「何が」ではなく「なぜ」を、「歴史用語の多さ」ではなく「その関係性」を大切に。

中世−人類の少年期 中世−人類の少年期

中世−人類の少年期記事一覧

@ヨーロッパにおけるゲルマン民族大移動-原因と結果

○余の務めは、聖なるキリストの教会を作ること―カール大帝

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@フランク王国の成立と実態-西洋中世の完成と、文明の程度

 ゲルマン民族の侵入以後、西ヨーロッパには多数で小規模の大国が、乱立と滅亡をくり返した。 これにより西洋各地は原住民と侵入者が混じり合い、イギリス、フランス、ドイツ、スペイン、イタリア等、現在のわれわれが知る地域性と民族性を帯びていった。 そんな西欧も、やがてフランク王国として、ひとつのまとまりを成...

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@フランス、イタリア、神聖ローマ帝国の形成と、今日のヨーロッパ

 フランク王国はヨーロッパに最初に成立した統一国家だったため、一見、その体制はしっかりしているように思えた。 しかしフランク王国は事実上、カール大帝と地方の長官である“伯”との個人的なつながりにより、成り立っていた。 こうした事情は、歴史初期の(アジア的)国家によく見られるものである。 そのためフラ...

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@封建制度と自由都市が、近現代経済体制をつくった

 西洋史、東洋史、日本史を問わず、歴史を学ぶとどうしても〈封建制〉という概念を理解する必要が生じる。 ところが史学においては、〈封建制度〉に対する厳密な定義は存在しない。 というのは、あつかう事象が西洋史か東洋史か、はたまた日本史かで、〈封建制〉の意味が異なってくるからである。 どうしても〈封建制〉...

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@中世キリスト教文化が、キリスト教否定を招くという矛盾

 中世の 1,000 年間をつうじ、ヨーロッパはずっとキリスト教の支配下にあった。 よって基本的に、ヨーロッパの中世文化とはどの分野でも、キリスト教の付属物であった。 とくに前期のものほど、「〈神の威光〉をたたえる」、もしくは「すべての国民に、キリスト教を啓蒙する」のが目的であった。 したがってその...

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@西洋中世文化という少年期-“聴覚”の重要性

 中世においては、〈騎士道〉を描いた〈騎士道物語〉が盛んに語られた。 〈騎士道物語〉とは、中世において戦争の主役であった騎士たちによる、戦場での活躍、主君への忠誠、および貴女との恋愛などを描いたものである。 代表的な作品に、『ローランの歌』、『トリスタンとイゾルデ』、『ニーベルンゲンの歌』、『アーサ...

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Aビザンツ帝国の人民抑圧を正当化する、ギリシャ正教

○帝国は不安定な状態がいつまでもつづき、全体として胸のむかつくような惨状を呈し、みすぼらしい、いや、ばかばかしい欲望がはこびって、偉大な思想や行為や人物は影をひそめます―『歴史哲学』ヘーゲル

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Aビザンツ帝国の、興亡と盛衰-朽ちていくことが宿命

 ビザンツ帝国とは〈東ローマ帝国〉であり、東西に分割された古代ローマ帝国の東側である。 そのためビザンツ帝国の歴史とは、一般に 395 年におけるローマ帝国の分裂から始まるという特殊なものとなる。 その後、476 年に西ローマ帝国は滅亡したが、東ローマ帝国は「ビザンツ帝国」として生き残った。 しかし...

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Aビザンツ帝国の、歴史的意義と発展段階-文明の仲介者

 前ページの検証をふまえると、ビザンツも現代のアメリカ同様、その国家原理は前時代のものだということがは明確である。 ビザンツはローマ帝国よりさまざまな文明を受け継いだが、それを後退させることはあっても、発展させることはなかった。 たとえば人民支配の方法も、中世をつうじてヨーロッパでは発達した。 〈自...

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Aスラブ諸国の形成と特徴-彼らはなぜ、専制的なのか?

 中世に入り西ヨーロッパに「ゲルマン人」と一括りで呼ばれる、異民族が侵入することで、西ヨーロッパの社会が成立した。 西ヨーロッパでの現象と同様、現在の東欧、南欧、ロシアといった地域で、「スラブ人」と呼ばれる複数の民族が、国を造っていった。 スラブ人の国家とは、大別して 2 つある。 まず一つは、おも...

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Bヴァイキングの歴史的意義-その本質は、「海の騎馬民族」

 ここでは前ページの記述を踏まえ、少なくとも状況証拠から推測できる、ヴァイキングがヨーロッパにあたえたと考えられる文物を見てみる。 まず第一点は、造船術や漁業、航海技術が挙げられる。 はじめに中世初期にゲルマン民族たちがヨーロッパに侵入したのは、あくまで陸路を通ってである。 またヨーロッパ各国も、中...

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C十字軍 -「文明の衝突」の原点-逆転する時代の覇者

○アッラーは殺し合いを好まぬ。キリストとて、同じであろうに―サラディン

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C十字軍-和解不可能なキリスト教とイスラム教の原点

ここでは〈十字軍〉とは何か、これを西洋史に限定せず、人類史の立場から見てみる。ます「十字軍 対 イスラム諸国」の戦争とは、人類史上初の、一神教勢力同士の戦いと位置づけられる。 これを皮切りに、キリスト教国とイスラム教国は、後々、現代にいたるまで本格的な戦争を、何回も起こすこととなる。 および現象のみ...

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Dローマ教皇と国王-特異な二重支配体制-権威と権力の分掌

○教皇は太陽、皇帝は月―インノケンティウス3世

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D教皇権の盛衰と、国王権の伸長-近世的社会を準備

前ページで述べたように、教皇権が栄華をきわめ、没落すると、それに代わり国王の権力が相対的に増大することとなった。 当然だが、教皇とは一人であるが、国王はヨーロッパに複数、存在する。 すると数ある国王たちが、西洋や世界において、自分の影響力を他国よりおよぼそうとする。 こうして近世における〈絶対主義〉...

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E英仏百年戦争と、議会の成立-王権の強化を生む

○フランス人は、神が彼らに与え給うた偉大な事業をまもなく成し遂げるでしょう―ジャンヌ・ダルク

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E百年戦争の原因と経過と結果-近代ヨーロッパの構図を形成

 まず〈百年戦争〉とは、中世末期(1339 〜 1453)にイギリスとフランスのあいだで戦われた戦争を指すある。 この戦闘がこれほどまでに長きに渡って続いたのは、イギリス・フランス間で長期にわたって所有権が争われた、領土をめぐる問題だったからである。 この百年戦争が後世にもたらした影響については、ま...

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Eバラ戦争が決定づけた、イングランドとスコットランド

百年戦争後、イギリスではランカスター・ヨーク家のあいだで王位継承戦争が起こった。 その結果として、1485 年にランカスター派のヘンリー 7 世が即位し、内乱は治まった。 その過程で騎士や諸侯は、両家に分かれて戦ったため、彼らの多くは滅亡した。 イギリスではこのようにして、邪魔者である地方の有力者が...

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Fイスラム教の誕生と本質-なぜ時代はイスラム教を必要としたか

○アッラーは商売はお許しになった、だが利息取りは禁じ給うた―コーラン

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Fスンナ派とシーア派の差異-ペルシャ文明の関与

 このページでは、イスラム教初の帝国、ウマイヤ朝の成立過程を見るとともに、なぜイスラム教がその時代のその時期に隆盛を誇ったかを検証する。 イスラム教が発生してから、中世のユーラシア大陸中央部にて伝播していった速度は、他の世界宗教、キリスト教や仏教には見られないものである。 イスラム教の何が、当時の人...

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F.『コーラン』の構造に見る、ムスリムの行動原理

 さて、ここではイスラム教がなぜかくも異常なまでの速度で、おもに西アジア地域で伸展したのかを、説いてみたい。 まずキリスト教は、ナザレのイエスが誕生して教えを広めてから、その教義がローマ帝国の国教になるまで 400 年ちかくかかっている。 またキリスト教、イスラム教とともに「世界三大宗教」のひとつと...

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Gアッバース朝と後ウマイヤ朝-中世の覇者、中世西洋の抑圧者

○ムハンマドなくしてシャルルマーニュ(=カール大帝)なし―アンリ・ピレンヌ

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Gトルコ系王朝という、中世・近代西洋の「最強仮想敵国」

 現在「トルコ」ことトルコ共和国は、EU の加盟問題に揺れている。 地理上ではトルコは、EU 諸国のとなりである。 またトルコは 7,500 万人もの人口を擁し、2013 年度の GDP も 8,200 億ドルと、世界 18 位の規模をもつ大国である。 トルコは、EU (当時は EC) への加盟申請...

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Gインド、東南アジアにおける、イスラム教の伝播-人口増加を呼ぶ

 現在、わが国では少子高齢化が進展し、問題化している。 またこの点は、欧米などの先進諸国でも、多かれ少なかれ未来への課題へとなっている。 ところが宗教を基本に考えれば、現在の時点でも信者の出生数が爆発的に増加している宗教がある。 それが、イスラム教である。 まず 2009 年度の時点では、世界の宗教...

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G.アフリカ大陸の通商路をつくった、イスラム王朝

21 世紀現在のアフリカは、内紛と対外戦争、および飢餓と貧困に満ちているように見える。 そうしたアフリカの災難は、世界全体に影響をあたえる規模のものではないが、当地においてはつねに戦乱が絶えないような感をあたえる。 もちろんこうしたアフリカ観は、おもにマスコミを通じて形成されたものであり、一種のステ...

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Hイスラム文化と、その本質-〈古代〉と〈近代〉の媒介者

○アラビアの哲学は自由で、はなやかで、深い想像力をしめている―ヘーゲル『哲学史講義』

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H神秘主義という、イスラム教の「正統的異端者」

 前のページで、イスラム教の神学は、キリスト教におけるそれのような、極度に思弁的なものにはならなかったと述べた。 その理由は、端的にはイスラム教は“信仰”が「日常性のなかに解消されている」宗教だからである。 つまりイスラム教徒にとって、信心を表現する最高の方法は、「〈戒律〉をまじめに守りながら、日々...

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Hイスラム文学から読み解く、中世世界-聴覚優先

 イスラム教が普及した領域は、古典古代文明が興った地域が多かった。 そのため現地の伝統的な文化や芸術と、アラブ・イスラム教の文物が融合し、豊かな文学作品や美術品が生まれた。 中世におけるイスラム教は寛容だったため、イスラム教の教えに反するものでないかぎり、自由な想像力による創造がなされた。 また詩を...

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Hイスラム文化 -造形美術と音楽-イスラム芸術の特殊性

 イスラム教世界で創造された建築物は、各種のモスクに代表されるように、多様で個性的で細部にまでデザインの行き届いた形状をもつ。 その理由は、これもまたイスラム教が、伝統ある古典古代文明が栄えた地を、広範に支配したからである。 古代建築からの影響という点で述べれば、イスラム世界は中世や近代のヨーロッパ...

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I東南アジア諸国における、共通した特性

○私はヒンズー教徒であり、イスラム教徒であり、キリスト教徒であり、ユダヤ教徒です。枝は違っても皆、一つの木なのです―ガンジー

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Jベトナム-中国(漢字)文化圏 -強国支配に対し、抵抗

 東南アジアにおける中国(漢字)文化圏とは、ベトナムがそれに該当する。 ベトナムは地理的に中国に近いため、早くから中国からの影響と侵略を受けていた。 前 4 世紀には、ベトナム北部を中心に中国の影響により青銅器や鉄器を作製する、〈ドンソン文化〉が発展した。ドンソン文化における金属遺跡借用元 http...

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I東南アジアにおける、上座部仏教(小乗仏教)の浸透

 インドでは、太古より商業が盛んであった。 紀元前 2300 年ごろに興ったインダス文明の時代より、インドでは人々が商業にたずさわっていた。 なぜそうなのかと言えば、やはりインドの地理的要因に依るものであろう。 インド亜大陸はユーラシア中央南部にどっしりと位置しているため、陸路にせよ海路にせよ、他の...

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Iタイ、カンボジア等で、なぜ仏教は受容されたか?

 前のページでは、上座部仏教がいかに東南アジア全体に普及していったかを見た。 ここでは仏教・ヒンズー教がどのように個々の東南アジア諸国で広まっていったかの歴史を、くわしく見る。 東南アジアはインド、中国からの人の流入が盛んだったため、1 世紀末にはメコン川下流に〈扶南〉という、東南アジア最古の王朝が...

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Iマレーシア、インドネシア-近代化できたイスラム教国

 このページでは、東南アジアのイスラム教文化圏である、マレーシアとインドネシアを取りあげる。 この両国は、中近東や中央アジア、アフリカ等に位置する他のイスラム諸国とは、異なった面がある。 それは近年、ほぼ順調に経済発展をとげている点である。 またその経済を向上させている産業も、アラブの国々とは違い、...

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Iフィリピン-ラテン・アメリカに近い、カトリック文化圏

 マレーシアやインドネシア同様、東南アジアの“諸島部(島嶼部)”に位置するフィリピンの歴史は、他の東南アジア諸国にくらべ、古い資料が極端に少ない。 これはフィリピンが、東南アジアのなかでも東側に位置しているからである。 そのためインド、中国、および西洋諸国からは、フィリピンにかんする文献がほとんど残...

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管理人 水無川 流也