「何が」ではなく「なぜ」を、「歴史用語の多さ」ではなく「その関係性」を大切に。

中世 2 -中国中世と日本古代 中世 2 -中国中世と日本古代

中世 2 -中国中世と日本古代記事一覧

J三国時代、五胡十六国時代-中国における中世の開始

 このページでは、わが国でも中国・明代の小説、『三国志演義』ですっかりとおなじみの、中国・三国時代と、その後の五胡十六国時代を取りあげる。 東アジアにおける古代の大帝国だった〈後漢〉が滅んだ結果、各地の群雄が立ち、3 世紀には結果的に〈魏〉、〈呉〉、〈蜀〉の三国が覇を競うものとなった。 この国家の分...

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J魏晋南北朝時代の社会から見える、中国史の本質

 五胡十六国時代に、中国は遊牧民族により多大な影響を受けたことは、すでに前のページ、J三国時代、五胡十六国時代という、中国における中世の開始で述べた。 および騎馬民族の活動は、当時の東アジア世界にとどまらず、ユーラシア大陸全体で「古代の終焉と、中世の開始」を引き起こしたことも、語った。 ところで中国...

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J六朝文化の、特徴と先進性と限界性-早すぎた“近代”

 魏晋南北朝時代は戦乱の絶えぬ時期であったが、多くの民族や国民が交じり合ったため、独自の文化が花開いた。 これを〈六朝(りくちょう)文化〉と呼ぶ。魏晋南北朝時代 王朝の変遷借用元 http://www.geocities.jp/timeway/kougi-32.html 当時代は国家の統制が弱まった...

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J清談、書道、道教、大乗仏教に見る、六朝文化の光と影

 戦乱の世にあり、かつ極端な貧富格差が存在した魏晋南北朝時代においては、有閑階級は世俗離れした世界に憧れた。 そこから、詩なども牧歌的な田園生活を唄ったものが生まれた。 ところで、こうした現象は中国独自のものではなく、どの時代、どこの国でも、“文化”を生むだけの経済力をもつ階級が存在すれば、起こり得...

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J古代朝鮮史-衛氏朝鮮から、百済、高句麗、新羅まで

 このページでは、中国の魏晋南北朝時代と同時期に、百済(くだら)、高句麗(こうくり)、新羅(しらぎ)による「三国時代」が成立していた関係から、古代朝鮮史を取りあげる。 朝鮮は最初の国家、衛氏(えいし)朝鮮時代(BC.195 ? 〜 BC.108)から見ると、じつに 2,000 年以上の歴史がある。 ...

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J三国時代における、朝鮮と日本(倭)の関係性−安全保障同盟

 大和朝廷成立前後の日本(倭)は、朝鮮半島をつうじて多くの文物が伝えられたということは、よく知られている。 この場合、ある意味で感情的な現代の政治論争において、当時の朝鮮と日本は、どちらが格上であったか、ということがひんぱんに論じられる。 まず当時の遺物から、3 世紀以降の九州北部と朝鮮南部は、ほぼ...

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K隋の成立と興亡-中国に再度、統一王朝ができた意味

○守文はすなわち難し(物事を新しく興すより、それを維持、発展させるほうが、むずかしい)―魏微(貞観政要)

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K大唐帝国の成立-ユーラシアを貫徹する、中世的大帝国

 東アジアでは 618 年に〈隋〉が滅んだ後、同年、〈唐〉が興った。 この時代の中国に唐が立ったということは、世界史的にどのような意味があるのか? それは、〈中世的原理〉により成り立つ最大の帝国が、イスラム教国家をふくめユーラシアに 2 つできた。 よってそれにより、〈中世〉という時代はこの 2 箇...

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K唐代文化 -仏教、道教、儒教に見る、中世的大教団の成立

 唐とは、多彩な異文化が混合した、“国際性”により成り立った国だということは、これまでのページで述べてきた。 そこから当然に、唐の時代に栄えた文化とは、国際性が豊かなものである。 だがこのことは、ひとり唐にのみ当てはまることではない。 唐代文化が興った時代は、世界各地で共時的に多様な民族たちを統治す...

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K唐代芸術の近代性と、純粋芸術の成立-書、山水画 等

 唐代の中国では、杜甫、李白、白居易らが、独創的な詩を残し、また呉道玄の山水画、顔真卿の書なども名声を博した。山水画借用元 http://www.geocities.jp/themusasi5/a104.html顔真卿の書借用元 http://www.robundo.com/robundo/colu...

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K唐の周辺国家、突厥、ウイグル等に見る、中世の時代潮流

 中世という時代は、モンゴル高原をはじめとする北方アジアに住んでいた遊牧、騎馬民族が、南下西進する時代であった。 いや、そうした現象自体は古代よりあったが、中世においてはそれが顕著に表れていった。 その原因は、多くが気温の低下により、彼らが暖や食糧を南や西に求めたからであった。 また場合によっては、...

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K唐と吐蕃成立、および現代まで続く中国-チベット関係

 これまで述べてきたように、「中世的国家」とは、以下のようなものであった。 まず広大な地域に複数の民族が存在し、それを特定の一民族が、特定のイデオロギーで支配するというものである。 この場合の「イデオロギー」とは、土俗的なアニミズム的信仰ではなく、教義や儀式が体系化、洗練化されたものである。 具体的...

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K新羅と渤海-唐における属国・周辺国の運命−大国に翻弄

 朝鮮における王朝のあり方はつねに、中国をはじめとする周辺に存在する大国のあり方により規定されてきた。 したがって中国に前漢(紀元前 206 〜 紀元後 8)、後漢(25 〜 220)が存在した時代には、朝鮮はこれらの国の植民地であった。 後漢が滅び、中国の政情が不安定になったころより、朝鮮には百済...

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K大唐帝国の衰退と滅亡に見る、中世の「終わりの始まり」

 唐は 618 年に成立したが、8 世紀に入った段階ですでに、衰退の兆しが見えてきた。 その原因は、表面的には国民のあいだで貧富の差が開き、逃亡する農民が増え、さまざまな社会制度が機能しなくなったことが挙げられる。 しかし唐は、イスラム王朝のアッバース朝とならぶ、中世を代表する大帝国である。 そんな...

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K五代十国-武断政治と近代国家の萌芽、中世的国家の否定

 このことは、「J魏晋南北朝時代の社会から見える、中国史の本質」のページにおける、「えんえんと続く、中国の歴史サイクル」の章などで、すでにさんざん述べた。 それは中国の歴史とは、循環史のようなもので、国の分裂時代から国家の形成・崩壊にいたるまで、時代を替えてくり返されているだけということだ。 よって...

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L宋の周辺国家、高麗、大越国、日本に見る近代的民族主義

○弱体な国家は、常に優柔不断である―マキャベリ

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L宋の周辺国家、契丹、金、ユーラシアの「北方民族の南下」

 このページでは、宋の周辺国であり、宋をおおいに苦しめた 2 つの国家、〈契丹(遼)〉と〈金〉を中心に取りあげる。 契丹も金も、半農半牧の国家であり、11 世紀から 13 世紀前半にかけて、宋に強烈な圧力をかけた。 だがここでは、その 2 国の動きだけを解説するということはしない。 そうではなく、な...

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L宋の成立と統治-文治主義国家と覇権主義国家の差異と弱点

このページからはいよいよ、宋・本国について述べる。 宋という国家は、その前時代である五代十国が、武力がものを言う“武断政治”の世であったのに、国がまとまらなかった教訓から、“文治政治”を志した。 “文治政治”とは、儒教の教えをもとに政治をおこなうことである。 具体的には、儒教の教義が問われる〈科挙〉...

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L宋代社会-近代通商網と貨幣経済が西洋より早く出現

 前のページで述べたように、宋とは商業国家であるので、中国の各地に商業の拠点ができ、それらが繋がって、ひとつのネットワークを形成した。ちなみにその時期は、ヨーロッパで自由都市が成立し、商業網が発達した時代より 200 〜 300 年早い。 その後、ヨーロッパは自由経済の時代、“近代”へと発展していっ...

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L朱子学-宇宙を対象化し、完成に向かう中国・宋代文化

 このページからは、宋代に興った〈宋代文化〉について語る。 宋代文化の特徴としては、思想にせよ芸術にせよ、まず宇宙論的に世界のあり方全体を表現する、という態度が目立つ。 宋代文化においては学問も芸術も、あるひとつの原理から、宇宙全体を表そうとする姿勢が目につくのだ。 これまでの中国文化では、“世界”...

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L宋代文化-史学、文学、宗教に現れる、中国文化の集大成

 宋代とは中国文化の総括期であり、宋代になり、中国文化は質、量ともに極まったということは、前のページL朱子学-宇宙を対象化し、完成に向かう中国文化で述べた。 くわえて中国文化における最大の特徴とは、つねに「現実的に役立つか、どうか」を問題にする、現世ご利益性にあるということは、「N中国 諸子百家と中...

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L宋代芸術-陶磁器、画-西洋に対し、優位を保つ

 宋代とは、中国文明・文化の総括期であり、さらに宋という国家が〈文治主義〉を採っていたため、多彩な文化が花開いたということは、これまでに述べた。 こうした点から宋代における美術品を見ると、やはり宋という国家や宋代という時代を体現しているということがわかる。 この点を、宋代の美術品、〈白磁〉、〈青磁〉...

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Mモンゴル帝国成立が、中世ユーラシアの勢力図をご破算に

○招いていないのに来る客は、タタール人よりひどい―ロシアのことわざ

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Mモンゴル帝国が、西洋近代誕生の触媒となった

 このページでは、中世におけるモンゴル人の活動により、後の歴史がどのように影響されたかをあつかう。 この点をまず、結論から述べるならば、それはユーラシア大陸における既存の力関係を破壊し、結果として〈近代=西洋の時代〉の到来を準備したことにつきる。 言うまでもなく、中世におけるユーラシア大陸の覇者は、...

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M元・モンゴル軍に見られる、中世的国家の最後の大爆発

 元・モンゴル帝国の隆盛とその崩壊は、「騎馬民族最強の時代」の終焉を意味するものであるとも言える。 13 世紀のモンゴル人は、〈馬上射弓〉により世界を制したが、この戦術そのものも、“近代”においては古びたものとなった。 なぜなら“近代”には、銃や大砲といった、より強力な兵器が出現したからである。 よ...

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M元による東アジア支配と、貨幣経済発達の意味-近代通商へ

 このページでは、〈元〉として知られている、中国におけるモンゴル人国家について取りあげる。 周知のように、モンゴル帝国とはほぼユーラシア全域を支配した国家であり、その本拠地は中国における元王朝にあった。 中国がこのように、世界帝国の中心となったのは、歴史上はじめてのことである。 元以前の唐王朝もまた...

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N中国4大発明と、中国社会の近代性、特殊性、限界性

○ヨーロッパ文明発展の導火線ともなった、紙や火薬を最初につくり出したのは中国人だ―マハティール

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N技術革新に見る、中国近代はいかにして西洋近代に敗れたか

 前のページで語ったように、中国で発明された、偉大な 4 つの技術の産物は、中国本国では社会全体を変革するほどの影響力はもたなかった。 だがその反面、それらを輸入したヨーロッパにおいては、「4 大発明が社会を変え、なおかつ社会がその発明品を、どんどんと改良していく」という現象が見られた。 この差は、...

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Oヤマト王権は、なぜ、どのように成立したか-カギは温暖化

○この世をば わが世とぞ思う もち月の かけたることも なしと思えば―藤原道長

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O飛鳥時代-世界の中世大帝国成立と呼応-宗教的権威の確立

 5 世紀ごろ、わが国にヤマト王権ができたということは、前のページOヤマト王権成立がもつ、歴史的意義-なぜ、どのように出来たのかにおける、「ヤマト王朝の内実」以下の章で述べた。 その後、6 世紀ごろからはようやく、『古事記』、『日本書紀』などの文献、および各地の遺跡などより裏付けられた史実がわかる、...

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O飛鳥・白鳳文化-外来仏教を、“実用”の対象へ

飛鳥時代に入り、朝廷の体制もひと通り整い、遣隋使の派遣により大陸の文化が日本に導入されると、〈飛鳥文化〉が成立した。言うまでもなく飛鳥文化とは、〈仏教〉なしには語れないものだ。 なぜなら遣隋使の目的は、中国より国家統治の制度やイデオロギーを輸入することであり、その目的に仏教は合致していたからである。...

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O奈良時代の日本という、小さな中世的中央集権帝国

 まず〈奈良時代〉とは、710 年から 784 年にかけて、奈良盆地にある〈平城京〉において、政治がなされた時期を指す。 奈良時代における政治体制のあり方を述べるならば、これはひと通り、日本がひとつの国家として完成した状態にあったと言える。 その理由は、この時代は日本において、天皇と朝廷を中心とする...

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O天平文化を生んだ平城京の、偉大性と、輸入文物の未熟さ

 奈良時代においては、おもに平城京より、総じて仏教を中心とした文化が生まれた。 これを「天平文化(てんぴょうぶんか)」と言う。 天平文化の特徴は、この時代に唐より伝わった仏教を核としながらも、シルクロードを由来した、ユーラシア全般の文化がふくまれている点にある。 そのため天平文化には、さまざまな国の...

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O平安京遷都を、日本史、世界史の観点で見てみると

 奈良の平城京に都を置いていた朝廷は、784 年、長岡京への遷都をおこなった。 その理由は、平城京ではもはや、寺社や国司勢力の勢いが伸長したため、天皇の中央集権が成り立たなくなったから、というのが主因と考えられる。 そうしたわけで、長岡京への遷都は、桓武天皇の意向でおこなわれた。 ところがこの長岡京...

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O蝦夷征伐に見る、現代まで続く東北地方の不幸とは?

 桓武天皇は平安京に遷都すると同時に、東北地方にいる〈蝦夷(えみし)〉という部族の討伐に出た。蝦夷はつねに長い間、、中央のヤマト朝廷と対立していたからである。蝦夷 イメージ図借用元 http://www.city.hakodate.hokkaido.jp/docs/2014011600966/ その...

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O弘仁・貞観文化−天平文化と国風文化の過渡期的あり方

 平安京遷都から 9 世紀後半にかけ、仏教や漢文学、および宮廷における儀式などからなる、〈弘仁・貞観文化〉が興った。 はじめに、このことは日本の文化史上、どういう意味があるのであろうか? この点は端的には、日本の古代王朝がとりあえずの完成を見たため、生まれたものだと言える。 それは飛鳥時代から奈良時...

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O密教が、日本仏教のあり方を決定づけた−徹底した機能主義

 平安時代が始まると、仏教界においても新しい動きが出現した。 それは、〈密教〉の登場である。 密教とは端的には、特定の呪法によって〈法力〉をつけることにより、救いを得ようという教えである。 従来の原始仏教による戒律は、長い期間にわたる修行の末、〈悟り〉に達して、輪廻の苦しみから脱却を図ろうとするもの...

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O藤原氏による摂関政治は、なぜ成立したか−現代にまで影響

 天皇家に寄生することにより、自らは天皇の側近となり、権力を私物化してきた藤原氏一族については、これまでも述べてきた。 このページでは、その藤原氏の勢力が絶頂に達した、10 世紀後半から 11 世紀までにおける〈摂関政治〉の時代を中心にあつかう。 そもそも〈摂関〉とは、〈摂政〉、〈関白〉の略であり、...

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O国風文化に混沌と共存する、怨霊・末法思想と近代性

 このページでは、平安時代の中期以降、藤原氏による摂関政治の時代より花開いた、〈国風文化〉につて語る。 国風文化の特徴とは端的に述べれば、わが国に歴史上、はじめて登場した、わが国特有の文化である。 それまではおもに、中国における唐代文化の強い影響下にあった日本であるが、9 世紀後半から 10 世紀に...

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O国風文化を経て、ヨーロッパに近づく日本の歴史と日本人

 前のページで述べたような、人々が万物のなかに“怨霊”を見出し、恐怖に縛られ生きていた時代地域が、他にも存在する。 それは、中世のヨーロッパである。 西洋中世の人間は、あらゆる自然、社会の現象を、キリスト教の世界観で解釈しようとした。 その結果、あらゆるものに「神の怒り」を感じ、その精神はキリスト教...

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O武士を生み育んだ寒冷化-北方騎馬民族と同根のサムライ

 平安時代における藤原氏による繁栄は、温暖な気候により支えられたものだということは、「O藤原氏による摂関政治は、なぜ成立したか−現代にまで影響」のページにおける冒頭章「平安時代に、藤原氏が繁栄した理由」で述べた。 端的に述べるならば、藤原氏が栄華を誇った平安時代前期とは、温かい時代だった。 よって藤...

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管理人 水無川 流也