「何が」ではなく「なぜ」を、「歴史用語の多さ」ではなく「その関係性」を大切に。

@フランク王国の成立と実態-西洋中世の完成と、文明の程度 @フランク王国の成立と実態-西洋中世の完成と、文明の程度

西ヨーロッパにフランク王国ができた意味

 

 ゲルマン民族の侵入以後、西ヨーロッパには多数で小規模の大国が、乱立と滅亡をくり返した。

 

 これにより西洋各地は原住民と侵入者が混じり合い、イギリス、フランス、ドイツ、スペイン、イタリア等、現在のわれわれが知る地域性と民族性を帯びていった

 

 そんな西欧も、やがてフランク王国として、ひとつのまとまりを成すようになる。

 

 この事実が意味することは、旧ローマ帝国内における地中海から西の地域が、3 つの勢力により分割されたということである。

 

 それはフランク王国ビザンツ帝国(東ローマ帝国)、およびイスラム勢力である。

 

 だがこれは後から述べるが、フランク王国の国力はたいへんに微弱なものであり、イスラム諸国などには到底、およびもつかないものだった。

 

 重要な点は、西ヨーロッパ地域が現在、われわれが EU として知るような、一地域として形成されたということである。

 

 では、フランク王国が成立するまでの歴史を見る。

 

フランク王国の完成

 481 年、全フランク人はフランク王国・メロヴィング家のクローヴィスにより、統一された。

 

 フランク王国内のゲルマン人の多くは、ローマ帝国により異端とされていたキリスト教のアリウス派を信仰していた。

 

 ところがクローヴィスは、ローマの正統派であるアタナシウス派に改宗した。

 

 これによりフランク王国はローマの貴族や富豪たちを、自己の支配層に取りこんだ

 

 だが 8 世紀以降、フランク王国は新興のイスラム勢力による脅威に脅かされることになる。

 

 まず現在のスペイン・ポルトガルに当たるイベリア半島には、イスラム国である後ウマイヤ朝が興った。

 

 また地中海全域がイスラム勢力の支配下に入ることとなり、西洋人による地中海海域の商業圏は、大打撃を受けた

 

 しかしそんななか 732 年、メロヴィング家のカール・マルテルは、トゥール・ポワティエ間の戦いで、かろうじてイスラム軍を破った

 

 その後カール・マルテルの子、ピピンはメロヴィング朝に代わりカロリング朝を興した。

 

 またピピンの子、カール大帝は敵対勢力を破り、フランク王国の最大領土を実現した

 

@フランク王国の成立と実態-西洋中世の完成と、文明の程度
フランク王国の最大領土
借用元 http://tabisuru-c.com/travel/germany_201205/germany_history/germany1.htm

 

 くわえてカール大帝は800 年ローマ教皇 レオ 3 世により西ローマ帝国の皇帝」として、戴冠を受けた。

 

@フランク王国の成立と実態-西洋中世の完成と、文明の程度
カールの戴冠
借用元 http://www.ne.jp/asahi/koiwa/hakkei/kirisitokyou17.html

 

 これにより西ヨーロッパには、宗教的権威と、その代理人である地上の権力者による、二重構造の支配体制が確立された

クローヴィスによる「アタナシウス派転向」がもつ意味

 まずはフランク王国・メロヴィング家のクローヴィスが、ローマにとって異端のアリウス派から正統のアタナシウス派へと改宗した

 

 これには、どんな意味があるのだろうか?

 

 アリウス派アタナシウス派の相違については、「Kキリスト教における最重要概念、〈三位一体〉とは何か?」 のページを参考にしていただきたい。

 

 要は、イエス・キリストを「あくまで“神”が創った存在」と認めるのがアリウス派。

 

それに対し、そのキリストを「“神格”をもった、“神”の一部。“神”と“キリスト”と“聖霊”は、3 体で 1 つ。つまり、“三位一体”」と考えるのが、アタナシウス派である。

 

 このアタナシウス派は、後にローマ・カトリックとなる。

 

 アタナシウス派の主張によると、キリスト教徒の魂(=聖霊)は、キリストという媒介を経て、はじめて神により規定されたものとなる。

 

 ということは、キリストの“神性”を認めない者は、同時に“”をも否定する存在である、ということになる。

 

 つまり“悪魔”である。

 

 この点は、共同体内部の異端者に対しても、また共同体外部の異教徒に対しても当てはまる。

 

 ならば支配者の側からすれば、国内を統治するにあたっても、また対外戦争をしかけるにしても、この論理は最強である。

 

 なぜならこの教義は国内を 1 つのイデオロギーで統一し、かつ外国の異教徒に戦争を挑むにあたり、最高の正義となるからである。

 

よって、クローヴィスの改宗がもつ意義は、以下の 2 点である。

 

 

@ フランク王国がローマの正統的後継者として、本格的にローマ教皇に近づいた

 

A これにより西洋人による異教徒・他民族への非寛容性が、正式に芽生えた

トゥール・ポワティエ間の戦い

 では732 年、カール・マルテルがイスラム教の王朝、ウマイヤ朝と戦った〈トゥール・ポワティエ間の戦い〉は、歴史的にどのような意味合いがあるか?

 

 一時、トゥール・ポワティエ間の戦いとは、キリスト教国家とイスラム教王朝による大決戦のように理解されていた。

 

 だが実情は、そんなものではない。

 

 まかりなりにもフランク王国がイスラム勢力に対し勝利できたのは、以下のような事情である。

 

 当時ロシア南西部に、〈カザール(ハザール)王国〉という、強力な遊牧民国家が存在していた。

 

 まずそのときウマイヤ朝は、このカザール王国との戦闘に、たいへんな国力を費やしていた。

 

 ちなみにビザンツ帝国(東ローマ帝国)や西ヨーロッパが、本格的にイスラム勢力に支配されないですんだのは、このカザール王国が地理的に防波堤となってくれていたからである。

 

 そうした事情にくわえ、トゥール・ポワティエ間の戦争とは、イスラム側からすれば、ヨーロッパを徹底して屈服させようとしたものではなかった

 

 ただフランク王国内の財宝が、欲しかっただけである

 

 そうした理由から、イスラム軍兵士の士気は非常に低かった

 

 だからイスラム軍は、フランク王国の 4 〜 5 倍の兵数をもちながら、自軍の指揮官が倒されると、たちまち戦意を喪失し逃走した。

 

 そのようにフランク王国は、タナボタ的に勝利を拾ったのだが、これが結果として、国内の統一に役立ったのである

 

 なぜなら王や国民が、「自分たちの力で、異教徒を撃退した」と思いこめたからである。

 

@フランク王国の成立と実態-西洋中世の完成と、文明の程度
トゥール・ポワティエ間の戦い
借用元 http://www.kourita.com/jp/zukan/ah_futatabi.html

カール大帝の戴冠

 さて次は、800 年にカール大帝が時のローマ教皇、ピピン 3 世より、冠を授けられたことの重要性である。

 

 まずこの件はフランク王国、およびローマ教皇両者にとって両得だったのだ。

 

 フランク王国にしてみれば、自国領を支配する正当性が必要だった。

 

 くわえてローマ教皇は、西ローマ帝国が滅びたことにより、ビザンツ(東ローマ)帝国の皇帝に対抗する武力や領土を求めていた。

 

 こうした両者の関係性により、フランク王国はあえてローマ教皇の支配下に入ることにで実を取った

 

 またローマ教皇も、フランク王国という強力な後ろ盾をもったことになる。

 

 しかし両者の関係は、ずっと蜜月だったわけでがない。

 

 後々、ヨーロッパの王たちとローマ皇帝は、ヨーロッパの支配権をめぐり、対立していくこととなる。

 

 またカールの戴冠により西洋世界は、西ヨーロッパとビザンツ帝国の二大勢力が拮抗していくことになる。

 

@フランク王国の成立と実態-西洋中世の完成と、文明の程度
フランク王国、ビザンツ帝国、イスラム勢力(ウマイヤ朝)の地理的関係
借用元 http://blog.goo.ne.jp/abc88abc/e/114c70be8cc07eb788a9aa090f9257d8

フランク王国の実力

 以上のように述べると、フランク王国はまるで世界的な大国だったように思われる。

 

 しかし実際には当時の世界的な強国、インドや中国と比較すれば、フランク王国は弱小国にすぎなかったのである。

 

 以上の点は、下記のデータを見ていただければわかる。

 

 http://www.geocities.jp/gupta2million/vardhana/

 

 

 7 世紀初頭の時点で、フランク王国内の人口が占める割合は、世界全体から見て、わずか 2 %である。

 

 くわえて 1 人あたりの GDP は、大唐帝国の 4 分の 1 以下。

 

 ここからフランク王国全体の GDP は、世界全体の 1.4 %ほどとなる。

 

 大唐帝国の GDP が当時における世界全体の 19 %を占めていたから、単純計算ではフランク王国の国力は、大唐帝国の 7 % ほどしかない。

 

 同様に上記サイトからビザンツ帝国もまた、フランク王国と大差のない小国だと理解できる。

 

 しかもビザンツは、年を追うごとに、1453 年の滅亡まで自国領が減っていくのである。

 

ここから、キリスト教圏とは中世の段階では、いかに後進地域だったかがわかる。

“西洋”を構成する 3 要素

 一般に〈西洋文明〉とは、以下の 3 つの要素からなるとされている。

 

 それは“古典ゲルマン文化”、“キリスト教”、および“ギリシャ・ローマ文化”である。

 

 またヨーロッパの歴史は中世から始まることから、ヨーロッパとは古代のギリシャ・ローマの文明・文化を受け継いでいるように思える。

 

 しかしこれは、誤解である。

 

 ヨーロッパにはたしかに、〈ケルト〉ととして誤って一括りに語られる先住民の文化と、ゲルマンの文化の融合はあった。

 

 また、ちょうどわが国における仏教のように、外部から輸入されるかたちでキリスト教は伝えられた。

 

 しかしヨーロッパには物質的・観念的なギリシャ・ローマ文化は、ほとんど継承されていないのである。

 

 これが西洋中世における、物質的な貧しさの原因となっている。

 

 たとえばギリシャの哲学やローマの建築術などの多くは、近世初期のルネサンス時代に、アラビア経由で伝えられたものである。

 

 その証拠として、こんな逸話がある。

 

 後の十字軍の兵士たちが、他国でローマ時代の建築物を目にしたとき、「こんなすごい建物は、見たことない。これを造ったのは、悪魔にちがいない」と驚いたそうである。

生産様式から見た、ヨーロッパ中世の発展段階

 西洋中世では、ローマ時代のコロナートゥス制度農奴制へと転化するかたちで、生産手段が形成されていった。

 

 コロナートゥスとは、以下のような制度である。

 

 ローマ帝国での都市生活を維持できなくなった市民たちが、西方へと逃げ、農奴となって大資本家に支配されるシステムだ。

 

 西ローマ帝国が滅びると、資本家たちは地元の豪族となった。

 

 これに古典ゲルマンの支配体制が混合され中世の生産様式が確立されたと考えられる。

 

 この場合、農奴たちは厳しい労働を余儀なくされた。

 

 しかしローマ時代には、奴隷の割合が地域や時代によっては、人口の半分以上を占めることがあったともされる。

 

 そうした点から考えれば、中世社会はたとえ人口の大半が農奴であっても、ローマ時代より進展したものと考えられる。

 

 なぜなら農奴は奴隷と異なり婚姻や財産の所持など、一定の権利を所有していたからである。

 

@フランク王国の成立と実態-西洋中世の完成と、文明の程度
中世の農奴たち
借用元 http://bbs.jinruisi.net/blog/2013/08/1148.html

 

 ヨーロッパ中世は、聖職者王侯貴族農民の身分が確立され、始まっていくこととなる。

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管理人 水無川 流也