そのようなことになるのか?

 

 その理由は端的に述べれば、莫大な帝国の領土に対して皇帝や王の求心力が追いつかなかったからである。

 

 唐やアッバース朝は、その領土はあまりに広大でかつ治める民族はあまりに多い

 

 ところが、そうした大帝国における支配者が、支配者でいられる裏づけは、ほぼ「宗教的権威」だけである。

 

 まず中国の場合においては、〈易姓革命〉という思想があるため、腐敗し、弱体化した旧体制を打ち破れば、その者は皇帝となれる。

 

 またイスラム王朝では、王(カリフ)とは〈アッラー〉により支配を託された地上の王という立場をもつ。

 

 こうした皇帝や王の立場を正当化するものは、あくまで“権威”であり、これだけでは「物質的生産力」を確保できない

 

 したがって、帝国内における他の実力者が生産力を獲得してしまえば皇帝や王は、その実力の薄さを露呈してしまうことになるのだ。

 

さらに、地方の実力者が別の権威や正義を名乗ってしまえば「権威だけの王」は、それに抵抗する力をもたない

 

 たとえばエジプトのファーティマ朝の王は、自ら「カリフ」と称し、アッバース朝のカリフに対抗したが、アッバース朝にはそれを止めることができなかった。

 

 この点をより具体的に見ていけば、唐では各地の豪族が大きな〈荘園〉をもったため、皇帝は権力を一身に集中させられなくなった。

 

 しかしなにしろ唐においては、高級官僚は大土地所有を認められていたため、皇帝はそれに異議は唱えられなかったのだ。

 

 くわえてアッバース朝の領域内においても、前述したファーティマ朝や、イラン系のブワイフ朝が武力や生産力を確保した。

 

 ところがアッバース朝は、それを黙認するほかなかった。

 

 この点はじつに、「権威だけの王」が、「武力・生産力をもつ実力者」を相手にした際の弱点を、よく示している。

奈良時代において、天皇が実権を失っていく過程

 前述したように、日本とは世界における歴史のあり方を、その同時代において、自国で反映させる国である。

 

 よって日本における天皇の立場も唐やアッバース朝の皇帝やカリフと、基本的には変わるところはない

 

 まず奈良時代の初期において、朝廷は農業生産力を向上させるため、個人の土地所有を許容した

 

 その結果、日本各地に荘園ができ、たしかに日本全体における農業生産力そのものは上昇した

 

 しかしその結果が皮肉にも天皇の地位低下をもたらしたのである。

 

 なぜなら、天皇もまさに「宗教的権威の王」にすぎないため、力をつけた各地の豪族を、抑える力をもたなかったからである。

 

 しかも豪族や貴族たちに、荘園をもつことを許可したのは、他ならぬ天皇や朝廷自身である。

 

 したがって彼らが強大化していくことに対し天皇や朝廷は、なんら異議申立ては述べられなかったのである。

 

 その結果、天皇の実力は空洞化し、やがて本当に、単なる宗教上のお飾りとなった。

 

 するとそこに、藤原氏という“花”より“実”を欲する貴族が現われ、やがて藤原氏一族は朝廷を実質支配しまもなく次の時代である平安時代の覇者となるのだ。

 

 というのは藤原氏は、一族の娘を天皇に嫁がせ、自らは〈摂政・関白〉という、天皇の補佐役であることをいいことに、権力を私物化したからである。

 

 そうしたわけで、奈良時代の末期には、天皇による中央集権体制はすっかり崩れたのだ。

遣唐使の世界史的意味

 では最後に、遣唐使の意義と意味について、世界史的立場から述べる。

 

 まず遣唐使のあり方としては、まったく特別なものではなく、当時の東アジアで見られた留学生などと変わるものではない

 

 なにしろ中世において唐とは、東アジアに君臨する大帝国であったため、周辺国から留学生や商人が集まってきた。

 

 そして彼らは、唐の文化や文物を本国にもち帰り、そこで独自の文化を築いたのである。

 

 またこの点は、イスラム王朝のアッバース朝も同様であり、アッバース朝の首都であるバグダッドには、世界中から商人や外交官が訪れた。

 

 くわえて彼らも同様に、バグダッドで得たものを本国で改良し、独自の文化とした。

 

 このように 8 世紀とは世界史的に見れば中央の文化や情報が、末端へと浸透していった時代と言える。

 

 もちろん、遣唐使もそうした機能を果たす存在であった。

 

 遣唐使が唐より運んできた文化は、奈良時代においては、〈天平文化〉として花開いたからだ。

 

O奈良時代の日本という、小さな中世的中央集権帝国
遣唐使船のイメージ
借用元 http://e-tera.net/Entry/312/

 

 しかしこの点には、二重性がある。

 

 というのは、そもそも「中央から地方へ」という動きはまさに奈良時代の日本においても起こっていた現象だからだ。

 

 その例が、日本各地における国分寺の設置や、中央貴族が地方において荘園の主となり、力をつけたといった現象である。

 

 つまり、8 世紀のユーラシアで生じていた事象は同時期の日本でも発生していたのである。

 

 この点からもやはり日本とは、世界情勢を圧縮して鏡に写したような国だということがわかる。

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管理人 水無川 流也