「何が」ではなく「なぜ」を、「歴史用語の多さ」ではなく「その関係性」を大切に。

O秦と前漢-統一国家の登場が、東アジア世界にもたらしたもの O秦と前漢-統一国家の登場が、東アジア世界にもたらしたもの

○天下が戦に苦しむのは、諸侯があるからだ―始皇帝

中国大陸に統一王朝が現われる

 ここでははじめて中国大陸を一統した秦、および、その秦を滅ぼした前漢について語る。

 

 中国が秦の始皇帝により一統されたのは、紀元前 221 年である。

 

 この時代は、中国と対極にあるユーラシア大陸の西端で、ローマ帝国がほぼ国家としての体制を整えた時期と一致する

 

 つまり秦の成立には、2 つの意味がある。

 

 第一点は、諸子百家の時代(=春秋戦国時代)に完成された、中華民族の原理が、はじめて国家として現実化したということ

 

 またもう一点は、世界史的観点から、人類は古代後半の時代に差しかかったことである。

 

 これを簡潔に述べると、世界史古代の前半はおもに土着的な王権が領土を支配する“王国”の時代だった。

 

 このことは中国の周王朝や、ギリシャのエーゲ文明などに見られれる。

 

 しかし古代の後半をむかえると、いよいよ多民族を包括する“大帝国”の時代に入ったということである。

 

 その典型が、ローマ帝国や秦というわけだ。

 

 および前述したように、秦とローマ帝国はちょうど、ユーラシア大陸における東西の両端に位置する。

 

 秦が勃興した紀元前 3 世紀という時代は、秦とローマ帝国にはさまれた地域でも、大国が存在したか、生まれつつあったかした。

 

 それはペルシャのパルティアや、インドのマウリヤ朝などである。

 

 紀元前 4 世紀における、マケドニアのアレクサンドロス大王による大遠征という洗礼を受け、古代は折り返し地点にさしかかった

 

 文明の響応性というべきか、アレクサンドロス大王とは直接の関係はない中国も、他国同様に統一の時代に入ったのである。

 

 まずはこの秦・漢王国が成立し、前漢王国がいったん滅亡するまでの、200 年の歴史を概略する。

秦の統一から、前漢の滅亡まで

 戦国七雄のひとつであったは、他の 6 国を次々に従え、紀元前 221 年、中国を統一した

 

 この快挙は当時、じつは他の諸侯や民衆にも、歓迎された。

 

 なぜなら何百年にもおよぶ複数国のあいだの抗争で、諸侯や民衆も疲れきっていたからである

 

 また当時は、中国のように広大な領土は、一国により統治するのは、不可能と思われていた。

 

 現代の感覚では、「世界統一政府」ができるようなものであろうか。

 

 さて秦の王、始皇帝は広大な中国大陸を支配するにあたり、様々な中央集権政策、および同一化政策をおこなった。

 

O秦と前漢-統一国家の登場が、東アジア世界にもたらしたもの
始皇帝

 

 それは中央から地方へ役人を派遣する、郡県制。貨幣や文字の統一。焚書・坑儒による思想弾圧、および思想の一元化。北方からの騎馬民族の侵入を防ぐための、長城の建設などである。

 

 しかし秦の政策は急激すぎたため、国内の反感を買い、ほんの 15 年ほどで破綻した。

 

 秦の滅亡後、農民出身の劉邦と、秦に滅ぼされた楚国の元貴族・項羽が争い、劉邦が勝利した。

 

 劉邦は自身を〈高祖〉と名乗り、紀元前 202 年、漢王朝を興した。

 

 漢王朝は秦の成功や失敗、および内乱などから、独自の中央集権体制を編み出した。

 

 紀元前 2 世紀後半における武帝の時代には、漢は多くの対外戦争に勝利し、最大の国土を獲得した

 

 また武帝は、敵である騎馬民族・匈奴をはさみ撃ちにするため、西方に使者を送った。

 

O秦と前漢-統一国家の登場が、東アジア世界にもたらしたもの
武帝

 

 このことが中国に、西方にかんする知識や、西方へのルートをもたらした。

 

 しかし武帝の対外政策により、漢の財政は困窮した。そのため武帝の死後、外戚や宦官(かんがん)という役人たちによる権力争いが勃発した。

 

 結局、王莽(おうもう)という外戚の人物が、漢の皇帝を廃して、紀元 8 年に「新(しん)」という国を建てた

 

 だが王莽の復古主義的政策は、国民に受け入れられず、新は紀元 27 年に滅びた

冊封体制の成立

 さて、このように秦・漢という統一国家が中国大陸に現れたわけだが、これは東アジア世界にとっては、どのような意味があるのだろう?

 

 まず結論から述べれば地中海世界におけるローマ帝国と、同様の意義があった。

 

 ローマ帝国はイタリア半島を中心として、地中海周辺の地域を“属州”とした。

 

 同様に天下統一により秦や漢王朝という存在は、東アジア世界の中心となった。

 

 まず秦・漢は、周辺国を自分の配下とし、そこに一定の身分をあたえた。

 

 つまり秦・漢と他の国々のあいだで、上下関係が成立したのだ

 

 これを「冊封体制」という。

 

 秦・漢はあくまで王としてふるまい、周辺諸国はその配下となった。

 

 その近隣諸国とは、秦・漢の時代では、具体的には衛氏朝鮮(朝鮮)と、南越(ヴェトナム)である。

 

 これにより、秦・漢は手下である国々から、貢物を得る。また秦・漢から柵封を授かった国々は、秦・漢より不可侵を保証され、かつ他の国から攻められたとき、秦・漢により保護が受けられる。

 

 これはとりあえず、一挙両得の関係である。

 

 この点から冊封体制はアジア的な安全保障条約であるとも、定義できるだろう。

 

 また冊封体制が成立したことにより、中国には〈中華思想〉が芽生えた。

 

 つまり中国とは、世界の中心であり周辺諸国は中国の衛星国にすぎないという発想である。

 

 こうした自国中心観は、中国と同様の国家原理をもつ、ローマ帝国や現代のアメリカ合衆国にもつよく見られる。

 

 じつは柵封体制とは、戦国時代から存在した。しかし秦・漢が登場したことにより、冊封体制はこの後、19 世紀における清朝の時代まで、東アジア世界の普遍的制度となった

秦・漢における体制の違い

 秦はわずか 15 年で崩壊したが、漢は後の後漢もふくめると、400 年も続くこととなる。

 

 この違いは、何によるものであろう?

 

 端的に述べるならば、確固たる「支配イデオロギー」をもったか、どうかである。

 

 まず中国大陸は、広大である。この土地を治めようとすれば、どうしても中央集権的な制度にならざるを得ない。

 

 しかしまず、秦には厳格な法体制と武力しかなかった。

 

 これでは各地で反乱が起きれば、対処しきれない。さらに秦は、自国の支配を他者に強制するにあたり、“焚書坑儒”により、中国の歴史的思想、とくに儒教を弾圧した。

 

 このやり方であれば、被支配者は秦に反感をもったとき、自分の力が秦より上回っていると判断すれば、迷わず秦に対抗する。

 

 そうしたわけで、秦の支配は短命に終わった。

 

ところが漢では、秦が禁圧した儒教を、逆に国家統治の中心イデオロギーとして採用した。武帝の時代からである。

 

 くわしいことは、「中国諸子百家 2」のページにおける〈儒教の本質〉の項を見ていただきたい。

 

 まず儒教とは、家父長制的家族における、倫理規範にもとづいている思想である。

 

 儒教においては、子は親に従い、礼をつくすもの、となる。

 

 この場合、“”を“国民”に、“”を“国家”に変換すれば、「家族の道徳」は即座に「国家の倫理」となる。

 

 国家や豪族は親であり、自分はその子供だと認識すれば、民衆はもはや、「お上」に逆らおうとはしないであろう。

 

 なぜならそれは、自分の親を責めるのと同様の意味になるからである

 

 この現象は、儒教同様に家父長制的倫理を規範とするキリスト教会を、ローマ皇帝たちが保護したのと同義である。

 

 ローマ皇帝たちは、それまで弾圧していたキリスト教の保護者になることにより、ローマ市民たちと“親子”に近い関係性をもちえた。

 

 これは余談だがもしかすると、この現象は逆か、あるいは両方当てはまるのかもしれない。

 

 すなわち原始キリスト教は、それほど父権を強調するものではなかったが、ローマ帝国が国教になる過程で、家父長制的なものに造り替えられた可能性もある。

 

 余談はさておき儒教は、そのように中国体制に組みこまれていき、それが清朝(1616〜1902)まで続くこととなる。

 

 また元来は儒教のライバルであった道教は、ついには単独で国家宗教となることはできなかった

 

 しかし〈陰陽五行〉などの思想は、民間の宗教団体における根本思想になったりすることもあった。

 

 また道教の発想は、儒教や仏教の思考と混合し、中国思想のなかで残っていくこととなる。

官僚制度の整備

 秦・漢の時代における社会体制として目につくのは、官僚制度を公式に採用している点である。

 

 中国にはおなじみの、去勢した男性が“宦官”という役人になり、皇帝の手足として働く制度は、秦・漢時代から本格化した。

 

O秦と前漢-統一国家の登場が、東アジア世界にもたらしたもの
宦官

 

 その理由は、大国として中央集権制度が確立されたこと、および平和な時代が訪れたからである。

 

 一般に戦乱期にある小国は、官僚を必要としない。なぜなら、そうした国においてはひとりの王による臨機応変な判断が、もっとも効果的だからである

 

 というのはその場合、状況はつねに動いるのだから、政治にせよ軍事にせよ、国の決断は迅速でなければならない。

 

 ところが平和な大国であると、国家のすみずみに至る多大な情報が必要となり、かつお決まりの事務処理が求められる。

 

 すると封建国家においては、国王の命令に絶対に忠実であり、ロボットのように間違いなく仕事をこなす人材が必須となる

 

 そうした需要から、官僚は生まれる。

 

 またわが国においても、戦国時代から江戸時代にかけて変わったことは、武士の仕事が兵役から宮仕えになったことである。

 

 しかしどの時代・どの国家であろうと、太平の世の中が動乱の時代になると例外なく、官僚は国を滅ぼすこととなる。

 

 彼らの硬直した思考は、千変万化する現実に対応できないからだ。

 

 やや脱線したが、そうしたわけで漢代においては、地方の豪族が官僚となり、政治の中枢に食い込めた。

 

 こうした現象などは、「平等であっても、自由はない」中国という国家を、よく表している。

史学の確立

 前漢時代における文化で着目すべきものは、司馬遷により中国史学が確立されたことである。

 

 司馬遷の著した『史記』は、現代の視点から見れば多くの疑問点が指摘されているが、それでも一級の史学書とされている。

 

 ところで歴史上において、なぜ“歴史書”は必要とされるのであろうか?

 

 また歴史がある国ほど、歴史家が輩出するということもない。

 

たとえばインドやエジプトなども歴史の深い国だが、有名な歴史上の歴史家は、ほとんど存在しない。

 

 まず一点、述べられることは、歴史書とは歴史の勝者により書かれるということである。

 

 歴史書は時代の支配者が、自らの正当性を主張するため、記録として残すのである。

 

 歴史のなかで敗れ去った一族や民族は、たとえ歴史書をもっていたとしても、歴史の勝者により、それは葬り去られる。

 

 よって現在にまで残っている歴史書は、すべてが歴史の覇者によるものと見ていい。

 

 しかも中国とは、「白髪三千丈」の国である。歴史上の勝者は、おおいに美化されていると見るべきである。

 

 ここを逆に言うならば、歴史書とは書かれている内容をそのまま信じるのは、危険だということだ。

 

 ところで中国とは、革命の国である。中国では2,000 年にもわたり、王朝が絶えず交替してきた。

 

 そして中国とは、国家の根本原理が有史以来ほとんど変わっていない、世界上、唯一の国である。

 

 ならば中国においては、革命者たちは自分の正しさを、歴史にもとづいて主張するだろう。

 

 なぜなら中国とは「易姓革命=“正当性があれば、だれでも現王朝を倒していいとする論理”」の国だからである。

 

 そうしたわけで中国では、歴史書が多く残されることとなった。

 

また現代においてさえ、「中国の歴史は、プロパガンダだ」と言われるほど、中国の歴史には、誇張が多い。

 

 その中国におけるプロパガンダの歴史は、2,000 年以上前の、司馬遷にまで遡れるのだ。

 

 そうした点から、中国の歴史書とは、信用がおけないとするのは簡単である。

 

 しかしウソのなかにも、真実はある。

 

 「歴史書は、勝者によって書かれた」という前提で読めば、中国の歴史書からも真実を見つけることは、できるであろう。

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管理人 水無川 流也