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Aスラブ諸国の形成と特徴-彼らはなぜ、専制的なのか? Aスラブ諸国の形成と特徴-彼らはなぜ、専制的なのか?

スラブ民族とは

 中世に入り西ヨーロッパに「ゲルマン人」と一括りで呼ばれる、異民族が侵入することで、西ヨーロッパの社会が成立した。

 

 西ヨーロッパでの現象と同様、現在の東欧、南欧、ロシアといった地域で、「スラブ人」と呼ばれる複数の民族が、国を造っていった。

 

 スラブ人の国家とは、大別して 2 つある。

 

 まず一つは、おもに西欧文化とローマ・カトリックに影響され完成された西スラブ人の国家。

 

 もう一点が、ビザンツ文化とギリシャ正教に感化されできた、東スラブ人の国家である。

 

 これらの国々は、おなじヨーロッパであっても、西ヨーロッパ諸国とはやはり若干、性質が異なる。

 

 その点は、20 世紀における冷戦時代に、スラブ諸国は軒並み〈ソビエト連邦〉を中心とする〈東側陣営〉に組みこまれたことからもわかる。

 

 冷戦期の世界における各国家のあり方は、地理的な偶然性のみが原因となったのではない。

 

 冷戦期の西側と東側の陣営の対立とはまさに中世にまで遡れる、各国家の政治体制、および生産手段に根づくものだったのである。

 

 ではここから、〈スラブ人〉がどのように形成されてきたかを見る。

 

スラブ人の起源

 まず前述したように、〈スラブ人〉とは>単一の民族を指すものではない。

 

 中世以前の歴史においても、〈スラブ人〉とは複数の民族による移動の結果、生まれた概念である。

 

 スラブ人は基本的に、〈南スラブ人〉、〈西スラブ人〉、〈東スラブ人〉に大別できるが、これとてトルコ系、イラン系、ゲルマン系などの人種が混合されたものである。

 

 また中世以後においても、スラブ地域は北欧のヴァイキングモンゴル人トルコ人などから侵略を受けた。

 

 したがってここから、スラブ人〉とは遺伝学的な意味における一民族を指すのではなく、あくまでスラブ系言語〉という言語学上の区分だということが言える。

 

 しかしそうしたスラブ人にあっても、やはりそのなかで基幹的な〈スラブ人〉と呼ばれる一派は存在した。

 

 そうした〈スラブ人〉の歴史を概観する。

スラブ人の歴史

 まずスラブ人の来歴にかんしては、「@ヨーロッパにおけるゲルマン民族大移動は、なぜ起こったか?」のページ内における「スラブ民族の形成」の章を参考にしていただきたい。

 

 遺伝学において明らかになっていることは、スラブ人とはイラン系の騎馬民族、スキタイ人〉の末裔であるということだ。

 

 〈スキタイ人〉とは、紀元前 8 世紀から紀元前 3 世紀にかけ、中央アジアやロシア南部にある〈草原の道〉を支配した騎馬民族である。

 

 彼らの活動は、古代ギリシャの歴史家、ヘロドトスの『史記』にも記されている。

 

 〈草原の道〉とは、近代までの全歴史をつうじ、東洋と西洋を結ぶユーラシア大陸の基幹ルートだったため、スキタイ人の遊牧国家はたいへんな国力をもった。

 

 だが最後は、スキタイ人たちは内部の権力争いで自滅するかたちで、歴史から消えていった。

 

 そのスキタイ人の子孫たちは、古代においてスラブ地方へ住みついたと思われる。

 

 スキタイ人たちはそこで、現地民たちと混血していっただろう。

 

 そのようにして〈スラブ人〉は現れたが、〈スラブ人〉が最初に歴史上、登場するのは、“奴隷”としてである。

 

 まず〈スラブ〉の語源は、英語で“奴隷”を意味する“SLAVE”と同一である。それはラテン語の“SCLAVUS”だ。

 

 この語はもともと、〈スラブ人〉そのものを指したが、ギリシャ・ローマ時代においてスラブ人が多数、奴隷として使用されたから、そこから転用されたようだ。

 

 奴隷状態に置かれたスラブ人は、ローマ時代がもっとも酷く、ローマで奴隷とされた最大多数派がスラブ人だったとされる。

 

 そんな彼らは西ローマ帝国が滅び、古代が終わると、ビサンツ帝国(東ローマ帝国)領内にて、なし崩し的に“農奴”へと転化していったのだろう。

スラブ諸国の歴史

 西ローマ帝国476 年に早々と滅亡した。しかしビザンツ帝国東ローマ帝国)は、1453 年まで残った。

 

 しかもビザンツの国力と領土は、年を追うごとに縮小していった。

 

 そうした事情から、ビザンツ帝国の国教である〈ギリシャ正教〉がスラブ世界に広まるには時間がかかり、よってスラブ諸国の成立もおおいに立ち遅れた

 

 またその原因のひとつには、現在のロシア南西部にあたる地域に、カザール(ハザール)汗国という、遊牧民の大国が 10 世紀まで存在していたから、というのもある。

 

 まず現在におけるロシアのもととなったのは、9 世紀に出現したノブゴロド国キエフ公国であるが、これらは北欧のヴァイキングにより建てられた国であった。

 

 それまではスラブ地域に、統一国家は現われていなかった。

 

 その後、キエフ公国がカザール汗国を滅ぼしたことにより、スラブ地域にリトアニア大公国ポーランド王国などの独立国が出現することになる。

 

 これらの国家における人民支配の政策は、〈農奴制〉であった。

 

 農民たちは、ほとんど“自由”のない状態に置かれ、領主たちの思うように搾取されていった。

 

 またこの状態は西ヨーロッパと異なり、農奴の身分は改善されず、近代以降も続くこととなる

 

 スラブ諸国は 13 世紀に、モンゴル人による征服を受け、以後 240 年にわたり、モンゴルの支配下に入る。

 

 これを「タタール(モンゴル人)のくびき」と呼ぶ。

 

Aスラブ諸国の形成と特徴-彼らはなぜ、専制的なのか?
「タタールのくびき」と呼ばれる、モンゴル人の支配がおよんだ領域
借用元 http://blogs.yahoo.co.jp/hsm88452/folder/1004279.html?p=1

 

 その後、15 世紀に〈モスクワ大公国〉が興り、モンゴル人を蹴散らし、ロシア全土を支配するようになる。

 

 その王、イヴァン 3 世は専制を強化し、自らを「“ツァーリ”=皇帝」と称した。

 

 モスクワ大公国の首都モスクワは商業都市として栄え、やがてコンスタンティノープルに次ぐ、「第三のローマ」と呼ばれるようになる。

 

Aスラブ諸国の形成と特徴-彼らはなぜ、専制的なのか?
モスクワ大公国
借用元 http://homepage3.nifty.com/ryuota/earth/history13.html

 

Aスラブ諸国の形成と特徴-彼らはなぜ、専制的なのか?
イヴァン 3 世
借用元 http://blogs.yahoo.co.jp/houzankai2006/54520245.html

 

上記がスラブ人の主流をなす、〈東スラブ人〉の歴史である。

 

 次にセルビア人を代表とする〈南スラブ人〉であるが、これは一部をのぞき大半がバルカン半島に留まり、ビサンツ帝国の支配を受けた。

 

 その後、14 世紀以降、ビザンツがイスラム教のオスマン・トルコに滅ぼされると、南スラブ人たちはオスマントルコに従属した。

 

 また〈西スラブ人〉たちは、ローマ・カトリックの影響を受けた国が多かった。

 

 まずポーランド人は、ローマ・カトリックに改宗し、〈ポーランド王国〉を建て、中世の後期に繁栄した。

 

 ポーランド王国は 14 世紀にリトアニア人と合体し、〈ヤゲウォ(ヤゲロー)朝、リトアニア=ポーランド王国〉をつくり、15 世紀に最盛期をむかえた。

 

 また非スラブ系民族も、スラブ人の動きに触発され、さまざまな活動をした。

 

 トルコ系、すなわちアジア系であるブルガール人は、7 世紀にビサンツ帝国領内であるバルカン半島北部に、〈ブルガール帝国〉を興した。

 

 くわえてマジャール人は、10 世紀末にローマ・カトリックを受容し、〈ハンガリー王国〉を建国した。

 

 その後、ブルガール人もマジャール人も、16 世紀にはオスマン・トルコの支配下に入った。

なぜスラブ人の支配形態は、つねに“専制”なのか

 以上の歴史を見てみると、スラブ人の政治形態は、「奴隷状態での支配か、被支配か」というものが目立つ。

 

 とくにスラブ民族の主流である、東スラブ人には、その傾向は顕著である。

 

 これには、どういう背景があるのであろうか?

 

 これは当然、スラブ民族とはギリシャ・ローマ時代より“奴隷”としてあつかわれた歴史があるからであろう。

 

 それだけではなく、スラブ人の歴史とは、中世初期のヴァイキングによる支配から始まる。

 

 くわえて中世後期には、スラブ人はモンゴル人により長期にわたり征服された。

 

 こうした歴史をもつ民族ならば、内政においても外政においても、「相手を隷属状態に置く」という発想が現われるのは、きわめて自然なことであろう。

 

 さらに以下のことは、Aビザンツ帝国の人民支配を正当化する、ギリシャ正教の章で述べた。

 

 スラブ人による信仰の根源である〈ギリシャ正教〉という教えそのものが、じつは絶対皇帝による人民の絶対支配を正当化する教義からなっているのである。

 

 ならびにロシアを筆頭とするスラブ諸国は、西ヨーロッパと異なり、“近代”までに歴史の進展から取り残された。

 

 その理由は、第一点は前述したように、スラブ民族の統治原理は、“専制”を肯定するものであったためだ。

 

 スラブ社会では歴史上、その“専制支配”を否定する思想も社会体制も、出現する余地がなかったのである。

 

 またもう一点は、“中世”の段階で、スラブ人たちはビザンツ帝国の支配下にあったため、スラブ諸国の建国がおおいに立ち遅れたからである。

 

 よってスラブ民族の根本原理とは、“専制支配”にあることは、現代でも変わらないのである。

ソビエト時代の“専制”

 以上の例証は、20 世紀にスラブ地域で起こった〈共産主義革命〉を見れば、一目瞭然である。

 

 ロシアで“革命”を成功させたロシア人たちは、まず外政面では近隣諸国を「支配すること」に当てた。

 

 その際にスラブ人の連邦国家・ソビエトは、東欧や南欧はもちろん、西アジア、中央アジアにまでも専制的な服従を求めた。

 

 くわえてソビエト国内においては、ロシア人たちは〈集団農場=“コルホーズ”〉、〈国営農場=“ソフホーズ”〉という体制を敷いた。

 

 これらは国家当局が、一元的に農民を支配するというやり方であり、よって「現代の農奴制と言っても、まったく差しつかえはない。

 

 くわえてロシアの国内においては、ソビエト歴代の書記長のなかで、強硬的な外政政策をおこなった者ほど人気が高く、逆に平和外交を実践した指導者ほど評判が悪いという傾向がある。

 

 ここからたとえば、欧米や日本で高く評価されているゴルバチョフなどは、ロシア国内で不評である。

 

 逆に国外では暴君としてしか認識されない、大粛清・対外戦争をおこなったスターリンでさえ、ロシア国内ではいまだ評価する声がある。

 

 ロシア人、ひいてはスラブ民族のこのような価値観は、以上のような歴史を経て形成されたのである。

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管理人 水無川 流也